第58話 見よ、これが最強の盾
シギは、ボドンチャルの足元に擦り寄った。
「偉大なるハーン様! 私めはシャンバラに潜入し、見事彼の国の秘密兵器を盗み出しました! あと一歩で偉大なるハーン様にその兵器を献上できましたのに、先ほどの大爆発をご覧いただきましたか!? この者たちに邪魔されました! この者たちは、偉大なるハーン様の恩を忘れキヤト族から逃亡したのみならず、同胞を裏切ってシャンバラの味方となっております! なにとぞ、正義の鉄槌をお下しください!」
軍師の報告を受けたハーンは、感情のない視線をリルに向ける。
その背後で、二人の断事官が円月刀を抜き放った。
辺りを取り囲むキヤトの兵士たちにどよめきが走る。兵士たちの中には、まだリルを慕っているものも少なくないのだ。
リルは叫んだ。
「父様、私の話を聞いてくれ! アンタは騙されてる! こいつはとんだペテン師だぞ!」
断事官の動きをボドンチャルが片手で制する。
リルは続けた。
「この男は、もともとシャンバラの王族だったんだ! ところが王子殺しがバレて右腕を切り落とされた。それを逆恨みして、父様がシャンバラに攻め込むようにそそのかしたってわけだ。もともとシャンバラは、鉄砲という最強の武器を持ちながら自国を守ることしか考えないハリネズミのような連中だ! そんな国のために、勇敢なキヤト族兵士の血が一滴でも流れるのなら、キヤト族にとって大きな損失だぞ!」
いつの間にか、キヤト族の軍勢から更に離れたところでシャンバラの鉄砲隊が様子をうかがっていた。
そこには、シズカ女王とイセ侍従長の姿もある。
まさに一触即発の状況だった。
「これは、偉大なるハーンの娘であり、キヤト族の万人隊長だった赤き狼の心からの忠告だ! シャンバラは、悲願の世界制覇を前にわざわざ手を下すほどの相手ではない! 私の言葉が聞こえるなら、速やかにこの陣を解き、金帝国を、そして南宋を討て!」
リルの言葉を聞いても、ボドンチャルは眉一つ動かそうとしなかった。
傍らのシギが叫ぶ。
「偉大なるハーン様、裏切り者の言葉に耳をお貸しにならないで下さい! 私がシャンバラの出自だなどと全くの戯言です!」
しかしハーンはシギの言葉にも顔色を変えず、低い声で言った。
「証拠は? シギがシャンバラの王族だという証拠はあるのか?」
「うぐぅ」
証拠といわれて、リルは思わず言葉に詰まる。
シギはそれを見て彼女をなじった。
「証拠などあるわけがない! 全部、この女のでっちあげですから! 自分の命が危ういと思い、口からでまかせを言ってこの場をごまかそうとしているのです! 偉大なるハーン様、速やかに御処断をお願いします!」
断事官が、リルへとにじり寄る。
――その時だった。
「証拠はあります!」
リルの背後にいた安樹が、彼女を守るように前へ進み出て大声をあげた。
「姫様は、この軍師シギがシャンバラの元王族であるという決定的な証拠をお持ちになっています!」
「エッ?」
一瞬リルは戸惑った顔になるが、すぐに堂々と薄い胸を張った。
「ああ、もちろんだとも、私は、この男が裏切り者だと言う確実な証拠を握っている。はじめから見せても良かったのだが、そうすると父様は確実にシギの首を刎ねるだろう。それも寝覚めが悪いと思ってな。見せるべきかどうか迷っていただ」
ボドンチャルは無表情のまま言った。
「構わん、見せてみろ」
「そうか、それでは見せてやろう。私がシャンバラでみつけた物だ!」
リルは服の懐に手をやった。
シギの額に焦りの色が浮かぶ。
(大丈夫、小娘のハッタリだ。俺が、シャンバラ王族だという証拠などあるわけがない。……いや待てよ、もしかしてイズナか? それともあの地下牢に何かあったのか)
「これをみれば、そこにいる軍師シギが、シャンバラ王族だということが赤子にでも簡単にわかるはず」
(どうする? もしそのような証拠が見つかれば、あのボドンチャルのことだ、俺を殺すことに躊躇はすまい。どうする!? どうすればいい!?)
その口唇から呟きが漏れた。
「……よせ、やめろ」
しかし、リルは動きを止めようとしない。
「さあ、偉大なるハーンよ。とくと見るがいい!」
そう叫んで、懐から取り出した右手を空に翳した。
「やめろぉオオオオ!!!!!!!」
――次の瞬間、
シギは叫び声をあげながら右手の義手を腕から外していた。
義手を外した跡から、黒光りする鉄の筒が顔を出している。
それはシャンバラの鉄砲に似ているが、明らかに違うところがあった。
銃身の根元部分に帯状に連ねた弾丸の束が装着されていて、玉込めなしで連続射撃することが可能なのだ。
これこそ、十年前にシャンバラでシギが奪った人の神器「クサナギ」だった。
クサナギの銃口から銃声ともに弾丸が発射される。
「死ねぇぃ、赤き狼!!!」
ほぼ同時に、安樹は自らの背負った木の鞄を開いた。
鞄は広げると、人の姿をすっぽり隠すほどの矢盾になる。矢盾の外側は、桃色の細かい鱗のようなもので何層にも覆われていた。
「シャンバラの神器を、盾なんぞで防げると思うなよぉ!」
クサナギの放つ弾丸は、瞬きする間もなく次々と矢盾に襲い掛かった。
矢盾を支える安樹の腕に衝撃が走る。
地響きするような重く低い銃声と共に、ガラスを砕くような甲高い音が草原に響き渡った。
命中した弾丸は立て続けに盾表面の鱗を弾き飛ばす。
けれど、盾そのものには大きな損傷を与えられないようだった。
桃色の鱗の正体は、無論、開明獣の殻だ。
それが、一枚一枚たがねで切り出され、何千枚という無数の小片にして盾に取り付けられていた。
弾丸が当たると小片は粉々に砕け散る。
しかし同時に、無秩序な角度で取り付けられた小片に軌道をそらされて弾丸は盾を貫くことなく、あさっての方向に跳ねていってしまう。
自らの命を散らせて主を守る。
そんな小片の集まりが、安樹の作った銃盾だった。
「死ね死ね死ね死ね!!!!」
何十発何百発という弾丸が、安樹の盾の上で踊った。
弾き飛ばされた鱗の破片が空に舞い飛び、陽の光を浴びてキラキラと光る。
銃と盾との攻防は永遠に続くかのように思われた。
だが、終わりは突然やってきた。
カチッという乾いた音を立てて、銃撃が止んだ。弾切れだった。弾倉が空になった神器をおさえてシギはガックリと跪く。
その場に残されたのは、宙に跳ね飛んだ桃色の破片だけ。
それはさながら、風に舞う桃の花びらのようだった。
「きれいだな、アンジュ」
ゆっくり盾を下ろす安樹の後ろで、リルが空中に右の手を伸ばす。
すると、その細い指先に柔らかな光が宿った。
「覚えているか? はじめて会ったときも、桃の花が舞い散っていただろう」
「お忘れになったのではなかったのですか?」
「忘れるものか、こんな風にとてもきれいだった」
彼女の右手には、何も握られていなかった。
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