第96話 メイヴァーチルの北部視察

「……来たな」


 気配を察知し、フェンリルはやや急いだ様子で紫煙を燻らせる葉巻を握り潰し、黒い外骨格を纏う。


「エストラーデか?」


「いや、エストラーデの方がマシな奴だ」


「噂のギルドマスターか?どんなモンか拝んでやるとするか」


*


 次元魔法によってメイヴァーチルが北部、スラーナの首都跡地に姿を現した。

 フェンリルは瓦礫に腰かけたまま、彼女を出迎える。


「……ッ」


 ベリアルはメイヴァーチルが放つ闘気に毛皮が逆立った。千年以上近く昔の話、このエルフに目を付けたアスモデウスは流石と言うほかない。

 いったい何がこの女をそうさせるのか。ベリアルは知る由も無かったが、メイヴァーチルが"生身で"魔神デーモン同等の戦闘能力を持っている事がありありと伝わった。そこらの人間がおいそれと手出しできないのも当然と言える。


「お前がメイ公か。お初にお目にかかる」


 だが慇懃に、ベリアルはメイヴァーチルにファーストコンタクトを図る。


「初めましてだね、ボクはメイヴァーチル。キミのお名前はなんていうのかな?」


 メイヴァーチルも気安くそれに応じた。


「俺様は魔神帝国のベリアルだ。お前の事は大将やアスモデウスから良く聞いてるぜ」


「ベリアル、か。よしなに頼むよ。アスモデウスのやつはいないのかい」


 ぼふ、とメイヴァーチルは飼い犬にでもする様に、ベリアルの頭部に手を置いて撫でた。当然、ベリアルは無性に気に障ったが、魔神王の顔を立てて敢えて黙っておいてやることにした。なかなかどうして魔神デーモンが出来ているものだ。


「フン、次会ったらお前に"貸した"魔力を根こそぎ取り立ててやる……と言っていたぞ」


 フェンリルは嫌味たらしくそういった。


「フフフ『そっちこそあすもん商会の利益を根こそぎ引き剥がしてやる』と伝えておいてくれ」


「自分で伝えるんだな」


 そう言ってからフェンリルとベリアルは安堵するようにお互い顔を向け合った、魔神帝国の作戦としては間一髪成功、と言ったところ。


 ベリアルが"電磁砲さいしんへいき"を投入し、迅速に北部要塞を陥落せしめていなければ、メイヴァーチルも痺れを切らして北部に武力介入してきたことだろう。恐らく今日現れたのはその下見がてらだ。


 メイヴァーチルの冒険者ギルドが総力を上げて王国軍を支援する。思い付く限りでも、彼女の個人的な対フェンリルの研究や、独自開発した数々の魔法を王国軍に提供するとなると、少々厄介である。それはそれで想定した事態でもあるが。


 気さくに挨拶や軽口など交わしてはいるが、万が一ここでフェンリルとベリアルが弱みを見せていれば襲い掛かって来てもおかしくはない。メイヴァーチルはそういうエルフだ。だからフェンリルも気に入り、対等に扱っている。


「流石だね魔神王、もう制圧したのかい。エストラーデも介入したと聞いているが」


「本人は仕留め損ねたが、竜騎兵は二十騎程落とした……その方がお前にとっても好都合だろう?」


「そりゃあ世界の軍事力が削減されるのは、ギルドとしては有難い話さ。ついでに、ブランフォード軍や王国近衛騎士も叩いて欲しいものだね」


「"協定を果たす限り、互いの自由を尊重する"……そういう同盟だった筈だ、メイヴァーチル」


「フフ……それは失礼したね、魔神王」


*


「本題に入ろうか。北部を占領した後どうしてるんだい、スラーナ人は皆殺しにしたのかな?」


「それでは"人類の完全支配"からは遠ざかる……差し当たり解放したスラーナ人に自治を認めているが、水源の生産効率を上げる為には一刻も早い連中の復興が必要だ。お前からも支援しろ」


