第24話 カゼルvsエリク

一体この森はなんなのだろうか。

カズヤは、言い知れぬ不安に苛まれていた。


夜の森は、ここまで不気味であっただろうか。カズヤは中学生の時の林間学校で夜の山に立ち入った事がある。確かに不気味さはあったが、懐中電灯等の装備があればそこまで恐れるものでもない、というのが現代日本出身のカズヤの意見だった。


カズヤは左手の松明を握り直す。

この世界に召喚されてしまった以上、懐中電灯もスマホのライトも存在しない。

この松明の灯りだけが頼りだった。


この王国郊外を包む森は聞くところによると、さして危険な獣は棲息しておらず、近隣の住民も山菜採りなどで立ち入る事がままあるという。


それが何故今、日中の爽やかさが嘘のように立ち消え、まるで墓場を思わせるおどろおどろしい雰囲気を醸し出しているのか。


依頼で示された地点に近づくにつれ、カズヤの中に、人が生物として持ち合わせる根源的な恐怖が沸き上がっていく。それは違和感などという生易しい言葉では済まされない。


大気が、カズヤの肩に重くのし掛かってくる。知らずの内に呼吸が浅くなっていた事を自覚する。王国はかなり涼しい気候であり、夜になれば肌寒さを覚えるほどだ。にも関わらずカズヤは身体中べったりと脂汗がにじんでいて不快感を隠せない。


心なしか、彼が前世で大型トラックに轢殺された時と同じような鮮血の生臭さが漂っている気がした。


恐怖ゆえか、"一度死んだ"経験からか、はたまたこの世界で初の夜間行動であるためか、感覚が鋭敏になっている事を感じた。以前暮らしていた日本の夜とはまるで異なる。松明と月明かりに照らされた木々や茂み以外は全くの闇一色だ。


引き返すべきだ。


カズヤの直感は冴えていた。

直感故に何とは言えないし、説明のしようはない。血に飢えた猛獣か、はたまた人喰いの怪物か。この森に何か恐ろしいものが潜んでいるのではないかという被害妄想染みた考えが頭を過る。


マルティナには軽い気持ちで斥候を任せてしまったが、今となっては己の判断ミスへの後悔しかなかった。


既に斥候へ出向いたマルティナをこの森に置き去りにして引き返すことは出来ない。勇者として以前に、人として是非を問われるような真似をする訳にはいかない。


助言を求めるような気持ちで仲間達を見やる。しかしエリクの兜から覗く皮膚には脂汗が滲んでいた。歴戦の騎士である彼も、故知れぬ危険な気配を感じ取っているのだ。


カズヤ達が森の獣道を進むにつれ、大気は重みを増していく。カズヤの鼻を苛む血臭か実感出来る程強くなっていく。


「………ハハハハ!」


悪魔の哄笑。

そうとしか思えない、邪悪極まりない笑い声がカズヤ達の耳に届く。カズヤは、不安を堪えながら声のした方へ、足音を立てぬように歩を進めようとする。


「……カズヤ殿、誰か居ます」


押し殺した声でエリクが囁いた。


「……分かってる、準備して」


不意に勇者カズヤの握る松明が、凄惨な虐殺の現場を照らし出す。カズヤはジビエのように捌かれたマルティナの成れの果ての姿を見て絶句した。


「ッ……!?お前!マルティナに何やってるんだ!!」


カズヤは、返り血を浴びた大男に対して反射的に憤りの言葉を吐いてしまった。恐慌状態になるよりも先にアドレナリンが分泌された事で結果的には怒りがこみ上げてくる嘔吐感を抑えた。


「た、助けて!」


赤毛のフードを被った魔法使いらしき女性は、カズヤに気が付くと一瞬間を置いて助けを求めて来た。状況的に見るとこの大男に襲われているらしい。となると、依頼に示されていた山賊というのはこの大男なのだろうか。カズヤは恐怖に麻痺しかかった思考を必死に束ねて推測する。


「……ようやく御出座しか」


逃げ出した赤毛の女性には目もくれず、まるでカズヤ達を待ち構えていたかのように、しゃがれた声で大男は嘯いた。その男はダガーに付いた血を丁寧に拭き取って腰に差してから、こちらに向き直る。


その大男を見て、カズヤは息を呑んだ。


背丈は身長175cmのカズヤが遥かに見上げる程、例え着膨れしていたとしても、その分厚い体の重さは100kgを下らないだろう。この男がジナの言っていたリサール人の賊だろうか。重厚な鋼鉄の兜から覗く眼は完全に据わっており、闇夜でもその眼光は赤みを帯びてぎらついている。


