激突! シャンバラ対キヤト

第37話 囚われの狼姫

 数日後。

 リルは怒っていた。


 まずは、着せられている服について。

 シャンバラの民族衣装だというのだが、腹部を帯でグルグル巻きにされて息苦しい事この上ない。


 次に、入れられている地下牢について。

 リルが閉じ込められている部屋は、牢とは名ばかりで、豪華な調度品の並べられた一級の客室だった。

 しかし地下にある以上、風通しは悪く湿気も多い。

 草原育ちのリルにはそれが苦痛だった。


 そして最後にもちろん、一人囚われていることについて。

 縄で縛られている間ならともかく、手足の自由が利く今なら、この程度の牢から逃げ出すことは難しくない。

 けれど、自分の拘束と引き換えに移民を許された田常たち迷い村の連中のことを思うと無茶はできなかった。


「シャンバラの女狐め、卑怯なマネを」


 腹立ち紛れに寝台を蹴り上げる。

 真鍮製の天蓋つきベッドは鈍い音を立てただけでビクともせず、リルは「痛てて」と蹴った足を押さえてベッドにうずくまった。


 基本的に、リルはいつも怒っている。

 彼女の腹立ちが和らぐのは、安樹と一緒にいるときと勝利の雄叫びをあげているときぐらいだった。

 どうしてこんなにイライラするか自分でも不思議になるのと同時に、癇癪持ちという性癖があの憎たらしい父親譲りだと思うとリルは軽い自己嫌悪に陥る。

 そして、それがまた怒りの原因になった。


「ご機嫌斜めですね」


 地下牢の扉が開いて、シズカ女王が現れた。

 女王も、洞窟での簡素な小袖姿から色鮮やかなシャンバラの民族衣装に着替えている。何枚もの色とりどりの小袖を幅広の帯で留めるスタイルは、シャンバラの源流である東海の島国の装束を受け継いでいるのだそうだ。


「このお部屋は気に入っていただけませんでしたか?」


 豪華な民族衣装に身を包んだリルとシズカ女王の姿は、まるで華やかな宮廷絵巻のようだ。

 しかし、それはリルが喋らなければの話だった。


「誰が気に入るか、こんな辛気臭いトコ。肥溜めと変わらんじゃないか」

「王族用の地下牢なんですよ……リルディル様にはピッタリだと思いましたのに」

「どこが私にピッタリなんだ」

「フフフ、前にここに入っていたのは私の叔父だったんです。彼は王位継承を狙って自分の兄弟や親戚、合わせて十二名をその手にかけました。シャンバラはじまって以来の惨劇に当時国中が大騒ぎになって、ついた呼び名が『シャンバラの殺戮公子』と」

「フン、オマエも案外言うな。しかし、そんなたった十二人殺し程度の小悪党と較べられるのは心外だ。私のあだ名は知っているだろう」

「はい、泣く子も黙るキヤトの赤き狼」


 そう言いながらニッコリ微笑むと、女王は護衛を下がらせて一人で室内へ入ってきた。

 重々しい金属音がして牢の扉が閉まる。

 リルは怪訝な顔になった。


「それを知って私と二人きりになるとは、いい度胸だな。それともホンモノの天然バカか? 私がその気になれば、オマエの首なぞあっという間にへし折れるんだぞ」


 すると、シズカ女王はいきなり床にひざまずいた。


「リルディル様、申し訳ありません。侍従長や皆の命を助けてくださった貴女に恩を仇で返すような真似をして」


「な、なんだ?」


 突然の女王の謝罪に、リルは目を丸くする。


「しかし、わらわにはどうしても目に見える功績が必要だったのです」


 リルを捕らえる命令がこの女王の本意でないことは、リルにもなんとなく察しが付いていた。

 もし本気でリルをキヤトとの交渉に使うつもりなら、逃げられないようにもっと厳重な牢に閉じ込めるだろうし、こんなチャラチャラした格好をさせるはずがない。


「どういうことなのか話してもらおう」


 リルに問われて、シズカは意を決したように話を始めた。


「シャンバラの国は、建国以来絶えず二つの勢力がしのぎを削っています。わらわの父君、先代の国王を中心とする鎖国派と、追放された王弟を中心とする開国派、この二つの派閥が国の主権を巡って争っているのです」


 シズカ女王によれば、シャンバラの歴史は意外に浅く、百年前はるか東国から流れてきた戦闘民族の集団が元になっているのだそうだ。

 その集団は鉄砲という比類なき威力を持つ武器を使って、魔物や蛮族の跋扈するこの土地にシャンバラの国を築き上げた。

 しかし建国当初から、戦を避け鎖国を行うべきというものと、せっかく鉄砲という強力な兵器があるのだから武力によって国土を広げるべきというものの間で意見の対立が続いているらしい。


