第77話 ある日のメイヴァーチル

「おはよう、ロズ」


「おはようござ……またバッサリいきましたね」


「ああ、三百年振りぐらいに負けたからね……ちょっと鍛え直そうと思ってさ」


「……逆にボスって三百年無敗だったんですねー」


「ああ、そうだよ。そこらの人間なんてボクの相手になる訳ないだろう」


「その割にはエストラーデのご機嫌を窺ったり、ブランフォードには支部を置かなかったりしているじゃないですか」


「エストラーデは癇癪持ちだからね、下手に刺激して業務規制を掛けられても鬱陶しい。……ブランフォードには"白狼将軍マーリア"が居る。ウチの商品ぼうけんしゃは自前で強大な軍事力を保持している所では売れないから撤退しただけのことさ」


「へえーそうなんですねー」


「ところで、支部の決算集計はできたかな?」


「いえ、もうチンプンカンプンですよ。俺はこういうのは得意じゃないんです」


「ロズ……」


 メイヴァーチルは素早くローゼンベルグの右腕を捕った。


「ああああ!ちょっと!関節は止めてください!!」


 ローゼンベルグは必死に抵抗したが、小柄なはずのメイヴァーチルはびくともしない。


「仕事しない手は、必要ないよね?」


 メイヴァーチルはにこ、と天使の様に微笑んだ。やっている事は悪魔の所業だ。


「いだだだだ!!わかりました!仕事します!」


 めきめき、とローゼンベルグの右肘関節に力が込められていく。


「おい、メイヴァーチル」


 丁度、フェンリルのしゃがれた声が、ローゼンベルグに戯れつくメイヴァーチルを止めた。通信用にと、メイヴァーチルがフェンリルから受け取った黒い狼を模したモニュメント。その実態は一部フェンリル本人と身体情報を共有している言わば小さな分身だ。


 メイヴァーチルは部屋の調和を崩すこのモニュメントが気に入らないらしく、目障りだと、何度も次元魔法を発動させて異次元に放り捨てようとしている。それをフェンリルに止められていたのをローゼンベルグは見届けていた。


 これがこの部屋に存在しているだけで、部屋の温度が一から二℃程度低下している様な気がしてならない。四季のある王国に於いて、夏場は大変有難いが、冬場は倉庫にでも放り込んでおきたくなる代物だ。


「ちっ、またお前か。なんの用だい、魔神王」


 苛立ちも隠さず、眉を寄せたメイヴァーチルは吐き捨てた。


「メイヴァーチル、お前の研究所の修繕費はウチのあすもん商会からお前の口座に振り込んでおいた」


 それはつまりあすもん商会が事実上、魔神帝国の表向きの会社であることを示している。


「はいはい、それはどうも」


 メイヴァーチルは金に困っていない。最近困っていることがあるとすれば、魔神帝国を名乗る輩に組織的な恐喝をされていることだ。魔物を産み出している連中と魔物を倒す仕事を発注している冒険者ギルドが手を組むなど、全くひどい話があったものである。


「だが、先日お前のとこの"クソ冒険者"らしき人間がウチの警備兵を三体ブチ壊した。その分は差し引かせてもらったからな」


 フェンリルは恨みがましげに言った。


「む?それはどういう事かな」


「……腹いせのつもりか知らんが、"帝国跡地ウチ"に冒険者を派遣するのはやめろ。続けるならこちらにも考えがあるぞ……!」


 メイヴァーチルがフェンリルから受け取った通信用の狼のモニュメントががたがたと机上で震えている。


「いやいや、ボクはそんな事してない。帝都跡地は危険地帯指定してるし、ギルドの規定に引っかかるから普通の冒険者は立ち入れないよ」


「なら、どこのイカれ野郎がこんな地上の地獄までやって来て、わざわざ俺が人間には倒せんように作った魔物を倒して素材を持って帰る?」


「ボクに聞いたって分からないよ」


 メイヴァーチルは頬を膨らませて見せた。端麗な容姿の彼女のすることで、実に可愛らしい。なのに何故だか、獲物を丸呑みにした直後の毒蛇の様な凶悪さを彷彿とさせる。


「俺は、お前のとこの冒険者どもの稼ぎになりそうな魔物を、いくらでも造って放っている筈だがなァ……?」


 フェンリルの怒りもある種もっともだった。

 現在、魔神帝国が地上に放つ魔物は、そこそこの腕の冒険者でも倒せる様に戦闘能力を"調整"されて放たれている。それも"何故か"倒すと貴金属で出来た貨幣や、魔力エネルギーを多分に含んだ魔石などを体内に含んでいる。


 それは灰塵と化した帝都跡地から発掘された旧リサール帝国貨幣、死んだ冒険者などの人間から抽出したエネルギーである魔石。フェンリルとメイヴァーチルにとって魔物は、冒険者ギルドに"仕事"を産み出すと共に、埋もれた"資源"を人間社会に循環させるというこのスキームにおいて最も重要な役割を果たす。


 それゆえ、冒険者ギルドに所属する冒険者達は狩人さながらに魔物を仕留める事で、経済活動を牽引する。要するに、冒険者ギルドの仕事は稼げるのだ。


 これは100人が100人、巷で金になる魔物を倒し冒険者ギルドに納めるように、とメイヴァーチルとフェンリルが話し合って決めたことだ。無論、エルマロット王国や旧リサール帝国ブランフォード領などの既存の経済圏とは別に、冒険者ギルドが主導する経済圏の確立を視野に入れてのものだ。


 とどのつまりが、魔神帝国と冒険者ギルドのマッチポンプ。魔神帝国が魔物を人間の居住区に放ち、冒険者ギルドが討伐依頼を統括、"駒"である冒険者を派遣して退治する。


 直接的な資金支援や魔石などを製造する悪魔的な技術支援もさることながら、このスキームこそ、冒険者ギルドの権益を人類社会に於いて決定的に強化さしめる強力な連帯だった。メイヴァーチルにとってフェンリルは"煮ても焼いても食えないクソ悪魔野郎"だが、悪魔が持ち掛けてくる取引はいつだって、甘露だ。


 フェンリルが怒り心頭なのは、その100人からはみ出るイレギュラーが存在すること、そしてそれがそのまま魔神帝国の警備や安全保障に触れる重要事項だからだ。


「ボクに怒ったって仕方ないだろ。短気は損気って言うだろう?」


「……悪かったな。では、どう対処してくれるんだ?"同志メイヴァーチル"よ」


 フェンリルを"憎悪の悪魔"として、この世に顕現さしめる強靭な肉体はカゼルのものである。それは漆黒の騎士甲冑風の外骨格として、魔神王の異常な"中身"を封じ込めている。

 故に魔神王の精神はカゼルその人の悪辣に歪んだ精神に引っ張られているが、それにしてはフェンリルは比較的素直に己の非を認めて詫びた。これも魔神王として転生した影響であろうか。


「やれやれ。悪いけどロズ、どうせあそこの会社パーティーだ。最近ウチへの上がりも遅れ気味だし、ちょっと"焼き"入れて来てよ」


「分かりました」


 本部長業務を即座に切り上げたローゼンベルグは足早に武装を終え、執務室を後にした。

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