第10話  対決・強き者たち

 田常は軍議の間の中央に進み、ボドンチャルの前に平伏するとこう切り出した。


「偉大なるハーン様に申し上げます。このたびは、偉大なるハーン様の御温情にて命をお助けいただき、感謝の言葉もございません」


 偉大なるハーンは田常の顔を一瞥すると言葉を発した。

 それは流暢な漢族の言葉だった。


「まだ命を助けると決めたわけではない」


 その口ぶりは、田常たちの生き死になどどうでもよいといわんばかりだ。

 田常は必死で頭を下げた。


「我々は、洛陽にて盾をひさぐものでございます。キャラバンが火薬などという恐ろしいものを運んでいたとは露知らず、ただ最強の盾を得んがために西域へ赴く途中でございました。けっして偉大なるハーン様に仇なすつもりはございません。なにとぞ、お目こぼしを」


 ボドンチャルの眉毛が、ピクリと動く。


「最強の盾とな」

「はい、いかなる矛や弓にも負けぬ最強の盾でございます」


 リルが、隣の安樹にこっそり耳打ちをした。


「じい様の言葉が上手く父様の気を引いたみたいだ。このままいけば、助けてもらえるぞ」


 いつのまにか、安樹は手にびっしょりと汗をかいていた。


「だが盾作りよ、最強の盾を作るというからには、最強の武器を知らねばならぬであろう。おまえは最強の武器が何か知っておるのか」


 ボドンチャルは田常にたずねる。

 リルがまた耳打ちした。


「父様がこんなときに期待している言葉は決まっているんだ。弓でも、剣でも、矛でもいい、『偉大なるハーン様の』と付きさえすれば、父様は満足なんだ」


 それを聞いて安樹は不安になった。

 師匠はバカではない。おそらく「偉大なるハーン様」の求めていることぐらいはわかっているだろう。

 けれども師匠はバカではないが、素直な人間でもなかった。


「最強の武器でございますか、私めは仕事柄たくさんの異国の武器を見てまいりました。その中で、最強とはむずかしゅうござりまするが、例えばシリアの先にある希臘国(ぎりしあこく)の槍は水牛の体も貫くほど凄まじく鋭いものでした」


「希臘国の槍か?」


 ボドンチャルの表情が曇る。田常は続けた。


「しかし、東海にある倭国の剣はそれにまさる恐るべき武器でありました。手練れが用いれば、百人の兵を切った後も刃こぼれ一ついたしません」


「むう、倭国の剣、それが最強か?」


「いえ、それより優れたる武器がございます。それが、このキヤト族の弓でございます。いかに剣の切れ味が鋭くとも、遠くから弓で打たれてはひとたまりもありません。それにキヤト族の弓は他のどの国のものよりもはるかに遠くまで届きます」


 それを聞いた偉大なるハーンは、明らかに機嫌を直した様子で言った。


「聞いたか皆のもの、洛陽の盾作りがいうには我らの弓が世界最強だと」


 周囲に安堵の空気が流れ、笑いがこぼれる。


 ところが、その和やかな雰囲気を打ち破ったのは墨田常本人の言葉だった。


「それは違いますぞ、偉大なるハーン様。キヤト族の弓より強い武器、世界最強の武器は他にございます」


 軍議の間に大きなざわめきがおこる。

 リルと安樹は思わず顔を見合わせ、手を握り合った。

 ボドンチャルの額に血管が浮き出てぴくぴくと動くのが、遠目からも見て取れる。

 ケシクの合図で二人の兵士が現れ、田常をおさえつけると首許に刀を押し当てた。偉大なるハーンは機嫌が悪くなるとそれだけで途方もない遠征を企てる性癖がある。この兵士たちは断事官(ジャルグチ)といい、会議の席で誰かがボドンチャルの機嫌を損ねるその前に、一瞬で首をはねて始末をつける役割を果たしていた。


