第97話 忠!裏切ってごめん

 北部"解放"戦争において、王国軍の北方軍は壊滅に陥った。

 北部スラーナの首都は王国国境北側に近い。北方軍を壊滅させたフェンリルが南進して来るものと見て、王国軍は国境際の山地に陣を構えていた。


 兵達はきびきびと統率の取れた動きで、それぞれ魔法を用いながら慌ただしく山上に陣地を構築している。


「山上の陣、完成しました」


「マナ結晶石による地雷敷設作業、完了しました」


「では事後の通り、配置につけ」


「はッ」


 兵達の報告を受け、下知を下したのは焼き色の様な群青の甲冑を纏った美男子だ。

 王国軍の地上部隊を預かる彼は、王国近衛騎士団長イルフェルト・バーンシュタイン。普段は女王直属の警護担当だが、有事の際はこうして騎士達の指揮を執る他、本人はその圧倒的な機動力と破壊力を誇る雷撃魔法による奇襲攻撃を得意としている。


「陛下、竜騎兵隊は如何ですか」


 イルフェルトはエストラーデに尋ねた。


「本国から全部隊を招集した、次は奴を仕留める」


 エストラーデは居丈高に言い放つ。

 

 王国軍の切り札はやはりエストラーデと竜騎兵隊だ。

 今のところ魔神王に有効打を与えられているのはエストラーデの蒼炎とメイヴァーチルの浄化魔法の多重超過発動オーバードライブのみ。

 そして魔神王の射程外から一方的に攻撃が出来る兵種は竜騎兵のみ、この優位を活かさぬ術はない。


「もうひっくり返しても何も出ませんな」


 他愛もない様子で、陣中の将校席に腰掛けたその男は言った。近年、王命を受けて王国軍の軍拡に携わった男だ。今は作戦の立案、実行監督に携わっている。


「……国家存亡の危機だぞ、貴様には真剣さが足りんな」


 エストラーデはじろり、と彼を目で咎める。

 だが、初老を迎えたその男からすれば、如何に爆炎の女王と言えど年齢の差は娘も同然。怯みもしなかった。


「やはり、俺は根が帝国軍でしてね」


 食えん男だ。イルフェルトは怪訝そうな態度を隠そうとしなかった。

 はっきり言って、かつて帝国議会や帝国軍を裏切ったこの男への評価は最悪と言っていい。

 

 だが実際、目に見えた成果が現れている。だから邪険には出来ない。

 以前の王国軍ならば、この短期間でこれ程堅固な陣地を築く事は不可能だった筈だ。北部侵攻についても、当初は反対していたこの男の提言によってあれ程迅速な制圧が可能となった。


 この亡命者の軍の運用、訓練は比類なき働きといえる。

 人間としては全く信用できないが、間違いなく王国軍の味方として貢献している。イルフェルトとしては、斬るに斬れない者は厄介だった。


「……陛下の言う通り、貴殿を戦略将校として招いたのは正解だったようだな」


 イルフェルトに並び、見慣れた男が一人。

 元帝国特務騎士司令官、ジェイムズ・ドレッドボーンだ。


「俺はもう歳だ、そろそろ引退させて欲しいもんです」


「亡命武官が安穏に暮らせると思うな、魔神王などが迫っている時は特にな」


 エストラーデがぴしゃりと言い放った。


「あの化け物の首級を挙げなきゃ俺はお払い箱って訳ですか……」


 ジェイムズは葉巻を深く吸い込んで、口から吐き出しながらそう言った。


*


 黄昏時、又の名を逢魔時おうまがどきという。昼と夜の境、王国北部国境際の山陣が燃える様な夕日に包まれたそんな時に、それは現れた。


 一目で魔の者と分かる禍々しく黒い甲冑姿、人間の想像の範疇にはない異形の眼光。それで居て、どこか闘いの神にも似た荘厳で威厳に溢れた姿。


 イルフェルトは剣を抜くまでの間しばらく、突如、闇から現れた魔神王の姿を見つめていた。彼は王国近衛騎士として戦いにその身と人生を捧げて来た。人として極限の強さを求めて来た。ならば、その闘争の極致とも言える姿に目を奪われても仕方がないのではないか。


