第3話 エーリカ姫の護送

今日もリサールの大地を灼熱の太陽が照らす。

もしもエーリカとアーシュライアが居なかったなら、この首都もまた西部同様の荒れ地が広がるに過ぎないだろう。


彼女達二人の魔法、即ちお務めによって人工的に帝都の自然は賄われている。


カゼルは武装し、手勢を引き連れ、イェレーナの病院に本日退院するエーリカとアーシュライアの二人を引き取りに来ていた。


暑いから甲冑を着ない訳にはいかない。

だが、真っ黒な甲冑を着て太陽に照らされ暑くない訳もない。

彼らは必ず水袋を予備も含めて3個は携帯する。

2つは飲料水、1つは傷口を洗う用途だ。

傷口を洗うか洗わないかで、負傷した際に彼等が世話になる、この敷地の若く麗しい支配者の裁定は大きく変わってくる。


イェレーナは自分の縄張りの病院にいくら委託元とは言え、物々しい騎士達が屯する事に対して良い顔はしない。

患者は決して特務騎士団だけではないからだ。


カゼルがイェレーナと交渉すれば、口喧嘩で無為な時間ばかりが過ぎていく。

そのため、一足先に退院させられたジェラルドが彼女と調整を行った。

二人を護送する関係上どうしても武装せざるを得ないことを、オブラートに包み込んで、イェレーナに伝える。

カゼルを沈黙させうる程に気の強いイェレーナとて、理に敵ってさえいれば案外融通は効く。

カゼルのように誰彼構わず反抗せずにはいられないような男が対応するのでなければ、その色白で整った顔を、苦虫でも噛み潰したような表情で曇らせることもない。


ジェラルドのまだ万全とは言えぬ左肩は包帯で固定されており、イェレーナは彼の左肩を優しく撫でる。


「下手に動かせば傷が開くわ、せめて左肩だけでも安静にしておきなさい?」


「いつもお世話になります」


ジェラルドの甲冑はグラウンドスピリット・ロードに殴られ全壊していたため、今彼が身に着けているのは卸し立てだ。

ジェラルドの丁寧な説得もあってイェレーナの許可は下りたものの、病院の前で待てども暮らせどもエーリカとアーシュライアは一向に姿を見せない。


女の支度というものは何故かくも時間がかかるのだろう。

カゼルはこの空いた時間で、部下達とコミュニケーションを図る。

いくらカゼルが圧倒的な武勇を誇っていても、いざ背中を預けて戦うのは特務騎士の仲間達なのだ。

彼とて、己の蛮勇のみで部下達が付いてくるとは思っていない。


「隊長、あの二人はうちの顧問になるって聞きましたけど」


エルヴィノは好奇心も露にカゼルに尋ねる。

特務騎士最年少の彼は、帝国騎士から選抜された新進気鋭の若手だ。

軽薄そうな外見や言動とは裏腹に、ベテランの先輩の騎士達にも迫るその剣の腕にはカゼルも一目置いている。


彼に言わせれば、打ち込みの重さは悪くない、だが若さゆえの向こう見ずからか、まだまだ防御技術が甘く、訓練でもしょっちゅう擦過傷や打ち身を作っている。

それは戦場なら命取りに成りかねない、そこがかねてより心配だった。


彼は、ガーラスとブライを殺したアーシュライアを味方に引き入れる事に不満があるのだろうか?


