第70話 最悪のふたり

「そこはそうじゃない」


「あっ、はい」


「そこも違うね」


「すいません」


「やれやれ、人間っていうのは……エルフより短い時間しか生きられない上に知性まで低いなんて……なんて可哀想な生き物なんだろうね」


 ぐす、ぐす、とメイヴァーチルは噓泣きをして見せる。


「まーた始まったよ、メイ婆さんのエルフ至上主義が」


 仕事をしながらメイヴァーチルの相手をしていたローゼンベルグは、つい不満を溢した。


「おいロズ、ボクはぴちぴちの18……と1190歳だよ、婆さんは酷いんじゃないかな?」


「……ええ、今のは忘れて下さい。俺もその寝言忘れるんで」


「ああ、心配しなくていい。あとで無限回復地獄を味あわせてやる。すぐに何も考えられなくなるさ」


 そう言ってメイヴァーチルは朗らかに笑った。


「アレは本気で苦しいのでやめてくださいよ!」


 ローゼンベルグは顔を顰める。


「やだね」


 悪戯っぽく笑っているが、メイヴァーチルは"無限回復地獄"、要するにただの拷問なのだが、必要があれば実行に移す。この為に回復魔法を身に付けたと公言して憚らない程だ。


「本部長大変です!北方支部から魔物の大群が現れたとの報告が!」


 二人が執務室でくっちゃべっていると、ローゼンベルグの他に本部に勤務しているギルド運営部の職員が、焦った様子で飛び込んできた。


「それはまずいね。うちとしても迅速に対処しなきゃ」


「嘘でしょ!?ただでさえ忙しいのに!?」


「いや、これは本気だ。冗談言ってる場合じゃないよ、ロズ。ボクも遊んでいられない、ちょっと本腰を入れるとしよう」


 ローゼンベルグは驚いた。

メイヴァーチルは本部長業務を自分に押し付けてからというもの、のらりくらりまったりと過ごすばかりと思っていたが、やる時はやるようだ。

 もちろん、これまでもローゼンベルグの失敗や不始末について、理不尽な暴力や精神攻撃と共に尻拭いをしてくれたのだが。


「支部長を招集してくる、キミは本部長として続報に対処してくれ」


「分かりました」


「それにしても魔物が北部を狙ってくるとはね」


 大陸を流れる河川を辿ると、基本的に北部に源流が存在する。現在は軍事力を背景に勢力を増す王国と、北部スラーナの共同管理となっている。その水源地へ魔物の侵攻、そこには明らかに人為的な意図が存在している様に思えてならなかった。


 思考に耽りながら執務室を後にしようとしていたメイヴァーチルは、何か金属質な物体にぶつかった。しかし、扉の前に鎧を置く馬鹿がいるとも思えない。見上げると、漆黒の鎧兜に身を包んだ大男が立っていた。


「どなたか知らないけど、急いでるんだ。退いてもらえるかな?」


「断る。俺はお前に用がある。ギルドマスターのメイヴァーチル、ちと付き合ってもらおうか」


 大男はしゃがれた声でそう言った。


「へえ、ボクに?いい度胸だね」


 立ちはだかるなら殺す、それが奔放なメイヴァーチル唯一の掟。彼女にとって自由とは与えられるものではなく、力で勝ち取るものだ。どんな些細な事でも、己の意は力で貫き通さなくては気が済まなかった。


 とりあえず、デカい相手は膝を狙う。それから頭をブチ抜く。2つの手順ステップであの世逝き。そこまで算段を付けてからメイヴァーチルはぎくりとした。この男、人間ではない。


「そう殺気立つな。俺の名はフェンリル、魔神王だ。件の魔物の大軍勢の総大将ってとこだな」


 ギラついた輝きを得たのを見咎め、フェンリルの方から名乗った。


「これはこれは、こちらとしても丁度良かったよ」


 なるほど。本隊は北部に侵攻する間、こちらで冒険者ギルドや王国軍などの軍組織への攪乱が目的と言ったところか。


 メイヴァーチルの緻密な頭脳は機械仕掛けの計算機染みた速度で事態を理解し、ひとまずフェンリルを執務室に招き入れる事にした。


「まあ、ここで話すのもなんだ。入りなよ」


……出られるかは分からないけどね。ぞっとするような声でメイヴァーチルは付け加えた。


「ハハ、中も大理石造りとはな。しかも今じゃもう手に入らないリサール帝国職人ギルド製と見た。ギルドマスター・メイヴァーチル、中々いい趣味してるじゃねェか」


 黒づくめの大男は、メイヴァーチルの恫喝にも一切怯まずに招かれるまま執務室に入り、部屋の装飾などについて感想を述べる。


 後から分かった事だが、警備の者は皆"それ"が冒険者ギルドの正面玄関から歩いて来るのを認識していたそうだ。しかし、戦慄と恐怖の余り制止する声一つ上げられなかったという。メイヴァーチルも、それを咎めはしなかった。確かに人の手に負える相手ではなかったからだ。


