第71話 難航

 メイヴァーチルに案内されるまま、フェンリルは王国の山中を進む。王国に吹く柔らかな風を受けて、フェンリルの中に郷愁にも似た思いが浮かびあがった。吹き荒ぶ風と砂塵、戦いの記憶。


 "憎悪の悪魔"と成り果てた男の記憶は、その全てが憎悪によって割り切られる。その黒い外骨格の中で何を思ってか、フェンリルの纏う魔力圧は更に増していく。


 メイヴァーチルには、まるでフェンリルの底が見えない。普通の魔神なら、地上世界で魔神形態を維持するだけでも膨大な力を消耗する筈だが、フェンリルはずっとあの魔神形態と思しき姿のままでいる。


「我々"魔神帝国"に協力すれば、俺はお前達が望む報酬を与えるつもりだ」


 道中、重ねてフェンリルはメイヴァーチル達に自分達と手を組むメリットを話した。


「俺、冒険者ギルド辞めて魔神帝国で働こうかな」


 ローゼンベルグはその好条件に食い気味に飛びついた。


「ウチを辞めるなら、ボクがキミの人生を終わらせるよ」


 メイヴァーチルは真顔でそう言った。


「じょ、冗談ですよボス」


「……あくまで俺は冒険者ギルドと手を組みたいのだがな、残念だがウチは基本的に人間の居場所はないぞ」


 ぎょろ、とフェンリルの頭部の亀裂から覗く瞳が一つ、ローゼンベルグの方を向く。名状し難い恐ろしさだった。


「あっ、はい……」


「それにしても、魔神になったリサール人の"魔神帝国"だっけ?要するにリサール帝国の残党じゃないか。あまりボクを笑わせるなよ、フェンリルとやら」


「……まあ、今はその認識で構わん」


 若干怒気を孕ませたが、フェンリルはすぐにそれを収めた。彼の目的は交渉だ。


「望むもの、ね。見ての通りボクは超絶美少女だけど、こう見えて千年以上生きてる。生憎そんなに欲しいものはなくてね」


「俺にはお前の欲しいものがよく分かる」


「本当かな?言ってみてよ、魔神王」


「我々と組めば、"退屈"など微塵も無くなる事を約束しよう」


 フェンリルは腕を組みながらそう言った。


「……御明察だね」


「なら退屈凌ぎがてら聞かせて貰おうか。キミの"政策"を。何故、人類を支配するのか」


 メイヴァーチルは限りなく詰問に近い口調でそう言った。フェンリルは、僅かに逡巡したかのように見えたが、すぐにまた元の傲岸な態度に戻った。


 ローゼンベルグには、この二人はどことなく似ている様な気がしてならなかった。


「先も言ったが、俺は元々はリサール人だった。ここ数年で魔神になったのだ」


「ふむ」


「人間だった頃の俺は人間の無力さに絶望していたよ、どれだけ藻掻いた所で何も変えられない。大切なものも仲間も、手に掴んだものは何もかも、砂の様に零れ落ちていった……」


 フェンリルは、何処か遠くに思いを馳せるように空を仰ぐ。


「そして、ただひたすらに破壊と殺戮を繰り返し、奪い合うばかり。俺はこの狂った世界に、何より自分自身に絶望し、有る筈もない救済を求めていた」


「それで?」


「見ての通り、俺は死の果てに魔神王として蘇り、力を得た」


「そして俺は考えた。人間を超越した存在による支配を享受する事で人類は絶望から解放される。"完全なる支配"こそが、この狂った世界への救済なのだと」


 王国に吹く風が、俄かに勢いを増した。まるでここから遥か東の荒野から、荒涼とした物悲しさと冷たさを運んで来るかのように。


「俺達魔神帝国の目的は人類の"完全支配"の完成。そんなところだ、メイヴァーチル」


「へえ、悪くない」


「……」


 ローゼンベルグは何か言いたげにしていた。彼としては冒険者ギルドのマスターとしてそこはがつんと言って欲しいところだったが、メイヴァーチルも大概人間嫌いが激しい。元来、人類やこの世界に絶望したというフェンリルに同調しても何ら不思議はないのだ。


「結論から言うと協力するのは構わないよ、ボクも人間を支配するのは好きだからね」


 そのメイヴァーチルの返答は、ローゼンベルグの予想通りだった。フェンリルも表情は一切伺えないが、交渉に手応えを感じたのだろう、機嫌良さそうに頷こうとした時。メイヴァーチルの言葉がそれを遮った。


「ボクが聞きたいのは。ボクがキミの魔神帝国で働くのか、キミがボクの冒険者ギルドで働くのか、って事だよ。ちなみに前者は天地がひっくり返ってもあり得ないと思って欲しい」


