第3話 助けたはずの少女に助けられる

 これにはごろつきもキレた。

 自分の半分ほど背丈の少年に思いっきり殴りかかる。


「ふざけんな、このクソガキ!」


 ところが、安樹は自分から男にすっと近づいた。そして、右手の盾で男の拳をさらりと受け流す。


「この盾は、殴り合いのときに重宝する『革の団牌』です。コツは、殴りかかられても恐れずに前に出ること、ほら、こんな風に」


 拳をかわされた男はさらに二度三度と安樹に殴りかかるが、その度にスッスッと盾で巧妙にさばかれてしまった。いらだった男は、今度は盾に掴みかかる。けれど皮製の盾はぬるりと滑り、男の指は空を切った。


「そのうえ盾の表面には滑りやすい馬の油が塗りこんでありますので、敵に掴まれて盾を奪われる心配もありません。みなさんも、明日からこの『革の団牌』で喧嘩無敵の称号を手に入れてはいかがですか?」


 その様子に、足を止めていた通行人の間から拍手が上がった。

 喧嘩かと集ってきた人たちも、これは盾の実演販売の余興だと思いはじめたようだ。


「なんだてめえ、ぬるぬるしやがって。逃げ回ってばかりじゃねえか、それのどこが喧嘩無敵だ」


しびれを切らしたごろつきが叫ぶ。

すると、まわりからも無責任な野次が上がった。


「そうだ、そうだ! いいトコみせろ!」


 娯楽の少ない時代のことだ。いつのまにか、安樹たちの周辺は黒山の人だかりになっていた。中にはほろ酔い加減のヤツもいる。


「しょうがないなあ、ホントは防御に徹するのが盾のいいところなんだけど……じゃあ、次はこれだ」


 安樹は見物人の期待にこたえて盾を交換した。今度の盾はふわふわした毛皮に包まれている。


「あのぬるぬるがなきゃ、こっちのもんよ」


 ごろつきは、ここぞとばかりに盾に掴みかかった。


「いてぇ!」


 次の瞬間、男の悲鳴が上がった。

 盾を掴んだはずのごろつきが、手の指をおさえてうずくまっている。


「これは、『牙の盾』と申します。よおくご覧ください。毛の中に縦横無尽に、犬、猫、狼、いろんな動物の牙が埋め込まれています。かわいそうに、この盾に殴りかかった男の哀れな末路が、はい、あの通り」


 再び観客からどっと笑いが起こる。


「ちくしょう……てめえ、汚ねぇぞ!」

「その通り。この盾は非常に汚いんです。盾に使われているたくさんの牙は、死体から引っこ抜いたのをそのまま使っております。怪我したところは早く消毒しないと、どんどん腐ってきちゃうかもしれません」


 ごろつきは、指をおさえたまま真っ青な顔になった。


「ああ、ああ、おめぇ情けねえなあ」


 見かねた仲間の一人が声をかけてきた。


「あんな子供に馬鹿にされやがってて。もういい、早く手ぇ洗ってきな。こっちはきっちり片付けといてやるからよ」


 そう言って、持っていた刀をすらりと抜く。そのまま立てかけてあった木の角材に一振り浴びせると角材は真っ二つに切断された。


 実演販売だと信じ切っている見物人たちの間から、おおぉーというどよめきの声が上る。


「さあて、今度は俺の番だ。いまさら武器使うな、なんていいっこなしだぜ。わけわかんねえ道具を先に出してきたのはてめぇのほうなんだからな」


 しかし刀を持った二人目のごろつきも、安樹の眼中にはまったく入っていなかった。


「さあて続きまして、いきなりバカ野郎に刀で切りかかられたら。皆さん、どうします? 物騒な世の中、いつ何時そのようなことがないとも限りません。そんなときはこれです」


 安樹が出してきたのは、黒味がかった石の塊のようなものだ。それを見て、二人目のごろつきは忌々しそうに唾を吐いた。


「安心しろ。命まではとらねえ。だが、腕の一本くらいは覚悟するんだな」


 そう言って刀を振り上げると、安樹に切りかかってくる。

 安樹は手にした石の塊を襲いかかる刀に合わせた。鈍い音があたりに響く。男の刀は、石の塊に当たって大きく跳ね返された。


「はい、ご覧ください。この盾は『甲羅の盾』。石のように見えますが、実は南の島に住む大海亀の甲羅で作られております。そのため、刀の攻撃をも跳ね返す硬さがありながら、子供の僕でもこのように軽々と扱うことが可能です」


