恩讐の放浪者

第75話 Frozen Soul.

 エルマロット王国は現在、仮想敵国かつ競争相手であった帝国が灰塵に帰した事で、大陸一の文明国となった。流入した難民が形成する下層社会はツヴィーテにとって馴染み深いリサール帝国のそれを数段低劣にしたようなものだった。つまり、ここでは力こそが正義だ。


「スラーナ人の軍隊崩れ、犯罪者、難民に孤児。最高のチームだな」


 雇い主のリサール人が、自嘲気味にそう言った。


「……同感だ」


 ツヴィーテも、吐き捨てる様にそう言った。


 今の彼にとって、リサール人との仕事は楽で良い。彼等が負傷しても治癒魔法を掛けてやる必要はない。元よりそんな仕事は契約に入っていない。自分の身は自分で守るという黒鎧の不文律は、ここ傭兵でも生かされる。


「俺は仕事さえ仲介してくれりゃ十分だ、あとはこっちでやる。そっちはそっちで勝手にやれ」


 帝国特務騎士時代から修繕しながら使っている黒い騎士甲冑に身を包んだツヴィーテは、大剣を背負い一人で歩み去っていく。


「……死ぬ気か?あいつは」


 蒼炎燃え盛るその遺跡で、ただ一人の"冒険"が始まった。


*


 ツヴィーテがリサール人を仲介して受託した今回の仕事は"遺跡調査"。

 エルマ人がやりたがらない仕事は、冒険者ギルドに所属するリサール人の難民に押し付けられる。ツヴィーテの様に帝国籍でありながら、エルマ人でもリサール人でもない人間はただでさえ肩身が狭い。彼の仕事の受注のしかたとしては、エルマ人の下請けのリサール人の更に下請けだった。


 帝都跡地を調査して金目の物を発掘する。というのが名目で、実際の内容は死体漁りがいいところなのだから、五体が揃って命が惜しくなければ誰でもいいというのがこの依頼の実際の募集要項だ。


 この仕事の良い所は、エルマロット王国籍や冒険者ギルドの組合員ではないスラーナ人の軍隊崩れでも、金目の物を懐に収め、金にならない様な盗掘品を成果だと押し付けて帰れば稼げることだ。上手い話などある訳がなく、それだけ命の危険も大きい下層アンダーグラウンドかつグレーな仕事でもある。


 悪い所は、あらゆる気の緩みがここ、"帝都跡地"では死に直結することだ。だからこそ、ツヴィーテは単独行動を取った。ほかにこの仕事を請けている奴等は、いつ死んだって誰も困らないどころか、エルマ人市民から可及的速やかな死を願われているリサール人の難民や、エルマ人の犯罪者などばかり。


 ツヴィーテの胸中では、ただ一人生き残った黒鎧として生き恥を晒し続けている罪悪感がじくじくと主張している。だが、捨て石上等の連中と仲良く膾切りにされるつもりにもなれなかった。


*


 ツヴィーテは一人屈み込んで瓦礫を掘り返している、逃げ遅れた焼死体と思しき骸骨を掘り出すと、それは手に金貨袋を握っていた。エストラーデの放った蒼炎に炙られて、未だ熱を持っている。


「おいツヴィーテ!なんとかしてくれ!」


 瓦礫の影から飛び出した雇い主のリサール人が、真っ黒な魔物に追い立てられ、必死の形相で叫んだ。


「……下がってろ」


 捨て石同然の奴等からも捨て石扱いされている事も、ここでの稼ぎをほとんど搾取されていることも、ツヴィーテはどうでもよかった。


 ただ剣を振るっていれば、戦いの中に身を置いていれば、すべて忘れられる。彼にとってはそれだけだった。


 殺意だけを滾らせ、"最後の黒鎧"の背鞘が鳴る。戦場に死と破壊の予感を醸し出す。


 ツヴィーテの得物、大剣"魔獣狩り"は、カゼルの墓場から引き抜いてきたものだ。"何か猛烈な力"で打ち砕かれた刃さえ替えれば十分使用に堪えられたし、墓場で腐らせておくには勿体ない一振りだ。


 "奴"とて薄情だとは思うまい、傭兵として使えるモノは使うまでのことだ。


 ツヴィーテは両手で魔獣狩りを構え、帝都跡地を跋扈する魔物と対峙した。


*


 黒騎士甲冑を纏い、大剣を構えた男が一人。それを取り囲むも又、黒い騎士甲冑。ただ、取り囲む3体には肉体は無い。死霊が鎧に取り憑いたかの如く、鎧だけが剣や槍を握ってこの帝都跡地をうろつき回っている。


 この悪魔鎧デモン・アーマーと呼ばれる魔物は、二本の剣を手足の延長の如く扱って見せ、その苛烈な剣技を恐れて距離を取った相手には左腕に仕込んだ銃で射撃する。生半可な冒険者が悉く無惨な屍に変えられるのを、ツヴィーテは何度も見た。


 その卑劣を極めた戦術、卑劣さにそぐわぬ技量。血に染まった重装甲の騎士甲冑。いずれも元帝国特務騎士であったツヴィーテには馴染み深いものだった。


 では、この魔物はカゼルや帝国特務騎士の成れの果てなのか?それは半分不正解だ。

 ツヴィーテの考察では、何者かが魔石にカゼルや帝国特務騎士の戦闘情報を蓄積、記録させ、鎧に埋め込んでいる。だから、埋め込まれた魔石を動力源とするこの鎧は、あのカゼル達と同じ戦い方をする。


 この魔物が地上に存在することが、少なくともカゼル達が、魔石を精製できる程度には生きているという事の証だ。あの地獄を生き延びた果てに、魔神共に利用され続けているのだとしたら。今彼等がどういう状態なのか、ツヴィーテは想像もしたくなかった。


 血錆で傷んだ長槍を構えた一体目が、猛然と突きを放つ。

 ツヴィーテは、長槍を恐れるでもなく踏み込んだ。そして一撃で悪魔鎧の一体を破砕する。


 悪魔鎧がカゼルの様な動きをするからと言って、カゼル並に強いのかというとそうではない。かつてカゼルその人を討ち果たそうと血の滲むような修練を積んできたツヴィーテにとっては、こいつらなど模造品に過ぎない。


 武とは、心技体揃ってのもの。カゼルという男の悪辣かつ邪悪に歪んだ心、確かに磨き抜かれた技、絶対的暴力の権化とでも呼ぶまでに鍛え抜かれた肉体、それらが揃って初めて奴の"絶対鏖殺の構え"は殺戮の絶技として機能する。


「おォあッ!!」


 死角から散弾砲を構えていた悪魔鎧に、ツヴィーテは肩鎧からブチ当たり、体勢を崩す。こういう力任せの戦法は、体格に優れるリサール人相手にはまず不可能。跳ね返されるのがオチだが、相手が甲冑だけの"カゼルの模造品"ならば、有効である。


 悪魔鎧は、体勢を崩されながらも、踏みとどまり猛然と二本の剣を振りかぶった。

 すかさず、ツヴィーテも両手に構えた"魔獣狩り"で兜割を放つ。


 ツヴィーテは自分の兜が弾け飛んだ代わり、悪魔鎧を兜から真っ二つに叩き割った。こういう肉を斬らせて骨を断つ様な戦い方も、カゼルから散々教えられた技術だ。魔法はともかく、白兵戦では体に染みついた技が如実に現れる。


 『帝国特務騎士ウチの騎士甲冑は死ぬほど頑丈だ、ビビるな。特にてめェは治癒魔法でなんとかなるだろ』


 などと、脳みそまで筋肉が詰まっていそうなセリフを何度聞かされたことか。


「今更講釈は必要ないぜ」


 ツヴィーテは最後の一体に斬り掛かる、在りし日の"リサールの黒い狼"を彷彿とさせる勢いだった。


*


 悪魔鎧を倒して手に入る魔石は、この世のすべてを憎むかの如くどす黒く染まっている。これも巷を騒がせる魔物から採れる魔石には見られない特徴だった。こいつは、冒険者ギルドに渡せば特に高くつく。3体の悪魔鎧を仕留めたツヴィーテは上機嫌になった。


 ツヴィーテは己の手で粉砕した魔物の断片を拾い上げ観察する、やはりリサール帝国軍の鎧に似ていた。


 冒険者ギルドによる解剖の結果……と言っても鎧を引き剝がすだけだが。彼等が公に何と発表しようとも、ツヴィーテには悪魔鎧デモン・アーマーの正体は何か別のモノにしか考えられなかった。


 恐らく悪魔鎧デモン・アーマーを造り出しているそいつは、カゼルが手を組んでいた魔神共であろうことは想像に易い。偏執狂染みた妄想だったとしても、確かめずには居られ無い。だからツヴィーテは幾度となくここに戻って来た。何もかもが焼き尽くされたこの"帝都跡地"、砂嵐が吹き荒ぶ死の荒野に。


 ツヴィーテはこの煉獄で魔物狩りを続けていれば、いずれ答えを得られるような気がしていた。尤もそれまで生きていればの話だが。


*


「お前の分の報酬だ」


 冒険者ギルドの下請けのリサール人が、ツヴィーテに今回の盗掘の分け前を手渡した。


「三体とも仕留めたのは俺だってのに、俺の取り分は3割か。反吐が出そうだぜ」


 ツヴィーテは皮肉を込めて当てこする。


「がたがた抜かすな、ウチが仲介しなけりゃ、お前は裏ルートに流すしかないだろ。冒険者ギルドのお尋ね者になりてえなら勝手にしろ」


「……そうだな。アンタの言う通り、勝手にさせてもらう。今後とも御贔屓にな」


「オイ待てツヴィーテ!」


 同様に冒険者ギルドから搾取されているリサール人難民たちの、焼けつく様な視線がツヴィーテを見送った。


*


 この暗澹たる日常、実に落ちぶれたものだ。

しかし、これがツヴィーテ・ニヴァリスという男単体での実力なのだと、彼は昏い目で酒瓶のラベルを眺めていた。


 良かった探しをするのなら、きちんと報酬を払うだけで奴等はかなりマシな部類のパーティーだ。


 望むと望まざるに関わらず、帝国軍で鍛えられた戦闘能力は傭兵紛いの仕事でも役立った。正直、冒険者ギルドの仕事など生温く感じられる程だ。


 だが、王国に居を構えているのに、かつては帝国軍、それも暗殺や破壊工作を主任務とする非正規戦部隊に所属していたなど、口が裂けても言えるはずがない。素性の知れないスラーナ人を雇う者など、後ろ暗い事情のある者ばかりだった。


 そんなツヴィーテが傭兵業を営む個人事業主として独立するのにそう時間は掛からなかった。下請け期間中に倹約して集めた金とバルラドから借りた資金を元に、借り主のいない王国の建屋を借りて事務所とし、傭兵業を営み始めた。


 国籍不明のスラーナ人は直接冒険者ギルドから仕事を受ける事は出来ない、当然王国で商会などの会社組織を作ることもできない。だが、そこはバルラド卿の入れ知恵で、ブランフォード領にある商会の王国支店という形をとった。


 バルラド卿からは

「裏ルートで良ければ王国籍を用意してやることもできる」

と言われたこともあった。

 流石にそこまで彼の世話になるのもどうかと思い、ツヴィーテは断った。あまり世話になり過ぎるのもそれはそれで問題だからだ。具体的には、ブランフォード軍へ勧誘されるなどで。


 同様に下請けだった頃に、依頼主に愛想を振りまいて伝手を作っておいた。大抵がエルマ人である依頼主は、スラーナ人だと聞いてあまりいい顔はしないがそこは捉え様。

 きっちり依頼をこなすなら、リサール人よりマシだと思わせる事は容易い。そしてツヴィーテの実力を買ってくれる人は居る。そういう"顧客"の為に、力を振るえばいい。


 こうしてツヴィーテ・ニヴァリスは凄腕の傭兵として、エルマロット王国で傭兵業を営み始めた。しかし彼は、一人で生きてようやく己の器を理解した。自分には、野心も燃え滾るような情熱もない。かつて誓った仇への復讐さえ、カゼルの命と共に霞と消えた。


 ツヴィーテは買い貯めてある酒瓶に口を付ける、煙草は必要ない。


 今の俺は自分で死ねないだけの、ただの残骸だ。

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