第14話 カゼルの当番の日

その翌日。

早朝に目を覚ましたカゼルは、朝食代わりに酒瓶の栓を抜きらっぱ飲みしようとして、止めた。


「チッ、今日は俺が当番だったか…」


他の者達は休務だ。

カゼルは、支度をしてからシラフで特務騎士の事務室までやって来る。

服装は適当なシャツとズボンを履いている。

今日甲冑に着替えるのは、緊急の事態があってからで良い。


部屋には鞘に納めた二刀の愛剣を立て掛けながら、今一つ捗らない様子で、しかし懸命に隊長としての書類仕事を片付けていた。


机の脇にはアーシュライアから借りている水晶を置いてある。

緊急の用件があればすぐに連絡が来る。

そして、休務の者達も必要に応じすぐさま集合出来る体制にあった。


正午過ぎ、書類仕事を一段落させたカゼルは、緊急連絡用に水晶と剣を持って訓練所に一人赴いた。


左手でマスティマを振る。

深く構えて十字を斬り、突きを放つ。

右袈裟、左薙ぎ、踏み込みからの斬り上げ。

一通り型を流して左腕のマナ傷は未だに完治してはいない事をさめざめと知る。

その剣の冴えは本来の6割程度と言ったところだ。


「チッ…」


興醒めしたカゼルがまた事務室へ戻っていこうとした時だ。

水晶越しにエーリカの声が聞こえた。


「俺だ」


先日、ジェイムズにこってりと絞られたカゼル。傍若無人たる彼とて、彼女等二人との和解の落とし所を探しているつもりはある。


「あっ…えっと…カゼル…?」


本日の当番がカゼルだと気付くと、エーリカの声のトーンは落ちた。


「どうした?」


マスティマを鞘に納めながら、事務室に向かうカゼル。


「あの、錬金機材の引っ越しを手伝って欲しいの…」


「あァ、言ってた奴か…待っていろ」


カゼルは、作業の邪魔になると判断し、武器は事務室に置いて鍵を閉める。

そして最低限、上着を羽織ってエーリカの居る宮殿に向かった。



「それで?」


一応カゼルはダガーを腰に差しているが、ほとんど丸腰と言っていい。

帝都内で甲冑や剣を身に帯びて引っ越し作業を行う必要はないと判断したためだ。

それにしても彼の私服姿のセンスは、完全に裏社会の人間のそれであった。


カゼルは宮殿内に用意されているエーリカとアーシュライアのための錬金術作業場へやって来た。


作業台の周りには様々な薬液の入ったフラスコが並べられており、乾燥させた薬草、良く分からない紫水晶、見るだけで目をやられそうな程輝きを放つ結晶化されたマナが目についた。


