第86話 Meet Again.

 ツヴィーテはローゼンベルグが打倒された事で冒険者ギルドの者達が統率を失い、襲い掛かって来ると見て地面に煙玉を投げ付けて煙幕を張った。


 これもかつて特務のマルヴォロフから使い方を学んだ。また、これを悪用し毒ガスを撒き散らして敵集団を纏めてあの世に送るのがカゼルのやり方だ。それはさておき、お陰で右腕に治癒魔法をかけて応急処置をする時間を稼げた。


「これはこれはツヴィーテくん。そろそろお腹が空いた頃と思って拉致むかえに行こうと思ってたんだけど、そちらから来てくれるとはね」


 だがその分厚い煙幕さえ速拳一閃、振り払らわれた。"白銀の悪魔"こと冒険者ギルドのマスター、メイヴァーチルが姿を現した。タイミングからして、ローゼンベルグとツヴィーテの戦いを見物していたのだろう。


「空腹よりもハラワタが煮え繰り返ってんだ。貴様が再生出来ねえ様に喰い殺してやるよ」


 本気でメイヴァーチルの喉笛を食い千切りかねない迫力で、ツヴィーテはメイヴァーチルを睨み付ける。


「フフフ、頼もしいね。益々気に入った」


 メイヴァーチルはもう既にツヴィーテを冒険者ギルドに加入させたつもりになっているのか、機嫌が良さそうだった。


 好きなだけ侮り腐るといい。


 ツヴィーテはメイヴァーチルが"自動再生"とやらを発動出来ないように氷漬けにした上で、大剣"魔獣狩り"を脳天に叩き込んでやるつもりだった。


「……あ、そうだ」


 思い出した様に、氷漬けになり氷像のようになったローゼンベルグにメイヴァーチルは目をやった。す、とその胴体辺り、身体の中心を捉えるように手を添える。


「全く。油断しすぎだよ、ロズ」


 一瞬ツヴィーテは、敗れた部下を粛正するかと勘違いした。それ程の勢いでメイヴァーチルは掌底突きを放った。しかし、粉々になったのはローゼンベルグを包んだ氷だけ、本人にはさして衝撃が伝わっていない様子だった。


 彼女は何気なくやってみせたが、卓越した身体操作によって、狙った部位に力点を集めた達人技だ。

 それはつまり急所にあの打撃を受ければ、脳や内臓を破裂させられ、一撃であの世行きも有り得るという事だ。


「ゲッホ!ぶはッ……う、げほッ!」


 自由を取り戻したローゼンベルグ、だが生きたまま氷漬けにされていたダメージは半端ではない。たまらず倒れ込んだ所を、メイヴァーチルに踏みつけられた。


「た、助かりました……ボス……」


 ローゼンベルグは踏みつけられたまま、申し訳なさそうに礼を言った。


「……ウチの本部長をかちこちにするなんてやるじゃないか、ツヴィーテくん。ところで、お友達のアルジャーロンは尻尾巻いて逃げたのかな?一緒に誘ったつもりだったけど」


 そう言いながらメイヴァーチルは踏み付けたローゼンベルグに脚で体重を掛けていく。

 一応、メイヴァーチルは足で治癒魔法を発動させてローゼンベルグの凍傷や骨折を治してやっているのだ。


「貴様を殺すくらい俺一人で十分だ」


「なるほど。ウチに一人で殴り込んで来るイカれた人間ニンゲンはキミで二人目だよ」


「ボス!野郎、半端な腕じゃ……」


「うるさいなあ、キミは邪魔だから下がってな」


 メイヴァーチルは、足で治癒魔法をかけるのを止めてローゼンベルグを蹴り飛ばした。

 ローゼンベルグがツヴィーテから受けた傷は完治した様だったが、メイヴァーチルの下段蹴りをまともに喰らってはまた重傷を負いかねない。


「ボクはこう見えてクレリックなんだ。格闘技は趣味でやってる。その腕、治してあげようか」


「その手に乗るか」


「遠慮しなくていい、折角のお客さんに無粋な真似は出来ないさ」


 メイヴァーチルが眼前から消えたかと思うと、その囁き声がツヴィーテの耳元で聞こえた。


「……!?」


 速いなんてものではない。意識の間隙を突いたのか、気が付くとメイヴァーチルはツヴィーテの右腕の傷に手をあてがい、物の一秒程で治してみせた。

 完全に痛みと出血、自前の凍傷が収まり、ツヴィーテの右腕は元通りになった。


「後悔するなよ、メイヴァーチル」


 メイヴァーチルは慈しむ様にツヴィーテの右腕に治癒魔法を掛けた。そこだけ見れば、まるで悪戯な天使の様に美しかった。

 実際、メイヴァーチルは美しい。

 ツヴィーテとしては今まで見て来た女性の中でも、アーシュライアの次くらいには美しいと思った。ただ、その美貌が何処までも類稀な邪悪さを際立たせる材料にしかなっていない。


「あれ。もしかして、ボクと戦うつもりかい。ボクとしてはあまりキミを傷付けたくないんだけどな」


 先程部下のローゼンベルグを蹴鞠のように蹴飛ばしておいて、ぬけぬけと言ってのけた。

 先日ツヴィーテの事務所に機銃掃射を行い、業者に撤去させたのはこのメイヴァーチルで間違いない。


「どの口がほざきやがる。貴様の下で働くなんざ死んでも御免だ」


 ツヴィーテは静かに大剣を構える。

 メイヴァーチルはまだ、天使の様な微笑みを浮かべたままだった。


*


「がはッ……」


 決着は早かった。冒険者ギルド本部においてメイヴァーチルに次ぐナンバー2のローゼンベルグを下したツヴィーテだったが、メイヴァーチル相手には30秒保ったかどうかと言うところだった。

 もっとも、この化けエルフ相手に30秒立って居られただけでも、人間としては上出来だ。


「気が済んだかな?ツヴィーテくん」


 メイヴァーチルは、子供が虫でも観察するようにしゃがんでツヴィーテの様子を伺っていた。何処か優しげでもあった。やはりと言うか、勧誘する為に手加減しているのだ。それこそ虫を踏み潰さぬように。


「ボクはね、こう見えて1200年以上生きているんだ。キミは確かに強いけど、キミくらいの腕のスラーナ人は昔はごまんと居たよ。それこそまだこの世界に人間がスラーナ人しか居なかった頃はね」


「貴……様……」


 メイヴァーチルの鳩尾への一撃が効いて、ツヴィーテは全身が痺れた様に立てず、呼吸すら困難だった。甲冑は砕かれた訳でもなくそのままだが、まるで防具としての用を為していない。


「それにしてもキミが何の為に戦っているのか、今一つ見えて来ない。死に場所でも探しているのかな」


 図星だった。単身で冒険者ギルドへの殴り込みなど、自棄でないと言えば嘘になる。


「俺は……貴様のような悪党が気に入らないだけだ」


「ふむ、キミは暴力に善悪があると思っているのか。なるほど騎士道精神って訳だ。でもね、暴力はどこまでいっても暴力だ。それ自体に正義も悪もない」


 メイヴァーチルは、何時になく真剣な眼差しになった。クレリックとしての位階がどうなのか知れないが、まさに"説教"じみている。それでいてその紅い瞳は吸い込まれそうな程、紅い。


「ボクの見解では、正義なんてのは人間の頭の中にしか存在しない。愚かな人間ムシケラが他者を排除する為の方便だ」


 紅い瞳が見開かれた、その表情に僅かに怒りが滲む。


「ならば強さの、力の本質とは何か?……すべてを破壊する暴力こそ真の強さだよ。こうしてキミを意のままに出来るということこそ、強いって事なのさ」


 メイヴァーチルは騎士甲冑と大剣を携えたツヴィーテの首を掴み、軽々と左腕のみで持ち上げた。およそエルフらしからぬ膂力だ。


「この世に悪があるとすれば、"弱さ"こそが悪だ」


「さて。その辺を踏まえた上で、もう一度だけ聞こうか。冒険者ギルドに加入したまえ、ツヴィーテ・ニヴァリス。従わないなら、不法移民として"処理"するよ」


「くたばりやがれ……」


 せめてもの抵抗に、ツヴィーテは力を振り絞ってメイヴァーチルの左腕を握り、凍り付かせた。

 す、と静かにメイヴァーチルの右手が"死神手刀スペクター・ブランド"の構えを取った。


「困るなァ……メイヴァーチル、任せるとは言ったが、誰も殺せとは言っていないぞ」


 しゃがれた声がメイヴァーチルを制止した。我が家の様に、さも当然と言った様子で冒険者ギルド本部の玄関口から歩み出てきたのはフェンリル。変装のつもりか、在りし日のカゼルの姿に化けていた。


 変装がてら、勝手に冒険者ギルド本部の制服を着用し、葉巻を咥えて酒瓶を片手に携えている姿は、それこそ頭目のようだった。無論、冒険者ギルドよりも余程質の悪い組織のだ。


「チッ、キミを招いたつもりはないんだけどな。フェンリル……」


 メイヴァーチルは"フェンリル"のその傍若無人の振る舞いが余程気に入らないらしい。

 先程からツヴィーテ相手には微笑みの様なモノを浮かばせていた美貌を歪ませ、露骨な不快感と憎悪を露わにした。 


「つれねェ事言うなよ、メイヴァーチル。そいつを下ろしてやれ」


「ことわ……」


 メイヴァーチルがお茶を濁そうとした瞬間、フェンリルは剣を抜いた。自作のマスティフでも憎悪マスティマでもない、冒険者ギルドで制式採用されているよくある刀剣だ。


 それ以上言葉で語るつもりはないらしい。


 メイヴァーチルとて、フェンリル相手に譲るつもりはない。ごく冷静にフェンリル相手に事を構えるのは時期尚早と判断した。


 その証拠に、心底、不承不承と言った様子でメイヴァーチルはツヴィーテから手を放した。余程手駒に加えたかったのか、名残惜しそうにまだツヴィーテを見つめている。

 見れば分かる事だが、冒険者ギルド本部の男性職員は皆男前揃い、つまりそういう事だ。


「久し振りだなツヴィーテ。そろそろ噛み付く相手くらい選んだらどうだ?」


 かつての気安さそのままに、カゼルの姿をしたその男はツヴィーテに語り掛けてきた。

 そのカゼルの姿は、ツヴィーテの記憶の中の姿がそのまま現れたようだった。幾らあの"黒い狼"とてあれから何年も経つのに、あの時のままである筈がない。


「カゼル……なのか……?」


 やはりツヴィーテは違和感を拭えない。彼の五感が、記憶が、このカゼルと思しき男は表面を取り繕っただけだと告げている。


「違うな、カゼルなんて男は死んだ」


 葉巻が燻らせる紫煙が立ち昇る。

 東へ。あの因縁の荒野に向かって吹く風が、紫煙を連れ去っていった。

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