「魔法顧問だとよ、俺等はそっち方面は完全に素人だからな」


カゼルはただ、ジェイムズの決定を述べる。

人は水で出来ている。ならば組織もまた、水のようなものだ。

それが武力によって成り立つものであれば尚更滝のように上から下へと流れ落ちていくだけだ。


中間管理職…


不意に、水の精霊を操る魔女の言葉がカゼルの頭を過る。


「これでうちらも大陸に覇を唱えられますかね?」


魔法使いの二人を味方に引き入れた事で彼は興奮しているようだ。

冗談めかしてエルヴィノはそう言ったがそれにしては、その目に灯る焔は妙に野心的だった。


「ハッ、そう上手くいくかよ」


カゼルはリサール人の中でも特に体格に恵まれている方だが、他の者達も精鋭たる特務騎士、皆体つきは相応のものだ。

エルマ人の騎士達など頭一つ、下手をすれば頭二つ分見下げる程に体格で勝る上、その身体能力で照らし合わせても歴然たる差がある。


重装甲の甲冑を着込んでも敏捷さを損なわず、背丈程の大剣でも軽々と振り回せるのはリサール人の体力がそれだけ他人種よりも優れているからだ。

単純な白兵戦ならば、彼等にエルマ人が蹂躙されるのは必然的である。


「あのアバズレ女神、エルマの呪いを受けちまってからリサール人は一人残らず魔法が使えなくなった、オマケに多量のマナを体に取り込むと中毒を起こす出血サービス付きだ」


カゼルは部下に溢す。

戦場で自分達の現状を楽観視する者は、往々にして足下を掬われ、荒野の砂塵と成り果てるのが常だ。


「うちの装備にはあれがあるじゃないですか」


エルヴィノの言うところの"あれ"

