第76話 オーバーワーク
「やめて……!いやだ……いやだァああ!!」
メイヴァーチルは絶叫しながら血走った目を見開いた。
「はァッ……!はァッ……!」
脂汗が滲む顔を抑え、目を覚ます。ただでさえ赤い瞳に加え、メイヴァーチルは充血した事で兎の様に真っ赤な目になった。それはフェンリルに敗れてからだった。
悪夢。メイヴァーチルはまた、あの頃の夢を見る様になった。人間の奴隷として過ごした幼少期。その記憶はどれ程の永い時の鑢に晒されて尚、彼女の脳裡に深く刻み込まれたままだった。
「……」
のそり、と彼女にしては鈍く体を起こす。
色欲の
だから彼女は力を求めた。すべてを破壊する絶対的な力を。
暴力の記憶を、己の手で掻き消すため。虐げられた弱者ではない事の証明の為、自分が奪う側で在り続ける為に。
朝の日課に向かう前、メイヴァーチルは腰辺りまで伸ばしていた長髪をばっさりと切り落とし、マッシュ・ショートにした。それに伴う様にメイヴァーチルの早朝の日課の内容は更に過熱化し、最早硬化鋼のダミー人形などでは足しにもならぬほどになる。
悪夢に侵されながらも、日課に向かうメイヴァーチルの足取りは軽やかだった。端正な顔には復讐を誓う凶暴な笑みを湛えていた。
*
メイヴァーチルは公への秘匿の為に例の私有研究所の実験室を訓練に使うことにした。日課のトレーニングには、フェンリルに"注文"した魔物を用いる。その魔物の生体開発、調整には一部冒険者ギルドとしてメイヴァーチルらも携わっており、早くも魔神帝国との同盟が功を奏している。
フェンリルに破壊された研究所では、既に建築系修理業者が現地で準備をしている、メイヴァーチルは工事に支障を来さぬ様、第二実験室を使うことにした。
その新しい
フェンリルというこの世の怒りや憎しみの権化から、その一部を媒介に魔物という殺戮の権化を量産できる。そしてこの新型の悪魔鎧は普通のモノより数段凶暴だ。
魔物とて魂があるだろう。それはこの魔石に込められている。
だが、そこには意思も権利も存在しない。ただ生み出され、殺し殺されるだけの存在。ある意味で、この世界で最も冒涜的かつ救いのない存在だった。
それがなんだというのか。
この狂った世界に、救いなど何処にも在りはしない。道は己の力で切り開くのみ。
メイヴァーチルは闘争の狂悦に浸った表情を浮かべ、残影を見せながら魔神鎧に襲い掛かった。
*
まだ日の昇り切らぬ早朝に、冒険者ギルド管轄の魔法研究所、第二実験室から異形の金属がひしゃげる轟音が鳴り響く。それは工事音以上の壮絶な調べだった。
ただ闇雲に打撃の練習をしている訳では無い。オートヒールの発動の見直し、魔力消費の激しいシュレディンガー・レイブの改善、久しく見ない強者との闘いで、メイヴァーチルも思う所があったのだろう。
喫緊の目標は、打倒フェンリル、あの不死身の化け物を屠り去る攻撃手段の開発だ。
のちにメイヴァーチルが実験室の記録魔法映像を確認したところフェンリルとの戦いで唯一の有効打は、ローゼンベルグが跳ね返したフェンリル自身の十字斬りと、初手の
それ以外の打撃技は、派手に外骨格を破壊してはいるものの、内部にはほとんど衝撃が伝わっていない。そして外骨格の再生もかなりの速度である。
必ずしもフェンリルは魔神の身体能力に物を言わせた化け物ではない、奴は剣術も迫撃戦に於ける防御技術も尋常ではない程鍛え抜かれている。
だが不死身に思えた魔神王とて、倒す術はある。
メイヴァーチルは久しく感じなかった熱狂の中にいた。時間を忘れて自分の力と技を研ぎ澄ます悦楽を味わっていた。冒険者ギルドなどの組織を短期間に効率化した時も、彼女はそうだった。
即ち、熱狂の只中で問題の解決策を模索し続ける。
メイヴァーチルは、自分より強い存在が心底我慢ならない。今はフェンリルに従っているが、近い内に叩きのめし、のたうち回らせてやるつもりだった。
*
「へっくし!」
フェンリルがくしゃみの様な音を立てた、飛沫の代わりに頭部の亀裂からどす黒い闇の魔力を撒き散らす。
フェンリルとベリアルが共同戦線を張る北部へ、魔石などの補給物資を届けに来たのはベレトとアスモデウスだった。二体の魔神は代わりに、フェンリルとベリアルが仕留めたスラーナ人兵士や王国守備隊の死体を持ち帰る。
それらの死体は、ベレトが栽培する魔界樹に取り込まれ、魔石へと精製される。
そうしてこの魔神達は、世界を循環せしめる新たなエネルギーを手にした。人類の精神エネルギーを抽出、結晶化させたそれは魔石、それを砕く事で取り出される力、それこそが魔力だ。
「強かったでしょ、メイちゃん」
アスモデウスはフェンリルにそう尋ねた。
「ああ。だが、俺の終焉ではないな……」
フェンリルはある種神々しささえ湛えながら、北部集落の瓦礫の玉座にどっかりと腰を掛けている。
「
「……そうだ。俺がこの世界に終焉を告げた後誰が俺に終焉を告げてくれるのかと思っていてな」
冗談を聞いてアスモデウスはくすくすと笑う。
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