第107話 空中戦
フェンリルに蹂躙される王都宮殿区。メイヴァーチルは実に安らかな表情で見届けた、清々しい気持ちになった。
思えばこの王国で永い時間を過ごした。まだ、彼女がメイヴァーチルを名乗る前からだ。
魔法という力で他を駆逐し、領土を広げ、支配して来たエルマ人という人種は、同じく武力で侵略と拡大を図ったリサール人同様、それなりに優れた人種だったと言えるのかもしれない。
だが、それももう終わりだ。
メイヴァーチルは事実上の王国の終焉を王都郊外西側の地下壕からモニタリングしていたが、何一つ感慨深いものは浮かんでこなかった。魔神形態への変身による消耗、女神を喰らった事でフェンリルが弱体化した事の方が重要だ。
そもそもながら、大枚を投じた研究所で独自に魔法を開発できる彼女はもはや、女神に信仰を捧げる必要はない。神を否定した人類は、やがて神に成り替わることを考えるようになるものだ。
「サヨナラだ、エルマ」
メイヴァーチルは遥か古代にエルマ人達によって改宗され、女神を信仰することを強制されていたが、それも今日で終わり。彼女の冒険者ギルド、或いは魔神帝国が世界を支配する時が近づいている。
*
味方の竜騎兵隊は悉く撃ち落とされた。ただ一騎ばかりになったエストラーデ、しかし降伏する事はしなかった。絶望的な戦況の中、ベレトが騎乗するベリアルと王都上空で激しい空中戦を繰り広げている。
エストラーデの騎竜カーリアスは、高い飛行能力でベレトの重力魔術を躱す。躱し様、エストラーデはベレトが搭乗する巨体のベリアルを狙って一直線に蒼炎魔法を放つ。別段地上への空爆だけが取り柄ではない。
ベリアルも、蒼炎をまともに喰らうのは避けたい。あれを喰らって平気なツラをしていられるのは体力馬鹿のフェンリルか、炎熱魔術に長けたアスモデウスだけだ。
しかし魔力噴射を駆使した回避機動を行いながら、高い空中機動力で縦横無尽に空を舞うエストラーデに紫電魔術を叩き込むのは至難だった。たとえば、電磁砲を小型化するか、フェンリルの散弾砲を借りていれば話は別だったろうが。
そうこうする間に、ベレトがガス欠を起こしつつある。ベリアルはまだまだ健在だが、迂闊に手を出せば蒼炎のカウンターを狙ってくるエストラーデ相手では、今一つ攻め手に欠けた。
そこへ、示し合わせた様に地上からフェンリルとアスモデウスがそれぞれ暗黒槍と
隙ありだ、ベリアルが接近して
「チッ!そろそろ死ねよ、ニンゲン」
ベリアルは、翼の挙動と魔力噴射で自身が加速した運動エネルギーを相殺し、エストラーデとカーリアスの方を向き直った。苛立ちと共に紫電が大気を迸る。
「死ぬのは貴様等だ」
エストラーデと黒竜カーリアスも空中で機敏に向き直った、もはや多勢に無勢。どちらも疲弊の色が見て取れる。
「ベリアル。次で仕留めるわよ」
「合点だ、姉御!」
ベレトが重力魔術を発動させ、ベリアルは紫電を纏い、加速して突っ込んだ。
「
エストラーデは途端に高度を上げ、突貫したベリアルの頭上を取って真下に蒼炎を撃ち下ろす。かなりの高度な空中戦術。空中戦においては、エストラーデがベリアルよりも一枚上手だと言う他ない。
「くそ!危ねえ!」
ベリアルは蒼炎を受けることは無かったが、一瞬ばかりエストラーデを見失った。
「あの爆発女、何処いきやがった!?」
空を見上げたフェンリルの記憶にノイズが走った。
如何に竜騎兵隊の空爆とて、一個都市を焼き尽くす程の火力はない。では何故、あれ程繁栄を誇った帝都は、燃え盛る瓦礫の山に、死霊と魔物が跋扈する帝都跡地に変貌したのか。
答えはこの空中でのマグマスピリットの召喚、その地面への着弾による爆風と熱線で焼き尽くされたからだ。
「自国でマグマスピリット墜としか、血迷ったなエストラーデ」
しかし未だにフェンリルは、地上で腕を組んで嘲笑っていた。
「
フェンリルに並んだアスモデウス、まだ人の姿のままだが、膨大な魔力を出力して超圧縮し、エストラーデに炎熱線による狙撃を試みた。
「
地上からの支援にベリアルも続く。
フェンリルから渡されていた球体状の
「
エストラーデはまこと器用な事に左手のみで蒼炎魔法を発動させた。アスモデウスの熱線は防げぬと見て躱し、ベリアルの投げ付けた鎧を焼き尽くして防御した。その間にもマグマ・スピリットの召喚詠唱を続行している。
