第111話 跋扈するは悪魔ばかり

 女王エストラーデは宮殿地区、政治犯用の地下牢に鎖で繋がれていた。フェンリルが"黒影隷呪"を掛けたイルフェルトや近衛騎士達の死体と共に、まるで屠畜場へ出荷される前の家畜の様に鉄格子の中へ詰め込まれていた。


 一切の闇、饐えた腐乱臭、蛆の這いずる音、掠れた呻き声。時折地上から響いてくる金属の激突音。それだけが今のエストラーデの世界の全てだった、魔神達と激しい戦闘に及びながら大した外傷は受けなかったのは不幸中の幸いだったが、しかし彼女の裡では計り知れぬ絶望と狂おしい憎悪がせめぎ合い、ただ呆然とすることしかできなかった。


 自分の死体に魂をねじ込まれ、その身が腐り、蛆に喰われていく感触を味わい続けている部下達、エストラーデはずっと傍で部下達のその無惨な有様を見つめている。


 せめて己の手で火葬してやる事ができれば或いは、これ以上の苦しみや魂への汚辱から解放してやれる。だが、虜囚となって手枷を嵌められた爆炎の女王にはただ見ている事しかできなかった。なんという、無力。


 魔神王は人間の憎悪を糧とする。分かっていてもこの悪魔の所業としか言えぬ仕打ち、フェンリルを憎まずには居られなかった。人智を越えた絶望と恐怖が、その憎しみと同じだけの質量を持って彼女の胃の中で存在を主張している。


 魔神王に、有りっ丈の無力感を叩き付けられた。加速度的に、エストラーデの心の中には真っ暗な影が広がっていく。怒りや憎しみ以外の感情を根こそぎ焼き払われたかのように、エストラーデは何も感じる事ができずにいた。


「……ヘイ……か……」


 掠れ切った吐息が腐臭と共に吐き出された、さぞ苦痛だろう。


「……」


 どす黒く濁り切った眼で、それでもエストラーデは、腐り蛆の餌になっていく部下達の姿を目に焼き付けていた。


*


「ハッハッハ!いい眺めだぜ、人間の街が燃えてるのは」


「ベリアル、油断しちゃ駄目。まだメイヴァーチルが健在よ」


「そうは言っても姉御、冒険者ギルドなんざ影も形も見えねえが……」


 航空偵察を命じられていたベリアルが空中で停止飛行した、地上を鳥瞰し冒険者ギルドの兆候と痕跡を探そうとした、まさにその時だった。

 見落としていた瓦礫の山から、マズルフラッシュが閃いた。それで、ほとんど車体を瓦礫に埋め隠していたことが分かった。


「ぐわッ!」


 大型の装甲戦闘車両と言えど、街中が瓦礫だらけになっているなら隠す事はそう難しくはない。銃というのは基本的に攻撃者側にとって圧倒的に有利な武器であり、待ち伏せしていればなおの事だ。

 

 ベリアルは飛来した銃弾に撃ち抜かれた。冒険者ギルドが接収したM2が発射する12.7×99mmの弾は下手なナイフ並の大きさだ。そんなもの雨霰と撃ち込まれれば、魔神ベリアルとて無事では済まない。


 M2による対空射撃は不意急襲的かつ精密で、執拗に連射された。十数発もの弾丸を受け、ベリアルは意識と飛行能力を失った。ベレトは被弾こそしなかったが、空中へ勢い良く放りだされた。


「ベリアル!?」


*


 メイヴァーチルは周到に用意し、謀略を重ね、この状況を作り出した。兵法によれば、戦いとは始まる前に8割方勝敗が決している。彼女はいつの日か人類を絶滅させることを夢見ながら、人間からも学んだ。

 エルフが滅んだ歴史から敗因を学んだ。時には人間の対立を煽り、魔法や武器、冒険者ギルドのしょうひんを売って血に塗れた金を儲けた。そしてどう戦局が動くのか、人間同士の殺し合いからより実践的に学んだ。


 彼女は良く知っていた、正義が勝つのではない。いつだって残虐で、狡猾で、力を持つ者が勝利する、勝者が紡いだ歴史、それが人間が真実だと思っているものの正体なのだと。


 近年、王国に暮らす大抵のエルフには、彼女の様な残虐で老獪な者はいない。大抵のエルフは人間に対して友好的な種族という事になっている。メイヴァーチルでさえ、見かけ上は人間に友好的だ。

 例えば冒険者ギルドで雇用され、受付を担当していたエルフのジナ。彼女は約300歳ほど、メイヴァーチルからすれば子供も同然。


 それは王国の同化政策によるもの。王国の市民は、エルマ人もエルフも、女神の下に等しく寵愛され平等だと学ぶ。そんな欺瞞も、女神それ自体ごと魔神王フェンリルに頭から丸齧りにされて砕け散った。


