第91話 空の炎竜、地の黒狼。

 場所は打って変わって王都。北部に配属されていた伝令の竜騎兵が、女王エストラーデの下にたどり着いたところだ。


「我が軍が魔神の攻撃によって壊滅的な打撃を受けています!」


「陛下、何卒援軍を……」


「ああ、分かった。すぐに向かう。君はゆっくり休むといい」


「陛下、自らが……」


 エストラーデは、事態は一刻を争うと判断し、慌しく玉座を立った。


「竜騎兵隊の精鋭を招集しろ、私も出る」


 弱い王には誰も従わず、遠からず新たな王に倒されるのみ。王とは力が最も強い者の事で、力を振るう事は君臨する者の責務である。

 エストラーデはそう考える。北部で暴れている魔神を焼き殺し、今日の内に帰る事にした。竜騎兵の機動力ならば、そう難しい話ではない。


*


 フェンリルが駐屯軍の前線基地を制圧した頃。またしてもフェンリルは、吹雪の中散り散りに逃げていく駐屯軍の兵士達を冷然と見送った。


 フェンリルやベリアルにとって補給はそこまで重要ではない、一方、人間の軍隊である彼等にとって兵站線はアキレス腱だ。


 このように各地の前線基地を破壊し、そこにいる駐屯軍を本拠地に追いやる事で、駐屯軍の本拠地は自ずと負傷兵だらけになる。負傷兵を助ければ助ける程、駐屯軍は看護や治療によって軍のリソースが裂かれる。

 そうする内にやがて疲弊させ軍組織を機能不全に陥らせる、というのがフェンリルの狙いだ。


 いずれにしても、この猛吹雪ではいくら魔法に長けた王国軍と言えど、援軍や補給部隊を寄越すのに相当な時間と労力がかかる事は明白だ。

 戦争は体力と機動力がモノを言う。だからフェンリルも、ベリアルを重用している。


「さっさとツヴィーテを連れて来い、もたもたすると助かるものも助からんぞ」


 フェンリルは魔力通信でベリアルを呼び付けていた。ベリアルにしてみれば、フェンリルを降下させて10分も経たぬ間の出来事だ。


「いつから魔神王から慈善事業家になったんだ?」


「捕虜は後に労働力になる、助けられるなら助けた方がいいだろう」


 フェンリルの思考回路に大義などない。あるのはこの北部よりも冷たい打算だけだ。


 ふと、それらしき視覚情報や音はない中、フェンリルは忌々しい存在の気配を捉えた。それを言葉にするのは難しい。敢えて言うなら、まだ人間だった頃から彼に備わっている動物的な直感だ。


「待て、ベリアル」


「どっちだよ!?」


「……どうやら王都から直々の御出座しのようだ。我が怨敵が」


「まさか、エストラーデの竜騎兵隊か?一人で大丈夫なのか!?」


 ベリアルも決してフェンリルを過小評価している訳ではない。だがフェンリルとて得手不得手がある事を知っている。


「問題はない。爆炎の女王をたっぷりともてなしてやるさ」


*


 千を下らぬ屍が凍て付き始めた頃、フェンリルは"紅雨"の発射体制を整え、王国竜騎兵隊の到来を待ち受ける。というのも、一度発射してから魔力の操作で矢槍を空中に押し留める力技だ。


 やがて現れた50騎程の竜騎兵隊は自前の火炎魔法と旋風魔法で北部の吹雪をなんとか無効化しつつ、上空からフェンリルを捕捉した。

 はっきり言って竜騎兵隊側もかなり無理を押した出動であるが、それでも魔法を使えば吹雪の中でも航空作戦が可能である事には違いない。


「目標確認、高度を上げろ」


 隠れるでもなく単身待ち構えている漆黒の悪魔は報告にあったとおり。竜騎兵を率いる女王エストラーデは即座に危険を察知し、号令を掛けた。

 竜騎兵はざっと50騎程、エストラーデの号令一つで素早く編隊を崩さぬまま高度を上げる。相当の訓練を積んでいる事は明白だ。


 フェンリルが放った"紅雨"も、金属物質である以上一応物理法則に従っている。距離が離れればそれなりに対処できる程度の速度に落ち着いた、そこを竜騎兵達は得意の火炎魔法で矢槍を焼き落とす。


 更にそのまま、フェンリルを狙って火炎魔法の飽和攻撃を開始した。


「……成る程。馬鹿ではないらしい」


 雪が溶け、蒸気が上がる。それでも炎は消えない。フェンリルは魔法炎で分厚い氷雪の足場が溶ける事を危惧した。


 フェンリルに弱点があるとすれば、まず重装甲の外骨格が重過ぎて空を飛び難い点。魔神王は地上の迫撃戦闘では無類の強さだが、対空戦となると話は変わって来る。

 あからさまに対竜騎兵、対魔法兵を想定した"紅雨"や"暗黒槍"等の魔術攻撃も取り揃えてはいるが、射程に限度があるという弱点があった。


 造り出した矢や槍を魔神王本人が射撃、投擲する必要がある以上、遠距離では精度や威力が落ちる。

 無敵に思える魔神王とて、完全無欠の存在ではない。だから魔神帝国という"組織チーム"を組んでいる。


 現状の魔神帝国の戦力で王国竜騎兵隊を効率良く撃破するには、ベレトの重力魔術で地上に引き摺り落とすか、ベリアルが空対空戦闘ドッグファイトにて対処するか、が最適解と言ったところ。


 しかしベレトは魔力不足で戦線投入は難しく、ベリアルもたった一騎では分が悪い。魔神王も楽ではないのだ。


「どうしたエストラーデ、蝿の様に飛び回るだけか?それではこの魔神王の首はとれんぞ」


 雷鳴の様な声を轟かせ、フェンリルは地上から空を羽撃く竜騎兵達を罵った。

 エストラーデ達としても、尋常ならざる堅牢さを誇るフェンリルにただの火炎魔法をいくら浴びせた所で決定打を与える事は難しく、膠着状態にある。


「それともこの俺が恐ろしいか?王国竜騎兵は、騎士の風上にも置けぬ腰抜け揃いと見えるな」


 代わりと言っては何であるが、フェンリルは得意の挑発を行った。

 こちらは、まだ彼が人間だった頃から得意としているある種の"魔法"。大抵の相手の頭に血を昇らせ、怒りに任せた攻撃を誘発出来るという優れ物なのだが。


「挑発に乗るな!このまま航空攻撃を続けろ!」


 爆炎の女王の異名とは裏腹に、エストラーデは冷静だった。


「意外に冷静、ではこれを見てもまだ冷静でいられるかな?」


「陛下!エルデガルダ殿です!」


「陛下……私に……構わず……うあッ……!」


「貴様等の攻撃は退屈だ。退屈凌ぎにこの場でダーク・ハーフエルフでも創るとしようか……」


「うあッ!があああァァッッ!!」


 フェンリルはエルデガルダの顔を掴み、顔中の穴という穴からどす黒い闇の魔力を流し込む。


「ハハハハハ!いつまで耐えられるかな」


 フェンリルとて計算づくではない。馬鹿正直に助けに来れば儲け物、程度の考えでエルデガルダを処刑しようとした。ただ彼も権力の側面に、しがらみがある事を熟知する。

 

 自身がかつて帝国議会の意向に従わっていたのと同様、エストラーデにもそれなりにしがらみがある。フェンリルには知る由もない事だが、たとえば、エルフ系民族の非常に厄介な気性の女と手を組んでいる、などだ。


「卑劣な魔神デーモンめ……!」


 エストラーデは逡巡した。

 エルデガルダを助けにいけば間違いなくあの化け物の術中、竜騎兵隊ぶかを危険に晒す。

 だがハーフエルフである王国騎士、エルデガルダを見殺しにすれば後々メイヴァーチルの怒りを買う。現場はいつだって時間が足りない。


「……私が奴の動きを止める、その隙にエルデガルダを救出しろ!」


「お待ちください、あれは罠です!」


「……くッ!みな、陛下に続け!」


 いの一番に飛び出したエストラーデの騎竜、黒竜カーリアスが滑空挙動に移行する。騎手と騎竜は一心同体に、エストラーデは勢いに合わせて戦斧を振り翳す。


「化け物め、私が仕留めてやる」


 爆炎の女王とてただでは転ばない、どうせフェンリルに接近するリスクを侵すなら、この一撃で仕留めるつもりだ。


「やってみろ、エストラーデ……!」


蒼炎獄破ヘルズ・ヴァンカー!」


 黒い狼が吼え、爆炎の女王を迎え討つ。

 フェンリルの大剣とエストラーデの戦斧が激突し凄まじい火花を散らした。


 フェンリルの受けは技術、タイミング、いずれも申し分無かった。だがカーリアスの巨体が滑空する勢いも相まって、さしものフェンリルも大きく仰け反った。

 そこへエストラーデは戦斧を振り翳し、追撃の蒼炎魔法を放つ。丁度、アルジャーロンが得意とする火炎魔法弾の乱射にそっくりだった。現在進行系で帝都跡地を焼き続ける、忌まわしい蒼い炎をフェンリルはまともに喰らう。


 しかし消えぬ蒼い炎を受けて尚、爛々と輝く瞳がエストラーデに続く竜騎兵達を捕捉した。フェンリルの狙いはエストラーデではなく、取り巻き。ここで数を減らせばベリアルが対処しやすくなる。


