第116話 ラウンドスリー
メイヴァーチルの前に再びフェンリルが立ちはだかる少し前。
図らずもメイヴァーチルの奸計によって、異世界転生を体験する事となったフェンリル。彼にとっての現世、アルグ大陸では"人類の完全支配"を謳い、完璧な世界を創る事を目論む彼、終焉を告げる者の異名を持つ彼、転生先で何をやったかは想像に難くはない。
飛ばされた先の光景、文明水準の高さに、戦乱が絶えず地の果ての様なアルグ大陸出身のフェンリルは目を見張った、同時に深い憎しみに包まれた。
彼は飛ばされた異世界でも破壊と殺戮の限りを尽くした。いうなれば威力偵察と補給を兼ねた小手調べと言ったところ、それに、少しばかりの出来心だった。
フェンリルの感想としては、現地の兵士、文明、建造物、いずれも確かに高水準だったが、軍はお粗末と言わざるを得ないと思った。
兵士達は、武器に大した銃を持っていた、大層な火砲を撃ち込んで来た。中にはメイヴァーチルが乗っていたのと同じ装甲車、それより更に重厚な走る鉄の箱。果ては回転羽翼の嘶きと共に、機銃を撃つ空飛ぶ鉄の船、高速で飛行する鉄の鳥が爆弾を降らせた。
それ等の兵器は大変興味深かった。フェンリルは未知の戦闘に心躍ったが、残念ながらそれら近代兵器の総攻撃を以てしても、自身の終焉には届かなかった。
フェンリルとしては、戦士には最も基本的で不可欠な、何としても敵を滅ぼすという意思が欠けている様に思えてならなかった。確かに火力があれば容易く敵は殺せる、だが、敵を殺すその原動力は殺意なのだ。
高度な文明は人間から野生を奪い去る、初めて見た異世界の軍隊は、自身の魔神形態の前に他愛のない結果に終わった。都市は壊滅させた。市民の大半を殺した。
見上げる様な石と鉄の城の群れ、高層ビルというらしいが、フェンリルの"
現地の人間に聞けば、大勢の人間が中で働いているのだという。丁度良い話だった魂を抜き取り、連戦で消耗した魔力を補給した。
元居た世界のメイヴァーチルと戦っていた時間軸まで戻る為には、やはり大量の魔力を消費する、だが現地調達に成功した。彼は人間だった頃から現地調達を得意としている。
壊滅的な被害をもたらしたのは挨拶代わりと言ったところ。いずれはこの世界を侵略して支配したいとフェンリルは強く思った。だが異世界よりもまず、
予定は狂ったものの、メイヴァーチルの冒険者ギルド以外の武装勢力がほぼ壊滅という状況まで持って来れた時点で、魔神帝国の目的は概ね達成と言っていい。
フェンリルも消耗していたが、飛ばされた先で膨大な数の人間の魂を喰らって全快以上に回復した己の魔力を分割し、影武者を創り出す。
「"映し出す影身"」
影武者が戦う間、本体の自分は影に隠れながら戦闘不能に陥ったベリアル、ベレト、アスモデウスを回収するという作戦。たった四人しかいない魔神の仲間、むざむざメイヴァーチルに殺されては、魔神王の無数の目にも涙が浮かぼうものだ。
「行け、メイヴァーチルを倒せ」
まるで同じ鎧姿をした影武者に分け与えられたのは、今のメイヴァーチルの残存魔力と同等程度の目分量。メイヴァーチルが分身に敗れるならば、所詮それまでの器だったという事だ。代わりを探すほかあるまい。
しかし、フェンリルはメイヴァーチルをある意味で信頼していた。二度に渡って激闘を繰り広げたからこそ、あの狂ったエルフの女の事が理解できた。その思想、胸の内に燃え滾る憤怒、人類への憎悪。そしてその暴力の信奉者たる生き様、新たな世界の支配者に相応しいと見込んでいた。
「ククク……やはり俺達はこんなチンケな世界で殺し合っている場合ではないという訳か」
この世界は位相が低い。所詮は、かつてベレトが魔物の飼育実験をする為に拵えた模造品のビオトープに過ぎない。魔神の裏庭、それがこのアルグ大陸だ。
言って見れば、百姓が庭に鶏を放し飼いにしているようなもの。ベレト達は本国である魔界で人間に駆逐され、ここへ避難した。だが、話はそれだけでは済まなかった。
そこへ、魔法を司る女神エルマや戦いの神ルセイルが脛に傷があるのか知らないが、たまたまやって来た。それぞれの神が創り出した人種が、剣と魔法、後は流れ着いた者達が持ち込んだ銃や爆薬で殺し合い、奪い合い続けた。他所から引っ越して来た奴等が、軍鶏を放って裏庭を滅茶苦茶にしたのだ。
ただ、それだけだ。この地の果ての様な世界には、たったそれだけの血塗られた歴史しかない。たったそれだけの為にカゼルの仲間も、カゼルが護りたかった者達も、皆、死んで逝った。
自分も死んだ。ムシケラの様に。
悪逆の限りを尽くした自分がムシケラの様に死ぬのは、仕方がないという諦観はあった。だが、断じてカゼルは認めたくなかった。
たとえ幾千幾万の人間を道連れにしてでも、何もかも全てを差し出してでも、神を殺して
幾らフェンリル達がその力を以てこの"模造品"を魔神の手に奪い返し、解放した所で何も変わらない。また、神を名乗る俗物の都合で、とって付けた様な悲劇は繰り返される。そんな終わらぬ螺旋に囚われている。
フェンリルは仮説に確信を抱いた、異世界に飛ばされてその目で見て理解した。百聞は一見に如かず。そこで見た光景はかつて、異世界からやって来た者達を尋問して聞き出した情報とも概ね一致していた。
魔神の俯瞰的思考が、仮説に結論をもたらす。
メイヴァーチルに転送されたあの世界こそ、数多に点在する異世界を束ねる"主軸世界"、三千世界の唯一無二、オリジナルの"世界"。
フェンリルもあの世界を、下らねェと言い捨てられなかった。だから憎んだ。
強烈に欲しかった、"あの世界"の終焉が。
「さて、次はお前が踊り狂う番だ、メイヴァーチル」
フェンリルは"映し出す影身"で創り出した分身がメイヴァーチルと対峙するのを確認した。魔術というのは基本的に自分で発案し、発動までのコストを鑑みて実戦投入する。アスモデウスの様に"業炎呪撃"の派生一本で片付ける魔神も居れば、フェンリルの様に手練手管を揃える魔神もいるというだけの話だ。
ある意味で武器と同じ。"映し出す影身"は魔力の消耗は激しいものの、使い方次第では実に有用な魔術。
「終わらせるぞ、この茶番を。"完璧な世界"を創る為に……」
魔法研究所での初戦、
王都での二度目の勝負、フェンリルのリングアウト負けと言ったところ。
三度目の戦い、フェンリルはリング外で補給した。それでは公平性を欠くというもの。魔力カット、魔神形態無しの分身というハンデを付けた。
果たして勝負はどう転ぶか、フェンリルは腕を組んで見届ける。
*
「
アスモデウスにとどめを刺そうとしたが、フェンリルが再びこの世界に現れるという緊急事態。メイヴァーチルは珍しく驚愕し、いつもの軽口が出てこない様だ。
本人同様の傲慢な口調の分身。言葉とは裏腹に魔力圧はかなりの所まで弱まっている、異世界から戻って来たことで更に消耗したと考えられなくもなかった。実際の所は、本体を魔力を分け合った分身だが、メイヴァーチルにそれを確かめる術はない。
「驚いたね。どうやって戻って来たのかな……?」
「やろうと思えば造作もない。向こうの人間の魂、数十万を使って再び次元を切り開いたまでの事」
「だがその前に」
影を伝う、フェンリルの分身。顔の亀裂から"黒狼災禍"を放つ。
メイヴァーチルが捨て駒にした勇者は暗黒のエネルギーの奔流に飲まれ、消し飛んだ。
「これでもうイセカイ・テンセーは使えない」
しだん、と骨の尾が地面を打った。魔神王の分身、敢えて背中で語る言葉があるとすれば、世界の死そのもの。
「……実は、その、なんだ。ちょっとしたジョークだよ。魔神王閣下、異世界観光は気に入って貰えたかな?」
メイヴァーチルは、にへら、と笑って見せた。かなり苦しい表情だった。
「死合の続きといこう」
フェンリルの分身が振り向いて拳を構えた。あれだけ拳で語り合った仲、言葉は無粋だ。
「……」
この野郎、お前が一番反則だろ。
メイヴァーチルは血が滲む程に唇を噛んだ。
最早万策尽きた。あとは……
虎の子のM2は弾切れ、装甲車はスクラップ。どうにかフェンリルを異世界に送った所で、向こうの人間を殺して魔力を補充して戻って来た。魔神帝国と冒険者ギルド、再び大将同士の一騎討ち。
メイヴァーチルも拳を構えた、突如間合いに現れたフェンリルの回し蹴り。
「ぐッ……!」
メイヴァーチルに勝算があるとすれば、格闘戦のみ。しかしそれもたった今、メイヴァーチルが打ち負けたところだ。
「"しがみ付く暗黒"」
フェンリルが左足に魔力を集中させて地面を踏み締める、影が粘性を持った。地面に叩き付けられたメイヴァーチルの四肢を、粘性の闇が絡め取る。
ただでさえ凶悪な"しがみ付く暗黒"だが、月すら闇が包む夜には最悪だった。
「……動けっ、くそッ!」
"しがみ付く暗黒"の泥濘を振り払おうと、猛獣のように藻掻き暴れるメイヴァーチル。獅子でもまだ大人しいというもの。
「嬲り殺しにしてやるよ!」
フェンリルは脚力のみで空高く飛び上がった。上空で体勢を取り"黒狼災禍"を放つ。自由落下に加え、推進力としたのだ。
大気摩擦によって赤熱しながら降り注ぐフェンリルその人。
メイヴァーチルの鳩尾に総重量330㎏を越えるフェンリルが超高速で落下し、ニードロップが突き刺さる。大地が陥没し、岩盤が砕けた。
「ッッ……!ぐゥッ、がッッ、がはァッッ……!」
メイヴァーチルは口から間欠泉の様に血を吐いたが、フェンリルが間合に入るや否や、即座に右の鉤打ちで反撃した。
どぎゃ、と外骨格がはじけ飛ぶ。フェンリルの巨体が吹き飛んだ。
メイヴァーチルは思ったよりフェンリルに余裕はない様に思えた。それもその筈、今メイヴァーチルと戦っているのは本体の半分だけの分身だ、だがそれを彼女が知る由はない。
メイヴァーチルは最後の魔力を振り絞り、次元魔法を連続発動させる。
シュレディンガー・レイブ改め、モースト・シュレディンガー。改良を加えた次元魔法の連続発動と打撃攻撃の併せ技が、刹那の間隙も無くフェンリルを打ち抜く。
火を吹く様な連打。
倒れろ。倒れろ、倒れろ……!
「
全て喰らって受け止めて、フェンリルは強引に殴り返す。
フェンリルは速さ比べでは不利と見て、メイヴァーチルが
フェンリルの右フックが、とどめの大技を放とうとしたメイヴァーチルを捉えた。ごしゃ、と再びメイヴァーチルの頭蓋が打ち砕かれた。
自動再生が始まるも、理不尽なまでに破壊で上回るフェンリルの左ストレート、頭を掴んで膝蹴りの連打。もう一度、竜巻の様な右フック。
「……つあァッッ!!」
頭の半分程が潰れたメイヴァーチル、殴り倒されても即座に飛び起きた。血を撒き散らしながら、三段蹴りでフェンリルの猛攻に対して切り返した。ペースを渡せば、終わりだ。
フェンリルはメイヴァーチルの"冥界蹴り"、三連急所蹴りをまともに喰らい外骨格が砕け散り、大きく仰け反った。
「若僧がァッ!」
劣勢の中、メイヴァーチルは攻めに転じる。最早これしかない。フェンリルに喰らい付くメイヴァーチルの連打、連打、連打。金剛破砕、死神手刀。飛び回し蹴り。凄まじい激突と共に火花が散る。
いずれも確かにフェンリルの外骨格を打ち抜き、打撃の悉くは間違いなく芯に衝撃を伝えている。
何故倒れない。何故ボクの拳が通じない?
この死闘の間、メイヴァーチルは常に全開だった、既に自動再生が追い付かなくなり、彼女の膨大な魔力も限界を迎えつつある。
「流石だメイヴァーチル。貴様も俺"達"と同じ、不撓不屈と呼ぶに相応しい」
フェンリルの頭部の亀裂から覗くすべての瞳が見開いた、外骨格に刻まれたタトゥーの数々が金色の光を帯びていく。影武者のフェンリル、賭け値無しの本気だ。
「しかし貴様も」
猛然と放たれたフェンリルの前蹴り、メイヴァーチルの腹にカウンターで突き刺さった。
「うがッ……ぶァ……ッ!」
メイヴァーチルは血の混じった吐瀉物を撒き散らし、たたらを踏んだ。破壊力の差は歴然だ。
「貴様等の神も」
フェンリルの切り裂くような鋭い右回し蹴り。
メイヴァーチルは、吐瀉物を吐き散らしながらも左右の腕を蹴りに合わせて受け流したつもりだった。僅かに衝撃を受け流し損ね、左腕骨が砕かれた、ほぼ治癒が始まらない、もう自動再生が切れかかっている。
ペースを渡せば一気に押し切られる、メイヴァーチルは起死回生の"金剛破砕"を叩き込むべく、自身の間合いに踏み込んだ。
「この世界も……!」
魔法でも魔術でもない、フェンリルの左拳がメイヴァーチルの鳩尾に突き刺さっていた。
「げほッ……!」
メイヴァーチルがフェンリルに接近する時は、ほぼ必ずと言っていい程低姿勢だった。2m近い背丈のフェンリルにしてみれば、まるで牙を剝き出しにした毒蛇が足元から絡み付いて来る様に、鬱陶しい事この上ない。影武者はそうした情報も共有している。
ではどうするか。メイヴァーチルの接近の僅かな癖を読み、予め置いておくように左拳を放った。なんという事はない、丁度そこへメイヴァーチルは突っ込んでしまったのだ。
「すべてが下らねェッッ!!」
お返しに。
フェンリルが大地を踏み鳴らす。
腰を落とし、スタンスを広げ、メイヴァーチル同様に静を思わせる徒手の構えを取った。
フェンリルは如何なる意趣返しのつもりか、さんざ苦しめられたメイヴァーチルの代名詞たる右掌底突き、"
メイヴァーチルの金剛破砕は、どちらかと言えば打った相手を水と見なし、身体の内部まで衝撃を伝える技なのだが、フェンリルが放った金剛破砕は破壊のスケールが大きい。
周囲の大気ごとメイヴァーチルが爆ぜ、弾け飛んだ。
打点もクソもない、金属の塊に衝突され、更に直接ソニックブームの爆心地に晒された様なものだ。
顔中の穴という穴から夥しい血を流しながらも、メイヴァーチルはまだ立っていた。もう自動再生は全く発動していない、放っておいても倒れそうな有様だ。
フェンリルはそれを尻目に、頭部の亀裂からマスティフを引き摺り出した。
戦場と化した王都に充ちた憎悪の思念が、超高密度の暗黒のエネルギーとしてフェンリルの握る大剣へと集中していく。
「どうやってこの世界に戻って来たか教えてやるよ」
「う……が、あ……」
グロッキー状態のメイヴァーチル。
まるで自動再生が追い付いておらず、身体を動かすどころか、潰された内臓の再生に残存する魔力を集中しており、生命維持に必死だった。
「
フェンリルは渾身の力で大剣を薙ぎ払った。
容易く空が断ち斬られた。
ブランフォード流で最も基本的な技、一撃に全霊を乗せるだけ。
魔神王の
幸か不幸か、メイヴァーチルは切り開かれた異次元空間に呑まれる前に死んだ。
ゆえに
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます