第104話 インペリアル・デーモンズ

 南進するフェンリルが率いる魔神帝国軍。戦力的脅威度の順に並べれば、今のところフェンリル、アスモデウス、ベリアル、ベレトの順になろうか。


 彼等は王国領の北方都市を瞬く間に制圧すると、躊躇なく王国軍残党や市民の虐殺を実行した。さながら、ぶら下がった肉に喰らい付く狼の如くだ。人口削減および、魂魄の吸収を目的とした魔神の補給活動しょくじの一環である。


 フェンリルの語る人類の完全支配、並びに人類の家畜化。

 それが実現した暁にはこの様に、魔神デーモンの都合で人類が屠殺される世が実現するということになる。


*

 

 ジェイムズが王国軍の最高司令官であるエストラーデから賜った命令は、スラーナとの国境を越えた先、王国北部防衛線の死守だった。


 相手は魔神王、まさに死ねと言われている様なものだ。

 帝国を裏切ったジェイムズに最早信ずる者はない、敵からも味方からも死を望まれていた。


 もう何度目になるだろうか、魔神王の到来を告げる。

 魔神王の"影渡り"の音だ、まるで鼓膜に直接泥を塗り付けられた様な、得体の知れない魔物が闇の中を這いずる様な悍ましい音。

 生き残った王国軍の兵士達、最早この音だけで恐慌状態に陥った。


 


 不意に、ジェイムズはフェンリルと目が合った。

 戦術の最高到達地点とは、分かっていても物理的に対処できない、そういうものだろう。

 たとえばこのフェンリルの影渡り、御丁寧に魔神王は、他のあらゆる攻撃に意識を逸らせた挙句、不意にこの影渡りによる奇襲攻撃を行う。


 ルセイルは、戦の神。リサール人にとっての神。

 ジェイムズの眼前に立って居るのは、伝え聞いたルセイルの姿さえ霞む様な……

 闘争そのものが姿形をとった様な、異形にしてどこか荘厳な悪魔の姿。


 嗤い声が聞こえた様な気がした。


 その数多の眼光が、帝国を裏切ったジェイムズの道連れを望んでいた。

 咄嗟に大剣で斬り掛かったジェイムズ、その刃をフェンリルの左の拳が容易く打ち砕いた。


「用意してやったぞ、"オジキ"。貴様に相応しい末路をなァ……!」


「塵芥も残さず消え失せるがいい!」


 魔神王が担いだ右手の大剣を振り被る。

 その一撃はどす黒い稲妻を伴って、人類に神罰を物語る。

 ジェイムズに最早為す術は無かった。


 魔神王の"雷電災禍"。黒い雷を纏った大剣の打ち下ろしと、神の怒りの如く天から降り注いだ稲妻が同時にジェイムズを襲った。


 イルフェルトとの遊戯たたかいを経て、見様見真似で魔力を電気に変換してみたという技だ。そのどす黒い闇の魔力をそのまま出力するより、電熱に変えて焼き殺した方が効率が良いと学んだのだ。


