第106話 神を喰らう獣
ベリアルを主軸に、王都への電磁砲による砲撃が始まった。いつだって、有能な配下の存在が王の支配を断固たるものにする。
慣れた手順でベリアルは電磁砲のジェネレータに電力を注ぎ、フェンリルが創り出した暗黒槍を発射した。
放たれた砲弾は王都の外壁をごっそり抉り取り、守備する王国軍の頼みの魔法結界を貫通し、王都宮殿地区にある女神の神殿に突き刺さり、派手に爆炎を上げた。アスモデウスの炎熱魔術が付与されていたからだ。
ベリアルの手動照準は見事なもので、最も奇襲性の高い初弾を女神の本殿を叩き込んだが、今のところ王都を守護する結界が解除された気配は見せない。ということは、女神はまだ存命だ。
フェンリルは自らの手で抹殺することを決意する、今の彼が是が非でも抹殺することを企てているのは、女神エルマと戦神ルセイルぐらいだ。
しかしベリアルが次弾を装填している間に、砲撃によって破壊された結界は張り直されている。これで突破出来ない、いたちごっこだ。
ベリアルは速やかに再び
次弾の発射が早いか、夜空に黒い影が舞う。位置が露見した事で、エストラーデ率いる王国竜騎兵隊の残存部隊が飛び出してきた。
これは予測された事態、備えていたアスモデウスとフェンリルが地上から応戦し、撃ち落とそうとするもエストラーデが指揮する王国竜騎兵はやはり高高度まで逃れ、魔神帝国側の地対空攻撃の射程外を飛んだ。
そしてフェンリルとアスモデウスを全く無視して、ベリアルと電磁砲を狙う。
狙われたベリアルは砲台から飛び出して難を逃れたが、空から撃ち下ろす爆炎魔法が幾つも直撃し、頼みの電磁砲が爆発炎上した。
「俺様の電磁砲が……!」
ベリアルは愕然とした声を上げる。
「まァ、狙われるのは承知の上だった。ベリアル、ベレト。エストラーデの相手は任せたぞ」
「……俺様が八つ裂きにしてやるよ」
ベリアルは声に怒りを滲ませ翼を広げた、身体に紫電を纏わせ始める。
ベレトは、そのベリアルにちょこんと乗っかって手を挙げた。
「お任せください」
「頼んだぞ」
*
「作戦通り、こちらもいくぞ」
「りょうかいよぉ」
ベレトを乗せて飛び立ったベリアルを見送り、フェンリルは爆発炎上する電磁砲の残骸の傍らで魔神形態への変身を試みる、アスモデウスはその余波に備えて大きく距離を取った。
「"
フェンリルの鎧が全て弾け飛んだ。
目玉の浮かぶ暗黒の魔力の圧縮体が、すぐさま魔神王のあるべき姿を象っていく。
魔神王は有り余る自身の力を自作の魔力合金の黒鎧に押し留める事で、辛うじて人間だった時と同程度の大男のサイズに収まっていた、その枷を外した今、見上げる様な巨大な狼の姿になった。
闇夜に黒い狼の六つ目が紅く光る。
両前脚には、かつてのカゼルと同じタトゥーの紋様が輝いており、血が幾重にもこびり付いたことで黒々と染まったような全身の毛皮はどす黒い業火を帯びていた。見るからに強靭な尾が、まるで鞭のように靭やかに揺れながらその黒い炎を撒き散らす。
かつてカゼルの精神にだけ棲んでいた憎悪の化身は遂に現実にその姿を現した。
これでもまだ完全体ではない、魔神としての継戦能力を得る為と地上への顕現を安定化させる為、リサール人カゼルの魂を半分程残しているためだ。
同時に月を闇が包んだ、フェンリルの魔神形態移行の余波による月蝕だ。この世の終わりの様な、赤とも紫とも呼べぬ色に満月は禍々しく染まる。
地上の大半が闇に覆われた、"影渡り"によって影と一体化して移動できるフェンリル、これが何をもたらすかは語るに及ばずだ。
吹き荒ぶ鬼哭の風はあの
にわかに雷雨が降り注ぎ始めた。それらは王都郊外森林の木々を薙ぎ倒し、炎で包む。
フェンリルが踏み締めた大地は悲鳴を上げていた、そこへ血の河がこれから流れる事はもはや明らかだ。
それらの天変地異よりもなお轟く、フェンリルの咆哮。その天に挑むが如く遠吠えに王都を包む結界が、この世界が軋みをあげた。
結界の内に居た王国軍達は、辛うじて耐える事が出来た。結界の外に陣取った王国軍の兵士達は一様に顔中の穴から体液という体液が逆流して倒れて痙攣すら許されなかった、即死で間違いない。
「ベリアルよ、我が
フェンリルは大口を開き、口から凄まじい圧縮魔力の奔流、"
人型の時でも大概この世界を破壊する技だが、それとは桁違いに、まったくこの世界が引き裂かれ、とこしえの闇に沈む様だった、結界を破壊するなどそのついでだ。
*
「陛下!あれを!」
「なんなんだ!?あの化け物は……!」
「落ち着け、奴はここまでは上がって来れん!」
アレが現れた以上、エストラーデに手は一つしかない。
空中でマグマ・スピリットを召喚し、地面に叩き落とす。
