第一話『絆』①

 真琴は飛び起きると辺りを見回した。

 そこは白い光が溢れる病院の一室。

 見慣れた空間に胸を撫で下ろし、真琴はようやくため息を漏らした。

 まだ、高所から飛び降りた恐怖は引かず、身体の芯が震えている。

 真琴は汗でピッタリとおでこに張り付いた前髪をそっと分けた。


「真琴? ……大丈夫?」


 向かい側のベッドから温和な声が聞こえてきた。

 視線を上げると、藤乃院雅(とうのいん みやび)が眉根を寄せている。

 雅は真琴と同じ御代

高校に通う二年生だった。

 そして、真琴と同じ後天性魔触症を患い、入院している。


 『後天性魔触症』

 それはこの大陸に住まう人々のみが発症する珍しい病だった。

 内臓が得体のしれない魔力に侵され、その魔力に耐え切れず腐食してしまう。

 魔導力学の応用で医学が発達した現在でも、治療と言えばその進行を遅らせる事くらいだった。

 特に十代の少年、少女が発症することが多い。

 完治する為には特別な手術を受けなければならないが、その手術には高額な費用が必要である。その為、手術を受けられるのは裕福な貴族や富豪の子女と相場が決まっていた。

 真琴の父親は貿易商で財を成した有力者である為、真琴は手術を受ける事ができたのだ。


「手術……。成功したってお医者さんが言ってたよ。良かったね真琴!!」

「う、うん……」


 真琴は素直に喜べないでいた。

 自分だけ助かったという呵責が胸中をよぎる。

 病室という狭い世界で、雅は真琴にとってたった一人の親友であり同じ病と戦う戦友だった。

 雅の父親は貴族であるが、名ばかりの没落貴族だ。雅は手術を受ける事が叶わない。


「退院したら高校に戻れるね」


 笑顔で雅が言った瞬間だった。

 真琴は声と重なる様にしてもう一つの雅の声を聴いた。


──わたしも高校に戻りたい。


 脳裏に流れ込む雅の声。

 その声に真琴は困惑した。

 真琴は慌てて雅を見ると、口を開いた。


「み、雅も高校に戻れるよ!!」

「? どうしたの?」


 雅はきょとんとした顔で聞いた。


「え……今、『高校に戻りたい』って、言ったろ……?」

「言ってないよ真琴。本当にどうしたの?」


 雅は不思議そうに真琴を見た。


「でも……真琴が羨ましいと思ったのは事実だよ……。わたしも学校に戻りたいなぁ」


 そう言うと雅は何かを思い出すように天井を仰ぎ見た。

 その顔はどこか、叶わぬ夢を見る少女の様であり、儚げだった。


×  ×  ×


 『後天性魔触症』の治療手術からしばらく経ち、退院を間近に控えたある日の夜。

 真琴は病院の屋上にある空中庭園に居た。

 張り巡らされたフェンスに寄りかかり、真琴は人工の光に溢れる街並みをぼんやりと見ている。

 都心の総合病院……巨大なビルの屋上に設けられた小さな空中庭園が17歳の少女にとってたった一つ、心の休まる場所だった。

 手術を終えてから、真琴を訪ねてくる人々が格段に増えた。

 親族や友人たち、そして父親である片桐直冬(かたぎり ただふゆ)の仕事関係者が見舞いにやってくるのだ。

 誰も彼もが『真琴の手術が成功した』と分かったとたん、思い出した様にやってくる。皆、真琴が心配で駆け付けたのでは無い。真琴の父親である直冬の機嫌を取りたくて訪れるのだ。その証拠に、誰もが「お父様に宜しくお伝え下さい」と言い残して去って行く。

 『仕方なく見舞いに来た』という口には出さない本音を、真琴は何度も聞いた。

 聞きたくて聞いた訳では無い。

 手術の後遺症なのかどうかは解らないが、真琴は他者の心中を読み取れる様になっていた。

 読心……。

 誰もが一度は憧れる能力だが、得てしまうとこれほど忌むべき能力は無いと気づかされる。

 親族、友人、他人……彼らの本音は真琴を傷つけ、苛立たせた。

 他人の本音など知らずにいた方が幸せだという事を真琴は痛いほど理解した。


──皆、「助かって良かったね」と言うけれど、それはわたしを思っての言葉じゃない。言葉の全てが欺瞞に汚染されていて反吐が出る。何もかもがクソだ。


 カチッ。

 ライターの乾いた着火音。

 真琴は煙草を深く吸い込むと、夜空へ向かって煙を吐き出した。


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