「ほう、分かるかい?意外と造詣が深いじゃないか」


 だがメイヴァーチルは暢気にしていた。


「ああ、こう見えて元はリサール人なんでな」


「なるほど、デカい訳だ。そこに座るといい」


 案内されたフェンリルは来客用のソファにどっかりと腰を下ろし、何やら葉巻を取り出すと、外骨格に包まれた指を弾いて火を点した。


「ぼ、ぼぼぼ、ボス!なんですかその化け物は……!」


 ローゼンベルグも本能的に気が付いた様で、椅子から転げ落ちて後退りをし始めた。このローゼンベルグは、メイヴァーチルに仕えているから今一つ小物臭く見えてしまうが、決して臆病でも軟弱でもない。


「おいロズ、お客さんに失礼だろ」


 メイヴァーチルにとっては、自分以外で久々に会う凄まじい魔力圧を放つ存在に出会った。その男はまるで、一個都市に住まう人間すべての魂を喰らったかのような圧倒的な存在感を放ちながら、闇そのものが形を取った様な不気味なまでの認知し辛さを併せ持つ。


「こちらのお客さんは今現在北部に侵攻中の魔物の総大将。フェンリルさんだ」


「は?」


 ソファに収まっているフェンリルは、体格こそローゼンベルグより頭一つ大きい程、その全身を覆う甲冑の様な黒い外骨格から金属めいた硬質さが見て取れた。


 メイヴァーチルは千年以上を生きたエルフだ、魔神の類を見た事はあったし、戦って勝利を収めたこともある。


 その何れも、人間の存在が許された地上世界において、こうまで圧倒的な存在感や邪悪な気配を放つ事は無い。彼等魔神が地上世界でその真の姿である魔神形態に移行するのは、自衛戦闘の必要を迫られるなどの限定的な状況下でのみ。


 だが、この男は違う。この男が放つあまりにも邪悪な魔力によって、行く先々の世界の方が魔界に変わっていくかのようだ。


 何より異質だったのは、葉巻を嗜むその甲冑の中身。頭部外骨格に走る傷跡のような亀裂から僅かに覗くのは地獄の景色を映し出す瞳の数々。生物と呼ぶには余りにも異質でおぞましい何かが蠢いていた。


「早速本題に入らせてもらうが……」


 葉巻を吸い終わったフェンリルはしゃがれた声で切り出した。メイヴァーチルは平気だったが、その話し声だけで、ローゼンベルグは身体の震えを抑えられなくなる。


「ああ、用って何かな?フェンリルくん。少なくとも、冒険者になりにきたって感じではなさそうだね」


 メイヴァーチルは開口一番冗談を言って微笑んだ。まるで朗らかに笑う少女のようだと言うのに、どこか獲物を見つけた毒蛇を思わせる凶暴さが含まれている。


「ククク、噂通り面白い女だな。気に入ったぞ」


 フェンリルも世辞でなく嬉しそうに笑った。


 ローゼンベルグは恐怖に震えながら、この化け物相手に軽口を叩けるメイヴァーチルに心底尊敬を抱いた。ボスならばなんとかしてくれるに違いない、と。


*


「俺は取引があって来たんだ」


 もう冒険者ギルドには登録してるしな……と聞き捨てならない言葉も続く。


「こちらの要求は二つある、ひとつは我々"魔神帝国"と手を組むこと。ふたつめは我々が占領した後に北部の水源地を冒険者ギルドと我々で共同管理する事だ」


 フェンリルは葉巻の火を消しながら、そう続けた。


「へえ、周りくどい真似をするね、何が狙いだい?」


「俺達の目的は人類の"完全支配"だ、その為に水源地を抑える。冒険者ギルドとしても、配給品の項目が一つ増える。そう悪い話ではあるまい」


「なるほど、流石にお目が高いね」


 目的を大っぴらに話したという事は、断ればボクを消すつもりだな。メイヴァーチルには確信があった。


「悪いけど魔神王、ボクは自分より"弱い"奴に従うつもりはない」


「ほう?」


 フェンリルは乾いた嗤いを溢しながら、メイヴァーチルの言葉に耳を傾ける。


「ボクの冒険者ギルドはあらゆる人間国家を跨いで存在する。王国やブランフォードのクソ貴族共を黙らせて、ボクの組織はここまで成長したんだよ」


 メイヴァーチルは力強く、その小さな手を握り締めて目の前に拳を作って見せた。


「クククク、見かけによらず豪胆なことだ。お前の事を好きになれそうだよ……」


 事実、フェンリルのその言葉通り血走った幾つもの目は、メイヴァーチルの一挙一動を捉えていた。それはつまり戦闘能力や言動の分析、プロファイリングの為。観察者の視点での興味という意味だった。


「……で、どうすればお前は納得してくれるんだ?メイヴァーチル」


「そうだね。言っといてなんだけど、表で話そうか」


 王国の昼下がり、にわかに不穏な空気が漂い始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る