第19話 追跡者
人混みを避け、カゼルはアルジャーロンを連れてギルドを離れた。
ジナが特務側の指示通り、勇者達を誘導した事は確認を取ったが、他の冒険者の居るギルド内で、ましてアルジャーロンの目の前でマルヴォロフと連絡する訳にはいかない。
彼が連絡するのは、この邪魔な女を永遠に黙らせてからだろう。
「ね〜、何処にいくの?アイゼル。こんな人気の無いところ通って…私、襲われちゃうのかしら?」
アルジャーロンは冗談めかしてそう言ったが、実際カゼルはそのつもりだった。いつ隙をついてダガーを抜くか、機会を窺っていた所だ。
その人気の無い裏路地には帝国軍"カゼル"の指名手配書が貼ってあり、他にも凶悪そうな顔付きの犯罪者が指名手配されている中、長髪赤毛の女の手配書もあった。
カゼルは、ちらりと見た程度ではエルマ語をそこまで読み取ることは出来ない。
だが自分の手配書だけははっきりと分かった。その懸賞金だけで、死ぬまで豪遊して暮らせそうな破格だという事も分かる。
「指名手配されてるのに呑気なものだな?」
カゼルは振り向き様にダガーを抜いてアルジャーロンの首を掻き切ろうと柄に手を掛けた時、威圧的な響きで背後から呼び止められた。
人気の無い裏路地をアルジャーロンと共に進んでいたカゼルは、思わずギクりとしてダガーの柄から手を離して振り返る。
そんなカゼル以上にアルジャーロンの方が余程焦った様子で振り返った。
「アルジャーロンだな?エストラーデ様がお探しだぞ」
妙に装備の整った王国兵の二人組が、カゼルには目もくれずにアルジャーロンに呼び掛ける。どうやらカゼルの変装がバレた訳ではないようだ。
「私は側近を辞した身だ、探される謂れはないよ」
「それはエストラーデ様に言うのだな、脱走者め」
「……チッ、びっくりさせやがって。エルマ人は皆脱走が好きらしいな?」
カゼルは、いつぞやのエーリカ達の脱走を思い出して、皮肉めいた顔を浮かべる。
彼には別段アルジャーロンを庇う意図は無かった。しかし争い事の気配を嗅ぎ付け、兵士二人を煽り立てるように存在を主張する。
「リサール人が此処で何してる?砂漠に帰るがいい、クズめ!」
兵士は猛々しい剣幕でカゼルに食って掛かる。
「えれぇ言われようだ。俺はこいつの雇い主だ、仕事がないと言うので雇っている」
カゼルは不敵なまでに憮然とした態度を崩さない。
「お前がこの女を拐かしてるんだな?」
高圧的な態度でカゼルに詰め寄る兵士。
リサール人というだけで随分血気が逸るらしい。
「いいや?むしろ、こいつが連れていけと」
今のところカゼルはマルヴォロフの指示を守り、兵士相手に短剣を抜くことも拳を振るう様子はない。だが、既にこめかみと握り拳には血管が浮き立っている。
「本当よ、その人は関係ない!」
「しらばっくれるなよ木偶の棒が!」
「でけえのは態度とガタイだけか?ああ?リサール人!」
その兵士の一人はカゼルの胸ぐらに掴みかかる。更にもう一人はカゼルの顔面に殴り掛かったが、カゼルは素早く首を逸らしてかわす。
カゼルと、そのエルマ人の兵士二人にはそれなりの体格差があり、やはりカゼルの方が大柄だ。しかし、冒険者に限らず市民というのは基本的に国家権力に逆らえない。
冒険者に成り済ましているだけとは言え、そういった立場の優越を背景にした兵士二人の横暴な態度に、自身の横暴さを棚上げしたカゼルは立腹した。
彼は自分が人よりも有利な立場に立ち、一方的に攻撃、蹂躙する事を三度の飯よりも好んでいる。その一方で他人から見下されたり、不利な立場に立たされるのは反吐が出るほど嫌っているのだ。
「死にてえらしいな」
カゼルは自身の胸ぐらを掴む兵士の兜を両手で掴み、その男の頚椎への負荷も狙って思い切り真下へ振り下ろす。同時に膝を蹴り上げ兜に覆われていない兵士の顔面、鼻っ柱に突き刺した。
バギッ!と篭った音が兜の中で反響する。
