第80話 再びブランフォード家にて

 時はメイヴァーチルの襲撃の数日前に遡る。

ツヴィーテが事務所として王国の中古物件を購入し、同物件が改装工事中の間、ブランフォード領に足を運んだ頃。


「やあツヴィーテくん」


 わざわざ彼を出迎えたのは、ブランフォード領を統治する帝国貴族、バルラド・ライファン・ブランフォードだった。


「おじさんだー!」


「ご無沙汰しています、バルラド卿。お前もでかくなったな、ジェニファー」


*


「ジェニファー、私はツヴィーテくんと話がある。一人でいい子にできるね?」


「はーいバルラド伯父様」


「……?」


 ツヴィーテは疑問に思った、てっきりバルラドがジェニファーの父親だとばかり思っていたからだ。


「可愛い盛りだな、あれくらいの子供は。さて、性懲りも無く言わせてもらうが、例の件、気が変わったりしないかね」


「真剣に考えました、俺はやはりスラーナ人です。もうリサールの軍隊は懲り懲りでして」


「そうか、無理強いするつもりはない。ただ、君がブランフォードに残ってくれればジェニファーも喜ぶのだがね」


「そうですか……」


 ジェニファーの成長とは裏腹に、ツヴィーテは帝国特務騎士が壊滅したあの日から自分だけが一歩も前に進んでいない様な気がしてならなかった。


*


 ブランフォード家におけるツヴィーテの待遇は所謂客将だった。同領を統治するバルラドからすると、スラーナ語とリサール語に精通し、魔物の類が跋扈する帝都跡地の調査に赴ける程腕の立つツヴィーテは何かと便利な男だ。それは帝国議会や生前のカゼルが彼を飼い殺しにしていた理由と同じである。


 何の後ろ盾もないスラーナ人の軍隊崩れにしてはかなり上等の扱いを受けているというべきだろう。バルラドはいつもツヴィーテを歓迎してくれた。

 豪華な料理が、高級そうな金細工の入った食器に載せられてツヴィーテの前に運ばれてきた。ツヴィーテは努めて礼儀作法を思い出しながらナイフとフォークを手に取った。


 帝国に対し戦術的勝利を納めた筈の王国では、帝国軍の激しい抵抗や戦場に居た魔神による攻撃で被害が大きかった事、帝国の怨念を思わせる洪水や旱魃が毎年の様に発生した事で、食料配給が年々減少し経済状況が悪化しつつある。それに乗じる形で、冒険者ギルドが勢力を伸ばしつつある。


 一方ここ旧リサール帝国ブランフォード領では、今の所領民が飢えている様子はない。故にツヴィーテの前に並べられた食器を彩るのは、以前と変わらぬ高級食材たちだ。ブランフォード家現家督であるバルラドの運営手腕が冴えている事が伺える。


 まだ5歳のジェニファーは、カゼルの乳母であったミリアムから作法を仕込まれたのだろう、下手をするとツヴィーテよりもテーブルマナーをきちんとしていた。


 久し振りに摂ったまともな食事がブランフォード家のものとは、些か贅沢が過ぎる様に思えた。ただ、ワインではツヴィーテの渇きは癒せない。

 今になってカゼルの気持ちが少しだけ理解できた。すべてを捨てて戦っていた彼は、戦場以外しらふで居られなかったのだ。


*


「お互いしぶといのが身上かしら」


 食事を終えたツヴィーテがブランフォード南部産ワインの芳醇な味わいで口腔を満たしていると、アルジャーロンが姿を見せた。彼女はブランフォード軍の外部顧問という立場で同軍の対魔法訓練を担当していた。

 現在のブランフォード軍の軍事トレンドは、やはりというか対魔法、対魔物、そして対飛行兵が挙げられる。エルマ人であり、かつてエストラーデの側近であったアルジャーロンはその三つすべてに精通している。故にバルラドや、ブランフォード軍を統括するマーリアははぐれ者の彼女を重宝し厚遇しているのだ。


