第85話 ツヴィーテvsローゼンベルグ

 ツヴィーテは擲弾砲を投げ捨てた、ナイフ相手に出番はない。大剣の柄を短く構え直した、リーチはこちらが遥かに有利だが、取り回しでは比べるべくもない。

 本来スラーナ人の戦士は軽装備で、投げ斧、槍、刀剣、魔法攻撃などを得意とする。帝国軍での熾烈な訓練の結果、ツヴィーテは大剣をも自在に操れるようになったというだけの事だ。まともに打ち込めば甲冑を着込んだ兵士や悪魔鎧だろうと一撃で仕留めうる破壊力が気に入っている。


 ローゼンベルグは驚く程の俊敏さで踏み込んだ。姿勢を低くしながらナイフを構えツヴィーテに突進する。大柄だが、メイヴァーチルにも比肩する程素早い。


 ツヴィーテは余りにも速く大剣の間合いを殺され、一先ず防御に意識を裂いた。

 優れた動体視力でナイフを躱す。容易く躱せるのは、別段ローゼンベルグのナイフ捌きがお粗末な訳では無い、そこいらの騎士が振るう剣や槍よりも余程殺気に満ちている。

 だが、少なくとも彼以上に凶悪かつえげつのないナイフ捌きの男を良く知っていた。幾度と無く実戦さながらの訓練を積んだ経験がここでも生きる、ローゼンベルグのナイフが切り裂いたのはツヴィーテの顔の皮一枚程度が良いところだった。


 二、三度ローゼンベルグのナイフが閃く内に目が慣れた。ツヴィーテは左手でナイフを握るローゼンベルグの右手首を掴み、渾身の前蹴りを叩き込んだ。些か癪に障るが、これもカゼルの得意とするパターンだった。懐に潜り込まれたのなら、打撃で応戦するのが有効だ。


「ッッ……おらァッ!!」


 ローゼンベルグはまともに蹴りを喰らって仰け反ったが、彼も左手でツヴィーテの腕を取り、甲冑と大剣を着込んだツヴィーテを背負う様に投げ飛ばす。体術、所謂甲冑組手だ。


 こう投げられると普通は起き上がるまでに時間が掛かる。だが特務での汎ゆる訓練は、常に甲冑を帯びて行われた。素早く受け身を取ったツヴィーテを、ナイフの刃が追撃する。ツヴィーテは防ぎ切れぬとみて素早く、出来るだけコンパクトに大剣を薙ぎ払った。


 ローゼンベルグはナイフとガントレットで大剣を上手くいなした。彼とて、チンピラがナイフを振り回しているのとはまるで訳が違う。そのナイフ捌きは一切迷いなく急所に滑り込み、血に飢えた獣の牙さながらだ。


「面白ェ、俺とここまでやり合える野郎がいるとはな」


 ローゼンベルグは慣れた手付きでナイフを順手に持ち直した。


「斬り合いは慣れてんだよ」


 ツヴィーテは大剣を上段に構えた、ローゼンベルグはナイフを静かに構えたまま隙を伺っている。このままリーチに物を言わせて打ち込めば左右に躱され、今度こそ首を掻き切られるだろう。瞬時に相手の狙いを見切ったツヴィーテ。


 打ち下ろしはフェイントとして捨てた、ツヴィーテは素早く大剣を右下段に構え直し、ローゼンベルグの脚部を狙った下段斬りを繰り出した。その剣は強烈無比ながら変幻自在。驚いたローゼンベルグは縄跳びのように跳ねて躱した、咄嗟の事で避難と言って差し支えない。


「てめッ……」


 ローゼンベルグは飛び跳ねてしまい、動きが止まった。近接戦闘で空中に身を浮かべるのは通常、自殺に等しい。ツヴィーテは遠慮なく大剣を叩き込む。ローゼンベルグは膝鎧と腕のガントレットで刃を防いだが、勢い良く弾き飛ばされた。