 フェンリルが魔神として人間を統治するのは非常に困難だ。だからメイヴァーチルと手を組んだり、ツヴィーテを連れて来るなどしている。

 フェンリルが欲しいのは、スラーナ人を解放する為ツヴィーテと"謎の傭兵"が戦い、メイヴァーチルの冒険者ギルドから支援を取り付けた。という公への建前だ。


人間ムシケラを支援するなんて虫唾が走るが……まあ、いいだろう。で、誰がここの代表だい」


 メイヴァーチルも馬鹿ではない、賢い者は感情に支配されない。理屈では分かっている。そう、理屈では。


 王国駐屯軍が北部を占領して絶滅政策を敷いていても、何の利益も産み出さない。

 それよりはこの過酷な地に適応したスラーナ人達に自治を認め、復興や開発を支援し、いずれは取引を行う。それはとても人道的で商売としては間違ってはいないだろう。


 メイヴァーチルも理屈では分かっている、だが根本的に人間が嫌いなのだ。


北部ここの代表はコイツだ」


「……しばらくだな、メイヴァーチル」


 慇懃に挨拶の言葉を口にしたツヴィーテ、今にもメイヴァーチルに斬り掛かりそうな雰囲気だ。


「おぉー、ツヴィーテ君じゃないか。久し振りだね」


 苦々しい顔をしていたメイヴァーチルだが、その表情がやや晴れた。


「おいフェンリル、この女がどういう奴か分かってるのか?」


「ボクは強くて可愛いエルフのメイ……」



「性格の捻じ曲がったどうしようもないクズだが」


「……おい」


 メイヴァーチルは遮ったフェンリルにローキックを放つ。

 ごぎん、と恐ろしい音が鳴り、あのフェンリルが若干体勢を崩した。恐ろしい蹴りである。


「だがなツヴィーテ。非常に残念な事に、スラーナ人に自治権を認めそうな"人類"はエルフのコイツだけだ」


 エストラーデは絶滅政策。バルラドは帝国同様、植民地政策。メイヴァーチルは個人的な思想はどうあれ、冒険者ギルドの利益を追求する。

 メイヴァーチルは良くも悪くも人種で政策を決定する、という事はない。人間に対する彼女の判断基準は、使える人間ムシケラか使えない人間ムシケラか、だけだ。


「……」


「それとも、"また"スラーナ人だけで統治できるか試してみるか。次はバルラドあたりが来ると俺は踏んでいるがな」


「……」


 ツヴィーテは押し黙る。

 メイヴァーチルは仇敵と言っていい存在だが、ここに来て彼は個人的な恨みよりもスラーナ人の公益を取った。


「メイヴァーチル、貴様の手を借りるなど心底気に入らねえが」


「うん」


「駐屯軍が何もかもブチ壊し、大勢が殺された。正直藁にも縋りたいのが北部ここの現状だ」


「ならば大船に乗ったつもりでいたまえ、ムシケ……故郷を取り戻した勇士たちよ。このボクが冒険者ギルドとして大規模な支援を約束しよう」


 深刻な言い間違えをしたが、メイヴァーチルはふん、と鼻を鳴らした。


「……」


 一先ずフェンリル経由でメイヴァーチルの協力は取り付けたが、ツヴィーテは最後まで怪訝そうな表情を改めなかった。


「これで当初の協定通り、冒険者ギルドの配給品目に清潔で安全な水が増える訳だ」


 フェンリルは北部要塞の残骸から南、王国のある方角を睨み付けている。

 やろうと思えば北部に点在する源流に毒を流して回る事も可能だ。それだけで王国全域からブランフォードに掛けて暮らす人類は壊滅的な打撃を受ける。しかし、それでは彼の考える"人類の完全支配"からは遠ざかる。


「で、ボクはツヴィーテを冒険者ギルドの北方支部に据えればいいのかな。バルラドやエストラーデが手出しできない様に、スラーナ人達を冒険者ギルドの看板で守れ、と?」


 メイヴァーチルは"同盟に基づき"水源地を冒険者ギルドで管理する方向で動き始めた。


「理解が早くて助かる」


「やれやれ、果たして初期投資を回収できるかな」


 メイヴァーチルは頭を掻いた。


「一つ聞いておきたいんだが、キミはこのまま王国やブランフォードも"解体"しに行くんだよね。フェンリル」


「ああ、そうだな。この世に神が存在するのならば、滅するのも道理。この俺がてめェ等を縛る神権と、リサール人を縛る呪いに終焉を告げてやる」


「それは結構。一応キミとは同盟だ。情報を流しておこうかな」


 メイヴァーチルは正直なところ、王国がフェンリルに滅ぼされようが、女神エルマが消滅しようが、エストラーデが死のうが、人間ムシケラが何十、何百万死のうが、痛くも痒くもない。むしろ愉快千万。その日を祝日として、ギルドの者達に休暇と賞与を与えても構わない程だ。


 はなから彼女の懸念はその後、魔神王フェンリルをどうするか。既に彼女は八方手を尽くしている。


「幾らだ?」


 情報や働きには対価を払う、これも冒険者ギルドと魔神帝国の協定だ。


「まあ聞きな。ウチの東方支部が確認した情報だが、今ブランフォード軍が領内北西の国境際で大規模に展開している、キミ達"魔神帝国"が暴れているのを察知して一枚噛もうって腹だろう。あわよくば、水源の権益を狙っているだろうね」