彼女達は、ここで薬品や、件の水晶等の様々な魔道具を作成している。

カゼルも以前麻痺毒の配合表を渡し、作ってもらったのだ。その威力は既に実証済みである。


室内には燭台の火の他に、仄かに発光する蛍のようにマナが漂っている。

カゼルは眉間に皺を寄せ、口を手で覆った。

隅の一室とは言え、宮殿内にマナを漂わせている事を上層部が黙認しているとは、カゼルは驚きを隠せなかった。


果たしてカゼルは何を運ばされるのかと思いながら腕を組んで、室内の器材を眺める。

結晶化されたマナを手袋越しに取るぐらいならば問題はない。

液体に含まれるマナや、ここに漂う空気に細かく微粒子状になったマナが含まれていた場合、それを飲んだり、吸い込んだりすると、毒である。


いずれにしろ、リサール人のカゼルはあまり立ち入りたくはない部屋だった。

ズボンからハンカチを取り出すと、掃除婦さながらに口を塞いで頭の後ろで結んだ。


その両腕のタトゥーや顔の傷、下地を膨れ上がらせる筋肉質な体格から、どう見ても宮殿で働く者には見えなかった。


「特務の本営に移そうと思うの、物を作るのにいちいち宮殿に行かなくてはならないのでは手間よ」


作業場の物品を整理をしていたエーリカはカゼルに気付くと、一旦手を止めた。


「デカブツに持たせればいいじゃねえか」


「それはそのつもりよ、でも中には壊れ易いものもあるの、それを運んでもらえないかしら…」


「ああ、荷車は用意してある」



作業台等の大まかなものはエーリカのグラウンドスピリットに持たせて運び込んだ。


フラスコやその台。それ以外にも、カゼルには見当のつかない機材が山程あったが、エーリカに言われるままカゼルは慎重に、そして寡黙にそれ等を特務の本営へ運び込む。


レイアウトに関してもエーリカの指示に従った。


「これでいつでも貴方達に薬を作ってあげられますよ」


エーリカは元気溌剌といった様子で告げる。


「そうか、マナ入りの薬を飲んだら内臓をやられるがな」


そんなエーリカをカゼルは皮肉げに言い捨て、取り合わない。


「そう、それです。貴方達が女神エルマ様に呪われているのは…ちょっと自業自得でもあるのだけれど、大抵のリサール人はいい人達です、だから呪いを緩和するか、取り込んだマナを除去出来るお薬を……」


「…好きにしろ、用が終わったなら帰るぜ」


カゼルはエーリカを遮って、本営に設置されたエーリカとアーシュライアの作業場から出ていこうとする。


「ねぇ待って、魔女商会にもいきたいの」


「……何?」


渋々ながらカゼルは引き続き、エーリカに同行する事に決める。


一人で出歩かせれば、果たして本営に帰ってこれるかどうかも怪しかった。

お付きの魔女も今日は休務である、彼に選択の余地はなかった。



二人は帝都の市場通りにやってきた。

カゼルとエーリカが並んでいると、さながら父と娘のようにすら見える。

でなければ、少女を誘拐している無法者だ。


魔女商会の支店でのエーリカの買い物は非常に長引いた。大半の荷物は自動的にカゼルが運ぶ事になる。


カゼルもまた、魔女商会で煙草と火薬を購入した。煙草については魔女商会が利権を握っているため、たとえばエーリカが大地の精霊の力を使って栽培したとしても、密造扱いされてしまう。


火薬については、エーリカに錬金してもらっても構わないのだが、材料を自前で用意するのが面倒だった。また、破壊行為に使うと知って首を縦に振るとも考えにくい。


店を出ると、今度はエーリカは屋台を指差してはしゃぎ始める。


「あれ!あれ食べたいです!」


「好きにしてくれ」


カゼルは実にうんざりした気分だった。

彼は、およそ闘争を除けば、酒と煙草、後は気に入った女を抱くこと以外なにも興味を抱けなかった。


エーリカが菓子か何かの屋台に並ぶ間、カゼルは先程購入した煙草に火を付け、物思いに耽る。カゼルはエルマ人の魔女商会が煙草をリサールにも卸してくれている事に、一応のところ感謝はしている。


でなければ彼はこうして煙草をふかす以外で、こうした都市の人混みの中、なんとはなしに沸いてくる疎外感を埋める術を探さなくてはならない。


カゼルは自分だけ世界から置き去りにされたような目をして、帝都の市場通りの人混みを眺めた。


エルマ人が設計、規格した魔法設備を、リサール人の作業員が据え付けしている。


恐らくエルマ人が経営しているであろう八百屋で、リサール人が店主をして果実や野菜の品質の高さを呼び掛けている。


カゼルの持つ着火器具も、その火の起こりは火打石ではなく魔法に由来し、燃料は液体マナだ。これもエルマ人の職人が作ったもので、こちらで火を付けた方がより、紫煙を深く味わえる。


こうした魔法に由来する水や火に含まれるマナは、別段ずっとそこに停滞する訳ではない。例えば、アーシュライアがそこら中を水浸しにしたからと言って、後に残る水に対して永続的にマナ傷に怯えなくてはならない訳ではない。