特務騎士団の武器庫には用途に応じた様々な武具が納められている。

魔法使いとの交戦が想定される場合は、甲冑の上に魔法耐性を持つローブを羽織る事が多いのだが、前回は使用しなかった。

それは


「所詮あれは二流品の布切れだからな。アーシュライアやあいつのスピリットが使う魔法は防げん、姫様のスピリットはもはや論外だ」


「じゃあ…」


やや焦った様子になるエルヴィノ。

熟練のキャスターの前にはいかに頑強な黒鎧も裸同然ならば、いったいどうしろというのか。


「基本は詠唱させない、詠唱を見たら即ボウガンで撃て、発動を見たら回避に専念しろ」


カゼルは講義する。

身も蓋もないようだが、それしかないのだ。


彼は一匹狼気質だが、集団戦闘で物を言うのはチームの総合力と連携であることをよくよく理解する。

たとえ自分一人が生き残ったとしても、それは部下を預かる身としては敗北なのだ。


「だからボウガンを訓練するんですか」


「そういうことだ、俺等が使ってるのは値の張る特注品だぞ」


カゼルは左膝に携えたボウガンを手に取って見せる。

その小型のボウガンは普段は折り畳まれており、ホルダーから抜いて構えると同時に折り畳まれている弓が開き、射撃可能になる。


射撃した後の装填については一度ホルダーにしまうか、手動で矢をつがえて装填する事になる。


カゼルはこれを左手のみで構えて発射するという離れ業を得意としており、要領を部下達にも訓練している。

主な用途としては、突撃する前の先制、魔法を詠唱する者への狙撃、暗殺、撤退する者への追撃等、非常に多岐に渡る。


「コイツには俺も何度も助けられた、そう考えりゃあ安いもんだが。お前もよく扱いを練習しておけ」


カゼルはボウガンの矢を外して、本体を膝のホルダーに納める。

矢はホルダーの側部にしまいこんだ。

矢の装填されたままボウガンをホルダーに納めると、ホルダー内に準備される次の矢がつっかえてしまうためだ。


「確かに、剣だけじゃどうにもなりませんからねぇ」


「分かってきたじゃねえか」


戦闘において一つの手段に拘るなど、英雄気取りの愚か者の行い。

相手の嫌がる事を察知し実行する、そして徹底する。それが基本にして肝要。

カゼルがかつて、特務騎士の訓練課程にて寝言で呟く程一年間毎日毎日、教官にさんざん叩き込まれた特務騎士の戦術に於ける骨幹思想。


それを真の意味で理解するのは、やはり特務騎士として実戦を経験してからであることがほとんどだ。


「また長話か?」


ジェラルドが戻ってきた。

顔色などは割かし元気そうであるが、その歩き姿は明らかに左肩をこわばらせている。


「ジェラルド、ブチ抜かれた左肩はもういいのか?」


カゼルは心にも無いことを言った。

だが、ジェラルドは彼にとって相棒と言っていい存在だ。

全く心配していない訳でもない。


「こ…この通りだぜ」


ジェラルドは顔をしかめながら、ぎこちなく左腕を上げる。

カゼルはそれを見て苦笑する。


「ジェラルドさん、その肩もあの二人に魔法でパパっと治してもらえばいいんじゃないですか?協力してくれるんでしょ?」


とエルヴィノ。


「そうはいかねー、マナ中毒の方がこええからな」


「いやいや、左肩の動かないジェラルドさんと前線張る方が怖いでしょ」


上官に当たるジェラルドにも軽口を叩くエルヴィノ。

これがカゼルに向かって言っていたのなら、残る右腕でエルヴィノを殴り飛ばしかねないところだが、ジェラルドは彼ほど気性が荒い訳ではない。


「治癒魔法なんか受けてみろ、体内に浸透したマナを代謝出来ずに左腕が腐り落ちるだろうが」


ジェラルドは新人の発言を咎めるように言う。


「冗談ですよ」


「それより、いつになったらあの二人は出てくるんだ?ジェラルドくん」


カゼルは横合いからジェラルドの左肩を掴んで軽く握り付ける。


「いででで!テメェ何しやがる!」


ジェラルドは右手でカゼルの手を振り払うと、心底痛そうに左肩を擦る。

こんな状態では、イェレーナに止められるまでもなく左腕で剣を振るうなどとてもではないが無理というものだ。


「ったく情けねぇ野郎だ、アースラ、イアの方がよっぽど頼りになりそうだぜ」


カゼルは遠い目をして、今一つな発音でその名を呼ばわる。


リサール帝国騎士団、中でも特務騎士団は深刻な人手不足に悩まされている。そのため、現在では実力さえあれば女性でも騎士になれる風潮が形成されつつある。

勿論、男だらけの縦社会で食い扶持を稼ごうという気概があればの話だが、その点は問題あるまい。

たとえリサール人で無くとも、事務係のフェイに書類をでっち上げさせれば、アーシュライアを特務騎士にする事は充分に可能だ。


ジェラルドは血の気の多いリサール人の中では比較的知恵が回り、冷静さを失いにくいのが取り柄だが、いかんせん隻眼のせいで戦闘ではあまり役に立たない。