「お陰で俺は老け込んだ、お前は変わらないな」


 まだ20代半ばであるツヴィーテだが、夥しい傷跡と皺が走る面貌は年齢不相応の迫力を彼に与えている。それでも、身体に刻まれた幾つもの戦傷よりも、帝都反乱で受けたトラウマが何より重大だった。


「私は"あんた達"と違って死にたがりではないだけよ。ジェニファーもいるしね」


「俺だって冒険者ギルドに命を預けてるつもりはない、他にやれる仕事がないだけだ」


「バルラド様の私兵に雇って貰えばいいのに」


「俺はスラーナ人だ。どこに行ったってのけ者さ」


「それはあんたに溶け込むつもりがないだけじゃない?」


「……そうかもな。だから俺はこないだ独立した、はぐれ者らしく個人でやることにしたのさ」


「へえ、何の仕事?」


「今はギルドの仕事も受けてるが、本業は"帝都跡地"の調査だ。あそこの黒い魔物を狩れる奴は少ないから金になる」


「あら、人手が足りなければ手伝うわよ。報酬次第だけど」


 アルジャーロンは在りし日のカゼルが当てにしていただけあって、戦闘面でも頼りになる。炎の魔女の名は伊達ではない。


「そいつは助かる。それにしてもお前、ジェニファーが産まれてから少し変わったな」

 

「そう?ジェニファーは私に似て手が掛からない子よ」


「……そ、そうかもな」


 気の強そうな目、端正な顔立ち。子供ながら何かを堪えているようなきゅっと締められた口元。彼女はリサール人の貴族階級などで多く見られる金髪だが、瞳の色は母親と同じアッシュブルーであった。気さくで自由奔放なアルジャーロンとはあまり似ていない様に思えたが、口には出さなかった。


「じゃ、私マーリア様に呼ばれてるから。またね」


「待てよ、お前に聞きたい事がある」


 ツヴィーテは以前からアルジャーロンに聞きたいことがあった。


「なに?」


「……カゼルの野郎、まだ生きてると思うか?」


「さあ?まあ、そう簡単にくたばる男じゃないのは確かよね」


 それはツヴィーテも思うところだった。あのリサールの黒い狼が、あの人の皮を被った悪鬼羅刹が、そう簡単にくたばる筈がない。

 かつての帝都反乱ではカゼルの隊長命令によってツヴィーテは後方部隊に配置され、エーリカとアーシュライアの警護に充てられた。他の者達は現在、あの燃え盛る廃墟で鎧や武器の残骸を遺すばかりだ。


 唯一魔法が使える特務騎士だったのだから、同士討ちを防ぐ為に魔法使いのエーリカやアーシュライアと運用するというのは全く正しいように思えた。


 しかし、結果ただ一人だけ生き残り、エーリカもアーシュライアも行方不明。ツヴィーテはカゼルから任された任務を果たせぬまま、今もこうして生き永らえている。それがツヴィーテの胸に燻る忸怩たる思いの源泉のように思えた。


「生きてるとしたら、今奴はどこで何してると思う?」


「……カゼルが今も生きているとしたら?そんなの決まってるじゃない。今この瞬間も、この世界が憎くて仕方ない筈よ。あの人なら悪魔に魂を売ってでも何もかもブチ壊そうとするでしょうね」


「……奴の復讐ってのは、なんだ。エストラーデか?」


「違うわ。カゼル、ああ見えて馬鹿じゃないの。だから苦悩していた」


「アイリーンやグラーズ達みたいな追放者が帝国に反旗を翻したのも、"世界"の構造が原因だってよく言ってたわ。砂漠ばかりのリサールに生まれた者は、生きる為に奪うしかない。戦い、侵略し続けるしかない。って……彼の受け売りだけど」


