第27話 姫対女王

「へぇー、シャンバラの女王様がなんだってこんなところにいるんだ?」 


 リルは怖気づく様子もなく、シャンバラの女王様に近づいてその顔を覗き込んだ。

 それもそのはずだ。つい十日前まではリルもキヤト族のお姫様だったのだから。

 イセ侍従長は、あわてて女王様とリルの間に割って入った。


「うるさい。そのようなことおまえたちの知ったことではないわ。確かに、洞窟で迷う我らの道案内をしてくれたことに感謝はしよう。だがここはシャンバラの領内で、他国民の侵入は許されておらん。見たところ、おまえたちは遊牧民だろう。しかも最近わが国の領土を荒らしている蛮族の仲間だな。先ほどの協力に免じて命までは助けてやる。そうそうにここから立ち去るがよい」


 侍従長の否応なしという態度を見て、リルの頭に血がのぼった。


「勝手な事を言うな。やるんなら力ずくでやってみろ、このハゲ!」


 侍従長の頭は側頭部にかろうじて白髪が残っているものの、前頭部から頭頂部にかけてはきれいに禿げ上がっている。

 リルに口汚く罵られて、肌色の頭部が赤く染まった。


「誰がハゲだ。おまえこそ、女のクセに棒切れみたいな足をしおってからに」

「どこ見てんだ、このエロハゲ!」


 いきりたつリルを押しとどめながら、安樹は女王に話しかけた。


「私たちは遊牧民ではありません。五年間蒙古のキヤト族に捕らえられていたのでこの出で立ちですが、もともとは洛陽の盾作りで墨安樹と申します。こちらは……妹です。先日キヤト族の牢獄からなんとか脱け出して、草原を越え、砂漠を越え、命からがらここまでやってまいりました。シャンバラに保護をしていただきたかったのですが、国境の砦で入国を認めらず、この山まで逃れて参りました」


 シズカ女王は、安樹の顔を見て不思議そうに小首をかしげる。

 知っている人に会ったのだけれど名前を思い出せない。そんな風情だった。

 無言の女王の代わりに侍従長が言葉を返した。


「盾作り? それがおまえの盾か?」


 イセ侍従長の視線が、安樹の盾に向けられる。

 そこには、鉄砲の弾が貫通した穴がくっきりと口を開けていた。

 侍従長はニヤリと笑った。


「我らシャンバラの鉄砲の前には、まるで役に立たなかったとみえるな」

「そんなことないぞ! アンジュの盾はすごいんだからな。ハゲにはわからないだけだ!」

「ハゲではない、この栄養失調が!」


 虫が好かないとなると一言一言に噛み付くのはリルの性分だが、侍従長もよほどリルが気に入らないらしい。

 二人は、今にも取っ組み合わんばかりに睨み合う。

 すると、シズカ女王がいきなり安樹の傍らに歩み寄ってその手を取った。


「五年間ですか。そんなに長い間蛮族にとらわれていたとは、お気の毒な話です。しかし、わが国は古より鎖国を国是としております。簡単に他国の方を受け入れることはできないのです」

「そ、そうなんですか」


 いつのまにか、女王と安樹の間には和やかな雰囲気が醸し出されていた。

 それに気づいたリルは、大急ぎで二人の間に割り込んでつながれた手を振り解いた。


「ふん、私たちだっておまえらの国なんて頼まれたって行ってやるもんか! なぁアンジュ」


 リルは、安樹の腕を引っ張って耳打ちする。


「まさかおまえ、あいつがちょっとだけ美人だから、私のことを妹だと言ったわけじゃあるまいな」

「何言ってるんです。まさか、姫様がキヤト族の姫君で元万人隊長だなんてバラすわけにはいかないでしょう」

「嘘だったら……殺すぞ」


 シズカ女王は少しのあいだ思案顔をして、それからイセ侍従長に耳打ちした。

 女王の話を聞いた侍従長は、渋い顔で安樹たちにこう告げた。


「女王陛下からの御提案である。ありがたく拝聴するように。洛陽の盾作り、安樹といったか、そちに頼みたいことがある。その働き次第では、おまえたちがシャンバラへ入れるように取り計らおう」


 侍従長の言葉を聞いて、リルは怒りの声を上げた。


「アンジュ、そんな話聞くことないぞ。私たち、西へ行くんだろう」

「でも、シャンバラに入れればそれが一番です」


 安樹はリルをなだめながら返答する。


「頼みたいことというのは、一体なんですか」

 