実戦に於いて、左目が死角になっているハンデは大きい。

後は、アーシュライアが条件を飲めばいいのだが、彼女がエーリカに忠義立てしている限り無理な話である。


「おや?隊長もしかしてラブなんですか?」


「アホか、アイツは見た目通りの歳じゃねぇぞ。俺は年上趣味の激しい人じゃないんでね」


*


それにしても、遅い。

約束の時間を過ぎた時、カゼルはジェラルドにアーシュライアから預かった連絡用の魔女水晶を投げ渡す。


「いつまで寝てるつもりかと言っておけ」


この遅刻をもし部下や帝国騎士の者がやらかしたのならば、ただでは済まさない所だ。

それこそ、このイェレーナの病院の世話になる程ヤキを入れる所だが、今回の相手はそうはいかない。


「へいへい、しかしこんなもんで本当に話が出来んのか?」


疑わしげにアーシュライアから借りた水晶を観察するジェラルド。

どうみてもただ削り出した水晶にしか見えなかった。

彼女が特務騎士をおちょくっているというのなら、温厚なジェラルドでも笑い事では済まさない。


「もう試した、あの女が反応するまで呼び掛けとけ」


カゼルは至極真面目にジェラルドに指示する。


「本当かよ…」


ジェラルドは言われた通り、水晶を手にとってアーシュライアを呼び出す。


「しっかしまぁ、首都は栄えてますよねぇ」


暇を持て余したエルヴィノは再びお喋りに戻った。

彼同様に護送メンバーに抜擢されたツヴィーテは本を読んでいた。

表紙や厚さから見ると武術書のようだ。


「この首都の繁栄なんざ、文字通りの砂上の楼閣だがな」


カゼルは足元の石くれを拾い上げながら答えた。


「どういうことです?」


エルヴィノは問う。


「昔、リサール人もエルマの呪いを受ける前は魔法が使えてたんだ、魔法ってのは女神エルマに信仰を捧げる者への恩恵だからな」


カゼルは拾い上げた石くれを真上に放り投げて、空中で、スナップを効かせた右手でまた掴む。それを繰り返しながら話始めた。

それは、剣を抜くタイミングを測るためだ。


「だが、15年前のリサールによるエルマロット侵攻戦。それこそうちのボスがドサクサで姫様とアーシュライアを拐ってきた…あの時に帝国軍は王都の市民を虐殺しまくった」


カゼルは放り投げた石くれを、今度は長剣マスティマを抜いて、斬った。

抜いた刀でまず縦二つに両断し、返す刀でその両断された二つの石を四つに斬り分けた。


彼が大剣による叩き斬りの他に得意としているマスティマによる抜刀からの十字斬りである。


「それで女神エルマの怒りを買い、あらゆる魔法を取り上げられた。オマケに体内に取り込んだマナで中毒になる呪いを受けた」


カゼルはそのヒビ一つない切断面の石ころを踏みつけて粉々にした。

それから、刀身に付着した土埃を払って、右腰の鞘にマスティマを納める。


「それくらい誰でも知ってますよ」


一連の破壊行為を見届けてからエルヴィノはカゼルにそう言った。


「この国の魔法によって成り立つ文明の大半は拐って来たり、出稼ぎ目的で移住したエルマ人に整備させてんのも知ってるか?」


一息付こうとカゼルは煙草を取り出そうとして、止めた。

以前もイェレーナに敷地内で喫煙をしていて激怒されたばかりだった。

別段彼女を恐れている訳ではないが、斬る事を許されない人間は苦手だった。


「それは…」


「結果、帝国内の高すぎる需要に応えるエルマ人技術者、労働者階級が最も豊かになった。戦争屋のリサール人の貴族階級よりもな、笑えねえ話だ」


それは、当然と言えば当然。

いくらリサール人の多くが、戦場で功を立てる武人だろうが、それはあくまでも戦場での話。

いざ国へ帰ってくれば、文明人。

文明に溶け込んで生きねばならない。


「奴等はリサールでガッポリ稼いでもその金を落とさず、王国に仕送りするんだぜ?働く場所は俺等のリサール帝国なんだ、ちったぁ還元してもらいてェもんだ」


カゼルはいつになく真面目な顔で言った。


「エルマ人の資産なんか国が抑えちまえばいいじゃないですか」


エルヴィノは言う。


「奴等がサボタージュすれば帝国内のインフラ関係はガタガタになる。そこに王国軍が攻め込んできてみろ、今度は俺達が虐殺され、奴等の奴隷にされるだろうな」


と、カゼル。


「そうならない為に俺達がいるんでしょ?」


エルヴィノは言った。

彼とて、軽薄そうな振る舞いとは裏腹に、帝国のために命を賭ける覚悟を持っている。

そうでない者は特務騎士になど成れはしない。それほどまでに特務騎士になるための訓練課程とは、過酷で凄絶極まるものだ。


「フン、最近じゃ初等学校で剣や槍よりなんかの武術よりも先に教えてるのは、エルマ人との共存だとよ。俺は昔"リサール人は強さこそすべて"と教わったもんだが、リサール人の誇りとやらも地に堕ちたもんだ」


