第2話 良く喋る男

「…という経緯です、被害はジェラルド分隊7名の内ガーラスとブライの二名がアーシュライアの水スピの自爆攻撃を受けて即死、遺体は回収済み」


「ジェラルド達5名は重軽傷でイェレーナの病院に通院して休務中、捕縛したアーシュライアとエ―リカ姫は衰弱していた為同病院に連れていきました、とりあえず病室をツヴィーテに監視させてます」


カゼルは淡々と、しかし抑揚を付けて報告書を読み上げる。


彼はあの後、連行した二人と負傷した部下達をまとめてイェレーナの病院に預けた後、自分が離れてエルマ騎士達を排除していた時の状況をジェラルドに説明させた。


そして事務所に向かった彼は報告書を作成してから、彼は事務所の二階で一頻り眠った後に支度をして顔を出した、現在の時刻は昼過ぎだ。


深夜まで報告書を作成した後は、きっかり普段通りの睡眠時間を確保し、太陽が登った正午に目を覚ましたのはさておき、彼が一日足らずで報告書をまとめあげたのは、それだけ現状を上官に報告することが急がれたからだ。


「やはりアーシュライアは手練れだったろ?俺もあいつには煮え湯を飲まされたからな」


「俺が仕留めようと思いましたが、ジェラルドに交代しまして」


「仕留めるって…お前な」


ジェイムズは眉間に皺を寄せ、呆れ顔になる。


「脱走を手引きしたエルマ騎士の連中は10人いました、いずれも案山子程度の連中でしたが数が数、俺が片付けるのが適切だったかと」


「成る程な」


ジェイムズは煙草に火を付ける。

カゼルは、それを見てから自分も煙草を取り出そうとして、止めた。

話が長くなる気配を感じ取って、後でゆっくり味うことにしたからだ。


「うちは団員の補充が中々利かないのは分かるよな?」


「理解していますよ」


「俺はお前が頭に血が昇りやすいのも、非常ぉ〜に気位が高い男なのも分かっているつもりだ、だがな現場でお前が冷静さを失えば部下の命も危険に晒される、必要以上にな」


「ガーラスとブライは必要ない犠牲だったと?」


カゼルは不満げな態度を隠そうとしなかった。


実際カゼルがエルマ騎士を人質に取った事は効果覿面であった。

エーリカのグラウンドスピリットの召喚を解除させることに成功し、続いて突撃してきたアーシュライアを戦闘不能にしたことで二名の犠牲を払いながらも彼等は任務は遂行できた。


勿論アーシュライアをカゼルが楽に生け捕りできる程、体を張って消耗させたジェラルド達の功績も大きい。


だが彼等を総合して監督、指導するのがジェイムズの仕事である。


カゼルはアーシュライアの安い挑発に乗って頭に血が昇り、一時は本当に彼女を抹殺し兼ねない程激怒した。

見かねたジェラルドが捕縛役を交代するも、窮鼠猫噛まれて二名の犠牲が出たのだ。


結果論ではあるものの、実力の秀でたカゼルが最初からアーシュライアを相手取っていれば二人の犠牲は出なかったのではないか、とジェイムズは示す。


「お前は現場の指揮官だが、同時にウチの最高戦力だ、お前が好き勝手やれば部下に負担が掛かるし、言うまでもなくお前は部下の命を預かっている、その自覚を持て」


「…了解しました」


カゼルは紛う事なき外道の男だが、意外にも部下ないし味方の命を軽んずる事はしない。

ジェイムズもそこは良く理解しており、危険な任務であることは重々承知していたためそれ以上彼を追及しなかった。


「ところで拘束した二人についてだが、今後はうちが身柄を預かる事になりそうだ」


ジェイムズは紫煙を吐き出しながらそう言った。


「は?うちに監視に回せるような人手がないことはオジキもよく分かってるでしょう」


カゼルは予想外の決定にやや声を裏返らせた。


「あの魔女のせいで、ただでさえ少ない人員が二人もやられたんですよ?」


「なら、二人に協力させればいい」


カゼルは表情を更に曇らせた。


カゼルは当初の予定に則り、拘束したエーリカとアーシュライアを帝国騎士団に引き渡す書類や調整などの準備を今日目を覚ましてから終わらせた。


もう後は本人達の体調が回復すれば引き渡す手筈である。

そこまでしてから、ジェイムズの前に立っているのだ。


「それがな、騎士団の上層部から 戦力的にその二人はうちで面倒見切れない って言われてんだよ」


「たかが小娘と魔女一人にどれだけビビってるんですか?とことん情けねえ奴等だ」


カゼルが本人も意識しない内に固く握っていた拳はミキミキと音を立て、その拳と腕の血管は浮き立つ。


「お前の事だからもう二人を騎士団に引き渡す準備は出来てたんだろ?悪いな」


ジェイムズはカゼルを労いながら平謝りする。


「もっと早く言って欲しかったですね、まぁ仕方ねェんですが」


仕方ない、実際そうだ。

予定とは未定の事項なのだから。


「まぁそうカッカするな、考えてもみろ」


紫煙を吐き出すジェイムズ。

そしてカゼルに向き直すとより深刻そうな表情を作った。


「今は負傷して大人しいだろうが、腕の治ったアーシュライアは帝国騎士団の手に負えると思うか?」


「消耗した身体で特務騎士7人相手にあそこまで粘ったぐらいです。全く大した女ですよ」


そこまで言ってから、カゼルは腰の長剣マスティマに手をやると、刀身が見えぬ程の速度でに十字を斬った。

ジェイムズの吸っていた煙草の煙は、その剣速が生んだ風に巻き上げられ、ジェイムズ自身もまたその風と鋭い剣技を肌で感じ取った。


「俺なら八つ裂きにできますがね」


マスティマを鞘に戻しながら、カゼルは嘯いた。


(だが確かに復帰したアーシュライアをいざ抑えられるのは、現状特務騎士団と言えど自分しかいなさそうだ。

ジェラルドの馬鹿はあのザマで、他の連中も負傷している、当然新入りのツヴィーテやエルヴィノにはあの魔女の相手は荷が重かろう)


