第38話 招かれざる来訪者
同じ頃。
迷い村の一隅で、安樹は一心不乱にたがねをふるっていた。
数十人の人々が暮らしていた地下の村に、既に安樹以外の人影はない。
青白い光がさびしく洞窟の岩肌を照らし、たがねが生み出す甲高い金属音の他に聞こえるものはなかった。
そんな無人となった迷い村を訪れる怪しげな集団があった。
黒尽くめの衣装に身を包んだその集団は、一言も発することなく村内を動き回ると、無言のまま安樹のいる横穴の周囲を取り囲む。
その動きから、彼らが訓練された戦闘要員であることは明らかだ。
男たちは息を潜めてしばらく様子をうかがっていたが、やがてリーダーらしき一人が穴の中に入ってきた。
「そろそろいらっしゃる頃かと思っていました」
安樹は腕を止めることも振り返ることもなく、背後に忍び寄る人影に言った。
「――シギ様」
黒衣の集団のリーダーは、キヤト族の隻腕の軍師シギだった。
正体を言い当てられたシギは一瞬たじろいで、しかしすぐにクスリと笑みをこぼした。
「どうして私だとわかったんだい? やっぱり、この義手かな?」
シギは、時折きしみを上げる義手を撫で付けながらたずねた。
いつもの癖のある漢語だ。
けれども、安樹は黙ったまま一言も発しない。
キヤト族の天才軍師は焦れたように続けた。
「食料と水を持ってきたよ。シャンバラに入り込ませている密偵が、シャンバラ城に囚われているリルディル様と接触したんだ。その際、君に不自由のないようにと申し付かったからね」
一瞬、安樹の腕が止まる。
「姫様が私のことを……、姫様はお元気ですか」
「ご健勝だ。ただし今のところは、だな。数日の内にキヤト族の大軍勢がシャンバラへの侵攻を開始するんだ」
シギの話によると、キヤト族の族長ボドンチャル・ハーンは攻撃目標を金帝国からシャンバラに変更したのだという。
その目的は、シャンバラの捕虜となったリルディル元万人隊長を奪回することだった。
シャンバラはこれに対し、捕虜リルディルを返還することで不可侵条約を結ぼうと使者を送った。だが、ボドンチャルはその申し出を一蹴する。
「シャンバラの使者は首を切り落とされ、鷹の餌にされたよ。偉大なるハーン様は、身内であるリルディル様が捕虜となったことは大変な恥辱であり、失われた名誉は戦いでなければ回復されないとお考えなのだ」
ボドンチャルは、駆け落ちして逃げた娘の命よりも、偉大なるハーンの娘が捕虜になったという恥辱を雪ぐことの方が重要だと考えているようだった。
(あの父親なら、そうかもしれない)
安樹は再び作業を開始した。
(ボドンチャルがシャンバラの使者を殺害したのも、きっとシャンバラに捕らえられているリルの立場を悪くするための嫌がらせだだろう)
これまでリルやシギに聞かされていたボドンチャルの人となりからすれば、そう考えるのがもっとも自然といえる。――だが、
「そこでキミに相談なんだが、われわれがシャンバラに侵攻する前にリルディル様を助け出してくれないか。キヤト軍の侵攻が始まれば、リルディル様に命の保障はない」
「私にですか?」
「ああ、密偵に脱獄の手引きをさせたんだが、なにしろあのリルディル様だからね。素直にこちらの言うことを聞いていただけなくて、キミが来るまで逃げないとおっしゃるんだ。もちろんキミだって、いつまでもここにいるつもりじゃないんだろ」
安樹は答えなかった。
ただ金属を打ち合わせる音だけが洞窟に響く。
「さっきから一体何を作っているんだい。盾じゃないようだが」
再び焦れたようにたずねるシギに、安樹は一枚の桃色の板をみせた。
鳩の卵ほどの大きさで、後ろが透けるほど薄い。
「これで首飾りを作れば、さぞかし姫様に似合うでしょう」
「リルディル様の首飾りか……ということは、助けに行ってくれるんだね」
そう言ってシギは笑顔を作る。
その微笑みは五年前から変わらない優しい兄のような微笑だった。
――だが、しかし、
安樹は、手にしていたノミをシギの鼻先に突き付けた。
「今度は私たちに何をさせるつもりです?」
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