カゼルの腕のタトゥーの柄は、リサール人にとって伝統的な戦化粧のものだ。


上腕の髑髏や蛇は彼の趣味で、左腕の蛇は彼等の産みの親である戦の神ルセイルを意味し、右腕の髑髏は敵対者への絶対の死を意味する。


近年ではそうした民族の伝統を重んずる若者は皆無に等しい。

カゼルは25歳だが、わざわざタトゥーにしてまでリサール人の伝統を身体で示している。リサールの若者にしては、はっきり言って変わり者の部類だ。


「隊長って意外とそういうの重んじますよね」


エルヴィノはカゼルの発達した腕に刻み込まれたタトゥーを眺めながら言った。


「リサール人の文化とは即ち闘争だ、戦化粧をしろとは言わんが、自分の故郷の歴史や文化くらい勉強しておくんだな」


*


カゼル達の時間潰しのお喋りは、ようやくして打ち切られる。


「カゼル、あの女からだ」


ジェラルドはやや慌てた様子だ。


「何て言ってる?」


カゼルは苛立ちも露にジェラルドに確認する。

別段彼に対して苛立っている訳ではない。

してみればようやく動きがあったということだ。待ちくたびれたどころではない、待ち時間など、そもそも無駄なのだ。


「姫様が行方不明だと言っているが…本当かどうかも怪しくないか?」


ジェラルドは水晶を膝元まで降ろしてから、小声でカゼルに言った。

通話するアーシュライアに話を聞かせないためだ。既に使い方をマスターしたようだ。


「はァ?それを貸せ」


カゼルはジェラルドから水晶を奪い取る。


「おいアースラ!また脱走かァ?次は容赦しねえぞ」


カゼルは水晶越しにアーシュライアを脅す。

今度こそ逃げ切れると思っているのなら、彼女への評価を下方修正せざるを得ないと思った。

だが、カゼルの猜疑的な憶測は裏切られた。


「違う!姫様の行方が分からなくなった、私がついていながら、すまん…!」


アーシュライアは殊勝な態度で非を認める。

だがそれは、どちらかと言えばエーリカに対して抱いている罪悪感だろう。

カゼルは彼女の切迫した様子を声音から察する。


「チッ、俺達は子守りまでしねえといけねえのか?今お前はどこにいる!?」


カゼルの苛立ちは増す一方だが、まだ冷静さを失うほどではなかった。


「その病院から数ブロック離れた通りだ、姫様は…その、ひどい方向音痴なんだ…捜すのを手伝ってくれ」


「お前はそこを動くな、すぐに合流する」


それだけ言ってカゼルは水晶を仕舞い込み、すぐにでも駆け出しそうな態勢になる。


「聞こえてたか?あそこの通りだ、直ぐに向かうぞ」


「待てよ、罠かも知れん」


ジェラルドはカゼルを呼び止める。


「…現状では分からん。俺が先行する。エルヴィノ、ツヴィーテは側道から当たれ、ジェラルドは…無理はすんな、俺の後から付いて来い」


カゼルがジェラルドに軽口を叩かず、陣形を伝える。

彼も本気でこの事態に対処するつもりということだ。


*

「カゼル!こっちだ!」


アーシュライアの声だった。

人混みに紛れていても、その艶やかな黒髪は目立つためすぐに分かった。


リサール人の頭髪は、栗色の髪や、透くような金髪の者が多く基本的に色素が薄い。

数は少ないが、中にはエーリカのように銀髪の者も居る。

戦の神ルセイルが自らの姿を模して作り上げたリサール人は、頭髪や皮膚の色素の薄いものほど、産みの親に近い戦闘能力を持つ傾向にある。


カゼルは甲冑を鳴らしながら、凄まじい速度でアーシュライアに駆け寄る。

後続のジェラルドは、アーシュライアの罠だといった可能性を捨て切らず、彼女には姿を見せないように周囲を警戒していた。


「どこで見失った?」


カゼルはアーシュライアを問い質す。

彼女の非を糾明するのはどうでも良かった。

今はエーリカを発見することが急がれた。


「今からマナ探知する、少し待ってくれ…」


そう言われたカゼルがアーシュライアを急かそうとしたその時だった。

間の抜けた女の悲鳴が聞こえた。


「助けてー!」


エーリカは大柄な男の肩に担がれて喚いていた。


「可愛いねぇお嬢ちゃん、売り飛ばす前に俺等で味見してぇぐらいだ」


その大柄な男は、エーリカに顔を近付け、無精髭を生やした顔に下卑た笑みを浮かべる。


「いや!放して下さい!」


「なんか拐われてねえか?」


ジェラルドが困惑も露に呟く。

路地裏に、柄の悪そうなリサール人が三人、一番大柄なものが姫を肩に抱え上げているのがカゼルにも見えた。

剣で武装はしているが、甲冑は着ていない。


カゼルは彼らを認めると、すぐに離れた場所にいたエルヴィノとツヴィーテにもサインを送った。

曰く、単純なものだ「囲んで殺す」

だがその前に


「あれはお前の知り合いか何かか?」


一応、アーシュライアに確認するカゼル。

だからと言って生かしておくつもりはない、形だけの問答だ。


「そんなことより、早く姫様を!」


アーシュライアはカゼルに食って掛かるような勢いだ。


「放してー!」


エーリカは危機に陥っているだが、それにしてはいかんせん緊張感に欠けている。

間の抜けたような悲鳴を上げ続ける。


「分かってる、お前等は見学してろ」


カゼルはアーシュライアとジェラルドに向けてそれだけ言うと、マスティマの柄を握って走り出した。

カゼルの疾走は勢いを増し、放たれた矢のようにエーリカを肩に抱えた男の背後に接近する。