背負っている重厚な戦斧も整備が行き届いているようで僅かな月光を反射し、妖しく煌めいている。かなり上等の物だろう。


狐人のマルティナを無惨に解体している事から"殺人"に一切の躊躇いを持たない事、その容赦の無さが見て取れる。

そして、革鎧や外套越しでも膨れ上がった肩や両腕の筋肉は、人間というより獰猛な肉食獣の前肢を彷彿とさせた。


見た目こそファンタジーもののゲームやアニメなどで良く見た山賊、もしくは戦士と映る。だが、こうして現実に目にすると迫力が違う。その男の背負う武器も、獰猛そうな見た目も、全てが実体の恐怖としてカズヤの目の前に存在していた。


大男が取ったのは、ただ立ち上がってこちらに向き直るだけの動作。それでもその大柄な体躯を思わせぬ軽捷な体運びにカズヤは気が付く。


この男に比べれば遥かに小柄ではあったものの、歴年の柔道家であった祖父の立ち振舞いが丁度こんな風に滑らかで無駄のない動きだった事を、カズヤは思い出す。


以前暮らしていた日本でここまで凶暴そうな人間は見たこともなかった。まさに別世界の人間である。カズヤは本能的な危機感を駆り立てられる。


大男は、カズヤ達に一通り一瞥をくれた。


ただそれだけの事なのに、大男はまだ手に武器を構えた訳でもないのに、まるでもう既に刃物を首筋に突き付けられているかの如く、カズヤ達の体へ異常な程濃密な殺気が纏わり付いた。それと同時に彼等の精神を恐怖と焦燥が縛る。


カズヤはこの気配が、身に覚えがあるようにデジャヴを感じる。まるでつい最近、この男と擦れ違った事があるかのような。


「俺の仲間に、何してるって聞いてるんだ!!」


カズヤは、それでも恐怖をひた隠し叫んだ。

王国の治安を守る為に、勇者として、斯様に危険な男を野放しにはしておけない。マルティナを惨殺された義憤と、勇者として芽生えつつあった正義感が、カズヤの脳裏から撤退の二文字を消し去った。


「仲間……?ペットの間違いだろ」


カゼルはおくびも上げずマルティナをペット呼ばわりし、その遺体をカズヤの方へ蹴り飛ばした。ほとんど原型を止めていない遺体はべしゃり、と湿った音を立てて鮮血を撒き散らした。


「……お前!」


カズヤはあまりの怒りに声が裏返っていた。


「良い教訓になったな?はぐれた羊は狼に狩られ、死ぬ。飼い主の責任だぜ」


カゼルは、せせら笑いながら悪意の限りを込めてカズヤを挑発する。


「……」


カゼルとしては、別段皆殺しにしても構わない所存だ。しかし、必要以上の殺人は後始末をする帝国議会から咎められる。任務の達成条件は勇者の抹殺であるから上手くして勇者を挑発し、こちらへ仕掛けさせ斬殺する目論見だ。


