第一話『絆』②

「また、タバコ吸ってる……。ダメだよ……」


 柔らかな声色に目を遣ると、腰まである黒髪を夜風に靡かせて、雅が立っている。

 雅は御代高校の制服を着ていた。

 雅は時折、御代高校の制服を着て一日を過ごす。それは、病気に対する『ささやかな抵抗』だという事を真琴は知っている。

 綺麗にアイロンがかけられたセーラー服を着て佇む姿は、気品に溢れ、とても病身とは思えない。だが、その身体は病魔に蝕まれ、刻一刻と命が削り取られているのだ。


「雅か……ウルサイな……」

「そんな事、言わないで。せっかく手術が成功したのに身体を壊したら意味無いでしょ」


 言いながら雅は真琴の横へ並んだ。

 雅は迷惑がる真琴を面白がっている様子だった。


「コレ、そんなにおいしいの?」


 細い指先が真琴の唇からタバコを奪った。


「ちょっと、雅!?」


 真琴が止める間も無く、タバコの先端が赤く燃える。


「ケホケホッッ!!」


 煙を吸い込んだ雅は激しくむせた。


「ホラ……。だから言ったのに……雅、アホじゃん」

「だって……」


 呆れる真琴に雅はタバコを返した。


「……不良」

「は?」

「真琴、不良。タバコなんて、どうやって手に入れたの?」

「それはヒミツ」


 いたずらっぽく言いいながら笑う真琴を見て、雅は少し口を膨らませた。


「ねえ、真琴。お見舞いの人が沢山来てたよ。真琴が病室に居ないから、みんな困ってた」

「……困らせとけばいいよ。あいつらは……別にわたしの見舞いに来た訳じゃない。父さんの機嫌を取りたいから、わたしの所に来ただけ。それに、学校の皆は……雅、アンタを見舞いに来たついでにわたしに声を掛けてるだけだよ」

「どうしてそんな卑屈に考えちゃうのかな……」


 雅は悲し気に言った。

 わたしには心の声が聞こえるからだよ!! と、答えそうになるのを真琴は堪えた。

 『心が読める』と言ったところで誰が信じるだろうか? いや、雅なら信じてくれるかもしれないが、雅の心配事を増やすだけだ。

 それに……。

 例え『読心』の能力が無くとも、真琴は大人たちの言葉を額面通りには受け取っていなかっただろう。

 真琴は大人たちに対して猜疑の目を向けていた。それは両親に対してもそうだ。

 真琴の両親は共にその出自に劣等感を抱いている。

 華族や貴族といった階級が隠然と残るこの倭帝国においては仕方のない事なのかもしれない。しかし、どんなに頑張ったって血筋や家柄は変えられないのだ。

 真琴の両親はその事実を財力で捻じ曲げようとしていた。

 実際。真琴を王侯貴族や財閥の子女が通う御代高校へと入学させた。そして、勉学だけではなく、音楽や舞踏といった素養を真琴に身につけさせようと、その師を自邸へと招いた。

 『お淑やかで従順』……両親の押し付ける『理想の娘』を真琴は全力で否定した。

 反発する様に真琴は髪を短くして乱暴な口調を使った。

 真琴は両親や環境に対する不満を不良を演じることで発散していた。

 しかし……。

 何の皮肉だろう。

 高校二年生となった時、今度は自分の身体が真琴に反発した……『後天性魔触症』になったのだ。真琴は自身の身体を呪い、絶望に打ちひしがれる中で雅と出会った。

 雅は高校一年生の夏休みに『後天性魔触症』を発症しており、真琴とは面識が無かった。それでも、同じ病魔と戦う戦友として二人はすぐに打ち解け合い、仲良くなった。

 それこそ、『病室』という狭い空間の中で、二人は双子の様に支え、励まし合って生きて来た。

 真琴も雅も、共に未来を断絶された筈だった。

 だが今は真琴だけ未来を約束されている。

 言いようの無い罪悪感で真琴は雅を直視出来なかった。


「真琴、これあげる」


 ふいに雅はポケットからキーホルダーを取り出して見せた。それは、天使の片羽をかたどったアクセサリーが付いたキーホルダーだった。


「え……」


 戸惑いながら真琴はキーホルダーと雅を交互に見た。


「ほら、わたしも持ってるんだ。お揃いだよ♪」


 雅はもう一つ、片羽のアクセサリーが付いたキーホルダーを取り出した。


 カチ。


 雅は二つの羽を合わせた。

 羽は根元で組み合う仕組みになっており、二つを合わせると天使が羽を広げている様に見える。


「二つは対になってるの。面白いでしょ? ……真琴、退院おめでとう」


 雅は再び羽を外すと、真琴に渡した。

 真琴が手のひらの上のキーホルダーを見ていると、雅の声が心に流れ込んできた。


──退院おめでとう。真琴が羽を持っててくれると……わたしも勇気が出る。


 それは『声』というよりは真琴を祝福するたおやかな『風』の様で、真琴の心を優しく包み込む。

 他者の声に辟易としていた真琴だが、雅の声は別だった。

 雅の声は心地良くさえあった。


「あ、ありがとう……。大切にするよ……」


 真琴はどこか気恥ずかしい気持ちになった。

 雅は相変わらず真っすぐに真琴を見つめている。

 真琴は持て余す沈黙を取り繕う様にタバコの火を消すと、携帯灰皿にしまった。


「あ、真琴……今、照れてるでしょ?」

「そんな事無いって!!」

「やっぱり照れてる」


 雅はクスクスと笑っている。

 つられて真琴も笑顔になった。


「……ねえ、真琴……」

「?」

「このまま一緒に夜明けを見たいって言ったら……一緒に見てくれる?」


 雅の声色には深刻が混ざっており、その顔は憂慮に沈んでいる。

 真琴は雅の手をそっと握った。


「一緒に見るよ」


 真琴は絡み合う指先に力を入れた。


「だけど……今日はそろそろ部屋に戻ろう。夜風に当たり過ぎると身体に悪いよ」

「うん……」


 真琴はそっと……それでいて強く雅の手を引いた。

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