第92話 メイヴァーチルの憂鬱

「……」


 フェンリルが、屍から人の魂を抜き取り、己の糧にしている頃。


 冒険者ギルド本部、執務室にてメイヴァーチルはローゼンベルグと共に北部の状況について整理していた。特に、王国駐屯軍やエストラーデと交戦したフェンリルについての情報を片っ端から収集している。


 最近メイヴァーチルは、フェンリルがメイヴァーチルに渡している小型のモニュメントや外骨格の断片を解析し、逆にフェンリルの動向を冒険者ギルドが独占する魔法技術によってモニタリングする事に成功した。魔法研究施設に大枚投じただけの甲斐があったというものだ。


 北部でフェンリルが今何をしているのか、メイヴァーチルには筒抜けである。だが彼女が観測したフェンリルの戦闘能力の凄まじさ、想像を絶すると言う他ない。


 あの王国最高戦力であるエストラーデ率いる竜騎兵隊が、蝿の様に落とされている様はメイヴァーチルも衝撃を受けた。

 フェンリルと真っ向から渡り合い、あの外骨格を破壊してそれなりのダメージを与えたメイヴァーチルが如何に人間エルフ離れしていることか。


 メイヴァーチルの表情は決して明るくない。

 この所、メイヴァーチルはしばらく表舞台に出ていない。

 執務室での情報収集と、対フェンリル要員の募集、それ以外はほとんど攻撃魔法実験室で激烈な鍛錬を繰り返す生活。

 その一方、自宅に戻れば過不足ない睡眠と、食事を摂るコンディショニングを行っている。この冒険者ギルドを始めとする様々な組織の運営者白銀の悪魔は、非常に執念深い。


 ただひたすらに、魔神王フェンリルを倒す為の修練と研究を重ねている。彼女は長く生きた。故に知っている、力を得る為には地道な努力を重ねる他ないという事を。


「ボス、この化け物は本当に倒せるんです?」


 フェンリルの規格外の戦闘能力をまざまざと確認したローゼンベルグは、ほとんど泣き言と言っていい質問をした。


「……こいつは人間の色欲で強くなるアスモデウスよりも遥かに質の悪い魔神だ。人間の憎悪が有ればいくらでも強くなる」


「なら、いったいどうすれば……」


「さァね、この世界が愛で溢れたらこいつを倒せるんじゃないかな」


「……俺達人類が隣人を愛せるか、魔神王に滅ぼされるかの徒競走って訳ですか。これは傑作だ」


 メイヴァーチルはあながち冗談でもなかったのだが、ローゼンベルグは毒気を抜かれたように笑う。


「まあ、なんにせよ。こちらの手札は多ければ多い程いい。気は進まないがちょっと古巣に行ってくるとしよう」


 一通りフェンリルの動向を確認し終えたメイヴァーチルは席を立った。


「ロズ、今日はもう休んでいいよ」


「え?分かりました」


 馬鹿な。まだ、昼過ぎだぞ。

 あの鬼婆メイヴァーチルが、もう休んでいいだと……?