数時間もあれば、魔法によって発生した水に含まれるマナは抜け落ち、霧散する。

アーシュライアが攻撃のために高水圧で飛ばした水を身体に受けたならば、含まれるマナの量に比例してマナ傷になる。

その場合は、現在のカゼルの左腕がそうであるように身体や傷口に含まれたマナが代謝されるか、消滅するまでマナ傷に苛まれる事になる。


エーリカがグラウンドスピリットによって生やした植物などもそうだ。彼女が栽培した果物を、マナが抜ける前に齧ったりしなければ腹を壊すことはない。


要するに、マナさえ抜けていれば現状のリサール人でも魔法の恩恵に預かることは出来るのだ。そして今のリサール人の大半はエルマ人を宿主とするまさに寄生虫と言ってもいいだろう。


リサール人を遥かに上回るほど凶暴であるルセリアン達を駆逐するのにも、それを支える軍事力を維持する為にも魔法は必要不可欠だった。


だが今度は、魔法に由来する文明力を背景にリサール帝国に対して高圧的かつ不公平的な交易を強いてきたエルマ人達を逆に支配しようとリサール帝国は反発し、15年前のエルマロット王国侵攻戦が起きた。


現在では和平が結ばれ、小競り合いこそあれども、基本的には互いに利益を分かつ交易関係にあるエルマロットとリサール。


それでも侵攻戦の際にはエルマロット王国市街に於けるエルマ人やエルフ族の大量虐殺や誘拐、エーリカ姫及びのアーシュライアの拉致を受けて尚、金の為にリサールで働くエルマ人が居ることをカゼルは不思議に思った。

彼は、棄てた家名でなく、騎士としてでもなく、リサール人で在ることに誇りを持っている。


確かに現在のリサール帝国に於いては魔法という技術、即ち商品の価値は本場のエルマロットとは比較にならない程の値が付く。

エルマロットでは三流呼ばわりされる魔法使いでも、リサールでは引く手あまたである。

エルマ人とは民族性として商魂逞しい、もしくは守銭奴気質なのだろうか。


煙草の値段についても、カゼルには一言申したい気持ちがあった。明らかにリサール人の足下を見た価格設定であるためだ。


彼はエルマロットにある魔女商会の総本山を襲撃し煙草を根刮ぎ略奪しようと考えたことがあるが、自分達リサール人には栽培や加工のノウハウが無いことは明らかであるため、実行には移していない。

この煙草という植物は、エルマ人の魔女達が異世界から召喚した品種であり、その栽培や加工のノウハウは魔女商会に秘匿されている。どのみち、リサールの気候には大抵の植物の栽培が適さない。


