第4話 鉄仮面の男、マルヴォロフ
特務騎士団の本営に到着したカゼルは、両腕の傷口を無理やり塞がれた瀕死のグーリンウェルと、ツヴィーテが捕らえたその部下を地面に放り出した。
拘束されてからも尚、カゼルによって痛め付けられた二人は既に意識は無く、ボロ雑巾のような姿で石畳に倒れ伏す。
「俺はこいつ等に用があるんでな、後はフェイって女に任せる」
カゼルは、エーリカとアーシュライアにそれだけ告げるとグーリンウェル達を引き摺って、地下室へと連れて行った。
本営の玄関口には、事務係のフェイが拵えたのか、エーリカとアーシュライアを歓迎する装飾が馬鹿げた派手さで取り付けられている。
「ようこそ〜お待ちしておりました」
フェイが二人を出迎え、案内する。
フェイは事務室まで案内すると、二人に紅茶を用意し、雑談などを経てから二人の配置の為の手続きに移った。
二人の書類手続きは完了し、特務騎士団の徽章を借り受ける。
これは、特務騎士団に所属することを示すものだ。
これは本来、一年間にも及ぶ苛烈な特務騎士訓練過程を乗り越えた者にのみ付与される名誉あるもので、これを付けているだけで、帝国騎士団に対して指揮系統上では上位に位置することになる。
二人に関しては特例騎士団への顧問配置となるため、特例的に付与された。
特例交付の為の書類手続きには、帝国議会の議長どころか、リサール皇帝直筆のサインすら必要とされた。
それ程厳正な手続きを滞りなく終わらせたフェイの手腕、そしてその穏やかな物腰。
それ等は荒くれ揃いのリサール人には、たとえ女性であっても似つかわしくないものだ。
「ところでフェイさんよ、あの野郎の帰陣が今日に速まったって本当か?」
ジェラルドはフェイに尋ねた。
心なしか気恥ずかしさが含まれていた。
「マルヴォロフさんですか〜?隊長がそう仰ってましたよ〜、人手が要るから偵察を切り上げさせる〜って」
フェイはのほほんとした口調で説明する。
彼女は基本的に戦闘へは携わらないが、給金の支払いを担当する関係上、隊員達の動き等については、カゼルから真っ先に知らされる。
カゼルが不在か、機嫌を悪くしている時は、フェイに尋ねれば大抵の事は教えてくれる。
「確かにアイツが居れば心強いな」
それから、ジェラルドがフェイと他愛もない話を続けていると、カゼルが戻ってきた。
「全然ウタいやがらねえぜ?あいつ等」
先程以上に返り血を拭った後を付けて、カゼルはフェイとジェラルドの前に現れた。
「隊長〜また拷問してるんですか〜?私、魔女商会に自白剤頼んでるんですよ〜、使ってますか〜?」
フェイは血生臭さを嫌って、鼻を摘まんだ。
こうした所も、リサール人離れしている。
カゼルは、人の血を見るのが何よりの愉しみだと言って憚らないリサール人の女を最低二人は知っている。
「使ってるさ、だが同じことしか喋らん」
カゼルは、フェイにはあまり強く当たらない。
というより、当たれない。
本営や事務室での彼女の権力は、実質的にカゼルを上回りつつあるためだ。
ペンでちょろまかされて給金を減らされるのは、剣で斬られるのより痛かった。
「多分それが本当の事だと思いますよ〜、ところで、用量を守ってますか?」
フェイは、続けてカゼルに釘を刺す。
しかし、それはもう手遅れだったのだが…
「ああ勿論だ、致死量スレスレで打つのを止めたら、獣みたいな叫び声しか上げなくなったぜ?ハハハ」
カゼルはその白い歯を剥いて、爽やかな笑顔さえ作って見せた。
「……過量な投与は精神に重篤な障害を来すって書いてありませんか?」
この事務係の女はリサール人にしてはかなり穏やかな部類だ。
そのフェイにここまで険しい表情をさせるのは、はっきり言ってカゼルくらいだ。
「くだ巻いて俺を苛立たせるのが悪い」
カゼルは憮然として言ってのけ、フェイはため息をついた。
カゼルは、一仕事終えるといちいちそれを人に報告しに来る癖がある。
人から仕事振りを褒められると、天の邪鬼故、憎まれ口を叩いて仕事をしなくなる。
かといって仕事上で、問題点を指摘するとそれはそれで意欲を失い、剣を携えて気分転換と称して訓練場へ行ってしまう。
こういう時は適当に相槌を打ちながら、話を聞いてやるだけでいい。
ジェラルドやフェイはこの偏屈な隊長の扱い方をいたく理解していた。
「結局何者だったんだ?あのグリなんたらって奴は」
ジェラルドはカゼルに問う。
「騎士崩れのチンピラということしか分からなかった」
カゼルは、少し残念そうに言った。
ジェラルドは拷問の内容については聞かない事にした。
彼はまだ昼食を済ませていないのだ。
「…それで、報告書はもう作ったのか?」
「とり急ぎ作った。特務の黒鎧を見て斬り掛かる奴はそうは居ねえからな」
カゼルは煙草を吸いながらジェラルドに語る。彼は煙草を吸い始めると、いつもに増して良く喋る。