「射程内だ」


 蒼い炎に焼かれながら、フェンリルは即座に"降り注ぐ紅雨"を放ち、エルデガルダの救助に突撃してきた竜騎兵を迎え撃った。放たれた矢槍の数々が次々と騎竜、騎手問わず滅多矢鱈に突き刺さる。

 すれ違い様に20騎近くを墜とし、とどめを刺すまでもなく地面に激突して息絶えた。かつての悪辣な戦術は今なお健在、十分な戦果と言える。


「ふむ……」


 同時にフェンリルの外骨格が内側から爆ぜた。内部に蒼炎が燃え移る前に自分で排除パージしたのだ。

 フェンリルの"中身"、悍ましい暗黒のエネルギーの圧縮体が俄かに狼の形を取ろうと蠢き始めるが早いか、直ちに彼は外骨格の再生を開始した。


 紅雨や暗黒槍、黒狼災禍は連発が効く。だが、外骨格を全て排除した上で再び再生させる"黒鎧排撃アーマーパージ"は少々魔力的な負担が大きい。

 しかし、それを差し引きしても竜騎兵隊が受けた損害の方が大きい事は明白だ。


 世に漂う人間の憎悪を吸収し、即時に戦闘能力を回復するフェンリルと、飼育から訓練が必要な騎竜とその騎兵。比べるべくもない。


「……一旦要塞まで退くぞ!」


 フェンリルに一撃を見舞ったエストラーデと、何とかエルデガルダを救出した竜騎兵達は、それ以上の攻撃を諦め撤退していった。


*


 そこは北部スラーナの首都。王国駐屯軍によって要塞化された都市部だ。スラーナにおいて南に位置し、北部の中では温暖と言える。少なくとも、毎日の様に吹雪く事はない。故に、王国に近い事から真っ先に王国軍の攻撃を受けた地域でもある。

 

「……私を……殺し……が……ッ、ああァッ……!」


「殺シ……殺……私、もう……」


「陛下……申シ、訳ごザ……ゴボッ……」


 エルデガルダは顔から胸にかけてどす黒く変色し、自ら死を懇願していた。その苦しみは、想像を絶するのだろう。


「陛下、私が……」


 竜騎兵の分隊長の男が、主に苦を背負わせまいと介錯の剣を抜いた。


「いや、全て私の責任だ」


「エルデガルダ、済まない……」


「ヘイ……下……」


 エストラーデは、異形の化け物に変異していくエルデガルダに呵責なく戦斧を振り下ろした。


*


 吹雪が吹き荒び、凍て付く屍が山を成す白銀の地獄にて漆黒の悪魔が一体、狂笑と共に勝鬨を上げている。


「ククク、ハハハハハハ!一人、また一人。貴様に忠誠を誓った者共が無惨に死んでいく。己の無力を嘆き、絶望しろエストラーデ。この魔神王オレが神罰を下すその日まで藻掻き続けるがいい……」


 魔神王の狂笑に、永遠の安息からたたき起こされたのかスラーナ人捕虜、リサール人捕虜、そしてフェンリルに殺されたエルマ人、人種を問わず屍の山から、怨念が漏れ出した。


(いたい……いたい……)


(寒いよ……俺の……手が……)


(帰りたい……妻に……娘に……会いたい……)


(苦しい……苦しいよォ……)


(死にたくねえ……死にたく……)


(あいつ等、俺達を捨て石にしやがった……)


(殺してやる……)


 屍から死した者達の魂が漏れ出してくる。彼等の怨念が、憎悪が伝わって来る。そんな阿鼻叫喚の有様を、フェンリルは至極当然といった静かな目で見届ける。


 フェンリルは、魔神デーモンになって理解した。


 この世界がどれほどまでに呪わしく、度し難い、怨嗟で満ちた地獄なのか。温かな温もりも、一皮剥けば血みどろの破壊と殺戮で彩られた世界。その地獄を敢えて人類は世界と呼んでいるに過ぎないのだと。

 人であった時は、己が意志で破壊と殺戮を行っていると思っていた。だが、違ったのだ。破壊と殺戮を望んでいるのはこの世界の方で、人間など世界の一欠片に過ぎない。


 こんな下らない世界には、魔神の王が終焉を告げるべきなのだ。


 それが、エーリカやアーシュライア。そして黒鎧あいつらへの、"俺"が出来るせめてもの手向けだ。


「良いだろう、貴様等も連れて行ってやる」


「この魔神王と共に、幾億の夜を越えるのだ」


 魔神王が右手を翳す。屍から抜け出した怨念達が闇に誘われる。

 彼等の非業の死を束ね、その頭部に走る亀裂から己の内に注ぎ込んだ。魔神王が歩むは修羅の道、そして旅は道連れだ。

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