カゼルは即座にマスティマを抜いて、男の膝の裏側を下段払いに斬り付け、脚の腱を断ち切った。

カゼルに続くツヴィーテとエルヴィノも、静粛にしかし素早く剣を抜いて機先を制し、カゼルが襲い掛かった大柄な男の脇に居た二人の男を急襲する。


カゼルに背後を取られた大柄の男は突然脚が言うことを聞かなくなり、激痛に呻き声を上げて地面に膝を付いた。


そうして狙いやすくなった男の左胸に向かってカゼルは返す刀で、背後から突きを放つ。

マスティマは突きといえど風切り音を立て、男の左胸に真っ直ぐに突き刺さる。


カゼルは男の背後から刺したままのマスティマを左手に持ち替える。

空けた右腕で、男が取り落としたエーリカをしっかりと抱き抱えると、再び彼女を肩に担ぎ上げた。


カゼルは絶命していく男を蹴り飛ばし、剣を抜き取った。蹴りの反動をそのままに、部下二名と刃を交える残りの二人から距離を取る。

担がれたエーリカに配慮してなのか、その一連の動きは先程までのような荒々しいものではなく、あくまで柔らかく、滑らかだった。


カゼルは距離をおいて部下二名の戦い振りを静観する。

こんな兵士でもないチンピラにやられるようなら、あとでみっちり鍛え直してやろうと思ったが、順当にツヴィーテとエルヴィノは残りの二人を押していた。


やがて、ツヴィーテが相対する男の剣を弾き飛ばし、頚を切り裂いた。

その後エルヴィノも戦っていた相手の腹部を斬り裂いて、とどめを刺す。


「こいつらの死体はどうしますか?」


薄汚い路地裏を血の海に変えながら、顔色一つ変えずに、ツヴィーテは言った。


「チンピラの死体なんぞ晒しとけ、清掃局には俺から言っておく」


カゼルもまた顔色一つ変えていない。

だが、担ぎ上げたエーリカの方を向くと妙に嬉しそうな顔をした。

勿論、その口元には嗜虐が浮かんでいる。


「柄の悪い友達が出来たんだな、姫様よぉ」


「友達じゃありません!降ろしてください!」


からかわれて、むきになるエーリカ。

されど、その表情は僅かながら安堵したものだ。


「悪いがアンタにチョロチョロされると面倒だ、このまま運んでやるよ」


「……感謝する」


カゼルに何かしら言い掛けてから、アーシュライアは素直に感謝を述べた。


「どうやったら初日から拐われるんだ?とっととうちの本営に帰るぞ」


「おろしてー!」


カゼルは苦言を呈するエーリカを担いだまま、特務騎士の事務所に向かって歩き始めた。


*


カゼルは耳元で騒がれるのを嫌ったのか、早々にエーリカを降ろして、彼女のすぐ側をアーシュライアとエルヴィノに護衛させた。


護衛と言っても、目を離せばすぐにふらふらと出店や花壇などに向かって隊列を離れるエーリカを制止する目的が大きい。


「天才的な迷子センスとでも言えば良いのか?」


カゼルは先程から引き続きエーリカを揶揄する。


「むうっ…」


エーリカは不貞腐れたような顔でカゼルからそっぽを向いた。


カゼルには不思議で仕様がなかった。

リサール首都の市街は都市区画が行き届いており、大きな道に沿って進めば迷うことはそうはない。

彼はこの短時間に、エーリカは目を引くものがあるとふらふらと歩み寄る"習性"があると判断した。


「……姫様に無礼な口を聞くな」


カゼルを咎めるアーシュライアの声も、いささか迫力に欠ける。

彼女の内心の苦労が窺い知れた。


「まぁいい、もう少しで事務所だ。とりあえず休憩を挟んでから、今日は色々手続きをしてもらう、観光はその後だ」


エーリカとアーシュライアの方を向きながらそう言ったカゼルが、壁に寄り立っている男の前を横切った時だった。


「おい!そいつ武器を持ってるぞ!」


ジェラルドがカゼルに叫んだ。


その男は、カゼルに突如斬り掛かった。

よくよく見れば、その男が纏っているローブは角張っており、下には甲冑を着込んでいる事が見てとれた。

その男が振りかざした剣は、カゼルのマスティフよりやや小さい程度、十分に大剣と呼ぶことが出来る。


男の苛烈で重い唐竹割りの一撃を、カゼルはジェラルドの呼び掛けに呼応するように、即座に抜き放った大剣マスティフで以て打ち返す。

完全な不意討ちとは言え充分にかわせる攻撃だったが、背後にはエーリカが居たため、後退することを避けたかったのだ。


男からすれば、カゼルの速度と膂力が予想を遥かに上回ったのか、残身どころか必要以上に後退し距離を取った。


エルヴィノやツヴィーテの背後からも、その男と似たような格好の者達が五人ほど現れ、カゼル達を取り囲む。


アーシュライアはエーリカの前でどこから取り出したのか、ハルバードを構える。


「お初にお目にかかる、黒い狼殿。私はグーリンウェルと言う」


グーリンウェルと名乗った男は、カゼルの応擊で痺れたのか、右手をプラプラさせてから剣を構え、カゼルに向き直る。


カゼルはリサール帝国内でも残忍かつ腕が立つ事で知られる。

また、彼の出身のブランフォード家は吠え立つ狼のエムブレムを家紋としており、武門の名家としてその名を知られる。


カゼルはあまり家の事を口にせず、親姉弟とは不仲であるが、その苛烈極まる戦い振りがむしろブランフォードの者だという事を証拠付けてしまっている。


帝国近衛騎士団の幹部などを数多く輩出してきたブランフォード家の中でも変わり種である彼は、特務騎士の黒い甲冑を常に身に付けている事から、その道の者から「黒い狼」と呼ばれることがある。