 安樹の説明に見物人から拍手がわきあがる。みなすっかり、安樹とごろつきたちの活劇を楽しんでいるようだ。


 ひとり腹立ちをおさめられないのが、刀を跳ね返されたごろつきだ。


「もう怒った。勘弁ならねえ」


 そうわめき散らしながら、滅茶苦茶に刀を振り回し安樹に迫ってきた。

 見物人の女性たちから悲鳴のような叫び声が上がる。

 

 それでも、安樹に怖気づく様子は微塵もなかった。


「さぁて、これからがこの盾のすごいところです。ご覧になれますでしょうか? この盾の表面には一定方向に細い溝が掘られております。多少のコツが必要ですが、敵の刀とこの溝をうまく合わせると、はい、ご注目でございます!」


 ごろつきが大上段から刀を振りおろす。その瞬間、安樹は盾をかち上げて微妙な角度でひねりを入れた。


 甲高い音が広場に響きわたる。


 その音とともに、刀は真二つに折れて、刃先が空高くに舞い上がっていた。


 見物客はどよめきを上げながら落ちてくる刃先を避けようとする。幸い、白い刃先は客のいない土の上に深々と突き刺さった。


「これが、墨家秘伝、玄武白刃砕きの技でございます」


 しばしの間があって見物人たちの間から大きな拍手がわきあがった。一方のごろつきは、折れた刀をながめて呆然と立ちすくんでいる。


「ちぃ、バカバカしい、もう行こうぜ」


 最後に残った仲間に声をかけられて、男はやっと我に返った。


「このままやられっぱなしで帰れるかよ」

「ずいぶん人も集まっちまったじゃないか。こんなところで喧嘩もないだろ。いいから、もう行くぞ」

「ちくしょう、小僧、覚えていろよ!」


 男たちはおきまりの捨て台詞をはくと、広場からしぶしぶ退散していった。


「さあて、ご覧の盾の中で何かお気に入りのものがございましたら、ぜひともお声をおかけください。その他にも、たくさんの商品をご用意しております」


 安樹は、人が集まったのを幸いに商売を始めた。見物していたうちの何人かが、盾を買おうと声をかけてくれる。お客とやりとりをしながら、安樹は横目で騒ぎの元になった遊牧民の少女を探した。


 けれど少女の姿はどこにも見当たらない。

 騒ぎに乗じて逃げるか隠れるかしたのだろう。


(さっきまで、そこの桃の木陰に隠れていたと思ったんだけど……)


 心の中で、お礼くらい言ってくれてもいいのにという気持ちと、別に感謝されたくて助けたわけじゃないという気持ちがぶつかって、後者の方が勝った。


(オレは、女好きのじっちゃんとは違う)


 ――その時だった。


「危ない! 矢がくるよ!」


 どこからか、女の子の声がした。


 あたりを見回すと、広場の外れにある馬車の上からさっきのごろつきが弓に矢をつがえているのが見える。


 反射的に、安樹は一つの盾を手にとっていた。


 矢が飛んでくるのと、安樹が盾を地面に突き刺し、その盾が上下に広がるのがほぼ同時だった。


「おおおっ、すげぇ!」


 客の間から、また大きなどよめきが起こった。


 ごろつきの放った矢は、安樹が広げた矢盾にまっすぐ突き刺さっていた。

 矢盾とは、言ってみれば矢を防ぐための木の板だ。

 盾といっても手に持つわけではなく、地面に固定して使用する。

 墨家の矢盾は、二枚に合わせた板がバネ仕掛けで上下に広がり、持ち運びの簡単さと広い防御範囲を両立させていた。


「西域への旅に、弓矢の防御は欠かせません。墨家の矢盾はご覧のとおり、操作一つで大きく広がり、例え韃靼人の矢でもバッチリ防ぎます。おまけに防いだ後の矢は抜いて使えば、なおお得です」


 安樹が盾から矢を抜いてみせると、また小さく笑いが起こる。客たちは、これも実演販売の演出の一つと思ったようだった。


 その頃には、馬車の上からすでに人影は消えていた。


(さっきの声、あの子だったのかな?)


 安樹はまた少女の姿をさがした。危険を教えてくれたのは、あの遊牧民の少女だったのか?


 しかし、広場のどこにも少女の姿はみつからない。


 ただ桃色の花びらが風に舞い踊っているだけだった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る