気が付くと、エルマロット製の携帯灰皿には3本ばかり吸い殻がたまっていた。


ふと、カゼルは屋台に並んでいる筈のエーリカの方に視線をやる。

そろそろ戻って来てもいい頃であったが、その予測は裏切られる。


「はなしてー!」


エーリカはいつぞやのように、今一つ緊張感のない悲鳴を上げていた。


「お嬢ちゃん可愛いねぇ…俺達と遊ぼうよ」


「いやー!カゼル!助けてー!」


「ウハハハ!彼氏より良い思いさせてやるよ!」


「彼氏じゃないです!誰か助けてー!」


カゼルがエーリカから目を離し、物思いに耽ったのは、時間にして10分にも満たない。


カゼルはまたしても驚きを隠せなかった。

確かにエーリカの目鼻立ちはそれは人間離れした美しさではある。

だからと言って、こう何度も外を出歩くその度に、チンピラに絡まれるものだろうか。


カゼルは、咥えていた一本を携帯灰皿に押し込むと、荷物はそのまま一気に飛び出した。


エーリカに絡む輩は三人、全員男。

体格的にはカゼルが勝っている。

彼の目には少々粋がった若造程度にしか映らなかったが、年齢は齢25のカゼルとそう変わらないだろう。


内二人は大柄で筋肉質な体つきであることからリサール人のようだが、一人は色白の痩躯でありエルマ人のようだ。


カゼルは、横合いから急襲的に三人の内一人のリサール人の脇腹目掛けて、駆ける勢いを存分に乗せた飛び蹴りを放った。


「ぐあッ!!」


カゼルの革靴越しに、肋骨を粉砕する蹴り応えが伝わる。


残る二人はまるで発射された砲弾のように突っ込んできたカゼルに一瞬呆然となった。


カゼルは即座に着地すると、有無を言わさずエーリカの腕を掴んでいたリサール人の男の顔面に素早く左手で掌底を放つ。

空いた右手で交換動作も兼ねながら、しっかりとエーリカを自分の背後の方へ下がらせた。


「うッ!」


鼻血が飛び散り、男は顔を襲った衝撃に目を瞑りながら後退する。

カゼルは続けざま、エーリカを下がらせた右手で最短距離を切って鳩尾に正拳突きを放つ。


「フンッ!!」


芯まで気勢の篭った、申し分の無い一撃だ。

タトゥーの入った右腕は、鈍い音を立てながらその前腕の半ば程まで男の胸にめり込んだ。


カゼルは一切の呵責無く、男の胸骨を砕き、肺や横隔膜を叩き潰すつもりで突きを放った。


男が吐血しながら地面に倒れ込み、死にゆくような痙攣を繰り返している。

実際その通りになった事が伺えた。


「この女はうちの顧問だ。勝手に連れ…おおっと」


カゼルはその優れた反射神経を生かし、咄嗟に自分を狙って放たれた青白い雷から身をかわした。


「オラ雷魔法だぜ、ぶっ殺すぞリサール人!」


残るエルマ人の男は、カゼルから距離を取って次の魔法を放つ体勢に入っている。

男の練度がそこそこなのもあるが、魔法自体の詠唱が速い。それなりに場慣れしていること、つまりは喧嘩、ないし戦いに攻撃魔法を用いている事が伺えた。


だが、素人の放つ魔法に殺(と)られるようでは特務騎士など名乗れはしない。


「次は当てろよ、でないと死ぬぜ」


カゼルは、獰猛な笑みを浮かべながら親指で自分の眉間の辺りを指差す。

そして一切恐れること無く、体重を前方に預けて脚を抜き、地面を蹴った。自身の頭を狙って放たれた男の雷魔法を疾走しながら、姿勢を低くして難なくかわす。


カゼルは得物を狙う狼のような素早さで自分の間合いに入り込むと、次の魔法を放とうとしていたエルマ人の男、その側頭部を狙って旋風のような右フックを放つ。


まるで湿った木材をへし折ったような篭った音が響いた。その一撃でエルマ人の男は、人形のように地面に投げ出され昏倒する。


そのエルマ人の男の頭部はあらぬ方向を向いており、頚椎が捻れている。手足を痙攣させ口からは血のあぶくを吹いていた。


エーリカは安堵も束の間、自分に絡んできた男達の凄惨な末路に怯えている。


「カ…カゼル……」


「フン、目を離すとこれだ」


カゼルはズボンから取り出したハンカチで鬱陶しそうに返り血を拭いながら、憮然として言い放つ。


昼下がり、普段ならば燦々照りのリサールの空が珍しく曇り始めていた。



「助けてくれた事にはお礼を言います、ありがとう…でも殺す必要があったんですか?」


エーリカはすたすたと歩くカゼルに付いていきながら、苦言を述べた。彼女は、否。大抵の人間は人の命を奪うことに躊躇いを見せるものだ。


「生かしておく必要があるのか?」


カゼルはエーリカが魔女商会で買い漁った荷物を持ったまま、振り返りもせず質問を質問で混ぜ返す。


「……」


ぽつりとエーリカの頬に雨滴が降った。

カゼルもまた、雨に気付き、無表情だった顔にまた獰猛な笑みを作り始める。


「それより、雨だ…雨季でもねえこの時期に雨と来れば…」


「…雨が降ると、何かあるの?」


「ハハハ…さしずめ、女神エルマ"サマ"の恩恵ってとこだな、愉しくなりそうだぜ」


カゼルはさも嬉しそうに、本営への帰路を急ぎ始めた、エーリカも足早にそれを追い掛けた。

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