普段、こうして彼に挑み掛かってくる者などそうはいない。

居るとすれば、余程腕に自信のある者か、はたまた己の強さを過信する者だ。


そうした襲撃者も、ツヴィーテなどがそうであるように、高い素質を示したのならば特務騎士にヘッドハンティングされる事がある。

拒めば死あるのみ。

そして、その自信が実力以上のものだったのならば、惨たらしい死を迎える事になる。


「お前、さっきの奴等の仲間か」


カゼルは打ち返したはいいが、マスティフをプラプラと弄んで気怠そうに呟く。

どうやら、エーリカやアーシュライアとのお喋りを邪魔されたのが気に食わなかったらしい。

怒るのを通り越して、かえって鎮まっていた。


「今日から姫様はうちのお抱えになる。俺等からすりゃ、まあ…それなりに名誉な事だ、記念すべき日と言っていい…」


カゼルの口から記念日と言う言葉が飛び出すとは。

ジェラルドは驚愕した。


「ほう、それで?」


グーリンウェルもいきなり斬り掛かった割には殊勝なもので、カゼルの言葉を待った。

この気取った喋り方といい、ともすればこの男もどこぞの諸侯貴族に仕える騎士なのかも知れない。


一方、ジェラルドは先程から引き続き耳を疑っていた。

カゼルが未だ斬り掛かってきた相手に死を宣告していないそれどころか…


「とっとと失せろ、今なら見逃してやらんでもない」


ジェラルドは驚愕した。

カゼルが敵を見逃すなど、一体どういう風の吹き回しなのだろうか。


「有難い申し出だが、結構だ。カゼル・ライファン・ブランフォード。貴公は"リサールの黒い狼"などと恐れられているが、実態は帝国議会の犬に過ぎん」


グーリンウェルは意図してカゼルを揶揄した。

カゼルの実力を知った上での暴言である。

よほどの豪傑なのか、はたまた自分の力を過信する愚か者なのかどちらかであろう。


「それとも今はエルマロット王女の飼い犬か?どちらにしろ、貴公のその傲慢さと品性の無さは野良犬にも劣るがな」


「……」


挑発を受けたカゼルは頭に血を昇らせる…

筈なのだが、いかな風の吹き回しかグーリンウェルを全く無視して下知を下し始める。


「ジェラルド、アースラを援護して姫様を護れ」


「分かった」


「邪魔はするなよ?小僧…」


アーシュライアはジェラルドに言う。


「小僧?俺が?…違和感を覚えるな……」


ジェラルドはそう言いながら、やはり魔女というだけの迫力を感じ取ったのか、それ以上は追及しなかった。


「隊長、こいつらは殺しても?」


ツヴィーテが短く問う。

答えなければ自動的に彼らを殺し始めそうな雰囲気だ。


「1人は生かしとけ。他は殺していい」


とカゼル。


「無視は困るな、黒い狼」


グーリンウェルはやや声を荒立てて、再びカゼルに斬り掛かる。

カゼルは、手首を回してマスティフの剣先をくるくると振り回しながら、ごく僅かに身をよじってそれをかわす。


「ハエが止まるようだぜ?」


カゼルはやがてマスティフを玩ぶのを止めると、途端に人が変わったように殺気を放ち、グーリンウェルへ袈裟懸けに斬り掛かった。

グーリンウェルもまた、気合を込めて大剣を振り回し、カゼルを横薙ぎに断ち切らんとする。


大柄な二人の持つ大剣がぶつかり合う時、凄まじい金属音が鳴り響いた。

尋常ではない量の火花が飛び散り、辺りを照らす。

冷たい輝きを放つマスティフはグーリンウェルの大剣の刀身を切断した、が軌道こそブレた。


真っ直ぐにグーリンウェルの頭を狙って振り下ろされたマスティフは、彼の左肩の甲冑を砕いて肉に食い込み、骨を砕きながら尚も斬り裂いていった。


「うぐああッ!」


先程飛び散った火花以上の、今度は真っ赤な血が噴き出した。

ガチャリとグーリンウェルの左腕の甲冑が地面と音を鳴らし、血溜まりを作る。


「よく俺の剣を逸らした。でかい口を叩くだけはあったかもな」