 メイヴァーチルは、その同化政策が行われる以前からの……この地に王国が建立する遥か以前からの生き残り。人類の欺瞞に満ちた政治を、闇に葬られた歴史を、女神の実態を、何もかも知っていた。王国の権力者達からすれば目障りで仕方のない存在である。


 それでも今日まで生き延びた、或いは従えた。或いは力で捻じ伏せた。或いは魔法的に消し去った。彼女と同じ時を生きたエルフ達が、今日に至るまでに消し去られて来たのと同じ様に。

 

 そんな彼女は、今や人類の支配者の座を魔神王と争わんとしている。


「こちらギルドマスター・メイヴァーチル。飛行する魔神2体を撃墜したよ。墜落地点近くの職員は急行して追撃、可能なら捕縛してね」


「了解です、マスター」


 冒険者ギルド"の"機動戦闘車両の銃座からメイヴァーチルが部下の職員達へ通信、指示する。その間も、ローゼンベルグはおっかなびっくりと警戒走行を続けた。M2も、装甲車も、異世界転生者が持ち込んだ兵器。メイヴァーチルが"接収"した。


 異世界の兵器と言えど、何度か運転する内にローゼンベルグもそれなりに操縦には慣れてきた、闇に包まれた市街地の中、警戒灯を点灯し、徐行以下の速度で魔神王が戦闘中の宮殿区へ近づいていく。

 ほぼ都市機能を破壊された夜の王都には、魔神帝国の攻撃によって炎上する瓦礫以外に明りはない。


 メイヴァーチルの指示を受けたギルドの戦闘員は、地下通路を使って王都の"奪還"へ動き始めている頃だ。彼等の目的は無論、魔神王含む4体の魔神の撃破。戦力で劣る冒険者ギルドにとって奇襲、分断は基本戦術といえる。


「やっちまった。やり合うんですね、魔神王と……」

 

 ローゼンベルグは、運転席からメイヴァーチルが何をしたのか、見てしまった。

 メイヴァーチルは魔神帝国との同盟をあっさりと破り、ベリアルとベレトを撃ち落としたのだ。


「あの悪魔野郎は消耗している、ボク達は無傷。今がチャンスだ」


 そう言ったメイヴァーチルは、これから地獄の釜の底へ向かうという様な表情だ。


「あの、ところで魔神王と一緒にいるこのデカい蜘蛛悪魔の方はどうするんですか?」


 フェンリルの対処はメイヴァーチルが担う事になっている。ベリアルとベレトは先程メイヴァーチルが撃墜し、付近の冒険者ギルドの支部長や、冒険者達が追撃、捕縛する事になったが、まだもう一体ほぼ無傷の魔神がいる。


「ボクがフェンリルを"飛ばす"まで、アスモデウスはキミと冒険者ギルドの皆に任せるよ」


 それは、ここまでほぼ順調に物事を運んだメイヴァーチルとしても苦渋の策だった。アスモデウスと戦えば、どうしても冒険者ギルドの被害は免れないだろう。自分がもう一人居ればこんな無茶をさせる必要はないのだが。


「……正直勝てる気がしませんが、やるだけやりますよ」


 ローゼンベルグもアスモデウスの魔神形態をギルドの映像魔法で確認していた。四体とも人間の手に負える様な相手ではないが、特にあの女悪魔はフェンリルに勝るとも劣らない化け物だと思った。


「相変わらず心配性だね、そんなキミにこれを渡しておこう」


「なんですこれ、古代エルフ語……?」


 メイヴァーチルが懐から取り出してローゼンベルグに手渡したのは、見慣れない文字が刻まれた、古ぼけた木の札だった。

 成金趣味のメイヴァーチルにはおよそ似つかわしくない代物だったが、ローゼンベルグは何かしら魔法的な力を感じた。それも、女神由来ではない、恐らくこれは今ではもう消え去った、精霊の加護が宿っている。


「精霊よ、メイリー・ケレブリル・ディネルースを護り給え……ってね。まだ子供だった頃、父さんに貰ったんだ」


 メイヴァーチルの紅い瞳が、珍しくもどこか遠い景色を映した。


「誰です?メイリー……って」


「ボクの本名だけど」


「メイヴァーチルってのは?」


「ペンネーム」


「……ボスにもそんな血が通った思い出があったとはね、形見なんて受け取れません。これはこの戦いが終わった後で返しますよ」


 ローゼンベルグは、世にも珍しいメイヴァーチルの厚意を有難く受け取ることにした。


「まあ、精々生き残れるよう尽力することだね」


 メイヴァーチルにしては気の利いた言葉だった。ローゼンベルグは少しだけ肩の荷が下りた様に思えた。

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