 ローゼンベルグはよっぽど悪い夢でも見ているような心持ちだった。


*


「やい女神」


「げえっ、メイヴァーチル!?」


 メイヴァーチルはずけずけと神殿を突き進み、女神エルマが鎮座する部屋までやってきた。が、寸前まで見えていた女神の姿が突如見えなくなった。


「あれ?どこいった、見えない……」


 女神は邪悪なるエルフの到来にお隠れになった……のではなく。メイヴァーチルは信仰が足りず、仮にも己が主神であるエルマの姿を見る事ができなくなったのだ。

 それも仕方のないことだろう、この世で彼女が信じているのは己の力だけなのだから。


「あー、そっか。なむなむ……めがみよー、われをすくいたまえー」


 メイヴァーチルは祈りを捧げたが、しん、と静まり返ったままだ。腐ってもメイヴァーチルはマスター・クレリック、微かに神性存在の気配は感じられる。


「おい、出てこい女神!いるんだろ!」


 すぐにメイヴァーチルは静寂を切り裂いて怒鳴った。

 愛くるしい姿からは想像もできぬほど、ドスの効いた声だった。冒険者ギルド関連の金融事業、貸付金回収の最終手段は彼女が赴く事である。


「お止めください、メイヴァーチル様!女神の御前でなんという粗暴を……」


「うるさいよ生臭坊主。そういう説教はね、人々の不安に浸け込んで金を巻き上げる詐欺以外で一銭でも稼いでから言ったらどうだい?社会のダニめ」


 メイヴァーチルは凍て付く様な侮蔑の篭った眼差しを投げ掛ける。あまりの罵詈雑言、流石の僧官もあんぐりと口を開けて呆然とした。


「……あー、今のなし」


 言い切ってからえへ、とメイヴァーチルは微笑んだ。そして次元魔法を発動させて、三つある内の一つの財布を取り出した。古代エルフ語で端金とメモ書きしてある。


「これは少ないですがー、下等な凡愚……いや、恵まれない神の子らの為にお使いくださいー」


 メイヴァーチルは神殿の床に金貨や王国紙幣をバラ撒いた。俗に言うお布施というやつだ。 


「……」


 僧官の男は呆れ返った様子だ。

 この神をも恐れぬ傍若無人のエルフこそ、優れた治癒魔法で人々に癒やしをもたらすマスター・クレリックである。だがその治癒魔法は基本的に、自分にしか発動していない。


「……来たわね、極道」


 お布施によって無理矢理信仰を高めたメイヴァーチルの前に女神エルマが姿を現した。


「こんにちは、業突く張りのエルマ様。ボクみたいな不肖の身が、マスタークレリックで本当、申し訳ないと思ってるよ」


 メイヴァーチルは口に手を当ててクスクスと笑っている。


「……何の用。罰当たりエルフに出すものはないわ」


 女神エルマはさも嫌そうな顔でしっ、しっ、と手を払っている。


「キミが馬鹿の一つ覚えみたいにやってる他所の世界の人間ムシケラを召喚する魔法アレ、ボクにも使わせてよ」


「駄目に決まってるでしょう」


 女神エルマは、即座に断った。この悪辣なエルフに召喚魔法など渡したら、何をしでかすか分かったものではない。


「悪用はしないよ、我が信仰に誓って」


 メイヴァーチルはしれっとした顔で言ってのけた。


「何が我が信仰よ!アスモデウスなんて悪魔と手を組んでおきながら、よくノコノコ顔を出せたわね。この破戒僧」


 女神エルマは、凄まじい剣幕で怒鳴った。いつぞやとは大違いである。


「ボクは忙しいんだ、時代遅れのキミの魔法の為に祈ってる暇なんてない。お布施なら今したじゃないか」


 女神を怒らせた事で邪なる者を退ける神聖波が発生したが、メイヴァーチルは変わらずけろりとしている。まこと不思議な話ではあるが、少なくとも彼女は、その成り立ちだけは邪悪なる存在ではないのだ。


「……あぁ、めまいが……で、何に使うつもりなのよ」


 女神エルマは蒼白い顔で顔を抑えた。


「最近、巷で暴れてる化け物がいるだろう?魔神王フェンリル」


「ああ……、アレね……正直、私もどうしようかと思ってたわ。貴女なら倒せるでしょう?なんとかして頂戴な」


「かなり厳しいね。リインカーネイションもバレちゃったし、次は殺されそうだ。……うん、そうだね。もし生まれ変わるならボクは人間ムシケラに死と災いをもたらす神になりたいな」


「……貴女ってどうしてそんなに捻くれちゃったのかしら」


「兎も角、ボクもアレと正面切ってやり合えば身が保たない。どこか別の世界に飛ばしちゃおうと思ってさ。可愛いボクからのお願いだよエルマ様、先行投資だと思えば安いものだよね」


