第8話 盾作りたち、囚われの身になる
安樹と田常はリルの命令で捕虜となり、彼らの本拠地へ運ばれることになった。
身動きできないように縄で縛られて無理矢理馬に乗せられたけれど、キャラバンの他の人々が皆殺しにあったことを考えると扱いの悪さを嘆いてはいられない。
「勘違いしないで欲しい。悪いのは我々ではなく、あのキャラバンです」
盗賊団の頭領だと安樹が思っていた隻腕の男は、少しクセのある漢族の言葉で言い訳がましくそう言った。
「そもそも我々は無法な盗賊ではなく、正規の軍隊なんです。あのキャラバンはわが部族の安全を脅かす恐ろしい兵器を運んでいました。我々がキャラバンを襲ったのは、それを阻止するためです。名前はちょっとアレですが、『河西回廊皆殺し大作戦』は、わが民を守るための正当な作戦だったのです」
男の名はシギ。
もともと遊牧民でなく契丹人の彼は、才能を買われて遊牧民の軍隊で軍師をしているのだという。
年の頃は三十歳前後だろうか、まだ青年の風情を残していた。
金帝国を興した女真族と同じく、契丹人も元をたどれば遊牧民だ。しかし、彼らの言語や文化、物の考え方などはすでに漢族とほとんど変わらない。そのため契丹人は同じ遊牧民である蒙古族や韃靼人よりも、漢族の方により強い同族意識を抱いていた。
そのせいなのか、軍師シギは本拠地へむかう途中で二人にいろいろなことを教えてくれた。
安樹たちを捕らえた一団は、遊牧民の最大勢力である蒙古族だった。
蒙古族は更に細かくいくつかの氏族に分かれている。彼らは、蒙古族の中でもキヤト族という最も好戦的な氏族なのだそうだ。
キヤト族は蒙古の一氏族でしかないが、その族長(ハーン)のボドンチャルは中原や西域すべてを含んだ大陸の覇権を手にすることを夢見ていた。
そのために、他の遊牧民たちと頻繁に抗争を繰り返し、徐々に勢力範囲を広げているという。
安樹は軍師シギにたずねた。
「リルは? 彼女は一体何者なんです?」
すると、シギは安樹にむかって微笑んだ。
「リルディル様は、君を友達だとおっしゃっていました。珍しいことです。リルディル様がキヤト族以外のものに気を許すのは」
「リルディル様?」
「リルディル様は、偉大なる族長ボドンチャル様の七番目のご息女にあらせられます」
安樹は、シギの言葉に目を丸くした。
「ってことは、リルは、……お姫様?」
「その通りです。しかし、それだけではありません」
シギは説明を続けた。
蒙古族の族長は数多くの妻を娶り、さらに多くの子供を持つのが通例である。
ボドンチャルにも三十人近い子供がいた。つまりキヤト族には、王子や姫が三十人いるわけだ。だがその多く兄弟を抑えて、リルは父ボドンチャル・ハーンの次に偉いとされる万人隊長(テュメン)に就任していた。
遊牧民の習慣として、女・子供が戦闘に出ることは珍しくない。
けれど、「リルディル様は別格だ」とシギは言う。
リルは、十歳の頃から大人顔負けの馬と弓の腕前を持っていた。
また、子供であるのを利用して敵地に潜入し内偵を行うことも得意であり、これまでにいくつもの危険な任務を成功させている。
今回の『河西回廊皆殺し大作戦』でも、数ヶ月前から単独でキャラバンに潜入し、その進路や日程をキヤト族に報告するという最も重要な役割を果たしていた。
さらにリルの地位を確固たるものにしているのは、彼女が戦いに出始めた三年前から今まで、キヤト族が一度も敗北していないというジンクスだった。
もちろんそれは単なる偶然なのだけれど、不敗の神話を持つ女隊長はキヤトの民から熱烈な支持を受けていた。
「わしらはどうなるのじゃ。その姫様が口を利いてくださるからには、命まで取られることはないと考えて良いのかのう」
田常が横から口をはさむ。
年老いた盾作りはおおまかにだが状況を理解し、すでに平静を取り戻しているようだった。
「……うむ、それがなんというか」
シギは言葉を濁す。
「おーい! アンジュ!」
すると、先頭を駆けていたリルがいつのまにか安樹たちのところまで馬を下げてきて、こう言った。
「なあに、わがキヤト族は優れた人間には広く門戸を開いている。このシギだって五年前に投降してきて、しばらくは捕虜の身分だったんだ。それが才能を認められて、今ではすっかり
「そうなんですか?」
安樹はホッとして息を吐いた。シギは言いにくそうに返事をする。
「ええ、まあ」
「だが、私はこの男を全然認めてない。シギが投降してきた理由を教えてやろうか」
「リルディル様、おやめください、そんなことを」
「ウチの父様には年の離れた妹がいるんだが、これがまあ大変な美人でな。シギは彼女に一目ぼれして、うちにやってきたんだ。そんな軟弱なヤツに誇り高きキヤト族の軍師が務まるものか」
リルはからかうように笑うが、軍師シギはあくまで真面目な態度を崩さなかった。
「偉大なるハーン様とはお約束をいただいております。軍師として十の勝利を重ねれば、セトゲル様との結婚を許していただけると。そして今回の勝利で十個目です」
「そう上手くいくといいがな。まあ、アンジュ、おまえたちのことは私に任せておけ」
リルは薄い胸を叩くと、安樹の後ろに回った。
「こんな扱いですまないな。捕虜の処遇はハーンの権限、と決まっているんだ。縄はきつくないか? 痛いところはないか?」
リルの物言いは、すっかりキャラバンにいたときのものに戻っている。むしろ以前より優しくなったくらいだ。
そのためか、安樹はすっかり安心しきっていた。彼女がついていれば、蛮族の虜になってもそんなに悪いことはおこらないだろう。
だがすぐに、その考えは楽観的過ぎたと思い知らされることになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます