第114話 さよならを教えて

黒狼ネロ……」


 フェンリルは大きく腰を落とし、弓を引く様に右手を引いた構えを取った。魔力が迸り、地鳴りと稲妻が伴った。あからさまな大技狙い。


 「成仏させてあげよう」


 メイヴァーチルも同じく腰を大きく落とした、次の掌底打に全霊を込める。お互いに避けるつもりも、防御するつもりもなかった。


『俺にはお前の欲しい物が良く分かる』


 彼女は1200年の永きに積み上がった退屈を喰らい尽くしてくれる、己が全存在を賭けて戦うべき相手を心から望んでいた。確かにそれは叶えられた。


 メイヴァーチルにとってフェンリルは己の渇望を癒やす存在だった、だからこそ己の手で抹殺せずに居られない。そうして二人は、破壊と殺戮の狂想曲を奏でている。


災禍ディザスター!」


 フェンリルの空間ごと切り裂くような右打拳、迸る膨大な暗黒の魔力。


金剛破砕ダイアモンド・クラッシュ!」


 闘争の極致で黒い狼と白銀の悪魔が激突した。メイヴァーチルは右掌底突きでフェンリルの右腕を打って"黒狼災禍"の軌道を変えた。

 明後日の方向を向いて放たれるネロディザスター、王都の地面や瓦礫がそのまま真っ黒な闇に飲まれて抉り取られて消えた。


 続いてメイヴァーチルは左右掌底をフェンリルの胴体に叩き込んだ。直撃に次ぐ直撃、そこらの魔獣ならとっくに挽き肉になっているだろう手応えだ。


 頑強さに物を言わせてフェンリルは即座に蹴り返す。効いていない……訳ではない。打撃を受ける度に鎧の隙間から中身の魔力エネルギーが飛び出してはいる。


 メイヴァーチルを倒すべく、フェンリルは顔の亀裂からも"黒狼災禍ネロ・ディザスター"を放った。大剣で放つよりも出力は落ちるのだが、それでもエルフ一人蒸発させるには十分すぎる威力。当たれば終わりなら、当たるまでブッ放せばいい。


 凄絶を極めた両者の激突。特に二度に渡る"黒狼災禍"でこの世界の方が軋みを上げた。それでもメイヴァーチルは、戦いの中で狂った様な笑みを浮かべている。


「ぜッ……ぜッ……はァ……ッ!」


 黒狼災禍を躱した所にフェンリルの飛び蹴り。避け損なって身体ごと縦回転しながら吹き飛んだメイヴァーチル。猫の様にしなやかに着地すると、短く息を吐き出して呼吸を整えた。フェンリルと打ち合った間、自動再生オートヒールはずっと全開だった。なるべく被弾は避けねばならない。


「ヘバッている場合か?間合いだぞ!」


 フェンリルは明後日の方向へ突進した。メイヴァーチルは一瞬怪訝に思ったが、すぐに危機を察知して回避を試みたが、遅すぎた。


 "黒狼災禍"の残滓を使った"影渡り"、地面に映る影を伝ってフェンリルがいきなりメイヴァーチルの眼前に現れた。意表を突かれ、そしてフェンリルのタックルが強烈かつ速過ぎた。


「うぐッ!?」


 メイヴァーチルのくぐもった呻き声。先程の装甲車による"突撃"ないし轢殺攻撃への返礼か。重戦車の様なフェンリルの低姿勢のショルダータックルがメイヴァーチルの腹に突き刺さり、そのまま地面を引き摺り回す。


 確かに格闘戦では、メイヴァーチルが遥か上を行くのだろう。しかし組み合ってしまえば、技術的な差を大きく埋められる。そうしたダーティ・ファイトではフェンリルの方が一枚上手だった。まして、女エルフだからと手加減する様な神経は通っていない。


 フェンリルは引き摺り倒したメイヴァーチルに馬乗りになる、振り下ろすパウンドブローは、文字通り魔神デーモンが下す鉄槌。大地ごとメイヴァーチルを打ち砕いた。


「オラァッッ!!」


 大地震の様に地響きがした。


 メイヴァーチルの顔や頭蓋が粉々になり血飛沫が上がる、大地は大きく陥没した。メイヴァーチルがほぼ不死身なのは割れている、だからフェンリルは全力だった。


 これ程の損傷を受けても、すぐに自動再生オートヒールが始まった、その間にフェンリルは余裕をもって拳を振り上げ、もう一度振り下ろす。


 大地が揺れた、今度は闇に染まった空に稲妻が走った。破壊と再生を繰り返し、メイヴァーチルの魔力の消耗を強いる。血飛沫に肉片が混じる。それでもメイヴァーチルはまだ死んでいない。


「がぼ、うッ……が、ばあァッ!」


 メイヴァーチルは自動再生を一旦、運動神経を司る小脳に集中して回復させる。

 今はこれだけで十分だ。身体を動かしたその一瞬に、メイヴァーチルは懐から切り札の一つであるマナ結晶石を放り投げた。


 フェンリルはそれを見て、危機を察知する闘争本能に従い、爆風さえ伴う速度でそこに込められた魔法の射程の外に出ようと試みたが、既に結界は展開された。

 ベリアルから口酸っぱく注意された女神の魔法結界。


「ぐォあァッ!?」


 拠点防御の為の魔法結界をフェンリルへの攻撃手段として用いる、あまつさえ己の身さえ囮にして。フェンリルは敬意にも似た感情を僅かに感じながら、神聖魔法の浄化に焼かれた。


「……コイツを王国軍に横流ししたのもてめェだな?」


 フェンリルは暗黒の魔力圧を最大限に発揮してレジストした。結界が込められた結晶石の方が先に砕けたが、フェンリルへの有効打となった事は間違いない。


「がはッ……はァッ……はァッ……!」

 

 その間にメイヴァーチルは再生を終え、ふらつきながらなんとか立ち上がった。

 膨大な魔力を持つエルフのメイヴァーチルとて、脳や内臓の再生は負荷が大きい、特に脳の記憶領域にダメージを受けると、パッシブ発動自体に影響が出る。


「ハハハハ、どうした?御大層な"説教"を垂れても身体が付いて来ねェようだな、メイヴァーチルよ」


 しかしフェンリルの憎悪は果てしなく、一向に尽きる気配がない。


 だがこれでいい。ハナからまともにやり合って勝てる相手ではない。今のところ、メイヴァーチルの予想通りだった。


群狼ルーバス……」


 息も絶え絶えに、メイヴァーチルは両手を開き低い姿勢で構えを取った。獲物に襲い掛かる狼のような猛然たる攻めの構え。


連撃ストライク!」


「おォァッ!」


 悠然と両手を広いた構えを取ったフェンリル、メイヴァーチルの機関砲のような打撃の雨霰。フェンリルは真っ向からただ殴り返す。


 フェンリルの左の突きを掻い潜り、メイヴァーチルが右正拳突きを放つ。フェンリルはそれを見越し、相打ち覚悟で右フックを放った。


 正拳はフェンリルの胴狙い。

 フェンリルの右フックはメイヴァーチルの頬を掠るに留まった。やはり単純な殴り合いではメイヴァーチルに遅れを取る。更に、フェンリルのがら空きの胴に返す刀の左ボディ・ブローが突き刺さる。


 打拳が金属さえ引き裂く激烈な音。


 フェンリルの体がくの字に折れ曲がった所に、メイヴァーチルの飛び上がる様な左掌底突きがフェンリルの顎をかち上げた。


 更に身体を翻し、渾身の右掌底突きを頭部の亀裂に叩き込む。ごしゃ、とフェンリルの頭部外骨格が砕け散った。


「がはッ……!」


 再び金剛破砕の二連撃をもろに受けたフェンリルは大きくよろめいた。


 このクソ女、何処からこんな力が……


 恐るべきは白銀の悪魔メイヴァーチル、連戦で魔力を消耗しているとは言え、体重だけなら5倍はあろうかと言うフェンリルに真っ向から打ち勝った。


暴君剛脚タイラント・ブレイクッ!!」


 間髪入れず、追い打つ暴君。渾身の後回し蹴りがフェンリルの側頭部に直撃し、フェンリルは頭から昏倒した。


 フェンリルの拳が怒りのぶつけ先を求め、まずは地面を叩き付ける。暴君剛脚タイラント・ブレイクの直撃から、即座に回復して起き上がろうとしていた。


「その自動再生ドーピングがいつまで保つかな?」


 どれだけ魔神王に剣や斧や槍に魔法、果ては銃撃をも叩き込んだ所で、地獄に等しく人々の憎悪が満ちたこの世界で"憎悪の悪魔"を倒す事は不可能だとメイヴァーチルは結論付けていた。


 確かに互いを信頼し、隣人を愛するには、この世界は余りにも何もかもが足りなさすぎる、欠陥品の世界。

 だからと言ってメイヴァーチルはフェンリルを野放しにしておくつもりはなかった。それは謂わば、猛獣同士の縄張り争いに近い。


 確かにお前の言う通りだよ、フェンリル。人間は歴史に学ばない、愚かな生き物だ。

 悪魔に魂を売ったくたばり損ないが巷を彷徨いてるなんてのは、人間の愚かさの最たる例。ボクの世界には必要ない。目障りだ、叩き潰す。


 メイヴァーチルは追い詰められながらも、その端正な顔を歪めて嗤った。用意周到なるメイヴァーチルのこと、この血で血を洗う格闘戦は布石でしかない。


 王国軍にブランフォード軍、イルフェルトにエストラーデ、ジェイムズ、マーリア、錚々たる面々がここに至るまでに命懸けで奴の魔力を削った。


 その前提が有って初めて、メイヴァーチルは魔神王を一度はノックアウトに追い込んだ、夥しい犠牲を払ってやっと巡って来た唯一の好機。

 今この瞬間だけ、メイヴァーチルが僅かに魔神王を押している、だが、この優勢はこれ以上続かない、チャンスは今しかない。


「レージング、ドローミ!」


 メイヴァーチルが次元魔法で鉄鎖を引き摺り出し、左右の手でフェンリルに向かって放り投げる。フェンリルを縛り動きを止める為、女神から仕入れた特注品だ。


「下らねェ小細工を……!」


 一先ずフェンリルを縛ることに成功したものの、フェンリルはすぐさま剛力で引き千切る。次の瞬間、蒼白い魔剣の文目が軌跡を残すばかり。

 一瞬の隙にフェンリルが斬り返した。"大切断"、百戦錬磨のメイヴァーチルですら全く視認できなかったが、彼女は危機を告げる本能に従って回避を行った。


 フェンリルが、回避を試みたメイヴァーチルの視界の端で魔剣マスティマを振り抜いて残身している。如何なる反射神経か、間一髪のところでフェンリルの"大切断"を躱したメイヴァーチル。だが、しかしその左腕は斬り落とされた。


「バラバラにして瓶詰めにしてやるよ」


 だらり、とフェンリルの全身が弛緩し、刹那さえ置き去りにした。全く反応出来なかったが、メイヴァーチルは大切断の軌道だけは見切った、そこへ拘束具を投げ放つ。


「グレイプニール!」


 メイヴァーチルの本命の拘束。こちらも女神エルマ経由で手に入れた神話の品。フェンリルなどを縛るなら持ってこいの代物。今度はフェンリルの剛力を以てしても、びくともしなかった。


「こんな玩具で、魔神王オレがどうにかなると思っているのか?」


「げほッ……はァッ……はァッ……!悪いけど、ハナから戦争ガチンコ憎悪悪魔を倒せるとは思っちゃいないよ……」


「今だ、異世界に送っちまえ!」


 次元魔法、メイヴァーチルは先日、女神エルマに異世界から呼び出させた"勇者"を戦場に引き摺り出した。


「見損なったぞメイヴァーチル、この期に及んでイセカイ・テンセー頼りとはな。そんなド素人に、いったい何ができるってんだ?」


「落ち着いて、そいつを異世界に飛ばすんだ」


 何だと?コイツまさか、女神の異世界転生魔法を"俺に"使わせるつもりなのか。


 皮肉な事に、かつて帝国軍の特務部隊として異世界転生者を悉く闇に葬って来たカゼルの成れの果て、魔神王フェンリル最大の弱点は"人間の愛"、次点で"異世界転生"だった。


「オイオイ、待てメイヴァーチル!そりゃ反則だろ!」


 散々卑劣な手段を用いて来たフェンリルだが、此度のメイヴァーチルの奸計には焦りを滲ませた。流石の魔神王も、たとえば知的生命体の存在しない異世界に飛ばされれば一発でアウトだ。


「サヨナラだ、魔神王」


 メイヴァーチルは天使のように微笑んだ。


「貴様ァあッ!メイヴァーチルゥーッ!!」


 フェンリルは膨大な魔力の発動術式の中にいる。グレイプニールによって全身を拘束されている事で全く身動きが取れない。


 そして、異世界召喚が無事発動した。フェンリルは、この世界から、アルグ大陸からさっぱり消え去った。


 魔神王のあの禍々しい邪気が、人類を押し潰す様な魔力の圧がそっくり消えていた。メイヴァーチルは、心なしか先程より数段動きやすくなったように感じる。


「……」


 斬り落とされた左腕を、治癒魔法で接合したメイヴァーチルは静かに微笑んだ。

 悪魔も泣き出す様な、恐ろしくも美しい笑みだ。


「さて、後はキミ達だけだね」


 用意周到。そして悪辣なる黒い狼を罠に掛けて消し去る機転。残る魔神デーモン達に、狙いを定め、白銀の悪魔と呼ばれたエルフが裁定者の如く厳然たる笑みを浮かべる。

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