第7話 ベヘモット

「結構集まったんじゃないか?」


マルヴォロフはアーシュライアに呼び掛ける。


「なぁ、魔女さんよお」


アーシュライアは無視して薬草を採り続ける。


「…」


ドスドスと地に響くような音が響く。

それは、断じてマルヴォロフがアーシュライアを呼ぶ声ではない。


「ドタドタうるさい」


「俺じゃねえ、これは足音だ。かなり大型の獣だな」


マルヴォロフは、特に意に介した様子は無かった。

しかし、アーシュライアの近くで共に薬草を採取しているエーリカの方へ、真っ直ぐに突進していく大型の獣の姿が目に入った。


闘牛のような角に、獅子のような鬣。

そして、草食獣のように太く、しなやかな脚部。

前肢の爪は、まるで剣のように光を反射してさえいる。

その力強くも禍々しい姿は、まさに魔獣と言うにふさわしかった。


「いやー!」


エーリカに角を構え、頭から突進する魔獣。

ツヴィーテはそれを見てすぐさまその黒い獣に襲い掛かった。

そして横合いから隙だらけだった顔面、その右目に思い切り剣を突き立てた。


耳をつんざく咆哮を上げて、首を振り回し剣を掴んだツヴィーテを振り払わんとする黒い獣。

ツヴィーテが力を込めて、その脳まで刃を通す前に彼は体ごと右前肢に掴み取られ、地面に叩き付けられる。


「ぐッ……!」


ツヴィーテは、投げ飛ばすあまりの勢いに受け身を取り損なう。

左腕から地面に叩き付けられ、激痛が走った。


「姫様、お下がり下さい」


アーシュライアはエーリカの前に立つ。


「ほー、ベヘモットか。初めて見た」


そう言ってマルヴォロフは影に紛れ姿を消した。

それきり、音沙汰を絶った。


「おい、何処へ行く!?逃げるのか!」


アーシュライアはエーリカを庇う。

ツヴィーテは、右腕だけで剣を構えベヘモットに再び襲い掛かる。

魔獣の両前肢が放つ、人間には不可能な威力と連携を見せる連擊を、見事にかわし、弾くツヴィーテ。

隙あらば強かに、剣を振るってその肉を断ち切らんとした。

しかし、堅い毛皮としなやかな筋肉に阻まれ、鋼鉄の刃は食い込みはしたものの、今一つ有効打を与えられなかった。


「おい魔女!剣が効かん!魔法で奴を仕留められるか!?」


「誰が姫様を護るんだ!?」


「俺と代われ!お前が仕留めろ!」


ツヴィーテはエーリカに駆け寄る。

その隙に、アーシュライアは左手から水弾を放ち、ベヘモットの顔面を捉えた。


彼女は、ツヴィーテの剣が通じなかったのを見ていたため、ハルバードでの攻撃は考えなかった。

彼がエーリカに付いてくれたのは、彼女にとって好都合だった。


アーシュライアが続け様に水魔法で攻撃を加えるも、ベヘモットは倒れない。


「こいつ…毛皮が魔法を弾いてる…!」


怒り狂ったベヘモットがアーシュライアに襲い掛かろうとした時だった。

音もなく木の上からベヘモットに飛び掛かる黒い影があった。

マルヴォロフは、素早くベヘモットの顔面に取り付くと、即座に残った左の眼球に剣を突き立て、支えとした。


ベヘモットは両の視界を奪われ、激痛を耐え兼ねた悲鳴を上げる。


続けて耳に右手のダガーナイフを刺し込み、抉るように、引き裂くように引き抜いて地面に落とす。

そして、血の吹き出す傷口に、ポーチから火薬玉を右手で掴めるだけ掴んで、捻り込み、最後に火を付けた。

そして、爆発する前にベヘモットの左目に突き刺した剣を引き抜いて飛び降りた。


ベヘモットは頭部を内から、原型を留めない程に爆破され、昏倒する。


マルヴォロフが猫のようなしなやかさで地面に受け身を取って着地すると、肉片を伴う血の雨が降った。


「怪我はねえか?姫様に魔女さんよ」


先に落としていたダガーを拾い上げ、血を拭き取るマルヴォロフ。

剣も同様に血と、ぬるりとした硝子体の混ざった液体を拭き取る。


目にも止まらぬ早業だった。

マルヴォロフが姿を消していた時間はアーシュライアにはとても長く感じたが、実際にはそれほど時間は経っていない。


「…逃げたのかと思ったぞ、助かった」


アーシュライアは素直に彼に礼を言った。


「あのな、俺等は敵前逃亡したら死罪だぜ?それもあのイカれ野郎に散々拷問されてからな」


アーシュライアはそれを聞いて苦虫を噛み潰したような顔になり、その端正な顔立ちを歪める。


「それにしてもベヘモットとは驚きました、俺はスラーナで見たことはありません」


「全くだ、姫様に一直線に突っ込んで来てたぞ、良く止めたな"ツヴィ"」


「少々骨が折れましたがね…」


ツヴィーテは二重の意味を込めてそう言った。それを聞いてマルヴォロフは彼に手を貸し、立たせてやる。


左腕に自分で治癒魔法を掛けていた事からベヘモットと闘って、左腕を骨折したようだ。


「魔女さんよ、こいつらは大気中のマナ濃度の高いエルマロット領にしか棲息してないんじゃないのか?それに、エルマ人はこいつらには襲われねえって聞くぞ?」


マルヴォロフは少し強い口調で尋ねる。

まあ、これだけ真っ直ぐな性格の魔女も珍しい、罠だとまでは疑わなかった。

それでも生息域の外でベヘモットに襲われたのは不可解だった。


「それは…」


アーシュライアはその訳を知らぬわけではない。だが、彼女の口から言うことは憚られた。


「…実は私、獣寄せの呪いを受けているのです」


エーリカはすん、と俯いて言った。


「姫様、それを言えば…」


そんなことを言えば、また監禁生活に逆戻りだ。アーシュライアはもう、退屈を持て余して監禁された部屋の窓から外を眺めるエーリカの寂しげな顔を見たくはなかった。


「ほー、そりゃ大変だな。ところで姫様はなんつーか多分なんだが、リサール人も寄せ付けてねえか?」


だが、マルヴォロフはそれがまるで大した問題ではないかのようにそう言ってのけた。

魔獣ベヘモットを一瞬の内に葬った彼が言うと、そこまで大変な事だと思えないような気もする。

アーシュライアの彼への不信感は、ほんの少し緩和される。


「それはお前等が人間より獣に近いような輩だと言うことだ」


しかして、アーシュライアは侮蔑も露に言ってのけた。


ふと、煙が上がってるのが目についた。

耳を澄ませば、人間のものではない悲鳴が聞こえた。


「煙、悲鳴…?アーシュライア…」


「分かりました、行きましょう」


「採取はもういいのか?てか、合流の合図はまだだぜ?」


「ならここで待ってろ、仮面男」


「……またあの化物に襲われたらどうするんだよ、行くぞツヴィ」


マルヴォロフは渋々同行し、左腕の治癒を終えたツヴィーテもそれに続く。

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