「うがァあああァッッ!!!」


 迸る電流、炭化した肉の焦げる臭い、ジェイムズの全身を灼熱感が満たす。

 50年以上生きたジェイムズの今までの人生は苦もあれば楽もあった、それがただ一色の苦痛で染め上げられる。


 その肉が、その血が、その骨と同じ真っ白になるまで、フェンリルの放った稲妻はジェイムズを焼き続けた。


*


「お、人間共だ。喰っちまうか」


「あまり殺し過ぎるなよ?ベリアル」


「……いや待て、あの印は冒険者ギルドだ」


「あんだと?」


 フェンリルの眼が映し出したのは、冒険者ギルドの象徴マークである白地に黒で塗られた剣と金槌。これは戦いと労働を意味するものだ。

 冒険者ギルドを敵に回した時にこの旗は赤くなる、あの女狐メイヴァーチルは自慢げにそう言っていた。


 魔神王としては、仕掛けてくるなら"同盟"の冒険者ギルドとて容赦はしない。

 だが、明確な敵対行動とも取れぬ微妙なラインにやや戸惑った。


「……メイヴァーチル。冒険者ギルドの連中が住民を避難させ、負傷者を避難させているが、アレは何の真似だ?」


 直ちにメイヴァーチルとの魔力通信を開いた、あちらに手渡しているモニュメントから通話が可能である。


 王国政府が、ではない。冒険者ギルドが行政機能を発揮し、住民を避難させているのを見てフェンリルはやや驚いた。

 最早エストラーデはそれどころではない、王国政府はほぼ瓦解状態に等しいということだ。これは予想より速い展開である。


「人道支援の真似事だよ。我々冒険者ギルドとしては、非戦闘員への被害は看過できないからねえ、フフフフ……」


 不敵に笑うメイヴァーチル。


「フン、要するに市民の支持稼ぎか。どのみち貴様がやるのは軍事独裁だろう?」


 金を稼ぐのと支持を稼ぐのは似て非なるが、そうやって有効利用してくれなくては、魔神帝国としても無駄骨だ。


「さァ、それはどうかな。ボクは愛と自由、平和をこよなく愛しているからね」


 彼女の語る愛と自由、平和とは飽くまでエルフ族の、という前置きが付く。

 しかしエルフなど最早、人類社会からの虐待、搾取、そして民族浄化によって殆どが淘汰されている。


 フェンリルの記憶でメイヴァーチル以外に見たエルフは、王国市街で冒険者ギルドの受付をしていたジナが最後だ。


 この世界に適応したエルフこそメイヴァーチル、そうでないエルフは姿を消した。彼女のその言葉は、ほとんど意味を為していない。


「ハハハハ!そんなモンがこの下らねェ世界の何処にあるってんだ?」


 面白い冗談を聞いたように、フェンリルはメイヴァーチルの言葉を嘲り笑う。


「さあね……少なくとも、もう戻らない家族を悼む気持ちってのは人間ムシケラの愛ゆえなんじゃないかな?」


 いつになく、メイヴァーチルの言葉は彼女の生きた人生に等しく、意味深な響きを伴った。


「……何の話だ。次は"メイヴァーチル教"でも創設しようってのか?」


 混ぜ返すフェンリル、メイヴァーチル教という話はまさにメイヴァーチルの心理を良く捉えたものであった。


 人間をムシケラと呼んで憚らない彼女だが、正真正銘の人間嫌いならどこか人里離れて暮らすだけの財力もあった筈だ、なのに彼女は永きに渡って人間の社会の中で、冒険者ギルドという帝国の帝王とも呼べるような地位に居座り続けている。


 それは何故か?そうする事で、暗に彼女はエルフという種族の存続と、人類への優位性を示し続けている。


 エルフである自分自身が、人間社会の上位に存在し続ける事が、人類への"復讐"という訳だ。

 かつて物理的な破壊と殺戮による復讐に打って出た故カゼルとは違い、彼女の復讐は1200年分の周到さと執念が篭っているとも言える。


 フェンリルの台頭は冒険者ギルドの発展を促した、そして、メイヴァーチルの人類への搾取、或いは"経済的復讐"は強固になった。

 "憎悪の悪魔"として、彼女の人類への飽くなき憎悪を、その怒りを、妄執とでも言える執念を叶えてやる為には何をしてやれるだろうか。


 メイヴァーチルによる支配を、今以上に強固にするとしたら、宗教か、科学か。

 例えば、現存する女神エルマを物理的に排除し、自らを神格化する。よくある手口だ。丁度、お互いの利害も合致している。


「それも悪くないねえ……まぁすぐに分かるよ、フェンリル。いいや。カゼル・ライファン・ブランフォード"だった"男とでも言っておこうか」


 フェンリルの読み通り、満更でもなさそうなメイヴァーチル。

 だが、言葉尻にはどうしようもない程の毒を含ませて通信を断った。


「で、喰ってもいいのか?魔神王」


 律儀に魔神王の話が終わるのを待っていたベリアル。


「……ギルドの人道支援だとよ、見送りだ」


「ちっ、人道支援と来たか……とんだギルドが居たもんだなァ、アスモデウス?」


「そうねえ。私も早くメイちゃんに会いたいわぁ」


 娼館にいた時とは違い、既にアスモデウスは攻撃的な熱気を漂わせ始めていた。

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