「いってェ」


 ローゼンベルグは冒険者ギルドの白大理石の外壁に勢い良く叩き付けられた。

 ツヴィーテには防御越しでも肋骨の二、三本は砕いた手応えがあった、痛えで済む筈がない。ローゼンベルグは飄々とした物言いこそ崩さなかったが、額には脂汗が滲んでいる。


「よーく分かった、本気でいくぜ」


 そう宣言するとほぼ同時に、ローゼンベルグの両手のガントレット、ナイフの刃が勢い良く燃え上がった。


 速度が増した訳ではない。炎の揺らぎはナイフの刃と軌道を覆い隠す。炎熱はツヴィーテの感覚をダイレクトに脅かす。文字通り火が付いた様にローゼンベルグの攻勢は、苛烈かつ俊敏になった。


 受け損なったツヴィーテは突き出した右前腕をナイフで突き刺された。痛みよりも腕を焼かれた灼熱感が激しい。


「ぐッ……!」


 ツヴィーテは苦し紛れに柄を左手で握り直し、大剣を薙ぎ払った。ローゼンベルグは恐るべき運動神経を見せる、その場で大きくバク転して大剣を躱し間合いを取った。ご丁寧にナイフを握ったまま、だ。体ごとナイフを引き抜いていったお陰で、ツヴィーテの利き腕は余計に切り裂かれた。


「どうだ、俺の火炎魔法は気に入ったか?ツヴィーテ・ニヴァリス」


「……暑苦しいのは魔法だけにして貰いたいもんだな」


 治癒魔法で治す暇はない。ツヴィーテは発動の速い氷魔法で自らの右腕の傷口を凍り付かせ、止血と、火傷の処置、腕の固定を行った。

 斬り裂かれたのは右前腕。肩や上腕は健在だ。傷口さえ固めれば剣は振るえる。


「氷魔法、やっぱてめェとは相容れねェと思ってたんだ」


 ローゼンベルグはツヴィーテの自らへの凍結を痩せ我慢半分ハッタリ半分と見た、普通なら右腕はもう使い物にならない。そろそろとどめを刺す、とナイフを構えて飛び出そうとした時だ。足が動かず、大きくつんのめりそうになった。


 ローゼンベルグの両足が凍り付いた様にびくともしなかった。ナイフを構えたまま目だけそちらにやると、足甲が地面にがっちりと凍り付いて、今もぱきぱきと音を立てて凍結していく。


「は?」


 いつの間に?

 白兵戦ならまだしも、よもや魔法で意表を突かれ、ローゼンベルグは呆気にとられた。


「そう捨てたもんじゃねえさ」 


 ツヴィーテの右腕の"パフォーマンス"に気を取られたローゼンベルグは迂闊にも脚部を氷漬けにされていた。いつやったのか分からない程の瞬間凍結。無論、面接ころしあいなのだから悟らせる訳もない。だとしてもこの冷気は余っ程ここら一帯を氷漬けにするつもりだったとしか思えない。


 先日、ボスが足止めを喰らったのはこれだ。こいつは、さっきも剣に意識を向けさせて、おそらくは足先で氷魔法を発動させ地面を凍らせた。なるほど実際にやられると厄介極まりなく、躱すのも困難。そしてボスと違って俺は……


 ローゼンベルグの走馬灯的な思考はそこまでだった。


 ツヴィーテは氷魔法を発動させその剣すら氷漬けにして斬り掛かった。ローゼンベルグは不格好な白刃取りの要領で受け止める他無かった。瞬時にガントレットが凍り付き、腕から肩まで冷気に侵されていく。このエルマロット王国は湿度が高く、気温が低い分、尚効果は増した。


 つられて辺りの気温も加速度的に冷えていく。更に魔獣狩りの刀身はアルグ鋼製、魔法の乗りはすこぶる良い。見る見る内に、身動きが取れないローゼンベルグが抵抗レジストしようと発動させた火炎魔法に、氷魔法の出力が優っていく。


「ぐわあああァッ!!」


 ローゼンベルグが全身氷漬けにされるのはもはや時間の問題だった。


 両手足を凍らされ、遮二無二腕を振り回すローゼンベルグ。だが、いくら火炎魔法を発動させようとしても、魔法の詠唱は出来ても、ガントレットの省略術式が発動しない、凍らされた部位にマナを込めることが出来なかった。

 手詰まりのローゼンベルグが、自爆覚悟で胸か顔から火炎を発生させるか躊躇する間、ツヴィーテの氷魔法が無慈悲にローゼンベルグを覆っていくばかりだった。


「俺の氷魔法は気に入ったか?」


 ツヴィーテは泰然と大剣を振り、残身した。

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