第2話 盾作りの少年、ごろつきたちに喧嘩を売る


 馬車をでた安樹は、そよぐ風にどこかで桃の花が香るのを感じた。

 いまはちょうど、桃の花咲く季節だ。

 洛陽の広場にはたくさんの桃の木が植えられ、良い香りを放っている。


「これで、桃の花は見納めかもな」


 安樹は一人つぶやいた。

 とりたてて洛陽の街に愛着があるわけじゃない。しかし、いざ離れるとなると、やはり淋しい気持ちが湧いてくる。そのうえ安樹には、これから旅する西域がどんなところなのか、まったく知らされていなかった。


(西域に桃の木はないかもしれない。それなら最後の桃の季節を堪能しなくちゃ)


 安樹は背伸びして大きく息を吸う。鼻の中に桃の香りが充満した。


「うーん、いい匂いだ」


 ところが、心地よい気分でいられたのは束の間だった。馬車の陰からなにやら騒ぎ声が聞こえてくる。


「こいつ、遊牧民の子供だぜ」

「なんだ、なんだ、おまえの親はどこにいやがるんだ」


 みると、街のごろつきたちがキャラバンの下働きの女の子に因縁をつけていた。キャラバンには身寄りのない子供たちが雑用として雇われている。雇われているといっても、仕事の駄賃にその日その日の食事が与えられているだけだ。それでも社会福祉などという概念がない時代、食い扶持が稼げる子供はまだ幸せだった。


 女の子は、見たところ遊牧民の出のようだ。男たちにこづき回されても声一つ上げず、じっとこらえている。


(もしかして、言葉がわからないのかな?)


 一口に遊牧民といっても、それは一つの民族を指す言葉ではない。

 蒙古族や韃靼族、タングート族など中原の北西で放牧生活を行う数多くの民族が含まれる。今の洛陽は金帝国の支配下にあり、住民の大半は女真族だ。女真族も元をたどれば遊牧民の一つに過ぎない。だが金という帝国を作り上げ、定住した生活を送るうち、女真族には他の遊牧民に対する差別意識が生まれていた。


 しかも金帝国と蒙古族との間には毎年のように紛争がおこっているため、洛陽の住民のほとんどが遊牧民に対して良い感情を抱いていない。


(だからって、こんな子供をいじめて何が楽しいんだ)


 ごろつきたちは、男が三人。

 みな体の大きさが安樹の倍ほどのもあり、そのうえ剣や弓矢で武装していた。おそらく他のキャラバンに雇われて用心棒の仕事をするのだろう。


 それでも安樹はためらうことなく、男たちの前に進みでた。


「おっさんたち、もうやめな」


 ごろつきたちは、安樹をみて薄笑いを浮かべる。


「なんだ小僧、おまえ漢族だろう。俺たちゃ悪い蛮族を懲らしめてるんだぜ。なぜとめる」


「……こんな小さな子供にまで手を上げて、どっちが蛮族だか」


 安樹はわざと聞こえるような声でつぶやいた。

 男たちのコメカミがぴくぴくと動く。


「おもしれぇ。それじゃあ、おまえが代わりに相手してくれるって言うんだな」


 ごろつきの一人が剣を抜いて凄んでみせた。子供のことだから、ちょっと脅せば泣きを入れるとでも思ったのだろう。けれども安樹の反応は違った。


「刃物を出せばビビるとでも思ったのかい。ああ、いいとも。オレが相手してやる。おっさんたち、まとめてかかってきな」


 そう言うと、人差し指を突き出してごろつきたちに「おいで」と合図をした。折からの強風で広場に桃の花びらが舞いあがる。


「子供だからって、盾作りをなめんなよ!」


 度重なる安樹の挑発に、最初からかい半分だった男たちの表情が本気になった。

 いじめの標的が遊牧民の少女から安樹に替わる。少女はその隙にそそくさと逃げ出していた。


「ガキが、調子にのるんじゃねえぞ!」


 まとめてかかってこいと挑発されたものの、さすがにごろつきたちにも大人としての矜持があるらしい。少年一人を相手に束になってかかりはしなかった。


「じゃあ、俺から行くぜ。生意気なガキにはお仕置きしないとな」

「殺しちゃまずいぞ。武器は置いとけよ」

「あたりめえだ。悪いが、おまえたちの分は残さねえぞ」


 男たちの一人が、指をぽきぽきならしながら安樹に近づいてくる。

 安樹は背負っていた袋から丸い円盤のような物を二つ取り出すと、両の手に一つずつ握った。

 それは、団牌(だんぱい)と呼ばれる小型の盾を少年の安樹でも扱えるよう更に軽量化したものだった。団牌は西洋ではバックラーといい、接近戦に用いられる。


 安樹は、二つの盾をまるで楽器のように叩き合せた。あたりに乾いた音が響く。


 その音に合わせて、安樹は大声を張り上げた。


「さあ、よってらっしゃい、みてらっしゃい!」


 キャラバンのいる広場は、大通りに面していてそれなりの人通りがある。忙しく行き来する買い物客のうち、何人かが安樹の声に足を止めた。


「さあて、お立ち会い。今ここに、いかにも頭の悪そうな男たちが三人。そのうちの一人が、まさに僕に襲いかからんとしています。かくいう僕はこの通り、中肉中背、武術の心得なんぞまったくありません。取り柄といえばこの愛らしい顔くらい!」


 立ち止まった人の間で、小さな笑いがおこった。


 洛陽一の盾作りを祖父に持つ安樹は、盾を作るだけでなく、街の市場で出来上がった盾を売る仕事も手伝っている。利発で弁の立つ安樹が市に出ると、もともとの物の良さもあって盾は飛ぶように売れた。


「何ほざいてやがる、ぶるって頭がおかしくなったのか?」


 突然の安樹の行動に呆気に取られるごろつきを無視して、安樹は集まった見物人にむかって話し続けた。


「でもそんな時、この盾があれば大丈夫! この盾は、なんと、あの有名な墨子の孫の、その孫の、そのまた孫に当たる洛陽一の盾作り、墨田常先生の作品でございます! この程度のチンピラには、かすり傷一つつけられません!」

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