第69話 重役出勤

 メイヴァーチルの考える支配者の資質、その一つに狂気がある。欲望、支配欲、情熱。そして、怒り。それ等が織り成す混沌こそが彼女の原動だった。その華奢な体躯や嫋やかな立ち振る舞いからは想像も付かぬような狂気が、彼女の中に渦巻いている。


 まともな人間に、狂った世界で舵を取る事は不可能だと彼女は考える。多くの人間は環境に流されるままに、ただ生きて、死んでいく。ここ数年でも、この王国随一と言っていいタカ派女王の軍事侵攻によって隣国リサール帝国が灰燼と化した。


 何らかの手段であの灼熱の砂漠を生きて越える事が出来れば、帝国を陥落させる事は必ずしも不可能ではない。それは魔法使いで、戦いに身を置く者なら誰もが思い付く事だ。


 しかしそれを計画し、実行に移したのはエストラーデが初めてだった。

 ふとした事から経済や社会の基盤が根本からひっくり返るこの世界で組織を率いて生き残る為には、やはりまともな神経ではいられない。


 無論、あの女王にも考える所はあるのだろう。見事騎竜による航空部隊を運用し、帝国の首都への奇襲魔法爆撃を成功させ、帝国軍を壊滅に追いやり、政治機能を破壊したのだから、エストラーデの取った戦術は電撃戦としては非の打ち所はない。


 しかし"戦略"として見るとどうか。


 メイヴァーチルは考える。もしこの作戦を冒険者ギルドが"請けて"いたのなら、主力部隊を壊滅させ、政治機能を破壊した時点で、次の一手は広大な帝国領の制圧に切り替えた筈だ。何故ならそれは、帝国に暮らす市民もまた、略奪すべき"資源"だからだ。


 メイヴァーチルとしては冒険者ギルドでリサール人を奴隷同然の待遇で雇ってもいいし、七面倒臭い国籍だので国から難癖を付けられるのならば、帝国に支部として開設していた傭兵ギルドで雇うまでの話。搾取する対象は多ければ多い程、ギルドとしては利益になる。


 確かに他人種を皆殺しにして領地を乗っ取るのは手っ取り早い。それは理屈としては理解できる。実際、今このエルマロット王国がある場所も、数百年前にはエルフの都市があった場所だ。


 だが実際に、激しい戦闘で帝都は瓦礫の山となり、過度な魔法的汚染によって最早人の住める土地ではなくなった。さらに帝国の残存兵力との交戦で女王の竜騎兵隊は激しい反撃を受け撤退を余儀なくされた。結局隣接するブランフォードが生きている帝国領を一部併合する結果となった。漁夫の利とはまさにこのことだ。


 そして何より国家規模の取引先だった帝国が灰燼に帰したという事は、帝国にまつわる商売をしていた者達は甚大な経済的打撃を受ける事となる。王国軍の上層部や一部の特権階級はエストラーデを英雄として祭り上げているが、王国の市民や冒険者ギルドを運営するメイヴァーチルにはまるで旨味のない話だった。


 メイヴァーチルが採点するならば、エストラーデは軍人としては80点、王としては30点もやれないと言ったところ。以前、エルフの社会的地位向上を約束したエストラーデを国王選に当選させる為、そう安くない額を"支援"したというのに、結果はこの有様だ。


 つまりエストラーデは、メイヴァーチルの出資した金で強力な軍を編成し、メイヴァーチルが支部として据えた傭兵ギルドごと焼き尽くした。

 確かに、帝国ではエルフが奴隷扱いされているという事実が存在した。では、エストラーデの軍事作戦によって奴隷は解放されたのか?真実は灰の中だ。


 そして何より交易関係にあった帝国の壊滅、それは数年を経た今も、安定して成長を続けていた筈の王国経済に爪痕を残し続けている。何より、国家を跨いで展開する組織の運営者。支部として帝国の傭兵ギルドに出資していたメイヴァーチルとしては、重ね重ね腹に据え兼ねる思いだった。


*


 朝の苛烈なトレーニングを終え、メイヴァーチルはシャワーを浴びてゆったりと朝食を摂り、正午頃になってようやく冒険者ギルドの本部に出勤した。

 殆どを白大理石を加工した外装、週に一度はギルド関連の清掃業者を呼んでいる事で、今も建造当初の輝くような美しさのままだ。


「おはよう、ロズ」


「おはようございます、ボス。運営状況は通常通りです」


 冒険者ギルド本部にて、メイヴァーチルに代わって執務を行っているのは本部長に任命された男、ローゼンベルグだ。


 彼は脚を負傷した元王国軍の浮浪者だったが、メイヴァーチルが治してやった。医者からも匙を投げられ腐っていた彼は、メイヴァーチルにいたく恩義を感じたそうだ。


 それから、代理期間を経てローゼンベルグはいきなり冒険者ギルドの本部長の座に就けられた。


 捨てる神あれば拾う神あり、とはこのことだが、神ではなく悪魔だったなんてことは、このアルグ大陸ではしょっちゅうである。

 膨大な業務に圧殺されそうになっているローゼンベルグを、メイヴァーチルは気紛れに補助する形だ。


 ギルドの人事には、要職への貴族登用、王国元老院からの天下り、様々な思惑が渦巻いている。だが、はっきり言って千年以上生きているメイヴァーチルにとって10年20年程度の人間の勤務期間など些事だ。その事は、ギルドの職員らも周知の上である。


