Nothing But Requiem 背眼の魔女
Nothing But Requiem
プロローグ『月下の金盞花』
身体に全く重力を感じない。
それどころか、風や音も感じず、静寂に包まれている。
まるで星の呪縛から解き放たれたかの様だ。
──ああ、これは夢だ……。
片桐真琴(かたぎり まこと)はそう思った。
ただ、視界だけは鮮明で、広がる景色に真琴は戸惑いを覚える。
見知らぬビルの屋上。
ライトアップされた樹々や石灯籠。そして、朝を待つ金盞花が群生していた。
ここはどこかの空中庭園だろうか。
青白く輝く巨大な月を背に、真琴はゆっくりと歩を進めていた。
その歩みは不確かで、覚束ない。
「真琴……」
ふと、自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
辺りを見回してみると、樹々の間に一人の少女が佇んでいる。
少女は真琴と同年代で、同じセーラー服を着ていた。セーラー服から覗く、白くて細い腕と脚。よく梳かされた腰まである長い髪が育ちの良さと気品を示している。
柔らかな眼差しと微笑みを湛えて、少女は真琴を見つめていた。
真琴は戸惑いを覚えた。
自身の名前を呼ぶこの少女の名前が思い当たらない。
そもそも、少女は急に現れたのだろうか? それとも、ずっとこの場所に居たのだろうか?
それすらも定かではなかった。
真琴の思考は霞がかかり、不明瞭だった。
ただ……。
遠い記憶の底。
心の奥底から『わたしはこの少女を知っている!!』と声が聞こえてくる。
「真琴……金盞花の伝説……覚えてる?」
少女は再び真琴に話しかけた。
その声はどこか親し気で、忘却の彼方にある感情を呼び覚ます。
「悠遠の昔。まだ人と神が共に暮らしていた頃。ある島に太陽神を心から尊敬していた少年が居ました。太陽神は少年の崇敬に応えて愛情を注ぐ様になった。太陽神と少年は互いに想い合い、幸せな日々を過ごした。でも……」
聞きいる内に、真琴は切なさで胸が締め付けられた。
自分にも大切な人と想い合う時間が有ったのだと気付かされる。
「二人の幸せを妬んだ雷雨の神が八日間もの間、雨雲で太陽を隠してしまった……。少年は太陽神と会えない日々に苦悩し、やがて恋焦がれて死んでしまう。九日目にやっと雲が晴れて太陽神が目にしたのは、変わり果てた少年の姿だった」
少女はその場にしゃがみ込み、そっと金盞花の花びらを撫でた。
それは金盞花を慈しむ様でたおやかな仕草だった。
「嘆き悲しんだ太陽神は変わらぬ愛の証に少年の亡骸を金盞花の花に変えた。だから、今も金盞花は太陽に向かって力強く咲く」
少女の話を聞き終えた真琴は心がざわつくのを感じた。
──わたしはこの物語を知っている……。でも……どこで……。
『わたしは大切な人とこの物語を共有した』と、そこまで思い出す事は出来ても、肝心の自分の傍らに立つ存在をどうしても思い出せない。
全身を支配するぼんやりとした感覚が、真琴の思考の邪魔をする。
真琴は眉根を寄せ、下唇を噛んだ。
「ねぇ、真琴……」
真琴の困惑を見て取った少女はその場に立ち上がった。
少女は真っすぐに真琴を見つめた。
「真琴はわたしにとって……ずっと太陽なんだよ」
力強い視線と声に真琴の潜在意識は激しく揺さぶられた。
雲間から光が差し込む様にだんだんと思考が鮮明になっていく。
今、真琴は少女の面影と名前をはっきりと思い出した。
「雅!!」
真琴は少女の……いや、唯一無二の親友の名前を叫んだ。
その時だった。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
突如、けたたましい女の嗤い声が静寂を切り裂いた。
驚き、声の主を探すと、『ソレ』は金盞花の花園の中心に日傘を差して立っていた。
黒のジャボにピンクと黒を基調としたジャンパースカート。そして高価そうな留め具や装飾が施されたショートブーツを履いている。
つば広の帽子からはカールした金髪があふれ出ていた。
夜だというのに日傘を差しているだけでも異様だが、最も目を引くのはその日傘や帽子に描かれた模様だった。
そこには神秘主義者が好みそうな紋様で『目』が描かれていた。描かれているだけでは無い……紋様の中心では本物の眼球がうごめいている。
異様な存在は真琴へと向かって歩き始めた。
歩みを進める度にその足元の金盞花が萎れ、枯れてゆく。
出で立ちから女だと想像できるが、真琴には禍々しい存在にしか思えない。
その存在は真琴まで数メートルの距離まで近付くとピタリと足を止めた。
思ったより背が低かったが、帽子を目深に被っている為にその表情の全てを窺い知る事は出来ない。
ケバケバしいショッキングピンクで縁取られた唇が妖しく歪んだ。
「太陽ねぇ……」
女は億劫そうに呟くと、右手を真琴に向ってかざした。
次の瞬間。
真琴の身体に金色に光り輝く紋様が浮かび上がった。
幾何学的な紋様はまるで蛇の様に真琴の身体を這い、呪縛する。
喉を締め付けられる息苦しさと絶望感が真琴を支配した。
真琴の思考は再びぼんやりとしたものとなった。
混濁する意識の中で、真琴は雅を見た。
雅は必死になって何かを言おうとしている。しかし、雅の首にも首輪の様に紋様が浮かび上がっており、叶わない様子だった。
「み……や……び……」
消え入りそうな声で親友の名を口にした後、真琴の双眸からは光が消えた。
──そう、これは夢だ……。
真琴は虚ろな表情で歩き出した。
今の真琴は意思を持たぬ操り人形そのものだ。
空中庭園の端までやって来ると、その細い指先をフェンスに絡めた。眼下には遠く車のライトの河が見える。
ガシャ。
フェンスの上に立つと真琴は両手を広げた。
セーラー服が風に靡き、その姿は飛び立つ風を待つ鳥を連想させる。
「慙愧に堪えぬ我が身ゆえ、大願成就の贄ならん」
呪文の様な言葉が真琴の口をついて出た。
後ろからは甲高い女の嗤い声が聞こえてくる。
嗤い声を背に真琴はフェンスを蹴った。
華奢な身体が宙を舞い、落ちる。
闇夜に揺らめいた身体は重力を取り戻し、グングンと加速する。
落下速度に合わせて、真琴の思考はその健全さを取り戻した。
体の芯を落下の恐怖が駆け抜ける。
「!! !! !! !! 」
まさに地面へと激突しようとした瞬間。
真琴の視界は真っ白な光で包まれた。
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