第73話 決着

「行くぞ、メイヴァーチル」


 左手に長剣を構え、じりじりと間合いを詰めるフェンリル。そうこうする内に、破壊された左腕関節や腹の外骨格の亀裂も塞がっていく。


 やはり、この手の魔神デーモンを仕留めるにはまとまった攻撃を加え、再生不可能な程の損傷を与えて倒し切るしかない。


 剣を構えた魔神王相手に、そう思考するメイヴァーチルの戦術に変更はなかった。リーチで劣ろうと、スピードはこちらが上。掻い潜って殴り殺す。


 だが、メイヴァーチルの読みは大きく裏切られた。

 あと僅かで間合に入るという所でフェンリルは、いきなり長剣を逆手に構え直す、その左手の外骨格から突如大型の銃口が現れた。


 次の瞬間、メイヴァーチルがまるで予想だにしていなかった銃声が轟いた。


「くッ!?」


 さしものメイヴァーチルも、まさか外骨格の中に銃を隠し持っているとは思っていなかった。

 発射された散弾を何とか躱した時には、フェンリルの姿が視界の何処にもない。


「どこを見ている?」


 外骨格が軋む音。無音の剣。メイヴァーチルが振り向くよりも速く、フェンリルは長剣を振り抜いていた。


 ただ魔剣マスティマの蒼白い文目が走る、死神が連れ去る様にメイヴァーチルを斬り捨てた事実を告げている。


「ダメージ・リフレクション!」


「あ?お前は……」


 主の危機に、今まで完全に傍観していたローゼンベルグが突如魔法を発動させて割って入った。フェンリルも目玉が沢山あるとは言え、頭の後ろには付いていないのだ。


「うおアァッ!?」


 フェンリルは何故、自分が斬られているのかまるで理解出来なかった。ローゼンベルグは剣どころか武器一つ持っていない、ただのエルマ人の男。


 原理は不明だったが、フェンリルはそっくりそのまま自身の十字斬りのもたらす絶対的な破壊を、その身で受ける事となった。


「悪く思うなよ魔神王、審判からハンデを付けさせて貰った」


「よくやった、ロズ!」


 そして何より、フェンリルに斬られた筈のメイヴァーチルは全くの無傷だった。獣の様な勢いで十字の傷を受けたフェンリルに襲い掛かる。


「クソッ……!」


 刺し違えんばかりの勢いで、メイヴァーチルは魔神王が苦し紛れに振るった剣を躱して更に踏み込んだ。自分の十字斬りは余程骨身に沁みたようで、魔剣マスティマに先程の鋭さが無かった。


 ローゼンベルグが不意を突いた魔神王の隙に、メイヴァーチルは猛然と喰らい付く。このまま一気に片を付けるつもりだ。


 フェンリルの懐に潜り込み、メイヴァーチルは左手を右手にかざし、徒手格闘の構えを取る。


死神手刀スペクター・ブランド


 次の瞬間フェンリルの外骨格を貫き、その左胸にメイヴァーチルの光輝く右手が深々と突き刺さった。


 初手で放ったのは心臓を狙う貫手技、先程の会話でフェンリルが口に出した情報。


『俺は蘇った』


 その言葉から察するに、フェンリルは自身がアンデッドの類である可能性を示唆していた。

 

 故に、メイヴァーチルは駄目元でターン・アンデッド系の浄化魔法をこれでもかと多重超過発動オーバードライブさせ、右手に込め直接フェンリルの心臓部に叩き込んだ。


 これほど多重に発動した魔法を直接体内に打ち込まれれば、生身の人間でも浄化される。


「ぐおォおッ……!」


 これはフェンリルに対し、それなりに効果があった。続いて、メイヴァーチルは自動回復オートヒールを全開し、これから放つ連続攻撃の反動に備えた。そして力を溜める様にゆっくりと身体を捻る。


暴君剛脚タイラント・ブレイク!」


 彼女と同じく、暴君の名を冠する蹴り技が炸裂した。全体重を乗せた後ろ回し蹴りがフェンリルの側頭部を打ち砕く。


「ッ……!」


 余りの威力に、フェンリルの頭部外骨格から破片が飛び散り、その身体は大きく仰け反った。メイヴァーチルの猛襲は止まらない。


「……図に乗るなッ!」


 凄まじい蹴りの衝撃に、地に手を付いたフェンリル。これ以上は後手に回るまいと飛び起きて反撃を敢行した、空間すら切り裂く鋭さの右フックがメイヴァーチルを襲う。


 不意討ちとしても、カウンター狙いとしても申し分のない一撃だった。しかし、魔神王の右拳はしゃがみこんだメイヴァーチルの銀髪に優しく撫でられるばかりだった。


毒蠍空蹴スコーピオン・サマーソルト


 回避した低姿勢から勢いよく繰り出されたのは、宙空蹴りの二連発。何か砕けたような音を立て、魔神王の身体が宙へ蹴り上げられた。


 空中高く打ち上げられたフェンリルが身動きの取れぬ間、メイヴァーチルは何やら高度な魔法を三十個ばかり多重超過発動オーバードライブさせる。


「ボ、ボス!それは無茶だ!」


「黙ってろッ!」


 血を吐かんばかりの勢いでメイヴァーチルが叫び、実験場の床面を蹴って空中に躍り出た。ただでさえ神速と呼んで差し支えないメイヴァーチルだが、今度は完全にその姿すら消し去った。


 シュレディンガー・レイブ


 メイヴァーチルが独自開発した次元移動魔法を連続発動し、空中に打ち上げた相手を粉々にするまで追撃し続ける技。


 現れては、フェンリルを殴り付け、自身はまた次元の狭間へと消え去る。また死角から現れては蹴り上げる、防御不能の打撃がフェンリルを襲う。


 この技の最も凶悪な所は、二点。

如何に防御に長けた者でも、上下左右前後から何の予兆も無く現れるメイヴァーチルの閃光の様な打撃を防ぐ事が至難であること。


 そして次元移動を挟む過程で通常の徒手格闘のコンビネーションでは不可能な角度、タイミングで相手の急所を狙える事。


 しかし如何に膨大な魔力を有するメイヴァーチルとは言え、打撃の反動やショックを殺す為のオートヒールを発動させながら、次元移動魔法まで連続発動させるのは負担が大きい。


 だが、この不死身を思わせるタフさのフェンリル相手に出し惜しみをする場合ではなかった。


 目にも止まらぬ速度でメイヴァーチルがフェンリルの外骨格を殴り、蹴り砕く音が鳴り響き続けた。舞い狂う火花と、赤熱した外骨格の破片が地上に降り注ぐ。


「くたばれ魔神王!」


 空中でありったけの打撃を叩き込み、最後に発動した次元移動でメイヴァーチルはフェンリルの頭上に躍り出た。


 勢い良く縦回転しながら、メイヴァーチルは全体重を乗せた踵落としをフェンリルの頭蓋に叩き込んだ。


奈落墜アビス・フォールとし!!」


 受け身を取ることも出来ず、飛来した隕石のような速度でフェンリルは床に叩き付けられ、一度跳ね上がった。あまりの衝撃で、さしもの魔神王も全く身動きが取れない。


「……見事だ」


 そこへ、メイヴァーチルも空中から勢い良く落下し、捨て身の攻撃を放つ。


「双連・金剛破砕ツイン・ダイアモンドクラッシュッッ!!」


「ぐおおあああァッ!!」


 金剛破砕ダイアモンドクラッシュの二連撃の直撃を受けたフェンリルは、粉砕された外骨格と共に大の字になって手足を投げ出した。


「ボス!!」


「はァ……はァ……悪は滅んだよ、ロズ」


「ボス、とにかく帰って一旦休息を……!」


 ぞくり、と戦慄が走る。フェンリルの魔力圧がほとんど弱まっていなかったからだ。


 メイヴァーチルとローゼンベルグが、絶望的な心持ちでそちらに目をやると、丁度どす黒い暗闇が倒れていたフェンリルの身体を覆い隠した。


 そしてすぐに、当然の様にフェンリルは立ち上がった。あれだけの猛攻撃を受け何故、平然と立ち上がれるのか。


「峻烈にして優美な技の数々。堪能させて貰ったよ、メイヴァーチル」


 下顎から上が吹き飛んだ半分だけの頭で、フェンリルはメイヴァーチルに語り掛ける。見る見る内にその吹き飛んだ頭部さえもが再生していく。


「しかし悲しいな、お前に俺は倒せん」


「ちィッ!」


「おっと」


 "しがみ付く暗黒"、それはフェンリルが魔神王として行使した初めての魔術。


「なんだこれはッ!?」


 それは魔神と交戦した事のあるメイヴァーチルとて見たこともない魔術だった。粘性の暗闇がメイヴァーチルの脚を絡め取り、びくともしない。

 

 更に、その暗闇に触れている脚部からはまるで生き血を吸い取られているかのように力が抜けていく。


「お前は思っていたより頑丈そうだ、耐えてみろ」


 フェンリルは徐に天井を向いた。すると今度はその頭部外骨格に走る亀裂から、大剣の柄の様なものが飛び出した。


 右手で柄を握り、体内から引き摺り出したそれは、かつてのマスティフに酷似しているが、決定的に異なった。


 限りない暗黒の魔力の中で錬成され、人智を越えた金属物質で構成される蘇ったマスティフは、その刀身自体が悍ましくも光を喰らっている。


 フェンリルは、そのマスティフを力を込めて薙ぎ払った。とっさの判断でメイヴァーチルはローゼンベルグごと次元移動で緊急避難を試みたが、逃げることが出来たのはローゼンベルグだけだった。


