第8話 レッドドラゴンの強制帰郷
視界が涙でぼやける。
いけない。いけない。
まだ戦いは終わっていない。
レッドドラゴンもまだ健在だし、ここで気を抜いてはならない。
しっかりしろ、エーネ。
ここが正念場だ。
「ライオネル、これを開いて」。
二枚貝に挟まれて、顔だけ出しているような形で固定されていた貝の殻のようなカバーがシュッと上がって、自由に動けるようになる。
手で涙をぬぐって、状況を確認する。
左上の画面が、魔砲からレッドドラゴンの全身像にいつの間にか変わっていて、左中の画面がレッドドラゴンの顔のアップに変わっていた。
あー、レッドドラゴンが・・・何か笑ったような顔をしている。ずっとしてる。
カースブレスをかき消した、おそらく今まで一度も会ったことは無かったろう強敵に対して、余裕で返す邪悪で不遜な笑みなのだろうか?
あれっ、でも確か魔獣は人型種族と違って表情を作る顔の肉の付き方が違うから、内面の感情的にはともかく、人型種族が自分達と同じと思っている表情の変化で魔獣を判断しては命取りになると、エルフの学び舎で習った気がする。
主要な魔獣の表情の変化とその意味も習った気がする。
ドラゴンも確か習ったけど・・・その中に笑ったような顔は無かったよね。
うん、無いよ。
えーと、じゃあ、他の魔獣で笑っているような顔って何だっけな。
確か匂いを鼻腔いっぱいに含んでいる時。
外見上、笑っているように見える魔獣がいると。
でも・・・ドラゴンって魔法探知能力が高くなかったっけ?
ドラゴンだって鼻はついているけど、ここでその匂いを鼻腔いっぱいに含んで嗅ぐ動作がいるのかな?
後は・・・ある種のどちらかというと弱い魔獣の種類では、抵抗の挙句、もう駄目だと食われて殺される寸前に完全脱力して、せめて苦痛少なく一瞬で食い殺されるようにするという習性があったような・・・。
ええと、その時に顔の筋肉が弛緩し切って、笑っているように見えるんだっけ?
何か、壮絶な死に様だなぁって、聞いてて思った記憶があるな。
まさか、あれがレッドドラゴンの「一思いにもう殺せ」の顔ってことは無いよね?
「くっ、殺せ」の顔で笑っているというか、微笑んでいるように見える顔ってことは無いよね?
まさかね・・・魔獣最強生物のドラゴンが。
強すぎて魔獣の定義にすら、中々入れてもらえないような最強魔法生物が。
笑った、微笑んだような顔で、まさかエルフの私の前でドラゴンが「くっ殺・・」なんてあり得ないよね。
あっ、逃げた。
一目散に羽根を広げて飛んで逃げてく。
浮遊魔法と飛行魔法を併用しているな。よくカースブレスなんか吐いた後、それだけの魔力が残っているな。さすがはレッドドラゴンなのか?
うわっ、ライオネルの普通の視線で見たら、米粒みたいになっているぞ。全速力で逃げてるな。そんなに怖かったか?
この飛んで逃げていくレッドドラゴンの顔は、アップしたまま、そのままではっきりくっきりと表情がわかるクオリティで、左中の画面に見え続けているもんな。
あの向こう側が透けて見えるスケスケな画面で。
一体お前の目はどんな仕組みなのだ。ここまで来ると、ちょっと怖いぞ。
あれ、変だ。
レッドドラゴンの顔が歪んだ。
何だか苦しそうだ。
苦痛に歪む顔は、ほとんどの魔獣でも、人型種族でも変わらないって確か習ったな。
何だかフラフラしてる。
あれっ、旋回してUターンしてくる。
わざわざ?
違う・・・これ。多分、操られている。
何らかの魔法的方法で、強制をされているんだ。
もうカースブレスなんか吐いたら、ほとんど魔力が残っていないはずなのに。
残ったなけなしの魔力を無理やり使わせて、何らかの手段で、最後の特攻攻撃を仕掛けさせる気か。
魔族って、何て残酷で冷酷なんだろう。
生きとし生けるものすべてを、己のエゴをかなえるための道具だと見なすな!
その傲慢さは何だ!!
ふざけるな!!!