「今回の襲撃はどうもきな臭えが、現状ではなんとも判断出来ん、拷問に耐える訓練を受けてるとも思えんしな…俺の方でも当たっておく」
カゼルには、ツテがある。
自分達で分からない事は、詳しい者に聞くのが一番なのだ。
「成る程」
「そもそも、護送中姫様の周囲は俺達が固めてた。なのに、この俺でさえアイツの存在をマーク出来なかった。あのグリなんたらはまるで姫様に吸い寄せられるみてえに突然現れた、情報が漏れてんじゃねえか?」
「……確かにな、お前もあの不意討ちには正直驚いただろ?」
ジェラルドはカゼルをからかう。
実際カゼルは、エーリカと話すのに夢中になっていて、グーリンウェルの剣には直前まで気付かなかった。
彼が女にかまけ、斬られそうになるなど珍しいこともあるものだ。
「姫様をおちょくってる最中だったとはいえ、全く意識の外だった…」
カゼルは額に手を当ててかぶりを振った。
「だめですよ〜姫様をおちょくったりしたら、あんな可愛い子を虐めたりしたら、給金を半分にしますよ?」
フェイは手心なくカゼルを責める。
どのみち、少々人から文句を言われて気にするような男ではない、強めに言って丁度良いくらいなのだ。
「そん時は、また傭兵でもやるか…」
紫煙を吐き出しながら、哀愁を漂わせるカゼルだが、そもそもそれは自業自得に他ならない。
ジェラルドも軽口を叩きはしたが、今回の襲撃者については、釈然としない気持ちだった。
通常、リサール帝国内で帝国特務騎士の黒鎧を見た者は関わり合いを避けて遠ざかる。
その黒鎧を身に纏うということは、鴉や黒猫など比にならぬ不吉を意味することになる。
これが帝国近衛騎士ならば、市街を歩いていれば民から声援を受けることもあるだろう。
特務騎士といっても、騎士とは名ばかりのもので、実態としては帝国の為に暗躍する公の殺し屋に近い。
基本的には、テロリストやカルト宗教団体に対する抹殺及び鎮圧。
周辺国や他民族の支配領域に於いては潜入や諜報、破壊工作、暗殺に至るまでの汚れ仕事を請け負う者達なのだ。
アーシュライアの言った
「彼等の行く先には灰と屍しか残らない」
とはまさしく事実なのだ。
だが、ガサツなカゼルやジェラルドが暗殺や潜入を得意としているかと言うと決してそうではない。
それを担当する者がいるのだ。
「出迎えがあるとは…」
木影が人の形を作る。
突然現れたその男は、リサール人にしては小柄な男だった。
カゼルの角兜とはまた異なる意匠の角の生えた鉄仮面を被っている。
革で出来た胸当てを付けて、肩や腕などには鎖帷子を身に付けている。
いずれも、機動性を重視したもので、カゼルやジェラルドのような甲冑は身に付けていない。
彼の名はマルヴォロフ・タッシェアーノ
特務騎士団で偵察班長を務める男だ。
深刻な人手不足に喘ぐ特務騎士団においては、班長とは名ばかりの物で、実質的には彼が一人で潜入や偵察を請け負っている。
彼もまた特務騎士団に於ける要の一人、カゼル達がこの武力組織の手足だとするならば、彼はその目と耳なのだ。
マルヴォロフは、小柄ながらその比類の無い俊敏さと、まるで姿を消すかのような隠匿技術を用いた奇襲攻撃や暗殺を得意としている。
カゼル、ジェラルド、フェイは音も無く帰陣した同僚を出迎える。
「無事帰ったな、マルヴォロフ」
ジェラルドは手を上げて、同僚を歓迎した。
「マルヴォロフさ〜んお帰りなさ〜い」
フェイも間延びした挨拶をする。
「首尾は上々だ。それより、お前の甲冑はどうした?えらく真新しいじゃねえか」
マルヴォロフは、革のグローブを着けた手でジェラルドを指差す。
「コイツは姫様のお戯れを受けたのさ」
その問いには、カゼルが事実を冗談で包んで答えた。
「姫?また何か厄介事か?」
マルヴォロフは仮面越しの篭った声で更に問う。
彼は寝食の最中でさえこの鉄仮面を外さずに、器用に仮面を付けたまま食事を行う。
それには深い理由がある。
「例のエルマロットの姫様だよ、今ウチで面倒見てる」
カゼルは不在にしていた同僚に説明する。
「なんだと?うちにそんな人手があるのか?そもそも…」
マルヴォロフは、神経質な早口になり、カゼルを問い詰め始めた。
こういった神経質さというのは、彼の偵察や潜入といった職分においてはむしろ美徳とされる所だ。
「だからお前の帰陣も速まった」
そしてそれを面倒臭がったカゼルは、マルヴォロフの苦言を、自らが振るう剣のように強引に切り上げた。
*
報告会にはエーリカとアーシュライアも同席した。
アーシュライアは凛とした姿勢で席に付いていたが、エーリカは落ち着かない様子で、アーシュライアの方へ椅子を寄せ、他の者達の顔を伺っている。
「北部を周った際、気になることがありました」
マルヴォロフは潜入調査の結果を語り始める。
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