第5話 マルヴォロフの報告

「夜間、帝国領の北部の森林で、リサールの馬車が襲撃を受けていました」


「ほぉ、夜に?やったのは誰だ?」


ジェイムズはマルヴォロフに尋ねる。

カゼルは相変わらず、椅子にふんぞり返っているが、ジェラルドはふんふんとマルヴォロフの話に耳を傾けていた。


アーシュライアは、マルヴォロフの仮面越しの篭った声を聞き取り辛そうにしており、その端整な顔に、眉間にも皺を寄せていた。


エーリカというと、ジェラルドの様子を真似してふんふんと話に耳を傾ける。

しかし、堅い話が今一つ理解出来ないのか、すぐに飽きた。

今度は地属性のマナを手元に集め、光らせては消し、今度は机に手を当てると作戦室の机から木の芽を生やしたりして、遊び始めた。


カゼルはエーリカの悪戯が目につくと、それを面白がり、咎めるでもなくその様子をほくそ笑みながら眺めていた。


「それがですね、亜人種(デミヒューマン)だとは思うんですが。いかんせん暗がりだったのと、俺の夜目は完璧なものではないので、断定は出来ません」


マルヴォロフは申し訳なさそうに言った。


「生き残りの者は猫人キャトラに襲われたと言っていましたが、いかんせん混乱した様子で要領に欠けてました」


マルヴォロフは補足する。

つまりは、猫人がやったようだが、断定するには決め手にかけるということだ。


「…彼等の集落を回って調査しなきゃならんか、馬車の残骸や盗難品、遺体の断片なんかがあればほぼクロだが…あまり危害は加えたくないわな」


ジェイムズは今後の方針を示す。


「オジキ、亜人種(ゴミ)掃除にいちいち理由が必要なんですか?」


カゼルは、耳だけはそちらに傾けていたのだろう。吐き捨てるように言った。


背負うマスティフが僅かに剣気をちらつかせる。持ち主の殺気に反応しての事だ。

つまり、カゼルの頭の中には既に殺戮の光景が描かれている事の証だ。


「あのな、オークやオーガどもと一緒にしてやるな、猫人達とリサールは交易関係がある。奴等は亜人種の中じゃ友好的だ」


ジェイムズはカゼルを諭す。


「リサール帝国はチンケな亜人種(ゴミ)どもの集落ともほぼ平等な条件で交易を結んでる、昨年は交易関税も緩和した。そのお返しがリサールの荷馬車への略奪、商人の殺害と来た」


カゼルは侮蔑も露に述べる。


「確かに猪みてえにリサールに攻めてくるだけのオークやオーガどもよりタチが悪い。流石は猫だ、やることがえげつないですね」


カゼルは既に臨戦態勢にある。

実際、こうしたことが帝国の民に知られれば、似たような意見を持つ者は少なくないだろう。だが、彼ほど直接的、かつ迅速に報復を考える者はいない。


「おいカゼル、まだ猫人がやったと決まった訳じゃねえだろうが」


ジェイムズは、逸るカゼルに怒りを見せる。


「……オジキこそ心配性が過ぎますわ、しち面倒な条約があるエルマ人じゃねェんです。亜人種(ゴミ)どもをいくらブチ殺した所でしょっぴかれる心配はないでしょう」


悪びれもしないカゼルにジェイムズは、左脚を支えるためか、手を付いてがたりと席を立った。


「そんなに暴れたいなら…!」


ジェイムズはとうとう顔を紅潮させたが…


「私も、北部に行きたいです!」


それを、エーリカが遮った。

剣呑な雰囲気を嫌っての事だろう。


「姫様…?」


「は?遊びに行くんじゃねぇんだぞ、姫様よぉ」


口論を困惑で上塗りされたジェイムズとカゼル。

だがジェイムズはすぐに得心が言ったような顔になった。何か良い案に繋がったのだろうか。


「薬草の在庫がもうありません…作った薬品は貴方がたにも提供します。それでも、駄目ですか?」


エーリカは例によってカゼルの顔をじっと見つめ、上目遣いになると、その赤い瞳は妖しい光を放つ。


「…また"ソレ"か、俺には効かねェと言った筈だが?」


カゼルは目をギョロリとさせてエーリカと眼を合わせる。

彼女を斬るつもりはないのだろうが、やはりもう臨戦態勢なのだ。


「別にいいじゃねえかカゼル、姫様を虐めんなよ」


だが、カゼルの隣の席に座っていて、その赤い瞳の輝きを何事かと見守っていたマルヴォロフはエーリカの術中に落ちていた。


「何をまともに受けてやがる?しっかりしやがれ、馬鹿野郎が…」


カゼルは、仮面越しにとろんとした目になったマルヴォロフに非難がましい目を向ける。

彼は女好きで、おそらくこの手の色仕掛けの術の類いには滅法弱い。

こんな様でよく間諜が務まるものだと、カゼルは勝手に感心した。


「ハァ……だったらお前が面倒見ろよ。この姫様の近くに居たら何が起こるか分からねェがな」


カゼルはマルヴォロフにうんざりした顔を向けた。


「どういうことだ?」


カゼルはその顔のまま、マルヴォロフに先日の出来事を説明する。


「病院から本営までの護送中、姫様目当てのチンピラに二回も襲撃された、黒鎧を着ててのことだ」


「にわかには信じられんな、特務(おれら)に襲い掛かるチンピラが居るとは…」


マルヴォロフは驚きを隠せない。

尤も、その鉄仮面で覆われた顔の表情は見て取ることは不可能だが、少なくとも驚いたような声音にはなっていた。


「そうじゃなくても姫様は天性の方向音痴なんだぜ、北部の森林で迷子になられちゃ敵わん。なぁ?」


カゼルはエーリカにも顔を向けた。

先程の悪戯を見守っていた時と同じ、ほくそ笑みを浮かべて。


「むうう…」


エーリカは重ね重ねムスりとした表情になる。

彼女の眼の光…"魅了"をまともに受けて要求に是を唱えないのは、このカゼルくらいだった。


彼女達が特務騎士の預かりになってからは、何かと彼等の多くはエーリカの世話を焼いた。次第にエーリカが魅了を使わずとも、自ら世話を焼くようになる。

彼女の左団扇の生活は、見通しが立ち始める。


殺し屋紛いと言われる特務騎士達。

彼等一人一人が無数の剣戟を、矢を、魔法を掻い潜り、死線を越えてきた強者揃いなのだが、いかんせん花も恥じらうエーリカの美しさには耐性が無いようだ。


そして、自分が方向音痴である自覚はあっても、それをこうもはっきり指摘する人間もまた居なかった。

アーシュライアは、普段エーリカを甘やかし過ぎる傾向があるためだ。


「だが、姫様を連れていかないなら留守番が要るんじゃないのか?」


ジェイムズは言った。

彼は、エリーカの同行には肯定的なのだろう。あわよくばカゼルの暴走を抑止する狙いもあった。


わざとらしく咳払いをしてマルヴォロフはかぶりを振った。

ようやくして術中から解かれたようだが、吐いた唾は飲めない。

彼は、エーリカの術中にあった時の発言を補強するように、ジェイムズに賛同する。


「まぁ、最悪迷子になっても俺が探知すれば問題はないだろ?俺は北部の森林獣が束になって来ようが遅れは取らん」


二人にとやかく言われて、カゼルが何か言い返す事はなかった。

この場合、エーリカが随伴する分隊は指揮系統の序列的にマルヴォロフが指揮を取る形になる。

自分は猫人の集落の"調査"に専念出来るのだ、その方が好都合だった。


「…オジキの言うとおり、留守番に裂く人手は無い。お前は兎に角姫様から目を離すな、採取のお手伝いでもしてろ。何かあれば水晶で呼べ」


カゼルはマルヴォロフに細かく指示をする。

わざわざ彼の方を向いては言わなかった。


「それとアーシュ、ライア。お前は例によって姫様の護衛に就くんだろ?」


だが、アーシュライアに話す時は彼女にじろり、と流し目を向けた。


「当然だ、お前らに任せておくつもりはない」


アーシュライアは腕を組んでカゼルに言った。


「そっちの方にはこの仮面男と"念の為"ツヴィーテも付ける、どちらも腕が立つ。それで足りそうか?」


まさかの新人抜擢だったが、カゼルはツヴィーテを高く評価している。

実際新入りといえども、彼は他の特務騎士達より頭一つ抜けて強い。

しかし経験は浅いのだ。ツヴィーテは呼ばれて無言のままにアーシュライアの方を向いた。


「仮面男じゃなくて、マルヴォロフな?」


「…問題ない」


アーシュライアは何か言いたそうだったが、静かに了承した。


「よし、じゃあ首尾良く頼むぞ。くれぐれも行き過ぎた真似はするなよ?カゼル」


ジェイムズに生返事をしながらカゼルはマルヴォロフに、アーシュライアの魔女水晶を投げ渡した。


「それと、ジェラルドとエルヴィノは俺と残れ。あのチンピラの仲間が助けに来るかもしれんからな」


ジェイムズはそう言った。

二人はそれを承知する。


「それで他に持ってる奴と連絡が取れる。こっちが終わったら合流して帰還だ、いいな?」


「これが例のやつか、有り難く使わせてもらうぜ、アーシュライアさんよ」


マルヴォロフはアーシュライアに礼を言った。彼は間諜として、エルマロット王国にも潜伏する事がある。

カゼルとは違って、エルマ語の発音にも習熟しており、彼女の名の発音も流暢なものだ。


「私の水晶だぞ、もう少し大事に扱って欲しいものだ」


アーシュライアは投げ渡される自分の水晶を見て、カゼルに苦言を述べる。


「我々に斯様にも役立つ品を貸与下さり、誠に有難う御座います。アーシュ、ライア殿」


カゼルは慇懃に礼をして見せる。

およそ彼の粗暴な振る舞いに似つかわしくないその所作は、動作こそ完璧なものだった。

しかし芯の部分では全く感謝など抱いていない、それ所か、人をおちょくるような意図が感じ取れる。


「フン…気に障る奴だ」


鼻を鳴らすアーシュライア。


「いざって時は助けになると証明した筈だが?」


カゼルはまるで詐欺師のような手振りを見せる。


「…お前達二人は騎士と名乗る割に、礼儀がなってない。マルヴォロフと言ったか?お前は初対面の私と話すのに兜も取らないのか?」


アーシュライアは、どうにも彼等の不義が許せないし、信用できないようだ。

だが、彼女の言うことも尤もである。

エーリカを護るという共通の目的を掲げているというのに、未だに顔も見せないとはどういうつもりなのか。


「ははは、中々手厳しいお姉さんだ」


冗談めかしてはぐらかそうとするマルヴォロフ。カゼルはというと、珍しく本気で詫びるような殊勝な態度を取る。


「それについては俺から詫びておく、だがコイツはこういう顔だと思ってくれ」


カゼルはマルヴォロフを庇うように、そう言った。マルヴォロフは、鉄仮面越しに嘆息を付いた。


「また私をバカにしているのか?」


「人には事情があるんだよ、顧問殿」


カゼルはそれ以上言うことはないと態度で示し、そのまま席を立った。


「……」


アーシュライアの釈然としない気持ちは晴れなかった。


「…俺も準備してくるわ、またな」


マルヴォロフは、その場から立ち去るでもなく、その姿は影へとかき消えていった。

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