第82話 ツヴィーテ&アルジャーロンvsメイヴァーチル

 勝負はほんの一瞬、それさえ細切れにした刹那だった。


 メイヴァーチルの動きは断じて人類の範疇にはなかったが、幸か不幸か、ツヴィーテが人間離れした者達と過ごして来た経験はここでも生きた。すれ違い様、ツヴィーテが薙いだ大剣は確かにメイヴァーチルの頸部を切り裂いた。


 間欠泉の様に血が噴き出したのも束の間、ツヴィーテを閃光の様な三段蹴りが襲う。剣こそ握り締めたままだが、放たれた砲弾の様な勢いでツヴィーテは瓦礫の山に叩き込まれた。文字通り、喰らった相手をあの世行きにするメイヴァーチル必殺の冥界蹴ケルベロス・ショットりだ。


 冒険者ギルドのマスターが軍でも手が付けられない化け物だと、王国に在住していた頃のアルジャーロンも耳にした事がある。

 見ると聞くとでは大違いであったが、アルジャーロンとて怯むことはない。

 ツヴィーテが倒されたとほぼ同時に、アルジャーロンは得意の火炎魔法を発動させメイヴァーチルに向かって突進した。一対一なら味方を巻き添えにする危険もなく、加減は必要ない。メイヴァーチルの回復速度を上回らなければならないこの場合、好都合だった。


 メイヴァーチルもそれを認め、ご機嫌に指を弾く。それと同時に、アルジャーロンが発動させた火炎魔法の勢いが目に見えて衰えた。

 それはいわゆる詠唱妨害ジャミングだった。ごく初歩的な魔法で特定の音や光を発生させて術者の意識を逸らし、詠唱を妨害する小細工だが、単純故に効果が大きく、奥が深い。実際にこの魔法の国エルマロット王国ではれっきとした技術体系として存在する。


 メイヴァーチルの詠唱妨害を受けてなお、アルジャーロンは再び火炎魔法を"強制発動"させた、再び勢いを取り戻したアルジャーロンの火炎がメイヴァーチルを襲う。


 その迸る地獄の火炎を、結局メイヴァーチルは素手で受け止めた。吸い込んだ空気で気道さえ焼ける程の灼熱だというのに、相変わらず涼しい顔で人間の惰弱さを憐れんだ。


「へえ、やるじゃないか」


 まともに喰らって無事な者は居ない。アルジャーロンが受けたのはそういう正拳突きである。アルジャーロンもツヴィーテ同様勢いよく瓦礫の山に突っ込み、したたかに後頭部を打ち付けた。


 何故一撃で絶命させないのか。メイヴァーチルは二人に対して"それなりに"手加減し、とどめを刺さそうともしなかった。

 食虫植物並に容赦も憐憫も持ち合わせていない彼女だが、対フェンリルに向けて少しでも戦える人手が欲しいのが正直なところだった。


 支配者の仕事とは、民衆の足をへし折ってから松葉杖を与え、それをまつりごとと称する様なことだが、今まさにメイヴァーチルもツヴィーテとアルジャーロンがこれからやろうとしていた事業を滅茶苦茶にし、無理矢理に冒険者ギルドで雇用しようとする。


 メイヴァーチルは左手で次元魔法を発動させ、勧誘用にしたためている冒険者ギルドの紹介状を二枚ばかり取り出した。そこへ飛び散った返り血でサインし、紙飛行機を折った。不屈の精神で瓦礫を押しのけ、立ち上がろうとしているツヴィーテに向けてそれを投げ付けた。


「そろそろ夕食だからボクは帰るよ。明日、冒険者ギルドの本部で待ってるね」


「ま……待て……!」


 それだけ言って、メイヴァーチルは炎上する事務所から踵を返す。朦朧とするツヴィーテの意識に、悠然と歩み去っていくメイヴァーチルの姿が焼き付いた。


「帰りは運転してね、ロズ」


 メイヴァーチルは完全に一仕事終えた心地だった。これでも彼女にしては手こずった方だ。


「無茶を仰る。俺は騎馬や竜しか操れませんぜ」


 ローゼンベルグの言葉に嘘は無かった。馬車ならまだしも、謎の技術で製造された装甲車両など、運転できる自信はない。


「それがね。ちょっと貧血なんだ、そのボクに運転させる方が怖くないかい?」


「……俺は死にたくねえんで、ゆっくり帰りますからね」


 逡巡のち、ローゼンベルグは運転席に移った。ただでさえ機械音痴のメイヴァーチルだ。冗談ではなく死を覚悟しなくてはならないかもしれない。そうして、始終、メイヴァーチルとローゼンベルグは安穏にしたまま帰っていった。


*


「クソ、冒険者ギルドめ……」


 ツヴィーテが次に目を覚ましたのは、事務所の残骸、瓦礫の山ではなく数百メートルも離れていない王国の路地裏だった。


 メイヴァーチルから発注を請けた建設ギルドで働く職人が、お得意様メイヴァーチルの要望でツヴィーテとアルジャーロンをここに放り捨てたのだ。恐ろしい事に、公式にはメイヴァーチルが行ったのはあくまで王国法に基づいた"無人廃墟"の"解体工事"。それ以上のことが記録される事はない。