「……なるほどな、話に聞いていた通りいい性格だ。実に面白い」


 毒笑と言って差し支えない邪悪な声が、その黒い外骨格の中から聞こえて来た。まるで、数万の悪魔の軍勢が、魔界へと誘うかの様な禍々しさをそのままに。


*


 時を同じくして、"帝都跡地"の地底深く、魔神帝国本部では、アスモデウスらが何やら話をしていた。丁度、フェンリルの動向を魔力によって映像化、それを他の魔神の意識に転写し、共有する。


「で、アスモデウスよ。魔神王様が勧誘しに行ったメイヴァーチルとかいうエルフはどんな奴なんだ?」


 そう、アスモデウスに尋ねたのはベリアルだ。


「珍しい、貴方がエルフに興味あるなんて」


「ああ、なんでもあの狼野郎が直々に出向く程なんだろ」


「そうね。メイちゃんはとってもお利口さんで、見た目はお人形さんみたいで可愛いけど、人間を苦しめて殺すのが大好きなの。面白い子だったから結構昔に私が契約して魔力をあげたのよ」


 アスモデウスは、メイヴァーチルとは旧知らしい。


「それで?」


 北部に侵攻した魔物を指揮するベリアルは興味を持ったように話に聞き入っている。まだ本格的な攻勢には移っていないのだ。


「メイちゃんは人間と違って長寿なの。メイちゃんは私が与えた魔力に適合して、この大陸に暮らす人間とは全く異なる系統の魔法が使えるようになった。言ってみれば、私達の使う魔術が使えるのよ、あの子は」


「つまりニンゲン共と違って詠唱要らずって事か、生意気な奴だな」


 魔神達の魔力による通信は隔絶したアスモデウスとベリアルの音声を共有する。

件のメイヴァーチルとの交渉中故、会話には参加していないが耳を傾けているのは、フェンリルも同様だ。


「回復魔法を一通り覚えてから、今度はメイちゃんは格闘技を始めたの。"すべてを破壊する暴力こそ真の強さだ"とか言い出して。単純な迫撃戦でも私の"魔神形態"と互角ってとこかしらね……」


「フン、自分で勧誘しに行って手に負えんならその程度の器だって事だ。俺は今でもベレトの姉御が魔神王でもいいと思ってるからな」


 ベリアルは、フェンリルが返答できないのを良い事に当て擦る。


「どうかしらね。うちの魔神王様相手じゃ、流石のメイちゃんも分が悪いと思うわ」


*


「知ってると思うが、ここはボクが出資した王国の魔法研究所だ、攻撃魔法実験室といってね」


「ほう、なんとも愉快な響きだな」


「ここなら邪魔は入らない。キミも全力で暴れてくれて構わないよ」


 実験室への入り口を二度と開かぬのではないかと言うほど厳重に閉じ、メイヴァーチルはそう言った。その取って付けた様な感情の模倣の下には、獲物を含んだ食虫植物の様な無機質な殺意だけがある。


「あのう、ボス。何故俺も連れて来られたんですか?」


 ローゼンベルグは本気で不思議そうにしていた、そして自分の身の安全を第一に考えていた。翻って言えば、如何なる化け物相手でもメイヴァーチルが敗れるとは微塵も思っていないという事でもある。


「キミは審判ジャッジだ、人知れず巨悪に立ち向かったボクの戦いを見届けてくれたまえ」


 メイヴァーチルは芝居がかった口調でそう言った。


「ククク、地の利も審判もそちら側とは。とんだアウェイがあったものだな」


「あのう、ボス。文句を言う訳じゃありませんが、手を組むってのにやり合う必要あります?」


「手を組むにしても、実力は知っておくべきだろ。ただのコケ脅しなら手を組む価値もない、ここで叩き潰す」


 翌日の冒険者ギルド報の紙面を「ギルドマスター、魔神討伐!」という文面で飾るところまでがメイヴァーチルの筋書きという訳だ。


 人間は虫けら同然という割に、このエルフは人間からの称賛や羨望を人一倍欲している。人間を嫌うからこそ、囚われている事の表れだ。


「……困った御方だ」


「全くだな。それより、ハンデはそれだけで十分か?俺は二人掛かりでも構わんぞ」


 ごき、ごき、とフェンリルが億劫そうに首を回すと、軋んだ外骨格が耳障りな悲鳴を上げる。


「ああ、二度と大層な口を叩けなくしてあげるよ」


 機敏にその場で飛び跳ね、メイヴァーチルは構えを取った。

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