第25話 赤き狼の初夜

 それから日が暮れるまでにリルは慣れた手つきで死んだ馬をさばき、安樹は薪と水を求めて天翔山のふもとを歩いて回った。 

 幸い火山灰に埋もれた倒木がいくつかみつかり、薪として使えそうだ。


 しかし、肝心の水がみつからない。


 小一時間ほど歩いて、安樹は山の南側に洞窟を発見した。

 入り口こそ狭いものの、中に入ると馬が二頭並んで通れるほどの大きさに広がっている。

 試しに入ってみると、その先は曲がりくねって暗く、昼間だというのに奥を見通すことはできなかった。

 ただ、入り口から奥に向けてかすかに風が通っていた。


 安樹は、一度リルのところに戻ることにした。


「風の通り道があるということは、洞窟は奥でどこかに繋がっているのでしょう。うまくすると、中で水がみつかるかもしれません」


 リルはあらかた馬をさばき終えていた。

 馬肉は、今日の夕食用と残りは燻して保存食にする。

 しかし体の大部分は置いていくしかなかった。


「今のうちに、その洞窟へ移動しよう。残った馬の死体を埋めたかったんだけど、地面が固くてろくに穴も掘れやしない。このままじゃ、夜になったら血のにおいを嗅いで本物の狼がやってくるぞ」


 二人は洞窟に入ってすぐの道幅が広くなった場所に焚き火をおこし、夜を過ごすことにした。

 この場所は小さな空洞になっていて、冷たい夜風が入らない上に月明かりは漏れてくるので真っ暗にもならない。

 ちょうどオルド・バリクにあった安樹の工房と同じくらいの広さで、二人はこの場所を「工房」と呼んだ。

 火山の地熱のせいだろうか、洞窟内は外と比べてずいぶんと暖かかった。


 暗い洞窟の中を、焚き火の灯りがちらちらと照らす。

 二人は、手ごろな岩に二人並んで腰掛けた。

 リルが珍しく不安げな声を出した。


「ずいぶん深い洞窟なんだな。こんなところに魔物が棲んでたりするのかな?」

「開明獣も天翔山にいるという話でしたしね。案外、ここは魔物の巣穴かもしれません」


 安樹がそう言った瞬間、焚き木のはぜる音が洞窟内にこだました。

 リルは思わず身を固める。


「お、おい、変なこと言うなよ」

「あれ? 姫様、怖いのですか?」

「バカな事を言うのはこの口かっ」


 リルは立ち上がって、安樹の口を思いっきり左右に引っ張っる。


「いたたたっ、やめてください」


 痛がる安樹を見て、リルはおなかを抱えて笑った。


「……シャンバラに入れなくて、むしろ良かったかもな」


 笑いすぎて目に涙を浮かべながらリルは言った。

 焚き火の赤い光に照らされたリルの瞳は、五年前と少しも変わっていない。

 勝ち気で、いつも何か企んでいるようにみえる。


「どうしてです?」

「だって、おまえと二人っきりでいられるじゃないか。砂漠を逃げている間はなんとも落ち着かない感じだったしな。ここなら、誰にも邪魔されずにゆっくりできるだろ」


 リルはそういうと、まとめていた髪をほどいて頭を振った。

 長い髪の一本一本が、赤い光にきらきらと光る。


「魔物の巣だかなんだか知らんが、赤き狼の新居としては上等なものだ」


 新居、という言葉を聞いて安樹は思わず鼻から息を吐いた。


 言われてみればこれまでの逃避行の間、目的地を急ぐあまり安樹はリルに触れるどころか、じっくりと顔をながめることすらしなかった。

 でもよくよく考えてみると、二人は結婚の約束を交わしたのだ。

 当然、しかるべきことがあって不思議じゃない。

 というか、ない方がおかしい。

 にわかに胸の鼓動が高まるのを感じた。


「姫様」


 安樹は近寄ってリルの手を取った。

 彼女は腕も身体も細く、決して女らしいとは言えない。けれども胸にはかすかな膨らみがあり、五年前とは違っていた。

 リルの頬が赤く染まった。


「砂漠で姫様は言ってくれましたね。私の赤き狼だと」


 いつになく積極的な安樹に、リルは思わずエビぞりになって顔を背けた。


「ああ、でも、よく考えたらあれは間違いだった。あれだと、まるで私がおまえのものみたいじゃないか。どう考えても、それは違う……おまえが私のものだからな」


 口から出た言葉は強気な赤き狼だったけれど、その口調や伏目がちの表情は完全にかよわい牝鹿だ。

 安樹は、そんな可憐なリルの姿にまた息を呑んだ。


「はい、そのとおり、私は姫様のものです」


 リルの手を握り締めたまま、さらに彼女ににじり寄る。


「そんなに強く握ったら、手が痛い」


 か細いリルの声に、安樹はハッと我に返って彼女の手を離す。


「す、すみません、つい」


 不器用な安樹のしぐさを見て、リルはクスっと微笑んだ。

 そして、今度は自分から彼の胸に頬を埋めると、こうささやいた。


「また謝るなって。アンジュなら、いいんだぞ。もう夫婦なんだからな。そのかわり優しくしろよ」


 長年あこがれた姫君からのお許しに、安樹はふたたび鼻息を荒くした。


「い、いいい」

「い? なんだ?」


 そのままリルの細い肩をぎゅっと抱きしめる。


「いただきます!」

 

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