「言うてみろ」


 ボドンチャルの低い声が広間に響く。


「その世界最強の武器とやらを言うてみろ」


 刀の当たっている田常の首筋から細く血をしたたり落ちる。

 それでも田常は、顔を上げて偉大なるハーンをまっすぐに見据えていた。


「敦煌(とんこう)から南へ早馬で十日下った山中に、シャンバラなる幻の国がございます。シャンバラの兵士が持つ武器は『鉄砲』といいまして、矢のようで矢にあらず、火の力で鉄の弾丸を飛ばし、力を使わぬため小人にも扱えます。さらに、目には見えず、針が落ちる間に一里を進み、その威力たるや鉄の鎧を貫くといわれています。これに狙われれば、いかに偉大なるハーン様といえど逃れるすべはありません」


 安樹は思わず目をつぶった。

 田常たちを押さえつけていた断事官は、刀を振り上げて田常の首を落とそうとする。


「しばし、待て」


 それを制したのは、他ならぬボドンチャルだった。


「洛陽の盾作りよ。我をなんと心得る。偉大なるボドンチャル・ハーンなるぞ。盾作りが知る程度のことはとうに聞き及んでおるわ。シャンバラにはすでに内偵を放ち、鉄砲のことは調べ尽くした。鉄砲とやらの性能は、残念ながらおまえの言う通りだ。だがなんとする? 盾作りよ。おまえの言葉がそれで終わりなら、おまえとそこの小僧の素っ首叩き落して鷹の餌にしてやろうぞ」


 田常はここぞとばかりに声を張り上げた。


「勇猛果敢で知られるキヤト族が全力で攻めかかれば、シャンバラに国を守る術はないでしょう。しかし同時に、シャンバラの鉄砲から偉大なるハーン様の命を守る術もございません。つまりキヤト族は、ひとたび攻め入れば速やかにシャンバラを制圧するでしょうが、その時には偉大なる指導者を失うことになります。偉大なるハーン様が全世界の覇権をお望みであれば、どうかシャンバラに手を出すことはおやめください。よいではないですか、全世界の地図がキヤトの色に塗り替えられるのです。仮に一箇所、白く欠けた部分があっても、誰がそれを偉大なるハーン様の臆病のせいだとなじりましょうか」


「わしが臆病だと申すか、シャンバラの鉄砲に恐れをなすと」


「敵を知って恐れを抱かぬものは愚か者です。もし、臆病者にも愚か者にもなりたくなければ、とるべき道は唯一つです」


「なんだ」

 

「我々を解放なさってください。我々は、鉄砲をも防ぐ最強の盾を作る旅の途中でございます。今ここでお赦しをいただけましたなら、必ずや偉大なるハーン様のお命を守る最強の盾を作って戻って参ります」


 ボドンチャルと田常はしばし睨みあった。

 一同は固唾を呑んで、偉大なるハーンの次の一言を待っている。

 やがてボドンチャルは口を開いた。


「盾作りよ、おまえは腕よりも口の方が達者なようだな。わしはおまえのような男の命など馬糞にたかるハエほどにしか感じない。だから、もし鉄砲を防ぐ盾が手に入る見込みが少しでもあるのなら、ハエを殺そうが逃がそうが、そんなことはどうでも良い」

「では、我々を解放していただけますか」

「そうはいかん。一度放ったハエが戻ってくるわけはないからな。解放するのは一人でよかろう。盾作りよ、おまえの孫を行かせよう。おまえは、孫が最強の盾を作りこのオルド・バリクに戻ってくるまで虜となるのだ」


 安樹はびっくりして顔を上げた。

 あわてて何か言おうと口をあけたところを、振り返った田常に目で制された。


「さあて、何年でおまえの孫が戻ってくるか。盾作りよ、老い先の楽しみが増えたなあ」


 ボドンチャルは自分の出した裁定に満足したらしく、これで軍議は終わりとばかりに手を払った。

 一同は、偉大なるハーン様の機嫌が良いまま軍議が終了したことにホッとして、クモの子を散らすように散会する。

 田常と安樹は、兵士たちに連れられて再び石牢へと戻された。


 安樹は、リルの姿を探して必死で叫んだ。


「リル! なんとかしてくれよ、リル! オレだけ釈放なんて!」


 しかし、人の流れにさえぎられて安樹の声は届かなかったのか、リルからの返答はなかった。

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