かつて、竜騎兵がどれだけしつこく空から火炎魔法を撃ち下ろしたと言っても、それだけで一個都市、つまり帝都を焼き尽くすには程遠い。エストラーデは空中にマグマ・スピリットを召喚し、それを自由落下させた時の爆風と炎熱で帝都を完全に破壊し、焼き払ったのだ。
「オウ、てめえ等はこのベリアル様と」
「愛の悪魔、ベレトがお相手するわ」
しかし、ベリアルに空中戦を挑まれては詠唱もままならなかった。
「頭が高いわよ、貴女達。我らが王に平伏しなさい」
「
ベリアルは空中での姿勢制御に努めた。
ベレトの重力魔術の効果範囲に掠りでもすれば、自分達も地面に真っ逆さまだ。
ベレトが王都上空に発生させた重力が増した領域から逃れる事が出来なかった騎竜から、飛ぶこともままならず、大地に求愛された様に急降下し始めた。下は魔神形態になったフェンリルが闊歩する地獄だ。
それが愛の悪魔の為せる業だ。
*
王都を闊歩するフェンリルは地鳴りの様に唸る。
その響きだけで、地上で迎撃を試みていた王国軍の兵士達は恐怖で身体が麻痺してしまった。蛇に睨まれた蛙ならぬ、狼の悪魔に睨まれた人間。
フェンリルは兵士達に見向きもしなかった、しかし踏み潰して身体に血が付くのは嫌ったらしい、道を塞ぐ兵士を器用に前脚で弾き飛ばす。肉弾が幾つもの木造家屋をブチ抜いて赤く染めた。
「今回はちゃんと魔神形態が安定しているわね、魔神王様」
フェンリルの魔神形態に追随、というよりその背に乗っかって煙管を燻らせているアスモデウス。
「ああ、まともに顕現したのは久方振りだ。やはり娑婆の空気は美味い」
鎧の姿、狼の姿、どちらも同じ魔神王フェンリルなのだが、語調がやや人型の時とは異なっていた。
「あら、ワンちゃんになってる。前から疑問に思っていたけど、それはどういう仕組みなの?」
「主として魔神形態は我、人間形態は
「へえ……」
砲撃を受けて跡形もない神殿の残骸を、前脚で掘り返すフェンリル。
フェンリルは、砲撃や黒狼災禍で瓦礫に埋もれていた女神エルマの腕を咥えて引き摺り出した。
「呆気ないな、女神エルマ」
「う……」
在りし日ならいざ知らず、弱体化しきっているのは女神も同じ。
「我は寛大だ。この世界の
「断るに、決まってるでしょう!」
「ならば死ぬがいい」
見上げる様なフェンリルの巨体が足音一つ立てずに消えた。その敏捷性、動きの速さは下手をすると鎧を纏っていた時を上回るかもしれない。
巨体がそれ程の速度で移動すれば、衝撃波が生じる。宮殿地区の政府関連施設が弾け飛び、残骸が王国軍達へ降り注いだ。フェンリルから飛び降りたアスモデウスは熱線で防御した。
瞬く間にフェンリルは、女神エルマの頭に齧り付いた。重苦しく鳴った音が一撃で頭蓋を噛み砕いた事を告げる。
鎧姿の時よりも遥かに勢いと威力を増した
女神エルマの凄絶な断末魔を上塗りするのは骨を噛み砕く音、肉が引き千切られる音、飛び散る血飛沫。神が死ぬ音はさして人と変わらなかった。
魔神王が奏でる死の音色、王国軍の兵士達にもはや為す術も無かった。魔神王の放つ邪気を間近で浴び、限界を越えた恐怖、生きたまま喰われる女神の無惨な姿という理解を越えた光景。
彼等の精神は、慈悲深い事に彼等に発狂という処置を施し始めた。
「ベレちゃーん、女神様がご臨終」
「なむ」
フェンリルはわふ、と軽く鳴いてご機嫌に尻尾をばた付かせた。一撃毎に地面が抉れ、地震の様に大地が揺れ、王都宮殿区の建物が倒壊している。
*
必要以上の破壊は目的ではなかったが、フェンリルが魔神形態になって少し歩いたり、走ったり、女神に飛び掛かったりしただけでもう既に王都宮殿地区が跡形もない。
「……上手く行ったらしいな、どうだった?」
人型の姿に戻ったフェンリルに、魔神形態だった時の記憶はほとんど残っていなかった。
「ワンちゃんが頭からばりばり食べちゃったわ」
「洒落になってねェぞ、
「消化が悪いのは確かでしょうけど、しばらく経てば平気な筈よ」
人型に戻ったフェンリルは今までのどんな時よりも、疲労の色を滲ませた。
地上での継戦能力を重視した弊害として、魔神形態への変身は魔力の消費が激しい。神をも屠る力は絶大である為、相応の代償だ。
その上、魔神形態の拘束具として魔力合金の外骨格を再生しなくてはならない。その代わり、普段の人型の鎧形態でも十二分な戦闘能力を保持している。
「あとは任せてくれてもいいのよ、魔神王様」
「幾らお前でも、一人でメイヴァーチルとマーリアを相手にするのは荷が重かろう」
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