 メイヴァーチルは目を潤ませ、上目遣いになってそう言った。


「駄目よ。私の責任問題になるじゃない、神の世界から引導渡されちゃうわ」


 女神はばっさりと切り捨てる、メイヴァーチルの死に絶えた様な目に少しだけ感情が宿った。


「……こんな位相の低い"レプリカ"の世界で油売ってるくせに何を今更。ていうか、他所の神の管轄世界から勝手に人間ムシケラを呼び出した挙句、帝国軍にぶつけて犬死にさせる様な無能なクズはもう死ぬか、引退した方が世の為じゃあないかな」


 メイヴァーチルはまるで、死霊魔法の詠唱でもしているのかと思うほど、毒々しい雰囲気で言葉を連ねる。


「そもそもキミがもっとしっかりこの世界の均衡を保っていれば、あんな化け物は産まれなかったんじゃないのかな。やれやれ、自分の失態を人に拭わせるなんてさ、神も悪魔も紙一重だよね……」


 メイヴァーチルは、もう、何もかも信じられない。とでも言いたげな悲壮な顔をして見せた。無論、その心に一切感情など発生してはいない。


「メイヴァーチル、それ以上はだめよ……」


「おっと、口が滑っちゃった」


「……ああ女神よ、我が罪を赦したまえ」


 メイヴァーチルは白々しく両手を合わせ、己の失言を端金でもみ消した。


「貴女それ、わざとやってるでしょう」


「うん。人だろうと神だろうと、弱点を見つけたら突くのは楽しいからね」


「はぁ……疲れたわ……貴女その審美眼で、フェンリルの弱点は見つけられないのかしら」


「いやあ、残念ながら。色々試したけどボクの魔法、イマイチ威力出なくてさ」


「ふん、そりゃそうでしょうね……」


「という事は、私の授けてる魔法は効くって事かしら?」


「どうだろう。話を聞く限りじゃ、アレは間違いなくこの世界で発生した魔神デーモンだ。魔神デーモンになってから日も浅い様だがどうにもタフ過ぎる。それに、いくらこの世界がくそったれだからって、地上で奴等が魔神形態で居続ける事なんて不可能だろう」


「ええ、そうね」


「それでウチの研究施設で調べさせたけど、恐らくは半分実体、半分魔神体のハイブリッド型魔神なんじゃないかって話だ。おまけに素体はリサール人だから接近戦は無類の強さ、距離を取れば魔術を撃って来る。魔神王の名に相応しい強さだよ、アレは」


「素体がリサール人なら私の呪いが効いてる筈よ」


「心臓部を狙って神聖系の浄化魔法をこれでもかとブチ込んでみたよ。見ての通り、奴は元気に北部で暴れ回っているけどね」


「何らかの方法で呪いを無効化しているって事かしら?」


「いや、キミは腐り果てても女神だからそれはないと思う。恐らく話はもっと単純だ、べらぼうに強靭タフなんだよ、アレは」


 女神はうーん、と唸るばかり。


「だからまあ、アレを倒すなんて七面倒な事は止めといて、だ。キミの嫌いな神のいる世界にフェンリルを送ればいいんじゃないかな。アレは世界の一つや二つ軽く滅ぼす様な正真正銘の化け物だ、一石二鳥だよ」


 何時の時代も自分が努力するよりも他人の足を引っ張る方が簡単だ。長生きしているだけはあるのだろう、メイヴァーチルは己の鍛錬と研鑽も怠らない一方、その匙加減もよく心得ていた。


「えー、でもな……私が転送したら足が付いてしまうわ……」


「言っとくけどボクは魔法詠唱が面倒だからヤダ」


 女神エルマとメイヴァーチルの交渉は今のところ平行線だった。


「いいこと思い付いた。まず、キミの得意な異世界召喚で呼び出した人間ムシケラにキミが魔法使える加護とかじゃんじゃん与えます」


「その人間に対魔神王特効魔法とか言って、一回こっきりで異世界召喚魔法を使わせます。これなら足は付かないだろう」


「で、世界を救った勇者様は魔神王を倒したのと引き換えに、その魂が燃え尽きて死んでしまいましたとさ。そして世界はボクのもの。その暁にはキミのこのボロ神殿を白大理石で建て直してあげるよ」


「完璧なシナリオだと思わないかい?女神様」


「貴女って本当に……賢くて良い子だわ」

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