 イセ侍従長は声をひそめた。


「我々がここにやってきたのは、この洞窟に棲むとされる魔物を退治するためだ」

「魔物って、……開明獣ですか?」

「おまえたちが奴を何と呼ぶかなぞ知らん。我々はカギューと呼んでおる。肉食の巻き貝が何百年の時を経て巨大化したものだ。もともとこの山につがいで暮らす穏やかな魔物だったが、最近になってどういうわけかシャンバラ国内に出没し人間をを襲うようになったのだ。我が国の民草に被害が出るとあっては放ってはおけぬ。しかし、先ほどカギューと一線交えてみてわかったのだが、奴は見た目よりはるかに手ごわい」

「なーんだ。みんなボロボロだと思ったら、魔物にやられたんだ」


 侍従長は交渉相手を安樹と定め、リルを相手にしないと決めたらしいが、この言葉だけは無視することができなかったようだ。

 鬼のような形相でリルをにらみつけた。

 リルもその視線を迎え撃つかのように決して目を反らさない。

 にらみあうリルと侍従長の間に、安樹は冷や汗をかきながら割り込んだ。


「しかし、こんな辺境の魔物を退治するのに、わざわざ女王様がお出になるものなのですか?」


(しかも、魔物退治の役には全然立ちそうもないのに)

 安樹は、心の中の言葉を飲んで言った。

 イセ侍従長はしかめ面で答える。


「シャンバラの国王は、戦時には軍の先頭に立って指揮をすることが求められる。シズカ様は即位されたばかりでまだお若いが、れっきとした王家の血筋、いずれ大将軍としての才覚を発揮なさるであろう。この魔物討伐は、そのための試練のようなもの……だったのだが……」


 侍従長の顔がさらにゆがんだ。


 シャンバラからカギュー討伐のために派遣されたのは女王様と侍従長も含めて十名。精鋭の兵士ばかりを集めて万全を期したはずだった。

 だが、暗闇から奇襲をかけてきたカギューに最初の一人が食われた。

 兵士たちがすかさず鉄砲で反撃を行ったけれど、洞窟内は湿気が多く、自慢の鉄砲にも不発が相次ぐ。

 女王はやむを得ず撤退の指示を出した。

 それでも、撤退の途中で一人、助けようとしたもう一人がたてつづけにカギューに食われ、無事に戻ってこられたのは七名だけだった。

 生還した隊員も一名は足をやられて戦えそうにない。

 使える鉄砲も四丁だけになってしまった。


 侍従長はあえて言葉にしなかったが、最初の戦いは惨敗だったといえるだろう。


「恥ずかしながら手前も肩をやられて戦力になりそうにない。だが、女王陛下が指揮を取って初めての魔物退治なのだ。失敗しましたと、おめおめ国に戻るわけにはいかん。それに、今日の失敗でカギューを攻略するめどはついた。我らがカギューに敗北したのは、奴の住処で戦おうとしたからだ。鉄砲は湿気の多いところでは十分に効果を発揮できん。おまけに洞窟の奥は暗いし障害物も多いからな。そこで今度は、逆にこちらが奴を洞窟の入り口まで誘い出す。そうすれば、あの化け物をを仕留めることも難しくはあるまい」

「つまり私に囮になれ、ということですか」

「まあ、そういうことだ。本来はそのような名誉ある任務は我らシャンバラの兵士が行うべきだが、なにしろ先ほどの戦闘でみな満身創痍でな」

「じゃあ、元気そうな女王様を囮にすればいいだろ」


 横からリルがまぜかえす。


「バカなことを、女王陛下にもしものことがあったらどうするのじゃ」

「戦のときには先頭に立つんじゃなかったっけ、まあ化け物相手じゃ怖気づくのも無理はないか。たいした女王様だな」


 リルとイセ侍従長は、どこまでもそりが合わないようだった。


「じゃあ、おまえにやってもらってもいいんだぞ、この小娘。だがまあ、おまえのようなガリガリでは魔物も寄り付かぬかもしれんな」

「上等だ、このハゲ。やってやろうじゃないか」


 どんな話の流れでそうなるのか、リルは二つ返事で囮役を引き受けようとする。

 あわてた安樹がそれを引き止め、結局、自らが囮役を買って出ることになってしまった。


「まあ、長い牢暮らしで暗いところには慣れていますので」


 安樹は、しかたなく頭を掻いた。


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