第29話 カタツムリの魔獣

 崖の下の空洞は安樹が想像した以上に広大だった。


 全体では一つの洞穴なのだけれど、鍾乳石や溶岩が壁になって、歩いて進める道筋は迷路のように入り組んでいる。

 また湿気が強く、天井から落ちる雫がたいまつを反射してきらきらと光った。

 それ以外に他に動くものの影は見当たらない。


 そして、静かだった。


 安樹自身の歩く音だけが、洞窟内に響き渡る。

 心細くなって後ろを振り返る。

 するとまだいくらも進んでいないのに、張り出した鍾乳石に邪魔されてリルの待つ崖はもう見えなくなっていた。

 その代わりというわけじゃないけれど、林立するたくさんの石柱の中に下半分が黒い溶岩で上半分が白い鍾乳石という変わった色合いのものを発見した。

 その姿は、どこか五年前に別れた師匠、墨田常をほうふつとさせる。

 安樹はその石柱に思わず手を合わせた。


(じっちゃん、オレを守ってくれ)


 周囲に目を配りながら、滑る溶岩の上をゆっくりと歩く。

 腰につけた糸車は安樹の歩みにともなって細い糸を繰り出し、今まで歩いた道筋を残してくれる。

 この細い線が帰りの道しるべ、言ってみれば安樹の命綱だ。


 安樹は、暗い闇の中をただ当てもなく奥へ奥へと進んでいった。

 四半刻ほども歩いただろうか。

 地面にうっすらと光るものを発見した。

 たいまつを近づけるとわからなくなるほどの弱い光だが、確かに青白く光っている。それが「光ゴケ」と呼ばれる発光性の地衣植物の一種であることなど、もちろん安樹には知る由もなかった。


(なんだ? 植物なのか?)


 そのかすかに光る植物は点々とそこかしこに生えているようだった。よくみると洞窟の先に行くほど密集している。

 安樹は光ゴケのあとを追うように進んだ。

 奥に進むに連れて、コケの群れは大きく、光は強くなっていく。


 そして狭い通路をまがったところで、安樹は驚きの声を上げた。


(!)


 なんと、その先の小部屋は壁面全てが光ゴケで覆い尽くしされていたのだ。

 おかげで、その部屋だけ地の底とは思えないほどの明るさだった。

 光ゴケは青白く冷たい光を放ち、その光景はさながら満月の夜のようだ。


(そうだ。この苔を洞窟のあちこちに置きながら移動すれば、魔物を探しやすくなるぞ)


 安樹は光る小部屋の中に駆けこんだ。

 小部屋の入り口の岩にたいまつを立てかけると、水を入れていた袋を空にして地面に生えている光ゴケを集めはじめる。コケは緑色でビロードのような光沢があり、手に取ると湿気を含んでひんやりと柔らかい手触りがした。


 突然、首筋に冷たい感触を覚えた。

 最初は天井から落ちてきた水滴だろうと思った。

 しかし徐々に勢いが強くなり、冷たい液体がたてつづけに安樹の頭部にふりかかってくる。

 おまけに、その液体からは強烈な腐臭がした。

 くさい液体を振り払おうとして、安樹は足を滑らせてしまった。そして転んだ拍子に、洞窟の天井に異様な物体がへばりついているを発見した。


(なんだっ!?)


 大きさは牛二頭分ほどもあるだろうか、桃色をした軟体動物で、背中に同じく桃色の渦を巻いた殻を背負っている。


(か、カタツムリじゃないか!)


 その形はどこからみてもカタツムリにしかみえない。

 巨大なカタツムリが、さかさまになって天井に貼り付いているのだ。


(これが、開明獣?!)


