第59話 大団円

 シギはうめいた。


「何も、ないだと……証拠は…、私がシャンバラ王族だという証拠はどうした……」


 安樹は答えた。


「証拠は今、お見せしました。あなたの右手にあるそれこそが、シャンバラ王族の証。人の神器『クサナギ』です」

「……」


 ボドンチャルの口唇がかすかに動いた。

 次の瞬間、断事官が疾風のように地を駆ける。

 その場に居合わせたほとんどの人間には、何が起こったのかわからなかった。

 それはシギも同じだ。気がつくと、誰かの右腕だけが宙を舞っていた。

 目の前に落下した右腕とそれにつながる銃身を見て、シギははじめて切り落とされたのが自分の腕だと認識した。


「ぬぅ、ぬぉおおおう!」


 灼けるような痛みがワンテンポ遅れてやってくる。

 うずくまるシギに、馬上のボドンチャルは尊大な口調で言った。


「偉大なるハーンの望みは世界制覇だ。そのためなら、軍師の出自がカラキタイだろうがシャンバラだろうが、そんなことは取るに足らん。ただ、偉大なるハーンのために二心無く尽くすものであれば良い」


 ハーンの乗る馬の蹄が、切り落とされた右腕を無残に踏み潰す。

 冷たい視線が濡れ落ち葉のような隻腕の軍師に注がれた。


「で、おまえはどうする? 世界を統べるキヤト族の軍師としてその才を揮うか? それとも己が復讐を貫くか? そうそうに決めるが良い」

「……ぐぐぐ、わ、私は」


 シギは、血のほとばしる右腕を押さえながら声を絞り出した。


「い、偉大なるハーン様に申し上げます。リルディル様は……シャンバラから御自分で脱出なさいました……つまり、キヤト族の万人隊長がシャンバラの捕虜となっているという不名誉は存在しません」

「なるほど。で、なんとする?」

「……全軍にお命じ下さい。我々は戦わずして捕虜の奪還に成功。このまま転進し、まず金帝国を討つと」

「良かろう。伝令に伝えよ。針路変更。全軍、北へと向かう。それから、軍師が怪我を負っておる。医務官を呼べ」


 ボドンチャルが伝令に指示を伝える。

 転進の命令を伝える銅鑼の音が鳴り響き、同時にキヤト族兵士は雄たけびを上げた。雄たけびは大音声となって砂漠中にこだまする。

 リルと安樹を取り囲んでいたキヤト族の兵士たちは、ホッとした様子で包囲を解いた。やってきた医務官たちがシギを輿に乗せて運んでいく。

 偉大なるハーンを乗せた馬が、ゆっくりリルと安樹に近づいた。


「と、父様……」


 話しかけようとしたリルの傍らを通り過ぎる。

 馬の蹄は、安樹の前で止まった。


「盾作りよ。五年前にした約束を覚えておるぞ。偉大なるハーンはおまえたちに鉄砲を防ぐ最強の盾を作るように命じた。確かに見せてもらった、約束どおり最強の盾だった。見事である」


 驚くほど優しい父の言葉に、リルは思わず目を潤ませた。


「……父様」


 と思いきや、ボドンチャルの口調はすぐに一変した。


「などと言うと思ったか、このたわけが! 遅い! 遅すぎる! おかげで大陸制覇が五年も遅れたわ! 怠慢にもほどがある。したがって、おまえには罰を与えねばならない」

「父様?」


 いぶかしがるリルを尻目に、ボドンチャルは続けた。


「盾作りには、このキヤト族でもっとも恐ろしい罰を与えよう。いかに偉大なるハーンとはいえ、このような残虐な罰を与えることが許されるのかと躊躇われるほどの厳罰じゃ」

「父様!」


 リルの非難も、偉大なるハーンにはまったく届かない。

 赤き狼の父は言った。


「罰として、おまえは生涯をキヤトの赤き狼リルディルと添い遂げるのだ。もしこれを破れば草原の遊牧民すべてがおまえの敵となり、その身体を八つ裂きにするであろう。……だがまあ、わしなら迷わず八つ裂きの方を選ぶがな」

「父様っ!」


 いきり立つリルを押し留めながら、安樹はボドンチャルに向かって深々と礼をした。


「偉大なるハーン様! しかと仰せつかりました!」


 安樹の返答を聞いてボドンチャルはかすかに微笑む。

 それは、安樹が初めて見た偉大なるハーンの笑顔だった。


 *         *         *

 

 キヤト族の軍勢が退却をはじめるのを、シズカ女王とイセ侍従長は遠巻きに眺めていた。


「女王陛下、蛮族がギチョウを連れて逃げていきます! 追撃いたしますか?」

「逃げたというより、見逃してくれたのでしょう。追撃は無用です。平原で蛮族の騎馬兵とまともに戦えるわけがありません。いらぬ損害は出さぬように」


 イセが浮かない顔でつぶやく。


「しかし、大変な損害ですな。三種の神器が三つとも失われてしまうとは。それだけではありません。スサノオの砲撃で国境の砦をはじめいたるところに甚大な被害でております。おめけにギチョウには逃げられる始末」


 しかし女王は、敵軍の去った砂漠にむかって大きく胸を張っていた。


「良いではありませんか。蛮族は去っていきました。我が国土は守られた。今はこの勝利を喜ぶべきです。シャンバラの全兵士、いえ、全国民に伝えなさい。敵は去り、戦は終わった。勝どきをあげよ! 我らの勝利です!」


 女王の言葉を受けて、今度はシャンバラ兵の間から勝ちどきが上がった。

 砦に戻る女王たちの列は勝利を称える兵士たちに囲まれる。

 国境一帯が戦勝と、訪れた平和の喜びに満ち溢れていた。

 傷ついた兵士たちも女王にむかって敬礼を送り、シャンバラの女王はその返礼に笑顔を返した。

 イセ侍従長だけが、一人感涙に咽び泣いていた。


「……女王陛下、ご立派になられましたなあ」


 それを聞くと、女王は少しだけ侍従長の方に振り向いて、まるでいたずらをとがめられた少女のように小さく舌を出して微笑んだ。


「ちょっと、真似をしてみただけです。赤き狼の真似を」

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