それから残りの者達の始末をマルヴォロフ達に任せようと考えていた。一人で魔法使いを生け捕るのは面倒だからだ。


「カズヤ様、こいつの相手は私が」


だが、カゼルの思惑とは異なって、カズヤの護衛を務める王国騎士エリクが剣を抜いた。


「エリクさん……!」


「貧弱な王国軍には用がねェ、すっ込んでろ」


カゼルは、エリクが向かってくる様子を見てうんざりしたようにそう言った。


「お前に無くてもこっちにはある。これ以上、お前等リサール人に好き勝手はさせん」


こんな男を相手にわざわざ一騎討ちをする必要があるのだろうか。カズヤは首を傾げたい心持ちだった、しかし下手に加勢してエリクの邪魔になってもいけない。


「俺は王国騎士のエリク!行くぞリサール人。尋常に勝負だ!」


エリクは名乗りを上げ、猛然とカゼルへ斬りかかった。


「フン……もう一つ教えてやろう。貴様等のような弱者が群れた所で、被捕食者(エサ)の群れに過ぎねェんだぜ」


カゼルにして見れば、魔法の一つも使えない王国騎士などまるで眼中に無いのだろう。余裕綽々と言いのけて担いだ戦斧を振り下ろし、エリクを迎え撃った。


エリクは、その戦斧の打ち下ろしがあまりにも速過ぎた為、咄嗟に自身の打ち込みを受けに転換し、何とか凌いだ。

しかし予想を遥かに上回る手応えに驚愕する。カゼルの戦斧を受け止めた瞬間、あまりの衝撃、威力に手首や肘の間接が激痛に軋んだ。


エリクは国境を侵したリサール人の軍隊崩れや無法者を相手に、何度も刃を交え撃退してきた。だが、片腕でこれ程激しい一撃を放ったのはこの男が初めてだった。


カゼルが、防御ごと剛力を以て捻り潰さんと押し込む。彼は剣ごと叩き斬るつもりだったのだが、エリクは戦斧の柄を上手く受け止めた為、一先ずそれに至らない。


エリクは頭上で剣を横へ構え、全身の力を総動員して漸くカゼルを押し留めた。両者は一応の所、鍔迫り合いの体をなしている。


「貴様ッ、ただの山賊じゃないな……!」


エリクは絞り出すように言う、一合でカゼルが只者では無いことを見切った。今まで戦って来た帝国騎士にもこれほどの使い手は居なかった。


「さあな?山賊か何かって事になってる筈。お前こそ騎士を名乗るなら、もっと鍛えねェとなァ?」


カゼルはまるで他人事のように答えた。

そして声音にはっきりと侮蔑を込めて挑発を重ねる。


「なめるな!」


エリクは、拮抗状態から全身の力を総動員し、頭上にあったカゼルの戦斧を弾き返す。続け様、素早くカゼルへ横薙ぎに斬り掛かるも、彼の剣が振り抜かれることはなかった。エリクは金縛りにあったように踏み込みの途中でびたりと停止した。


カゼルは戦斧を弾き返された瞬間、素早く空いた左手にダガーを抜き、踏み込んで来るエリクから身をかわすどころか、逆に懐に飛び込み、胸甲の隙間にダガーを突き刺したのだ。神経の集中する鳩尾、即ち横隔膜を突き刺されたショックで、エリクは一時的に呼吸が出来なくなった。


「ぐッ……がは……」


エリクは傷口から血を吹き出しよろめいた。いったいどういう力で突き刺したのだろうか。胸甲の下地であった鎖帷子がまるで用を為さず、深々とダガーの刀身に急所を抉られている。


カゼルはよろめいたエリクに前蹴りを喰らわせ、反動で左手のダガーを抜き取ると右手の戦斧を自分の頭の後ろへ大きく振りかざす。


エリクは、胸から出血しながらもなんとか剣を構えて受け止めようとしたが、最早何の抵抗にもならなかった。


「やめ……ッ」


カズヤは駆け出した。しかし到底間に合わない。エリクは受けに構えた剣を叩き折られ、ごしゃりと湿った音を立てた。


兜ごと頭蓋骨を叩き割られ、夥しい血と脳漿を撒き散らし地面に倒れ込む。王国の近衛騎士を務めた男が、いとも容易く仕留められた。


「エリクさん!!?」


カズヤは驚愕も露に叫ぶ。

奴隷商を懲らしめた時、エリクは激怒して襲い掛かって来た用心棒がまるで相手にならぬ程の腕前を見せた。心強い味方を得られたと、信頼を寄せていたのだ。


「フン、軍の護衛が付いてるとはな」


2合目を切り結ぶまでもなくエリクを屠り、カゼルはその砕けた頭部を踏みつける。ごりっ、と音を立てて血と脳漿で染まった戦斧を抜き取った。カゼルは血振りをし、元の右肩口に構え直す。


「これで一匹と一人。仲間が殺されてもお前は見てるだけか?勇者様よォ」


狙いはあくまで勇者カズヤだった。


カゼルは、シュー……と、ローブで覆われた兜の口元から吐気の音を立て一息ついた。

カゼル達の装備品。特殊な繊維で編まれたローブで呼吸器を覆うことが即ち、マナを吸い込まないための措置だ。


生きるということは環境に適応すること、彼等はリサール人にとって毒ガスに等しいマナが充満する環境でも、こうして潜入並びに暗殺任務を遂行しているのだ。


「貴様!」


カズヤは怒りに任せてフランベルジュを大上段に構えカゼルに斬り掛かった。


カゼルはダガーを握ったまま左手のガントレットの装甲で、振り下ろされたフランベルジュの刀身を殴り付ける。

馬鹿げた膂力に物を言わせて弾き返すと、その動作に連動して腰を捻り、肩口に構えた右手の戦斧をカズヤへ振り下ろす。


鈍い金属の激突音がカズヤの耳をつんざく。

カズヤは全く反応できなかったが、女神から授かったアルグ鋼製の甲冑が早くもその優れた防御力を発揮した。肩鎧にカゼルの一撃を受けても一先ずカズヤは無傷だったが、それでも左肩が脱臼したかと思うほど、凄まじい衝撃が身体を走る。


カゼルの背後を取ったキャスターが魔法で狙撃する。カゼルは背後へ目も向けずそれを回避したが、僅かに隙が生じる。カズヤはそこで一旦距離を置く事にした。


戦闘能力があまりにも違い過ぎるのだ。

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