第一章  いくちゃんか、推しイベか。

1-1 どっちかなんて選べない

 やばい。

 さっきのやばいとは別の意味で、やばい。


 何故、歌恋と話していた段階で気付けなかったのだろう。なんて、今更悔やんでも遅いのだ。この問題は今すぐに解決しなければならない。


 ――これは所謂、イベ被りというやつだ。


 焦ってそう思う武蔵だったが、実際には違う。でも、デートという行為も武蔵にとっては大きなイベントなのだ。大きなイベント……なのだが。

 四月二十五日にはもう一つ、大きなイベントがある。


(何でライブの日なのに大丈夫と言ってしまったんだ、俺は……!)


 そう、ライブだ。

 四月二十五日は武蔵の大好きなアニソンアーティスト、ASAnASAあさなさのライブツアーの名古屋公演がある。ASAnASAがライブツアーをやるのは二度目だが、前回はまさかの「名古屋飛ばし」。東名阪とうめいはん、とはよく言うものだが名古屋がスルーされてしまうことは稀にある。――と思っていたのだが、案外稀な出来事ではないのかも知れない。

 武蔵は涙を流し、前回の公演は親に頭を下げて東京公演に行かせてもらったものだ。しかし、今回は地元まで来てくれる。それはそれはもう嬉しくて、楽しみにしていたはずだ。グッズを買うお金だって、しっかりと用意済みだった。


 しかも四月二十五日は武蔵の誕生日でもある。十七回目の誕生日に、一番推していると言っても過言ではないアーティストのライブに行けるだなんて。こんなにも幸せなことはないと思っていた。

 はず、なのに。


(……お、落ち着こう。とりあえず落ち着け、俺。優先順位はどっちだ? 俺にとって重要なのはどっちだなんだ?)


 武蔵は家に着くなり自室に籠り、頭を抱えていた。的井家には母親がいなく、いつもなら帰ってきたらすぐに夕食の支度をするのだが、それすらできない。というか、それどころではない。一刻も早く、考えなければいけないのだ。


(一番良い方法は育田さんに日程を変更してもらうことだ。それはわかっている。わかっている……んだが)


 武蔵は一人、薄暗いままの部屋のベッドに腰かけ、眉間にしわを寄せている。

 視線の先にあるのは携帯電話だ。新着情報メールが一件。早速、歌恋からメールが届いていた。「今日はありがとうございます。二十五日、楽しみにしていますね!」という文面には照れた顔の絵文字が添えられていて、わくわく感が溢れ出ているように見えてしまう。


(もし、二十五日は何か用事があるんですか? とか聞かれたら……。俺はいったい、どうすればいいんだ……)


 嘘は吐きたくない。

 だったら隠しごとは良いのか? という話になってしまうのだが、やはりまだ歌恋に自分の趣味について話す勇気はない。オタクも年々偏見を持たれにくくなっている気はするが、歌恋がどう思うかはぶっちゃけ未知数なのだ。

 歌恋は真面目な性格だから、言えば案外あっさりと受け入れてくれる気はする。でも、そうではない可能性もゼロとは言えないのもまた事実な訳で。


(自分のことを話すのは、一度デートをしてからでも良いんじゃないのか?)


 歌恋が武蔵のことをまだそんなに知らないように、武蔵だって歌恋のことをよくわかっていない。むしろお互いに知るためにデートをするのだ。

 それに、メールや電話で話すより、こういうのは直接会って話すべきだ。だからこれは隠している訳ではない。まだ言えない、それだけの話だ。

 武蔵は自分自身に言い聞かせ、一つの結論を出す。


「……どっちもだ」


 イベンターとして自分の心が呼びかける。

 せっかく推しのアーティストが地元まで来てくれるのに、行かない馬鹿がどこにいる? と。しかも今回はチケ運が神がかっていて、一階の三列目だ。こんなにも近い席は初めてだし、もしかしたら演者と目が合う可能性だってある。そう思うとわくわくが止まらないし、やっぱり行くのを諦めることなんて武蔵にはできない。