 いけしゃあとフェンリルに嘘を伝えるメイヴァーチルの表情に、不自然な所は何一つもない。何故か。彼女の怒り以外の表情は常に作り物だからだ。


「だろうな。"魔神討伐"という大義名分を盾にすりゃ大抵の荒事は押し通せる」


 バルラドならそうするだろう。"元は"兄弟、それくらい分かる。フェンリルには十分読めた展開だった。


「そして王国軍も北の国境際の山地で大規模な野戦築城中だ。エストラーデは部隊を再編し、虎の子の竜騎兵隊と、近衛騎士団も総動員している。キミが南下するものと予測した上で迎え討つ体制を整えているようだ」


 エストラーデとメイヴァーチルは事実上の同盟関係だ。王国軍がフェンリルに苦戦している以上、協力を依頼されない筈はない。


「あの爆炎の女王は、おトモダチのお前に泣きついて来なかったのか?」


「ん?ああ。『冒険者ギルドとして早急な魔神王への対応を検討していく』と言っておいたよ」


「ハッ、舌が沢山あるようで何よりだ。……それにしても想定より展開が早い、軍が損害を受けてからエストラーデとバルラドは手を組むと思っていたが」


「まあ元々取引はある訳だし、バルラドは"金狼の君主"と呼ばれるだけあって明晰な男だからね」


「だが、戦力が健在である以上、ソイツ等が隣同士で陣を構えてタダで済む筈がない」


「二人は犬猿の仲で有名だが、今の所国境際で軍事衝突は見られない。兵に統制が行き届いている証拠だね」


 メイヴァーチルはフェンリルに理路整然と受け答える。機械染みていて、理路整然とし過ぎている程だ。フェンリルの猜疑はたとえ無実でも降りかかる。


「……メイヴァーチル、茶番は止めろ」


 ぎょろぎょろ、とフェンリルの数多の瞳のすべてがメイヴァーチルを睨み付けた。核心を炙り出す異形の眼光だ。


「……魔神王という"人類共通の脅威"を前に、殺し合っていた隣人同士が手を組んだ」


 それすら怯みもしない、メイヴァーチルは何時になく真摯な口調で語る。


「王国とブランフォードの同盟。キミが言うところの"人類の完全支配"、この大陸の統一への大きな一歩だと思うけどね」


 メイヴァーチルは遂に核心に触れた。


「……勝手な真似をしてくれたな。"想定外"を避けるため、同時に王国とブランフォードは相手にしない。そういう計画だった筈だぞ?メイヴァーチル……」


 フェンリルの声はただでさえ悍ましい響きだが、そこに怒りが加わって震えた。


「ボクだってキミのお願いを聞いて北部ここに破格の経済支援しているんだ。我儘の一つくらい聞いてくれても罰は当たらないと思うけどなぁ」


 メイヴァーチルはそれでもけろりとした表情を崩さない。だが、さしもの彼女も一滴、冷や汗が垂れた。


「笑わせるなよメイヴァーチル。この魔神王オレの存在が、人類きさまらへの"神罰"だ」


「フフフ、神罰と来たか……」


「しかし、どのみち各国の軍隊は"削減対象"だろう?四の五の言ってないでまとめて掃除しちゃおうよ、魔神王"サマ"」


「ハハハ、タダより高いモノは無いという訳か?」


「……いいだろう、貴様の話に乗ってやる。王国国境で陣を構えているのだな」


「ああ、そうさ」


 そろそろ馬脚を現してきたな、とフェンリルは思った。悪魔アスモデウスから魔力やら踏み倒しているこの女が、大人しく従う訳がない。


 メイヴァーチルはフェンリルはよく似た性格をしている、お互いそれは承知の上だろう。まさにコインの裏表という訳だ。

 メイヴァーチルはフェンリルを嗾け、エストラーデとバルラドに同時にぶつけようとしている。もはや遠回しな宣戦布告と言っていい。


 即ち、メイヴァーチルの狙いは漁夫の利だ。


 人間ムシケラ共の連合軍をぶつければ、いくらこの化け物とて消耗は避けられない。そこを冒険者ギルドが総力を上げて叩く。フェンリルを女神の魔法で異世界に送ってさえしまえば、取り巻きの魔神は問題にならない。


 そして真っ向からフェンリルと戦った連合軍にはもう、冒険者ギルドと戦うだけの戦力は残っていないという寸法だ。


「折角貴様が用意してくれた舞台だ。精々踊り狂うとしよう」


 万兵、千の戦術、百の策謀、すべてを蹂躙してこその"力"。

 修羅道に引き下がる道はない。


「ああ、お楽しみ頂けると何よりだよ、魔神王」


 ……という様なフェンリルの武人気取りの自己陶酔も、メイヴァーチルには手に取る様に理解できた。

 未だに帝国軍の黒鎧、荒野の黒騎士のつもりか知らないが、お前はもうとっくに化け物なんだよ。と、嘲りを込めた。


 フェンリルとメイヴァーチルは、笑裏蔵刀。二人揃って邪悪な笑みを浮かべ、笑い合っていた。

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