「ライオネル。何とかできる?」。
「できればあの操られているレッドドラゴンも殺したくは無い」。
(もうライオネルがあのドラゴンをぶっ殺そうと思えば、瞬殺できそうなのを疑ってもいない。我ながら現金だとは思うけれど)。
「あのドラゴンもある意味、同じような犠牲者だもの」。
「だけど、この大森林地帯であれが野生化されても、多分、私達が生きていけなくなる」。
「それ以前の問題で、まずあの魔族が何らかの方法でレッドドラゴンを操っているみたいだけど、その操り人形の糸を切りたい。出来る?」。
『レッドドラゴンを探査しました。首元の頸椎部に呪印が撃ち込まれています。他にも色々と魔法式がかけられていますが、この呪印が大本の呪縛式です。この呪印の破壊は17種類の方法で可能ですが、壊せばドラゴンも脳からの命令を身体に送れなくなり死にます。おそらく制御を外れたら操っている者達が殺される番になりますから、このような仕組みにしてあるのでしょう。この呪印はそのままで、そこに込められた魔法式を外部から害の無いものに書き換えてしまうのが、もっとも適切で効果的な処置と思われます』。
『また、あのドラゴンは鱗の鱗光の分析から、ジャスタ山脈北東部の生息域で生息していた個体と思われます。何らかの手段で魔族に確保され、呪印を撃ち込まれたと推測されます。元の生息域に帰してやるのが、もっともあのレッドドラゴンの生存に取って適切な処置だと思われます』。
うわっ、ちょっと難問。
レッドドラゴンの首元に埋められた呪印の魔法式の書き換えに、ジャスタ山脈までの移送。
もしくは自分で飛んで帰ってもらうか・・・。仮に飛んで帰れたとしても、そこに至るのに上空を通る国々でドンパチが始まってどちらも(主にその国の人族が)不幸になるのは目に見えているものな。
場合によっては途中の国で住み着きそうだし。その方が現実的にはあり得そう。
さすがに無理筋過ぎて、始末するしか無いのかとシュンとし始めた時に。
『呪印の魔法式を書き換えの上、ジャスタ山脈北東部上空に強制転移しますか?』。
とか、さらっとライオネルがぶち込んできた!
強制転移って何。
まてまてまてまて、転移魔法陣は、転移魔法陣から転移魔法陣に対してしか、転移が行われないものだろう。
常識の中の常識だろう。
人族だろうが、魔族だろうが、エルフだろうが、ドワーフだろうが、その他の種族だろうが、そこは不文律だろう。
ん、ん、ん、ん、今、何て言ったライオネル?
ジャスタ山脈北東部上空に強制転移?
強制転移?
遠くのお空の下にポイっと。
レッドドラゴンを?
捨てちゃおうと。
「出来るの?」。
『可能です』。
・・・・・・。
おじさん、あなたは一体全体何を作ったんだ?
だめだ、まともに付き合うとこっちが精神崩壊を起こしかねない。
もう、こいつが出来ると主張するのなら・・・。
「やって」。
おお、我ながら氷のような声だな。自分で自分の声にビビるぞ。
『了解しました』。
『該当レッドドラゴンの座標軸を特定。強制転移先、ジャスタ山脈北東部上空に座標軸を特定。強制転移陣起動、対象を確保の上、呪印の魔法式を書き換え後、強制転移を発動。処置開始』。
ギィーンって音がして、青白く輝く真四角の箱のようなものが、こっちにフラフラしながら向かってくる(いやいやながら強制的に向かわせられているのだろうな)レッドドラゴンを包み込んだ。
そのまま光り輝く真四角の箱は、ドラゴンを囲ったまま、どんどん小さくなる。
やがて光の点のようになり、消えた。
また、あの静寂。
シーンと。
いつも通りに。
あっ、右下の画面でフードを被った魔族の一人が倒れて痙攣している。
ビクビクって。
そんなにショックだったか?
最後の切り札が、あっさりと目の前で、文字通り消されて。
殺されてじゃないものな。
消されたもんな。
本当に文字通りに・・・。
「あの子、ちゃんと故郷に帰れたの?」。
『ジャスタ山脈北東部上空で無事転移を終えたことは確認しました。呪印の魔法式も適切に書き換え済みです』。
ふぅー。
残るは魔族と人族の敗残兵処理か・・・。
頭が痛い。
どうしろっていうんだこんなもの。
やるしかないけど。
右中の画面に見える指令官や副官や参謀や、フードを下ろしてる魔族も一人いるな、あっ、金色の猫のような目。
その瞳だけ見ていたら綺麗なんだけどな~。
猫ちゃんみたいで。
でも野良猫みたいな凄みも感じる。
私達を殺そうとした魔族だもんな。
おいっ、こら。
って、あれ。
やー、人族の皆さんは軒並み、死にそうな顔だね。
死相って本当にあるんだな。
それは「ああ、もう死ぬんだ」ってわかり切った顔だ。
多分、あのレッドドラゴンのカースブレスを食らう直前だった私もまったく同じ、死相の浮き出た顔をしていたのだろうなぁ。
生気というものの一切無い。
生をあきらめた顔を。
死に取りつかれた顔を。
魔族でさえ、一人は痙攣だもんな。
でも、「ざまあ、立場逆転だね」とは思わないし、感じないよ。
これっぽっちも。
もう何もかも、何もかもが、最初から間違っているよ。
すべてが間違っているよ。
皆不幸になるよ。
こんなことは。
誰かが得をしたようで、そいつも必ずバランスを崩して、必ず崩れていくよ。
それはわかるんだ。
はっきりと、わかるんだ。
これ以上無いほど、わかるんだ。
何で皆わからないんだろう?
不思議だわ。
馬鹿みたい。
こんな簡単で、単純な、自明の理なことなのに・・・。
さあ、どうしよう。
どうしたらすべてを、うまく収められるだろう。
調和の内に・・・。
ああ、私って・・・エルフなんだなぁ。
悲しいくらい・・・エルフなんだなぁ。
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