「私、魔神形態になってもいいかしら?」
「それじゃここも帝都の二の舞になるだろうが、俺が片付ける」
大剣マスティフを肩に担いだフェンリルは、一度マスティフを顔の亀裂から体内に仕舞い込んだ。
さっさと出て来やがれメイヴァーチル。見てるだけじゃ祭りは楽しめねェぞ。
フェンリルはそんなことを思った。膨大な暗黒の魔力が迸る。
「
窮鼠猫噛む。窮した竜ことエストラーデは、黒狼率いる魔神帝国へ向け、道連れ覚悟で巨大な
フェンリルは、顔の亀裂からマスティフだったモノを引き摺り出した。どす黒い魔力に包まれた、再度錬成された巨大な大剣を両手で振り翳す。
「
魔神王たるフェンリルが放った
*
カーリアスはまこと忠実なことに、主人であるエストラーデを庇って激突の衝撃を受けた。骨の何本かイカれただろう。
そこへ悠然と近付いてくる魔神王と色欲の悪魔。カーリアスは、残った力を振り絞ってフェンリルに頭から噛み付いた。
「てめェに用はねェよ、トカゲ野郎」
フェンリルはカーリアスの牙をへし折りながら頭から投げ飛ばし、大剣を右手に構えた。
黒狼災禍を放ってまるごと消し飛ばそうとしたのだが、ただ思い切り大剣で斬り付けただけに留まった。
「チッ、魔術を使い過ぎた。アスモデウス、トドメを刺せ」
「はぁい、下がってくださいねー」
「やめろ、やめてくれ!カーリアスッッ!」
エストラーデは火炎魔法を発動させ、アスモデウスを阻止しようとしたがもう遅過ぎた。カーリアスと目があったのは一瞬だけだった。
アスモデウスの
一撃だ。黒竜カーリアスは頭から消し飛び、身体の大部分が炭化した。異様な臭いが立ち込める。
「ハハハ!ウハハハハ!先日、俺の提示した条件は女神と裏切り者の首だけだった。それがどうだ?お前の選択で
「うッあ、がァあッッ……!」
フェンリルはエストラーデの首を掴んで持ち上げた。エストラーデは身体強化魔法を使ってまで抵抗したが、万力の様な力にびくともしなかった。
「だが安心しろ、俺は人類や環境に優しい魔神王を心掛けている。血迷ったお前がここら一帯を消し飛ばすのを止めてやったのだ」
フェンリルは本気とも冗談とも取れぬ口調で言った。その気になればエストラーデの頚椎を容易く捩じ切れる状態だ。
「かっ、は……こ、殺、せ……」
エストラーデは酸欠を起こしながら言葉を絞り出す。
「滅多な事を言うンじゃねェよ、女王陛下。自殺とか絶対駄目だろが」
フェンリルの顔の亀裂から、まるで死にかけの豚でも見る様な目が
惰弱な家畜を見下す目だ。屠殺されるのは可哀想、でもお肉は美味しいから仕方がない、差し詰めそんなところだ。
「私を、愚弄するつもりか……!」
「愚弄ではなく正当な評価だ。お前は王の器ではなく、故に殺す価値も無い。実に退屈だよ、お前は……」
言いながら、フェンリルは左手で地面に叩き付けられて死んだ王国竜騎兵の屍から魂魄を吸い取った。巨大なマグマスピリットを叩き斬り、異次元空間送りにする程の破壊力の
「退屈凌ぎに聞かせてやろう。3年前のあの日、帝都でお前が帝国軍ごと焼き殺したエーリカは、最期までお前が助けに来ると信じて死んで逝ったぞ」
「な……にを……」
「コイツ等もそうだ、お前が死なせた」
エストラーデは当初それが誰なのか、見ただけで分からなかった。やがてすぐに理解できた。
「ぎ……ぁ……」
「……陛……ガ……」
"
「おまえ、たち……うあ、あ、ああああァああッッ!!」
とうとう、エストラーデは絶望に濁った嗚咽を溢した。
「貴様はすぐには殺さん。その絶望を掻き抱いて生き永らえるがいい、ハァハハハハッ!」
この為だけに、フェンリルはイルフェルト達王国近衛騎士の魂を踏み躙ったのだ。わざわざそれを、エストラーデを生け捕りにして見せ付けるという処遇。
「相変わらず意地悪ねぇ」
アスモデウスは生前のカゼルをよく知っている。
「いやいや、さすが魔神王だと思うぜ俺は」
ベリアルもそうだ、魔神王の悪辣ぶりを見て彼も魔力を取り戻した。
「愛はないのかしら……」
一方、ベレトは相変わらず補給に苦しんだ。
目標を一つ果たしたフェンリルの狂った様な高笑いが、瓦礫と屍の山となった王都にこだまする。
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