 エストラーデは、ただ戦慄した。以前見舞った"蒼炎獄破ヘルズ・ヴァンカー"は間違いなく魔神王に命中していた筈。だが、今は傷一つない。


「此度は使者として推参すいさんした。攻撃の意思はない」


「王自ら使者とは、剛胆だな……魔神王」


 イルフェルトがエストラーデを庇って剣を構え前に立つ。


「俺は貴様等と違って絶滅主義者ではない、諸君等にいい知らせを持ってきてやったまでだ」


 フェンリルが女王エストラーデに投げ渡した書物、そこに書かれていたのは"和平"の条件だ。

 実に丹念かつ力強いリサール語の文字を、兵が翻訳した。


一、女神エルマの処刑並びに消滅

二、女王の退位、王国元老院の解体

三、王国軍の全面武装解除

四、北部への賠償請求


 という事だった。


「フザけるな、こんな要求が飲めるものか!」


 エストラーデは和平条件書を焼き払った。


「短慮。王としての器が知れるな」


 がしゃ、とフェンリルは両手を組んだ。仮にも殺し合った敵同士だというのに、まるで駄々を捏ねる子供を見下ろしている父親のような雄弁さだ。


「この場で貴様の首を取っても構わんのだぞ」


 エストラーデはフェンリルに戦斧を突き付ける。

 フェンリルは呆れた様に両手を広げた。


「何か誤解しているようだが、魔神王オレと貴様等の戦力差からして、戦にはならぬ。お前達の選択肢は虐殺を回避して支配を受け入れるか、我等、魔神帝国に踏み潰されるかの二択」


「それでも我と興ずるというのなら、止めはしないがな……」


 フェンリルの放つ禍々しい殺気が、辺りを包む。エストラーデ、イルフェルト、王国軍の兵士達は生きた心地がしなかった。草木が揺れ、天地が哭いていた。血の様な夕暮れはまさに燃えている。どうして人が魔神デーモンの王を恐れずに居られようか。


「よォ、ウチの女王様をあんまり虐めないでくれんか。一応、亡きエーリカ様の姉君だぞ」


 ジェイムズだけがただ一人、傲然と椅子に腰かけて葉巻を吸っていた。


「……貴様、ジェイムズか」


 フェンリルの頭部の亀裂から覗く全ての眼がジェイムズを睨み付けた。視線だけで憑り殺さんばかりだ。


「久し振りだな、"カゼル"。化け物の王が随分板に付いてんじゃねえか」


「よくもまあ、俺の前にのうのうと姿を現せたものだな……」


 奈落の底から響いて来る様な声だった。


「歳を取ると大抵の事はどうでも良くなるんだよ。ま、化け物になったお前には一生分からんだろうがな」


 どうでも良く……


 その言葉でフェンリルの放つ殺気が更に増した。もはや、此処が魔界と大差ない程。人が立って居られない程の禍々しい瘴気と魔力圧で、フェンリルとしては明確な攻撃を加えた訳でもないが、王国兵達が意識を失って地に倒れ始めた。