黒狼災禍ネロ・ディザスター


 魔神王がその暗黒の魔力を大剣に込めて放ったその一撃は、空間に裂け目を残し、頑強極まりない実験室の壁をぶち抜き、この魔法研究所の半分を消し飛ばす程の絶対的な破壊をたらした。


 無論、まともに受けたメイヴァーチルの意識はその永久とこしえの闇の中に消え去った。


*


 闇の中に囚われた寸断の後、再びメイヴァーチルは意識を取り戻す。彼女の立っている場所は自身の夥しい鮮血で赤く染まっていた。


「このボクが一撃……だと。ふざ、けやがって……化け物が……!」


 死んだ筈のメイヴァーチルが蘇生したのは、リイン・カーネイションによるものだ。オートヒール同様に彼女が常時発動パッシブさせている蘇生魔法。


 クレリックを極めた彼女は自らの死さえ、12時間に一度だけ無効化することができるのだ。


「くそッ……!身体が……」


 ただし、その代償は大きい。リイン・カーネイションは謂わば保険、最後の砦だった。

 比較的魔力消費に融通が利く自動回復と違い、一度発動すれば魔力も体力も根こそぎ持っていかれてしまう。


「まだやるか?メイヴァーチル」


 フェンリルは勢い良く大剣を振り翳した、最早、見た目通り華奢なエルフの少女並の力しか残っていないメイヴァーチルは、その風圧だけで吹き飛ばされそうになった。


「ボスッ!!」


 そんなメイヴァーチルを庇ってローゼンベルグがフェンリルの前に躍り出た。まるで子を庇う親のような決死の眼をしている。


 その姿を見て、フェンリルの脳裡に不意にノイズが走った。捨て去った筈の記憶の中に、こんな人間がいたからだ。人は、本当に大切な者を守るためなら時として自分の命さえ投げ出す。


 "憎悪の悪魔"と成り果てた彼にとって、唾棄すべきそれは"愛"。ついぞ手に入れる事の出来なかった"それ"を、フェンリルは尊いとは思わなかった、愚かだと思った。彼が"フェンリル"になる前はそういう者を幾人も殺してきた。だがしかし……


「ククク、泣かせる主従愛だが、もうその辺にしておけ」


 今は違う。魔神になった彼はどこまでも合理的に物事を俯瞰できる。


 フェンリルは大剣を肩に担いでそう言った。ぎょろぎょろ、と幾つもあるフェンリルの瞳が立ちはだかったローゼンベルグを睨み付ける。


 一挙一動さえ見逃さぬ観察者めいた瞳が幾つもあった。それでいて空いた2、3の瞳は肩で息をするメイヴァーチルを警戒視している。


 こうなると、まるで隙が無い。


 よくもまあ、メイヴァーチルはこんな化け物の攻撃を掻い潜り、拳一つで渡り合ったものだ。ローゼンベルグはフェンリルと対峙しながら、頭の片隅でそんなことを思っていた。


 先程は、文字通りローゼンベルグの事は眼中になかったから、死角からダメージ・リフレクションを発動させてまんまとしてやることができた。


 だが、今ローゼンベルグは魔神王と相対して理解した。最早出し抜く事も、一矢報いる事も、天地がひっくり返っても不可能だと確信できた。


「……よせロズ。分かった、大人しく降参するよ」


「賢明だなメイヴァーチル、俺もお前を殺すつもりはない」


 フェンリルもそれを聞いて頭部の亀裂の中へ大剣を突き刺す様に、体内へと仕舞い込んだ。

 そして左手に構えていたマスティマを、右腕の鞘状の外骨格へ収める、するとまた盛り上がった外骨格が体内に納まっていった。


 魔神王のその異形の身体は、かつて修羅道を歩んだ者の成れの果て。戦う為だけに在るものだ。


「参った、ボクの負けだ。自動蘇生リイン・カーネイションまで使わされたのは随分久し振りだよ……」


 メイヴァーチルは力尽きた様に床に崩れ落ちてそう言った。


「恥じる事はない。この魔神王がお前の健闘を称えるぞ。メイヴァーチル」


 いずれ支障をきたすと見て、自らが裂け目を入れた実験室内の空間も、フェンリルはその手でなぞるだけで塞いでみせた。


「ところでお前、名は?」


「お、俺はローゼンベルグ……です」


 やっぱ、横槍を入れた俺は殺されるのか。

 ローゼンベルグは観念したように目を閉じた。


「貴様も見事だったぞ、ローゼンベルグ」


 ずし、とやけに重厚な手を、ローゼンベルグの肩に置いた。そして、フェンリルは金属質な外骨格が鳴る拍手を、二人に贈った。

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