 巨大カタツムリの背中の殻には、確かに鉄砲をも跳ね返しそうな重厚さがあった。

 頭部とおぼしき部分には、カタツムリにみられる二本の触覚が突き出していて、盛んにぬめぬめと動き回っている。

 安樹の存在に気がついているのか、いないのか。

 その姿からは見当もつかなかった。


(落ち着けよ。まずはもう少し距離をとって、それからヤツを工房まで誘導するぞ)


 仰向けに寝転んだまま、来た道の方へにじりよる。

 岩に立てかけたたいまつのところまで来ると、それをつかんでゆっくり立ち上がった。


(焦るな、相手は所詮カタツムリだからな)


 いくら巨大でおどろどろしいとはいえ、知性のない相手ならば怖くない。

 安樹は自分を戒めながら、光ゴケの詰まった袋を首に下げる。震える指がバランスを崩し、左腕に固定していた盾が岩に当たって大きな音を立てた。


 ガタン


 すると、さっきまで不規則に動いていた触角が一瞬二本とも安樹の方を向いて止まった。

 その先端に光る目がある。

 小さな二つの目は、安樹の立てた音の正体を確認すると、すぐにまた不規則な動きに戻った。

 安樹は全身の毛が逆立つのを感じた。


(気づいている! こいつ気づいていて、気づかないフリをしていやがる!)


 同時に、安樹の頭の中にとある考えが浮かんだ。


(もしかして……この光ゴケ自体が、獲物をおびき寄せる罠なのか?)


 洞窟に迷い込んだ動物が光を見つけたら、おそらくその光のある方にむかうだろう。もし開明獣が光ゴケを集めて、この小部屋に獲物が迷い込むのを待っているとしたら……


(こいつ、メチャクチャ頭がいい。やばいぞ!)


 押し殺していた恐怖があふれ、安樹の喉から大きな叫び声となって飛び出した。


「うぉーっ!」


 叫びながら、開明獣に背を向けて一目散に走り出した。

 安樹が逃げだすと同時に、天井から滝のように液体が流れ落ちる。激しい振動とともに開明獣の本体が地面に落ちてきた。

 開明獣は器用に空中で一回転し、背中を上にして着地した。

 水しぶきが舞いあがる。

 桃色の軟体動物は落下の衝撃に耐えようと、激しく体をうねらせた。しかし、二つの触覚だけはしっかりと安樹の方を向いたままだ。


 安樹は、振り返ることなくひたすら走った。

 すべる溶岩に何度も足を取られそうになりながらも、とにかく転がるように前へ前へと進む。

 シズカ女王の「じっくりひきつけながら、ゆっくり戻って来てください」という言葉など頭から吹き飛んでいた。

 ただ、洞窟の床に伸びている糸を頼りに迷路の中を疾走する。

 息が切れるまで走った後で、ようやく安樹は立ち止まった。

 後ろを振り返ってみる。

 桃色の巨大カタツムリは影も形もなかった。あの巨大な軟体動物が、さほど素早く動けるとは思えない。

 ひとたび落ち着くと、安樹は少し後悔をした。


(完全にまいちゃったのか。まずかったな)


 今来た道を引き返して、もう一度開明獣を探すか? 

 暗く広い空洞を目の前に、安樹の心にためらいが浮かんだ。

 すると背後で、一滴二滴と水の滴る音がした。

 ギョッとして振り返ろうとするが、体が思うように動かない。

 水滴なら、どこから落ちてきても全然不思議じゃない。しかし、背中越しに聞こえる水の音は徐々に大きくなり、やがてしたたるような連続した音になっていた。

 おそるおそる後ろを向くと、側面の壁の上方に桃色の巨大な軟体動物が貼り付いていた。


(いつのまに、回り込まれたんだ?!)


 安樹は再び走り出した。

 今度は途中何度も振り返って後ろをみる。

 カタツムリのぬめぬめした身体は尖った岩の上も平気なようで、迷路の仕切りとなる溶岩や鍾乳石の柱を無視して一直線に進んでいた。

 そのため安樹がどれだけ走っても、いつのまにか距離を詰められてしまうのだ。


(大丈夫だ、工房まで戻ればなんとかなる)


 焦る心を抑えて、安樹はひた走った。


(!)


 しかし、そんな安樹の目に想定外の光景が飛び込んできた。

 いままで安樹は、行きに糸車から垂らした糸を目標にして走っていた。糸の通りに進めば、自動的に目指す工房にたどりつけるはずだ。

 その大事な糸が、途中で忽然と無くなっていたのだ。

 尖った溶岩に引っかかって切れたのか。ねずみか何かの小動物が持って行ったのか。

 とにかく、行く先を示す道しるべが完全に消失していた。

 しかも、道はその先で左右二股に分かれている。


(一体どっちが来た道なんだ?!)

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