それだけ言い捨てて、カゼルは追い討ちに、出血しながら退くグーリンウェルの顔面を逆手に構えたマスティフの、金属製の柄頭で殴り付ける。


グーリンウェルは左肩の生えていた場所から尋常ではない血を撒き散らしながらよろめき、地面に倒れ込む。


カゼルは倒れたグーリンウェルの左肩の傷口に向かって、思い切り、足甲を纏った足で蹴りを放つ。

続けて苦痛に悶えるグーリンウェルの顔面を蹴り飛ばし、踏み付ける。

散々彼を蹴り回した後、マスティフを一直線にグーリンウェルの右手首に向かって振り下ろした。


最早何の抵抗も出来ずに悲鳴を上げる彼をカゼルは嘲笑う。


「ウハハハ!これで腕に覚えを抱くこともあるまい!」


そしてカゼルは、グーリンウェルの左肩ごと切断された腕をマスティフの剣先で突き刺し持ち上げる。

彼は、グーリンウェルの手下の男に向かって思い切り剣を振って、切断された腕を投げ付けた。


手下の男の反応は素早く、剣から手を離した左手で、飛び道具へと成り果てた頭目の左腕を打ち払う。

だがその一瞬、カゼルから意識を外してしまった。

ただの一瞬だっだがもう遅かった。カゼルは間合いに入り込み肩口からマスティフを振り下ろす所だった。


手下の男は咄嗟に剣で振り下ろしを防ごうとしたが、縦一筋に、剣ごと兜を被っていない頭から腹まで斬り裂かれた。


カゼルはマスティフを引き抜かず、男の腹までを割ったままで刃の向きを変えて力を込める。カゼルは右手から斬り掛かる男に対して、左から右斜め上に薙ぎ払う。


犠牲者達の血を吸って殺意の輝きを増していくマスティフは、その男の胴体を甲冑ごと両断するばかりか、その背後の建造物にまで斬り跡を残す。


建造物の煉瓦に刻まれたマスティフによる切断跡の周りにはヒビ一つ入っていなかった。


「…なんなんだその剣は!」


「銘はマスティフ、大した切れ味だろ?」


マスティフとは元々カゼルが使っていた剣の銘を引き継いだに過ぎない。

今カゼルが振り回す大剣は、女神エルマがリサール人の暴虐に対抗するため、このアルグ大陸に呼び寄せた勇者と呼ばれる若者達に授けた代物だ。


カゼルは先代マスティフをその若者に破壊された腹いせに、その者の命を弄び、殺し尽くし、わざわざエルマを祀る神殿に赴いてまで、エルマの偶像にその遺体の断片を飾り付けた。


そうした蛮行と背信を彼は積み重ね、今では女神エルマが剣に付与した加護は現在では忌むべき呪いへと反転した。


賭け値無しの切れ味と破壊力はそのままに、持ち主の正気と魂を喰らい尽くす魔剣と化したのだ。


だが、カゼルはマスティフに己の魂を差し出すことはせず、また正気などハナから持ち合わせていない。

ならば飢えたマスティフが喰らうのは、この剣によって屠られた者達の魂だ。

そうしてカゼルとマスティフは互いの要求を満たし合う関係を築いた。


ゆらり、とマスティフを構え直し、脅えきった男に詰め寄るカゼル。


「苦痛なく送ってやるよ」


言葉通りカゼルはマスティフを振り下ろした、頭では別の事を考えていた。


それにしても、ここは西部ではなく帝国首都。

比較的治安は良好だった筈。

少なくとも、本日二度も斯様な無法者どもを斬る事になるとは思っても見なかった。

姫様を護送する必要性は高かった訳だ。


エルヴィノとツヴィーテは残りの二名を倒し、ジェラルドはエーリカを庇うように右腕で剣を構えていた。


「アースラ、そいつの傷を塞いでおいてくれ」


カゼルは芋虫のように地面をのたうつグーリンウェルを剣で指し示す。

夥しい出血だが、まだ命だけなら助かる公算が大きいと判断したためだ。


「とどめを刺さないのか?」


「誰の差し金かウタわせる、じゃねえとお前らの身の安全を保障出来んだろ」


カゼルはマスティフで敵を斬っている時より尚、陰惨な笑みを浮かべた。

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