「……何かの間違いという事もある、一応聞いておこう。あの反乱の時、"黒鎧おれたち"をエストラーデに売ったのは貴様か?」


 数年前の帝都反乱、王国軍の支援で重武装化した追放者ルセリアン、続く王国竜騎兵隊の空爆。いくら航空部隊とは言え、ああも的確に首都攻撃ができるものではない。


 余りにも絵が出来すぎていた。

 答えは簡単、手引きした者が居た。


 魔神の俯瞰的思考から、人間の思考・言動が漏れる可能性は限りなく低い。だが、敢えてフェンリルはジェイムズを問い詰めた。


「ああ、そうだ」


何故なにゆえか。この魔神王が弁明する機会を与えよう」


「俺はハナからエーリカとアーシュライアを手土産に、王国に亡命するつもりだったんだよ。言っただろうが、帝国議会の犬は辞めて軍閥に成り上がると」


「それでエストラーデの飼い犬に成り下がった訳か。だが一つ解せん、何故この空爆くらいしか能の無い女王が貴様の条件を飲んだのか」


「帝国議会が女王様と交渉した時、姫様の身柄を受け取りに向かったのが俺だ。そんなもん、最初からに決まってるだろうが」


「成る程な」


「あとはお前も知っての通りだ。議会の連中も、お前も、結局エーリカとアーシュライアの重要性を何一つ理解しやがらなかった……」


 大抵の事はどうでもよくなる、と言ったジェイムズだが固く握り拳を作った。


「挙句の果てが年寄り一匹、女王の飼い犬だ。分かるだろ、俺だってもうてめえと同じだ。何も失う物なんか有りはしない」


「ハハハハハ!……貴様が被害者ヅラするのか?黒鎧おれたちを、帝国軍を裏切った貴様がッッ!!」


 しかし、斯様な弁明で魔神王の同情を誘える訳がない。ジェイムズ本人も、そんな生温いものを望んではいない。


「お前もさっき言っただろ。所詮俺も、踊ってただけさ」


「屁理屈を捏ねるな、人間ゴミめ。気が変わった、捻り潰してやる」


「まあ、そうなるだろうな」


 ジェイムズはどこか自嘲気味に笑った。


「予告しておこう、攻撃開始は明日の日中だ。立ちはだかる者には無惨な死をくれてやる」


 皆殺し以外の選択肢がない中で、無理矢理にこじつけたようにしか受け取れなかった。フェンリルとしても蟻の大群を踏み潰さない様に進むのは楽ではない。


「ジェイムズ、俺から貴様への最期の情けだ。貴様は明日までに自刃するがいい、それが最も苦痛なき最期だと思え……」


 フェンリルはジェイムズを指差した。フェンリルが纏い、フェンリルから漏れ出すどす黒い闇が、ジェイムズを修羅道の道連れに誘わんとしている。


「御忠告、ありがとよ」


 ジェイムズは、それでも恐れる事なく吸いさしの葉巻を投げ付けた。


*


「……」


 魔神王に事実上の死刑宣告を受けたジェイムズは何を思うのか。

 相変わらず、将校席に腰を掛けたまま、葉巻を燻らせている。


 フェンリルに語った言葉に嘘偽りはない。

 斜陽の帝国を捨て、王国民として生きるつもりだった。

 ハナから、大地属性と水属性の魔法の使い手を酷使しなければもたない国など、誰かが"介錯"するべきだったのだ。


 ただ全てが予定通りいかなかっただけだ。悔いはない。お前に断罪されるのも当然の帰結だ。


「知り合いか」


 イルフェルトがジェイムズに気を遣った、初老の男には王国北部の寒さは堪える。


「魔神王になる前のアイツは俺の部下だった」


 茫然と、ジェイムズはイルフェルトの方を見るでもなく蒼然とした空を仰いだ。夜空に星々が燦然と輝いている。一つ際立つ紅く輝く凶星。いつか墜ちたあの星の名はなんといったか。再び輝き始めた凶星は他の星々の光を呑み、喰らわんばかりだ。


「ほう」


「話してみて分かった。見た目ほど中身は変わっちゃいねえ。そこに付け入る隙があると思いたいね」


「……勝算があるのか」


「分からん。俺も軍は長いが魔神の王と戦ったことはない、だから引退したかったんだがなァ……」


「今からでも尻尾を巻くか?」


「もう遅えよ、軍人らしく最後まで足掻くとしよう」


 ジェイムズは葉巻を握り潰し、席を立つ。いつぞやと違い、脚を引き摺ってはいなかった。


*


 最も温和で、平和的な解決策は白紙になった。ならば武力行使あるのみ。

 先の和平交渉という建前で王国軍の陣地を見た限り、メイヴァーチルの冒険者ギルドは協定通り今の所介入していない。侵略の基本は敵勢の分断。


 相変わらず、フェンリルは単独行動を取る。ツヴィーテは北部復興に向けて、冒険者ギルドからほぼ密輸されたと言って差し支えない物資の分配で忙しい。


 この"解放"戦争は飽くまで『魔神 対 既存勢力に従う人間』という構図でなければならない、魔神帝国軍にスラーナ人や旧帝国軍残党が加わったところで戦力的に対したプラスにはならないが、話がまた厄介な方向に拗れる事となる。それは好ましい状況とは言えない。


 時間が経てば仕掛けに気付く者も現れないとも限らない、メイヴァーチルがいつまでこちらの意図を汲むかも甚だ怪しいものだ。

 

「ベリアル、俺が片付ける。お前はベレトとアスモデウスが来るまで控えてろ」


 猛るフェンリルの前に急拵えの雑多陣など、蹴散らされるのみ。


「エストラーデの竜騎兵が健在である以上、俺は援護できねえぞ」


「構わん」


「……」


 フェンリルの魔力圧がさっきより増しているのをベリアルはひしひしと感じた。


 一応、建前としては和平交渉なのだから、兵士を殺して憎悪に染まった魂を吸収したとは考えにくい、考えられるのは"自家発電"。腹に据え難い憎しみが込み上げて来るようなことがあったということだ。


 "憎悪の悪魔"であるフェンリルの最大の長所は、この破壊と殺戮で彩られた世界にはごまんと溢れている憎しみの思念でどこまでも強くなる事だ。

 フェンリルは、ベリアルやアスモデウス、ベレト達"ゴエティア"に名を連ねた魔神デーモン達ともまた異端。

 ただ一つ言えるのは魔神王の前に人が立ちはだかること、それは勇気ではなく蛮勇だという事だけだ。

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