 アルジャーロンは、遠い目をして語る。普段は飄々としているが、戦となれば冷酷無比。そんな彼女にしては、カゼルの名を呼ぶ声が震えていた。


「カゼルはね、世界の何もかも憎んでいた。私の事なんて、これっぽっちも愛してくれなかった」


 それが目の前の自分に向けられた言葉ではない事はツヴィーテにもよく分かった。


「そうかい」


「もう一つは、ジェニファーの父親についてだ」


「……それなら今話したじゃない」


「だからバルラド"伯父"さんかよ……」


 ツヴィーテは、藪蛇とはまさにこれだと思った。


*


「君があの子を引き取って育てれば話が速い」


 その後、ツヴィーテもマーリアに呼び出された。カゼルの実姉に当たるマーリアは深窓の令嬢めいた顔立ちだが、カゼルとの姉弟喧嘩の際では、ブランフォード製の白い鎧に身を包み、長槍を振り回す姿がやけに堂に入っていた事がツヴィーテの記憶にも新しい。

 彼女の存在こそ、ブランフォード領の抑止力。"白狼将軍"の名で呼ばれる彼女は、戦場で長槍を振り回す時こそが真骨頂。ツヴィーテは努めて平静を装うも、彼女の存在が放つ重圧だけで胃がきりきりとストレスを主張する。


「……俺が?何故?」


「知っての通りカゼルはブランフォードを出奔した身、家名を捨てるっていうのはそんな簡単な話じゃない。それはカゼルの娘のジェニファーも同じ。それでもジェニファーをここに置いて一族の者として育てているのは、兄上が……お人よしだから」


 このブランフォード領を統括するバルラドからすれば、ジェニファーは出奔した次男の娘だ。彼はジェニファーを分け隔てなく可愛がっているが、それとこれとは話が別。


 しかしツヴィーテにとって、ジェニファーは兄を殺し、故郷を植民地にした仇の娘。だからと言って、何の咎もないジェニファーを八つ裂きにすれば塗り固められた様な禍根が晴れるのかと言うとそんな筈もない。


「あの子はまだ5歳だ、俺は自分が食って行くだけで精一杯ですよ」


 カゼルの娘を引き取るなど冗談にしても出来が悪かった。言われてみればどことなく顔立ちがカゼルに似ている。

 子供ながらにあの他者を射竦める様な、何者も信じぬ様な無頼者の目付きは、バルラドやマーリアとは別種の、それこそ父カゼルとそっくりだ。


「そう。ところで、貴方は私に大きな借りがあるとは思わない?」


 ツヴィーテは、どうにもマーリアが苦手だった。絶対的な武力を背景にした有無を言わさぬ態度に結論ありきの会話、カゼルとそっくりだ。違うのは性別と立場ぐらいのように思えた。


「……それは」


 5年前、あの帝都反乱。這う這うの体で死地を逃げ延びたツヴィーテは当ても無く西を目指した。帝都のから西に真っ直ぐ進んでまず行き当たるのはブランフォード領だった。王国側での小競り合いから反転進軍し、帝都での異変へ警戒を固めていたマーリア率いるブランフォード軍にツヴィーテは救助された。


 それから、ツヴィーテはバルラドやマーリアが一報を出せばすぐに顔を出す事にしていた。多少の無茶を頼まれても体を張った。彼等は確かにカゼルの兄と姉だが、混同するほど愚かなつもりはない。それは何かと世話になっている事への恩返しのつもりだったが、今回ばかりは荷が重いように思えた。


「勿論あの子が大人になるまで支援はするつもりよ」


「ですが、ジェニファーは貴女にとって姪の筈だ。たとえば、俺が幼児趣味の持ち主だったらどうするんです?」


「それ、冗談で言ってるの?貴方ってカゼルの部下だったのに、ほんと真面目ね。苦労したでしょ」


 ツヴィーテはマーリアに鼻で笑われた。


「……」


 今もだよ、あんた等はよく似てるぜ。と言いたかったがツヴィーテはあの長槍の一撃を受けたくはなかったので黙っておくことにした。彼の治癒魔法も万全のものではない。


「姪だからこそ、よ。家名を捨てた男の娘が、ここでどういう扱いを受けると思う?」


「……分かりました。すぐには無理ですが、考えておきます」


 カゼルに人生を狂わされたという点において、ツヴィーテとジェニファーは同じだった。ジェニファーが母親の次にツヴィーテに懐いている理由は、子供心の純粋さ故か。

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