 そして、道路工事も並行して行われるようだ。建設ギルドの厳つい職人と眼鏡を掛けた監督が、メイヴァーチルの装甲車が破壊した道路の下見をしているのが目に入った。


 結局、何処でも一緒だ。力がある奴が、力ない者を踏み躙る。従うか、殺されるか。それだけだ。


 職人たちに罪はないにせよ、ツヴィーテは腹の底からメイヴァーチルへの怒りがこみあげて来た。


「うッ、げっほッ……!まさか、ギルドマスター直々に御出座しとはね……ツヴィーテって引きが良すぎるね……」


 更に驚くべき事に、ツヴィーテやアルジャーロンの装備や私物も付近に丸ごと放り捨てられていた。

 それは、"小銭"や用途の分からないガラクタ、他人の武器しごとどうぐをいちいち盗んで売りに行くよりも、メイヴァーチルから請けた仕事を手早くこなした方が余程金になるという事実を如実に示している。


 ツヴィーテとメイヴァーチル、金も武力もまさに桁違いだ。


「俺が老け込むのも分かったろ?」


 ツヴィーテはゴミを押しのけてとりあえず荷物を確保した。力無き者には選択の余地はない。王国を去るか、メイヴァーチルの下で働くかどちらかだ。


「……そうね」


「それより、アイツはいったい何の化け物だ?首を斬られたのに即反撃して来たぞ」


 ツヴィーテの手には確かに、急所を切り裂いた手応えはあった。にも関わらず、メイヴァーチルの反撃はまるで一切の損傷を受けていないかの様に迅速を極めた。

 あんな回復魔法は聞いた事もなかった。そしてあの閃光の様な蹴りの破壊力たるや先程、喉、鳩尾、腹の三か所にグロテスクな内出血の痣が出来ているのを見て、初めて三度蹴られたのだと理解した。

 あのような化け物がボスを務めているのなら、かつての帝国でも傭兵ギルドが幅を効かせていた事も納得だった。


「あれが"自動再生オートヒール"よ、メイヴァーチルはクレリックとして覚えた魔法を全部自分の回復に充ててるの、あの馬鹿力もその応用」


 アルジャーロンは魔法使いだが、決してヤワではない。だがそれでも、メイヴァーチルの正拳が相当効いているらしく僅かに足を引き摺った。


「もしかして、まだ戦う気?」


 ツヴィーテの目はぎらついて、危険な輝きを放っていた。

 かつてグラーズに勝てぬと知りながら、最後の戦いを挑んだカゼルと重なった。


「やられっぱなしで尻尾巻けるかよ」


 今、自分がこうして流れ者に落ちぶれているのは、カゼルやリサール帝国、ましてメイヴァーチルのせいでもなんでもない。帝国軍やカゼルの猛威に屈したあの日の弱さ、かつての自身の選択がそうさせた。


 些か気付くのは遅かったが、奪われ続けた最後に残ったのは自分自身の意地だけだった。ツヴィーテは、アーシュライアに恥じぬ自分で居たいと思う、今はただそれだけだった。

 望むと望まざるに関わらず、力こそ正義の世界で生きて来た以上、そう簡単に力に屈する訳にはいかない。


「悪いけどアイツとやり合うなら私は下りるわよ、幾ら積まれたって割に合わないもの」


「ああ。お前にはジェニファーがいるだろ、ブランフォードに戻れ。仕事にならなくて悪かったな……」


 誰が相手でも躊躇しないのは亡きカゼルぐらいだろう。

 奴なら今日にも討ち入りの支度をして冒険者ギルドに砲弾の一つでも撃ち込むところだ、だからと言ってツヴィーテはアルジャーロンを薄情だとは思わなかった。


 冒険者ギルドと一戦交えるなど、当然ながら今回の契約外だ。バックにギルドが控えている程度ならまだしも、さすがのアルジャーロンも相手がギルドマスター・メイヴァーチルその人となると話は別だった。


 先日のツヴィーテの頸部への攻撃、アルジャーロンの初手の胴体を焼き斬った一撃、どちらもこれ以上ないほど命中していた。だが、メイヴァーチルの傷は瞬く間に塞がり、まるで問題にならなかった。

 彼ら二人とて王国で番付すれば上位に食い込む実力者だが、相手が悪すぎる。


「ツヴィーテは戻らないの?」


 アルジャーロンはツヴィーテを諫めるように言った。彼は冒険者ギルドの本部に一人で殴り込むつもりなのだ、はっきり言って正気の沙汰ではない。むざむざ死にに行く無謀さを咎める様子だ。


「俺は頭に来た。事務所を解体された上に、好き勝手物言いやがって不愉快極まりねえ。あのクソエルフに一泡吹かせてやる」


 普段は温和なツヴィーテの眼に危険な光が宿る。


「言っても無駄みたいね、あんた達って本当に……」


「せっかくのご招待を不意にするのは失礼ってもんだ」


 それだけ言って、ツヴィーテは僅かに残っていたリサール産ウイスキーを飲み干した。空き瓶を路地裏に投げ捨てる。誰にでもなく乾杯し、報復を誓った。

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