第30話 盾作り、カタツムリに追われる
開明獣は洞窟の壁面にへばりつきながら、安樹のすぐ背後まで迫っていた。
(どっちに曲がればいい? 右か? 左か?)
一瞬の迷いが安樹の足をすくった。
濡れた溶岩に足を取られて大きく転倒し、右の肩をしたたか岩に打ちつけてしまった。
立ち上がろうにも、痛みですぐには腕が動かない。
やっとのことで顔を上げると、開明獣は安樹の真後ろにいた。
桃色の巨大なカタツムリは、馬が後足で立つように頭部をもたげている。
ふだん地面に隠れている腹の下部分があらわになると、そこには大きな口がぽっかりと穴を開けていた。
口の大きさは安樹一人くらいなら丸呑みできるほどで、その中にはおろし金のような細かい歯が何重にも重なってうごめいている。
「チクショー!」
安樹は、持っていたたいまつを開明獣の口に中に投げ込んだ。
しかし、カタツムリは火のついたたいまつをものともせず鋭い歯でバキバキに噛み砕いてしまう。
たいまつの灯りが消えた。
「しまった!」
後先考えずに大事な灯りを放ったことを、安樹は後悔した。
戻る道順はわからない。真後ろに開明獣が迫っている。おまけに洞窟が真っ暗闇になってしまった。
絶体絶命とは、まさにこのことだ。
だがしかし――
たいまつが消えて真っ暗になるかと思いきや、安樹の体はぼんやりとした青い光に包まれた。
首から下げた袋に詰まった光ゴケが青白い光を放っていたのだった。
安樹は左腕の盾を顔の前に掲げた。弾丸の穴から開明獣の口がのぞく。
盾の後ろにいると、安樹の心は不思議に落ち着いた。
「盾が破れる前に、気持ちが破れてはいかんぞ」
いつか聞いた師匠の言葉が頭をよぎる。
たいまつを飲み込み終わると、巨大カタツムリは休むことなく安樹の方にのしかかってきた。
この巨体に潰されれば、もう動けないだろう。
そのまま鋭い歯で噛み砕かれておしまいだ。
(右に飛んで逃げるか、左にするか)
今度は迷わなかった。
開明獣の口めがけて一直線に飛び込む。
かたつもむりの鋭い歯が安樹の頭にかぶりつこうとしたそのとき、思いっきり盾で開明獣の横っ面を殴りつけた。
盾と歯がぶつかって甲高い音が響く。
そのまま勢いにまかせて大きく左側方に跳躍し、溶岩の陰に着地する。
足がジーンとしびれるけれど痛いところはなかった。盾も無事だ。
開明獣はと見ると、残念ながらびくともしていない。
だが、小さな獲物からくらった予期せぬ反撃に安樹の姿を見失ったようだ。
安樹は、素早く岩陰に隠れた。
獲物に逃げられて激怒したのか、巨大カタツムリは二本の触覚を大きくふるわせると、まわりの石柱に体をぶつけてそれらを粉々に破壊していた。
ふと、開明獣に破壊された一本の石柱が目に留まった。
(あれは、じっちゃんだ)
上が白い鍾乳石で下が黒い溶岩で出来た石柱。
肩のラインが祖父墨田常に瓜二つだった。
(確か洞窟に入って間もない頃に拝んだはずだ。だとしたら、出口は近いぞ!)
安樹は大声で叫んだ。
「姫様! 姫様! 聞こえますか!」
その声は洞窟内に響き渡り、やがて消えていった。
沈黙が訪れる。
聞こえるのは、カタツムリが動くぬるぬるという音だけだ。
開明獣は、安樹の叫びを聞いて獲物の大体の方角を察知したようだった。桃色の体を回転させて、ゆっくりと安樹の方に動き始める。
安樹はじっと耳を澄ました。
「……アン……ンジュ、アンジュ、大丈夫か」
しばらくたって、遠くから安樹の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
どんなにかすかでも間違いようがない、リルの声だ。
その声は、開明獣のいる方向から聞こえてくる。
どうやら、先ほどの左側に飛んだのは失敗だったらしい。
リルの待つ崖の上に戻るには、巨大カタツムリのいる方へ戻って、その化け物とすれ違わなくてはならない。
安樹は腹をくくった。
左腕に固定された盾を外して、しっかりと握りなおす。
そうして岩陰から姿を現すと、迫り来る開明獣にむかって半身になって構えた。
「さあこい! この盾は姫様のために作ったものだ。おまえのような化け物にはもったいない代物だが、くれてやる」
そう叫ぶと、人差し指で「こっちへこい」と合図をした。
「盾作りをなめるなよ」
もちろん安樹の言葉が開明獣に通じるはずがない。
しかし巨大カタツムリは、いったん見失った獲物が自分から顔を出したのをみつけ、喜び勇んで突進してきた。
安樹は再びのしかかってきた開明獣の口に、水平に盾を寝かせて突っ込む。
鋭い歯がガリガリと音をたてて盾を噛み砕いていった。
安樹はカタツムリの口に嵌った盾の上に飛び上がると、半球の盾を踏み台にして開明獣の頭を軽々と飛び越えた。
そのまま背中の殻を乗り越え、尻尾を伝わって滑り降りる。
再び耳を澄ました。
「アンジュ!」
リルの声はさっきより近くなっている。
辺りを見回した。
遠くにリルの灯すたいまつの明かりが見える。
安樹の足は今までにない速さで地を蹴った。
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