「どちらの派閥にもそれなりの言い分はあることでしょう。でも、強力な諸外国が跳梁跋扈するこの時代に国内が一つにまとまらなくては、この小さなシャンバラはあっという間に戦争の波に飲み込まれてしまいます。だというのに、国をまとめる役目のわらわはあまりにも若く、あまりにも力が足りません」


 シズカの父が逝去して長く空位だった王の座にシズカが即位したのは去年のことだという。

 しかし、もともとが戦闘民族であるシャンバラの国王は、戦いに優れているものでなければ国民の信頼を得られない。シズカは自分の実力を証明するために、天翔山に巣食う魔物退治に出かけたのだった。


「……此度のカギュー討伐は国王としての実力を知らしめる絶好の機会だったのですが」

「なるほど。魔物は退治したものの大勝というわけにはいかなかった。だが、『キヤトの赤き狼』を捕縛したともなれば女王様の面目躍如になるってわけか。あのハゲ侍従長の考えそうなこった」


 リルが言うと、シズカは慌てて首を振った。


「いいえ、侍従長は悪くありません。彼の進言はわらわを慮ってのこと。決断したのは女王であるわらわです。恥知らずな王よと蔑まれても仕方ありません」

「別に、蔑んだりはしないけどな」

「ともかく、リルデイル様をいつまでも留めて置くつもりはありません。この牢には秘密の出口があって、そこから城の外に出れるようになっています。外に馬車を待たせていますので、夜になり次第ここからお逃げ下さい」

「なに? 私をここから逃すっていうのか。そんなことして、おまえは大丈夫なのか?」

「お心遣い有難うございます。でも大丈夫。これでも女王ですから。もちろん、それで許していただけるとは思いませんが……」


 シズカ女王の瞳はまっすぐにリルに注がれていた。きつく結ばれた口元からは、女王の決意が感じられた。

 ふと、リルの口元に笑みが浮かんだ。

 さっきまでの怒りがウソのように消えていた。


「断る」


 リルは言った。


「はい?」

「狼が人の言うことを素直に聞くと思ったか。入るときは無理矢理だったのだから、出て行くときくらいは自分の好きにさせてもらおう」

「なぜです?」

「私を助けに来る者がいるのだ。そいつを待ってやれねばならないからな」

「安樹、さんですか?」

「まあそうだ。あと言っておくが、アイツは私の夫だからな。手を出したら殺すぞ」


 きっぱり言い放つリルとは対照的に、シズカはおずおずと尋ねた。


「あの、安樹さんはどういう方なのでしょうか? キヤト族に捕らえられていたとのお話でしたけれど……もしかして、どこかの王家の血筋だとか」


 それを聞いたリルは声を立てて笑った。


「アンジュが王家の血筋? こんな笑える話は久しぶりだぞ。あいつは正真正銘、ただの盾作りだ」

「それならどうして安樹さんが助けに来ると思うんです? この地下牢は首都キサナドにあるシャンバラ城のど真ん中なんですよ。ただの盾作りがここまで来れるわけないでしょう」

「フフン、シャンバラの女王にはまだまだ男を見る目が足らんな。男の値打ちは血筋なんかでは決まらないぞ。しょうがない、この赤き狼が男を選ぶ一番のポイントを教えてやろう。聞きたいか?」


 シズカ女王は小動物のようにコクコクと首を縦に振る。

 リルはそれを見て、自信たっぷりに言い放った。


「男に一番大切なのはな、大きさだ」


 予想外のリルの言葉に、シズカは思わず頬を赤らめる。


「お、大きさって、リルディル様、はしたないですわ」

「ん? おまえ何を想像してるんだ?」


 ――その時だった。突然、地下牢の扉が大きく開かれた。


「女王様、一大事です!」


 イセ侍従長だった。年老いた大男が頭全体を茹蛸のように真っ赤にして怒鳴り込んできた。

 その額には太い血管が浮き出ている。


「どうしたのです、大声を出して。ここはリルディル様のお部屋ですよ」

「それどころではありません! ただいま、国境砦からの伝令が参りました。国境付近に、蛮族の大軍が押し寄せております。その数、十万以上!」


 地下牢に、侍従長の悲痛な叫びが響いた。


「大軍を指揮しているのは、悪逆非道で知られるキヤト族の凶王ボドンチャル・ハーンです!」

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