反撃を予想していなかったのか、まともにカゼルの膝蹴りを受けた兵士は砕け、陥没した鼻から血を噴き出し尻餅を付く。路地裏には夥しい鮮血が飛び散った。
「やりやがったな!」
もう一人の兵士は、怒りに震えた声でカゼルに襲い掛かる。膝蹴りを放ってから素早く、滑らかな身のこなしで残身したカゼル。既に徒手格闘の構えを取り直している。そして殴り掛かってきた兵士の拳に対して僅かに遅らせ右拳で突きを放った。
兵士の拳を紙一重でかわしながら、相手の踏み込んだ勢いを迎え打ち、カゼルの拳は兜に覆われていない兵士の顔面を稲妻のように打ち抜いた。殴られた兵士はまるで糸の切れた操り人形のように危うい勢いで地面に昏倒する。
そうしてカゼルは瞬く間に二人の兵士を血祭りに上げた。魔法を使うならともかく、この体格差で格闘戦をすればカゼルが有利なのは言うまでもない。
カゼルは、エルマロット王国の法律も自身の仕事に関係する部分は概ね頭の中に入っている。この場合かなり過剰防衛のきらいがあるどころか、王国兵への暴行ということでたとえ無実であってもしょっぴかれるだろう。
しかし、カゼルはどのみち司直へ出頭するつもりなど皆無だった。
彼はここで二人とも殺害する腹積もりなのだ。元々アルジャーロンもここで殺すつもりだった。カゼルにしてみれば死体の数が増えるだけである。
奇しくもカゼルは、自分の指名手配書に兵士達の血飛沫を散らしてしまう。よりおどろおどろしくなった手配書。人相書きを実態へ近付けてしまったようだ。カゼルは、神経質そうに自分の革鎧や兜に付着した返り血を兵士のマントになすり付けて拭き取る。
「ま、参った……や…やめてくれ……」
カゼルは、膝蹴りを受けまだ意識のあった方の兵士の腕を掴んで持ち上げる。
「ま、待ってアイゼル!彼等はエストラーデ様直属の配下なんだ、大騒ぎになるから殺さないで!」
アルジャーロンは悲壮な声を上げる。
あっという間の惨劇であった。彼女はその銀プレートの冒険者には到底有り得ないだろう、カゼルの訓練された格闘能力に驚いていた。
「騒ぎにはならねェよ、コイツらはここで永久に口を閉ざすからな」
カゼルは兵士の腕を引っ張り上げ、夥しい鼻血を垂らしながら顔を抑えていた兵士の頭を地面から浮かせる。そして体重を乗せて頭を踏みつけ、浮かせた分だけ地面へ叩き付けた。ぐしゃりと、むしろ湿った音を立て兵士は呻き声を上げて側頭部から更に血を流す。
「あ…!がっ…!アルジャーロン、助けっ…助けてくれぇ……!!」
知り合いなのか、血塗れの兵士はアルジャーロンに助けを乞う。一方カゼルは今の一撃を受けてまだ兵士に意識があることを不思議がった。この兜は上等な物なのかもしれない。
「痛そうだな。今、楽にしてやるからよ」
カゼルは腰から鋭利な輝きを放つダガーナイフを抜いた。
「アイゼルお願い!見逃してあげて、彼等は剣を抜いた訳じゃないわ!」
「……」
カゼルは掴み上げた兵士の腕を再び持ち上げ、身体ごと壁に向けて投げ飛ばす。武装した男を軽々と持ち上げる膂力にアルジャーロンも息を飲んだ。その兵士は顔から壁へ叩き付けられる。徹底的に痛め付けられたその兵士はくぐもった呻き声を上げながら、流血する頭を抱えて蹲った。
アルジャーロンの言うとおり、確かにこの二人は剣を抜いて掛かった訳ではない。
つまり、これは果たし合いではないのだ、剣を抜かぬのならば命まで取るべきではない。
それが帯剣する者の暗黙の了解。
……なのだが、徒手空拳で容易く人を撲殺出来るカゼルにとって、その約定は意味を成していなかった。
「黙っててごめん…私は賞金首なの。言えば雇ってもらえないと思って…」
「成る程?仕事に困るわけだな。余計な時間を食った。とっとと王都を出るぞ」
カゼルは綺麗に返り血を拭き取り、鮮血の飛び散った路地裏から歩み出る。
そしてアルジャーロンを連れ、何事も無かったように再び人混みを掻き分け始めた。
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