 しかしもう一人の自分、男子高生としての自分の心も呼びかけてくる。

 ぶっちゃけ今まで恋愛に興味はなかった。趣味に一直線だし、実際問題アニソンに囲まれた生活が楽しすぎて仕方がない。だけど、だったらさっきの緊張感は何だったんだ? という話になる。デートということは、学校ではない場所で歌恋と会うとうことだ。そう考えるだけで、非日常感が襲ってきて頭がぐるぐるふわふわ……つまりはちゃんとした思考を保てない程に緊張してしまうのだ。歌恋も学校での姿を見ている限りでは真面目で優しくてとても良い子だと思う。だからこそ、逃げ出したくないという気持ちが強い。あとはまぁ、単に歌恋とデートをしてみたいという気持ちも武蔵の中で芽生えているのだ。


 ――だから、「どっちも」だ。


 どっちも、武蔵にとっては大切な用事であり、外すことなんてできない。

 ライブの開演時間は午後六時で、開場時間は午後五時だ。つまり、開場時間の五時に間に合うように行けば何も問題はないということだ。

 まぁ、本当は午前中には会場入りしてグッズ物販列に並びたかったのだが……。そこは仕方がない。一緒に行く連番者――幼馴染でイベンター仲間の呉崎くれさき理人りひと――にグッズ代行を頼むしかないということだ。


「そうと決まれば連絡するか」


 そろそろ夕食を作らなきゃなと思いつつも、武蔵は急いで理人に電話をかける。しかし武蔵は、自分が開場時間ギリギリにしか来られない言い訳を考えていなかった。


『やぁ武蔵、電話なんて珍しいね』

「あ、ああ。実はな……」

『育田さんと何かあったとか?』

「…………はぁ?」


 的確すぎる理人の言葉に、武蔵は思わず素っ頓狂な声を出してしまう。誤魔化したいなら「何でそうなるんだよ」と冷静に言うべきだった。すでに武蔵の頭の中は諦めモードだ。何てったって理人は小学生の頃からの幼馴染なのだ。勘が鋭すぎるのは昔から知っていることであり、今更誤魔化しなんて効くわけがない。


『へぇ、言い返せないってことは図星なんだ?』

「……悪いが今は詮索しないでくれるか? とか言っておいて悪いんだが、理人に頼みがある。本当に、悪い」

『うん。そんなに悪い悪い繰り返さなくても。動揺してるの、丸わかりだからさ』

「……う」


 いちいち鋭い理人の言葉に、武蔵は顔を強張らせる。

 あとから根掘り葉掘り聞かれるんだろうなぁ、と思いながらも、武蔵は理人にライブグッズの代行を頼む。すると理人は二つ返事でオーケーしてくれた。声色はニヤニヤとしていたが、今は気にしないことにする。


「おう、ありがとうな。助かる」

『欲しいものリスト送っといてよ。どうせASAnASAだから沢山買うんでしょ? 立て替えるのは無理だから、先に代金を貰うよ』

「ああ、もちろんだ!」


 ようやくさっきまで悩んでいたことが解決した。心が軽くなったのか、見えてないのに親指を突き立てながら返事をしてしまう。


『言っとくけど、そんなに早くは並ばないから売り切れたのがあったら買えないからね。それだけよろしく。っていうか武蔵、夕飯作りは良いの?』

「あー、そうだな。そろそろ作らなきゃな。……じゃ、ホントに助かった」

『うん、それじゃ。デート、頑張ってね』

「えっ。あ、いや、それは……」


 咄嗟に言い訳をしようとするも、理人にあっさりと通話を切られてしまった。一人で勝手に動揺を露わにしてしまって、何だか恥ずかしくなってしまう。


「よ、よし、作るか」


 小さく咳払いをしてから、武蔵は冷静を装って夕飯作りに取りかかるのだった。

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