 逆に、そのメイヴァーチルが重用している事から、職員達も特にローゼンベルグに一目置いている程だ。


「退屈だな、実に。何か強い魔物とか出てないの?」


「……"帝都跡地"に行けば幾らでも強力な化け物がうようよしてますよ」


「なるほど、調査隊を送らせてみようかな」


「仕事を増やさないでくださいよ、ボス!」


「何を言うんだい?極論、ギルドに所属する冒険者の仕事を作るのがキミの仕事だよ」


「あっ、そうか。言われてみればそうですね……」


 ローゼンベルグは素直に聞き入れた。


「そういえば、リサール人難民のギルドへの定着率はどうかな」


 メイヴァーチルは外装や屋内の装飾、支柱同様に大理石で出来た本部長の机に腰を預け、部下の仕事ぶりを眺めていた。


「ボスの算出した推測値を上回っています。まあ大半がリサール人ですから、所謂戦士職などへの適正は十分かと」


「ああ、良い傾向だ。例の帝都侵攻でリサール人の難民が大量に流入したからね」


「ボスの考えた定着支援が功を奏している様です。リサール人を雇ったパーティーに補助金を支給するとか、リサール人難民を冒険者ギルドで雇用した場合装備を貸与するとかっていうアレが」


「そんなの子供でも思い尽くことさ」


 メイヴァーチルは退屈さを滲ませそう言い捨てる。


「そう言えば、聞いたかい?ロズ。あの"阿呆"女王と来たら、冒険者ギルドが難民を保護、雇用しているから王国の治安が悪化したとかほざいてるんだよ」


「……え、ええ、それが?」


 やめてくれボス、俺はただの一般市民だ。王族に喧嘩を売る度胸なんてない。ローゼンベルグの顔にはそう書いてあった。


「ボクが冒険者ギルドで凶暴なリサール人を雇わなかったらそこら中で強姦、強盗、殺人が大発生してたと思うんだけど、キミはどう思う?」


「その取り締まりや自警の依頼でうちが儲かる、ですかね?」


「……」


 メイヴァーチルは表情を曇らせる。


「リサール人が暴れるとボスの玩具が減る?」


 ローゼンベルグは、今度こそと自信有り気にいった。


「うーん、違うね」


「ぐっ!」


 メイヴァーチルはその引き締まった細腕でローゼンベルグの胸倉を掴み、軽々と持ち上げた。


「ボクに取ってオモチャって言うのは、キミとかの事だ。巷の人間共なんて虫けらと大差ない。いくら死のうと知ったことじゃない」


 メイヴァーチルは先程と一切変わらず、天使の様な微笑みを浮かべながら理不尽な暴力を振るう。


「は、放してくださ……!」


「やだね。冒険者ギルドで働くニンゲンの生殺与奪は、ボクが握っている。それはキミも同じ」


「その気になれば幾らでも魔法、装備貸与代を吹っ掛けられる。無理な依頼を受けさせて"事故"にしたっていい。生きるも死ぬもボクの匙加減。たまらないだろ?」


「でもね、本当にこの国の治安が悪化するとこの"ゲーム"は土台から壊れる。あくまでも、人間の経済や生活を支配して生殺しにするのが、愉しいところさ」


「な、なるほど……?分かりました……」


 メイヴァーチルは軽々と自分を上回る体格のローゼンベルグを持ち上げ、また椅子に戻した。 

 全然分からん、ローゼンベルグは思っている事が顔に出やすかった。


「それに所詮難民なんて、どう扱ったって誰も文句なんて言わない」


 その少女の様な可憐さで、そこらのチンピラが裸足で逃げ出す様な事を言うのは止めて欲しいものだ。ローゼンベルグは狂気染みた上司に対して常々そう思っていた。


「……おー痛い、どうかしてますよ、全く」


「おや。まだ何か言いたい事があるのかい、ロズ」


「俺は前から不思議でしてね。ボスほど邪悪なエルフがダークエルフじゃないんですからね」


「フフフ、キミはよく馬鹿だと言われるだろ?でもね、ボクはキミのそういう図太いところは嫌いじゃないよ」


 メイヴァーチルはまるで子供がお気に入りの人形にそうするように、よしよしをした。ローゼンベルグは嬉しくもあったが、何とも言えない微妙な気持ちになった。

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