第26話 シャンバラの女王


 突然、洞窟内に大きな音が響いた。


 音は洞窟の奥から響いてくる。

 二人は抱き合ったまま、洞窟の奥に広がる深い闇に目を凝らした。

 

(まさか本当に、この洞窟は魔物の住処なんだろうか?)


 再び、雷鳴のような轟音が響く。

 今度は連続して数回。その音には聞き覚えがあった。

 昼間、自慢の盾を撃ち抜いたシャンバラの鉄砲の音だ。

 続けて、人の悲鳴と怒鳴り声が聞こえた。

 さっきまでの甘い雰囲気はどこへやら、安樹は緊迫した面持ちでたずねる。

「誰かが魔物に襲われているのかもしれません。姫様どうです? 何か見えませんか?」

「いくら私でもこれだけ暗いんじゃ無理だ。……まったく、せっかくここからがいいところだったのに」

「でも人の悲鳴が聞こえます。ほうっておくわけにもいかないでしょう」

「わかっている。行くぞ、アンジュ。ただおまえ、もう少し残念そうな顔をしろ」


 二人は、火のついた薪をたいまつ代わりに洞窟の奥へとむかった。

 洞窟の壁面は溶岩の固まった硬い岩でできていて、触っただけで皮膚が切り裂けそうなほどだ。

 その壁面に反射して、複数の人間の悲鳴と足音が響いてくる。

 不意に風向きが変わった。

 洞窟の奥から吹く湿った風は、火薬と腐った生ごみのような臭いを乗せていた。


「アンジュ、危ない!」


 リルの声に、安樹はあわてて足を止める。

 見ると一歩先で地面が無くなって、切り立った崖になっていた。

 恐る恐る崖の下の空洞をのぞきこむ。

 崖の高さは大人三人分くらいだろうか。その下には遙かに大きい空洞が広がって、地面から鋭く尖った溶岩の杭がまるで串刺しの罠のように待ち構えていた。

 あと一歩踏み出していれば命はなかっただろう。

 安樹は、広い空洞にむかって叫んだ。


「誰かいるんですかっ!」


 火のついた薪を大きく振りかざす。

 …………

 ……

 すると、遠くで複数の人間がどよめく声が聞こえた。


「出口はこっちです!」


 安樹はさらに声を張り上げた。

 その声に応えるように、また遠くから声が聞こえる。

 声は次第に大きくなり、何者かが近づいているのがわかった。


 やがて、十人ほどの男達が列になって安樹の足元の崖をのぼってきた。

 口々に、「こっちだ」「しっかりしろ」とはげましあっている。

 彼らの話している言葉は漢族の言葉だが独特の訛りがあった。

 身につけている装束は、小袖を腹帯で止め、下半身には袴を穿いて足に脚絆をまくというスタイルで、洛陽でも遊牧民の村でもみかけたことのない格好だ。

 しかも頭を頭巾で覆って顔が完全に隠れている。

 異様なのはそれだけではなかった。

 彼らは全員がどこかしらに生傷を負っているというのに、まるで自分らの身体よりも大事そうに黒い鉄製の筒のような物を抱えていた。

「こっちです!」

 安樹とリルは、男たちを工房へと案内した。

 男たちは途中何度も後ろを振り返った。その姿は明らかに何かにおびえているようだ。


 工房までたどりつくと、男たちはようやく安堵したらしく焚き火の周りに車座になってしゃがみこんだ。

 そんな男たちの様子に、リルはしびれを切らしたかのように怒鳴り声を上げる。


「なんだおまえら、せっかく助けてやったのに、お礼どころかあいさつもなしかよ!」


 すると、中の一人がぬっと立ち上がった。

 彼は見たところ男たちの主人のようだ。体つきは一回り小さいけれど、他の者たちは明らかにこの男を特別扱いしている。

 主人らしき人物は、肩にさげている黒い筒に手をかけた。


(まずいっ)


 安樹は言葉の訛りから、彼らがシャンバラの人間だろうと察していた。

 ならばその黒い筒はシャンバラの秘密兵器、鉄砲にちがいない。

 鉄砲の威力は、先ほど国境の砦で嫌というほど思い知らされている。

 安樹はあわてて盾を構えると、リルを背後にかばった。

 盾が役に立たないのはわかっている。でも、ないよりはましだ。


 ところが、男たちの主人は鉄砲を構えることなく肩から下ろした。

 そして自らの頭に巻いた頭巾を外していく。

 さらさらと黒くて長い髪がこぼれて落ち、暗い洞窟にぽっかりと真白い顔が浮かんだ。


 男だと思ったのは、若い女性だった。

 年齢はリルと同じくらいで十六、七歳といったところだろうか。

 その顔立ちは気品にあふれ、こんな洞窟になぜ?という強烈な違和感があった。


 彼女は、やはりクセのある漢語でこう言った。


「その方(ほう)らの助勢に、わらわはいたく感じ入っております」


 その口調はどこか浮世離れしている。

 安樹とリルが呆気に取られていると、男たちの一人が黒頭巾を外して少女の傍らに進み出た。


「おまえたち、無礼である。恐れ多くもシャンバラ国の女王陛下の御前なるぞ」

「じょ、女王陛下?」

「その通り。手前は侍従長のイセと申すものだ。図が高い、控えよ。」


 侍従長を名乗る男は頭髪の感じからして五十歳代、墨田常より少し若いくらいだろう。けれど体格はがっしりして体力勝負ならそこらの若いものには負けそうもなかった。

 安樹も背は高い方だけれど、この侍従長からは見下ろされる感じになる。

 その侍従長は安樹たちを威嚇しようと鉄砲を振り上げて、思わず腕を押さえうずくまった。どうやら肩に傷を負っているらしい。


「イセ、ここは宮殿ではありません。堅苦しい礼儀は良い。それに頭を下げるべきなのはわらわたちの方です」


 シャンバラの女王はそう言ってイセ侍従長をたしなめると、わずかに顎を引いた。どうやらそれで頭を下げたつもりのようだ。

 

「わらわは、シャンバラ国女王シズカ・チャクリンです」

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