第8話 猫人族長 にゃん太郎
猫人達の村では、調査と言う名目の略奪が始まっていた。
略奪された後の雑多な家屋には、目印代わりに火を放っている。
集落の猫人の者で抵抗を試みた者達は、容赦なく痛め付けられていた。
森の中、打ち捨てられたリサール帝国の紋様が刻まれた馬車を発見したカゼル達は、強行的に一連のリサール人馬車への攻撃の犯人を猫人だと断定したのだ。
「いい長毛皮だ、暴れるなよ?」
「フギャギャ…」
カゼルは片腕でその長毛の猫人を掴み上げると、剣を首筋にあてがった。
言葉通り皮を剥ぐつもりなのだ。
猫人の毛皮は高く売れる。
カゼルは、軍費調達に余念はなかった。
「そこまでにゃ!」
カゼルがその毛の長い猫人の首を切り裂こうとした時、一際大柄な猫人がカゼルと猫人の間に割って入る。
カゼルは咄嗟に猫人を手放し、その大柄な猫人を思い切り斬り付けた、つもりだった。
その大猫人は、削り出した木に獣皮を張り付けただけの、そんな雑多極まる棍棒でカゼルのマスティフを打ち返す。
それどころか有り余る膂力で持ち手のカゼルをも吹き飛ばした。
「……ッ!何だお前は」
直ぐ様空中で体勢を立て直し、剣を構えながら着地したカゼル、その声には困惑が浮かんでいる。
それもその筈、彼のマスティフによる一撃は鋼鉄の甲冑を叩き斬り、鋼鉄の大剣すら破断して見せた。
それをこんな棒っ切れで受け止めるどころか、剛力で自分ごと弾き飛ばしたのだ。
武器については、彼ら猫人の信仰する神の加護を付与されている…などが推測されるが、特筆すべきはその稀有な馬鹿力である。
「猫人族の族長をしていますにゃ!にゃん太郎ですにゃ!」
にゃん太郎と名乗ったその一際大柄な猫人は、とてててて、と肉球が弾むような音を立ててカゼルの前に躍り出た。
にゃん太郎はカゼルが見上げるほどの巨体でありながら、その躍り出る動きは敏捷性に長けるマルヴォロフに匹敵するほど軽快だった。
にゃん太郎は慇懃に名乗りを上げ、何かの冗談のようにぺこりとお辞儀をして見せたが、決してカゼルを侮っているようには見えない。
「リサール帝国特務騎士 カゼル・R・ブランフォードだ」
森の新緑の爽やかさを孕んだ空気が、息の詰まるような殺気で充たされていく。
この化け猫は中々に腕が立ちそうだ、と直感が示したから彼は名乗りを上げた。
カゼルは自分の血潮が熱く滾るのを感じる。
それはここ数ヶ月感じ得ない感覚だった。
右手のマスティフは力まず、ゆるりと握っている。いつでも斬り掛かる態勢にあるということだ。
「帝国騎士の方がこんな辺鄙な所に何用ですにゃ?」
にゃん太郎はこくりと首を傾げながら、カゼルに問うた。耳はギザ耳、顔にはいくつもの傷跡が刻まれている。その体つきは、毛皮の下でも筋肉が盛り上がっているのが分かる。
そして見るからに凶暴なカゼルにも怖じ気付かない堂々たる物腰。
にゃん太郎は、ボス猫の風格を漂わせながら、今のところカゼル達に敵意は見せない。
「しらばっくれんな、そこにぶっ壊れたリサールの馬車があったろ」
ギロリとにゃん太郎の目を見据えてカゼルは言い放つ。
そして、眉間に更に皺を寄せ、その人相を更に凶悪なものにしながら続ける。
「見せしめだよ、てめえ等を間引きに来た」
カゼルはマスティフをにゃん太郎へ真っ直ぐ突きつけた。今すぐ八つ裂きにするとその目が、何よりもマスティフが刀身に纏う冷たい光が語り示す。
「にゃにゃ!?にゃん太郎達はその様な事は致しませんにゃ!にゃん太郎の部族はリサール帝国と交易協定を結んでいますのにゃ!」
にゃん太郎は弁明を述べる、だが同時に、それは武力による脅しに全く動じていないという事でもある。
「どうか剣をお納め下さいにゃ、先程は集落の者を助けるために武器を振るっただけですにゃ!にゃん太郎達は貴殿方と刃を交えるつもりはありませんにゃ!」
にゃん太郎はあくまでカゼルを説得するつもりで、言葉通り戦いを望んでいる訳ではなさそうだ。その証拠とばかりに、先程振るった棍棒を構える事はせず、亜人種特有のリサール人やエルマ人、スラーナ人には無い鋭い爪や牙も見せずにいた。
「なるほどなァ」
カゼルは、まるで得心がいったかのようにマスティフを背負う鞘に納める。
しかしそれは彼の暴虐が鳴りを潜めた訳ではない。
カゼルはマスティフを一度鞘に納めてから、腰を右に捻った勢いに任せ大剣を抜き放ち、肩鎧に刀身を走らせ渾身の抜刀斬りを放つ。
殺気に充ちた重苦しい大気を、轟と断ち切る一撃。にゃん太郎はその渾身の一太刀を難なく件の棍棒で受け止める。
受け止めた棍棒は乾いた音を立て、木片が飛び散ったが、やはり破断には至らなかった。
カゼルは棍棒に打ち込んだ剣に更に力を加え、体格で勝るにゃん太郎を押し飛ばし、後退させる。
その間、然り気無く剣から左手を放していた。悟られ難いようごく自然に、されど素早く左手に仕込みボウガンを抜いた。
機械じみた正確さで、にゃん太郎へ真っ直ぐ狙いを定めると同時に引き金を引く。
にゃん太郎は不意を狙って放たれた矢をすんでの所でかわし、直撃を免れる。
カゼルの放った矢はにゃん太郎の肩口の肉を抉ってその背後の森林へと飛んでいった。血が草地に滴り落ちる。
「や、やめて下さいにゃ!にゃん太郎達は戦いを望みませんにゃ!」
にゃん太郎は、これでもまだ戦意を見せない。焦った様子でカゼルを制止する。
「ハハハ……良い反応だぞニャン、タロー。獣人にしちゃ上等だ」
カゼルは、そんなにゃん太郎を全く無視してボウガンをゆらゆらと左手で弄ぶ。
「……話が通じないにゃ!にゃん太郎のリサール語は間違ってるのかにゃ!?」
「あ?お前のリサール語は流暢なもんだぜ、そうだなァ…」
カゼルは素早くボウガンに矢を装填すると、目についた、心配そうに族長を見守っている猫人に向けて容赦なく発射した。
猫人の眼球に真っ直ぐ突き刺さった矢はその頭蓋を貫通する。
これが毛皮に覆われた部位を狙っていたのなら、致命傷には至らなかっただろう。
それを知っての照準だった。
昏倒し、死の痙攣に震える猫人を見て、周りの猫人達は心配半ば、カゼルへの恐怖半ばにたじろいだ。
「村の者に手を出すんじゃないにゃ!」
にゃん太郎は牙を剥き出し、毛を逆立ててカゼルを威嚇する。
棍棒を振り上げ、ついに構えを取った。
カゼルは、その言葉を聞いてにゃん太郎に向き直る。
「お前が戦わないなら、そいつ等を殺すだけだ」
カゼルは、にゃん太郎が戦意を見せるのを待ち兼ねていたように、野生の獣さながら獰猛な表情を作る。不意討ちに用いたボウガンを仕舞うと、左手に長剣マスティマを抜き放つ。
カゼルは、左手の長剣マスティマ前面に構えて半身になり、大剣マスティフは右肩へ構える。二刀は、森林に差し込む暖かな陽光を凍てついた殺意の煌めきへと反射し、にゃん太郎を見守る猫人達の意識に暗い恐怖を擦り付ける。
マスティフを握る右腕の髑髏のタトゥーは、今にもカタカタと乾いた哄笑を浮かべんばかりだ。
その二刀流はカゼルの剛力を以て初めて可能となる力業。修羅場に立ち続ける人生の只中、あまねく敵を屠り去る為、歴とした技術として磨き抜かれた鏖殺の剣技。
カゼルは二刀を抜いて戦うならば、必ず相手を討ち倒す。それは無頼者の彼が己に課した唯一絶対の誓約だ。
カゼルはその大柄な体つきからは想像も付かぬ程軽やかに、そして危険極まりない速度でにゃん太郎へ襲い掛かる。にゃん太郎の出鼻を挫くように、マスティマで猛烈な突きを放つ。マスティマを引き戻す交換動作を利用し、肩に構えたマスティフを凄まじい勢いで振り下ろす。
にゃん太郎はその必殺の連擊を辛うじてかわす。薄皮と筋肉に浅くない傷を受けながらも、致命傷にはなり得ない。
怯むことなく反撃を試みたにゃん太郎は右腕で棍棒を構え左右に力任せに振りかぶる。
素早く元の半身に構え直したカゼルは、剣で受けることはしなかった。
にゃん太郎の攻撃に合わせて軟らかく上半身を捩って、その太い棍棒に掠めることもなくかわしてのける。
一見してみれば、殴り飛ばされているかのように見えるほど、いずれも命中寸前の所で回避していた。
攻めあぐねたにゃん太郎は左手の鋭い爪を剥いて、更に素早さを増し、カゼルの首を掻きに掛かる。
カゼルはその高速の引っ掻きをも難なくかわし、後退しながらマスティマを振り上げ、にゃん太郎の左腕を斬り付けた。
怯まずに追い縋るにゃん太郎を牽制すべくマスティフで突きを放ち、にゃん太郎のその顔を切り裂いた。そして距離を取り、呼吸を整え、すぐに二刀を構え直すカゼル。
引け腰だったそれらの一撃は、にゃん太郎の強靭な毛皮や筋繊維を切り裂けど、腱や脈を、即ち急所を切り裂くには至らなかった。
「どうしたニャンタロー、動きが鈍くないか。もっと楽しませてくれよ……」
剣を構えたままにゃん太郎を嘲るカゼル。
草地に血を滴らせながらも、にゃん太郎はカゼルに立ち向かう。
「にゃん太郎は…村の皆を守るにゃ!負けないにゃ!」
にゃん太郎は己を奮い起たせる為だろう、そう叫んで再び武器を構える。
その金色の瞳は執念に燃える。
「その意気だぜ、ニャン、タロー。ハハハハ!」
だが、両者の隔絶は何もその意志の貴さだけでは無い。それは断じて、執念を燃やして埋まる力量の差ではなかった。
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