「相変わらず出鱈目な剣速だな、お前は一体何を斬ろうってんだ?」


パチ、パチと乾いた拍手を送りジェイムズはカゼルに問う。


「俺はこの国の敵を斬るだけです、近衛騎士の連中みたいに忠義が有る訳じゃない。所詮は職業軍人なんでね」


「確かにお前には帝国騎士は退屈過ぎたかもしれんな」


「まあ、実際…ここの仕事は退屈はしませんよ」


カゼルはアーシュライアの腕を骨折させはしたが、二度と腕が動かせなくなる程破壊を実行した訳ではない。


また彼等特務騎士団の御用達の女医、イェレーナは大変に腕が良い。

あの程度ならいずれ元通り動くようになるだろう。


「はっきり言っとくが、二人が捕虜である内は敵じゃあないぞ、絶対に斬るなよ」


「肝に銘じておきますよ」


「それに姫様がロードを暴れさせるような状況も NG だ、リサールの地図が変わっちまうからな」


「…確かに、あのちっこい女が操る精霊は桁が違いました」


纏っているマナの影響だけで荒野に草木が生い茂り、近付けばそれに足腰を絡め取られる。

そんな規格外の化け物だった。


カゼルですらグラウンドスピリット・ロードについては、術者のエーリカを倒す以外の対処法を思い付かなかった。


今でこそ言えるが、アレは賭けだった。


もしエーリカがエルマ騎士の人質を見捨てて、ロードにジェラルド達を屠らせるようであれば、ロードの纏うマナの影響下の外にいたカゼルは逃走するか、一か八かエーリカをボウガンで狙撃するつもりだった。


「今後の方針なんだが」


「二人の面倒見だけじゃ足りないんで?」


「あの二人は顧問という立場でうちに所属してもらおうかと思ってる」


カゼルの顔には面倒臭いと書いてあった。

基本的に逆らう人間は叩きのめして言うことを聞かせるのが彼の常套手段なのだ。

人質とは言え王女たるエーリカを殴って命令を聞かせる訳にはいかない事くらいは彼も理解している。


「俺らは魔法に関して全くの素人だからな、そっち方面で協力してもらいたいと思ってるんだ」


「うちで仕事もさせるんですか?そりゃちょっとハードでしょう」


機嫌を損ねるような事は避けなければならない、そう言ったばかりだった。

彼女達は奴隷ではない、敵国とは言え仮にも王族とその側近なのだ。


ペナルティ的に彼女達の労務を増やすことが、リサール帝国への利益に繋がるとは限らない。

むしろ逆に転ぶ可能性が大だ。


「今後二人のお勤めは午前中だけか、場合によっては無しの日があってもいいだろうな、その辺はまぁ俺から上に上手く言っておく」


お勤めとは、即ちリサール帝国領、主に首都近郊の緑化作業である。

延々と広がる死の荒野を、エーリカの操るグラウンドスピリット・ロードとアーシュライアの操るハイ・ウォータースピリットの力によって生きた大地へと甦らせるのだ。


「そうですか…」


カゼルはうんざりした心持ちだった。

ジェイムズとは特務騎士団設立以前からの長い付き合いだったが、彼の欠点をひとつ挙げるならば、自分の決定を絶対に覆さない頑固さが挙げられよう。


*


報告を終えたカゼルは道すがら見舞いにと、市場に寄って果物や干し肉などを買い込んでから、エーリカ達や部下達を預けた病院に向かう。


足取りは極めて迅速で無駄が無く、体軸のぶれないその歩みは鍛え抜かれた軍人特有のそれだったが、さすがの彼も病院へ行くのに甲冑や剣を携えることは無かった。


「イェレーナ、邪魔するぜ」


まるで我が家の玄関のように病院の玄関を押し開けるカゼル。


「病院ではお静かに、いつも言ってると思うのだけれど?」


粗暴な振る舞いを、毅然として叱りつける白衣を着た女。


「十分静かだろうが」


既に恫喝の域に達する声音だったが、しかし


「アンタ声大きいのよ」


獰猛なカゼルにも真っ向から切って返す。

このイェレーナと呼ばれた女性は中々に肝の据わった人物のようだ。


「そりゃお前、戦場でボソボソ喋って声が通るかよ」


「ほんっとに戦馬鹿ね、ここは病院なのよ?」


「いつだろうとどこだろうと俺は戦えるぞ」


カゼルは腕を組んで見せた。

タトゥーの髑髏もまた、心なしか誇らしげに見える。


「あのねぇ、ここのどこに敵がいるのかしら?医者として言わせてもらうけれど、アンタは精神構造からして病んでると思うわ」


イェレーナはカゼルを指差してそう言った。


「ヘッ、ひでえ言われようだ。俺の心はいたく傷付いたぜ…あれか?患者が増えた方が医者は儲かるもんな?」


カゼルは意に介さずに悪態を付く。


「野蛮人に貸す病室はないわ」


「おのぼりさんがデケェ口叩くんじゃねェよ、縛り倒して故郷の北部に送り返してやろうか?」


「隊長、イェレーナ先生と仲良いんですね」


病院の玄関先で火の出るような口喧嘩に及んでいた二人に、遠巻きから水を差したのはカゼルの部下ツヴィーテだった。


彼はエーリカとアーシュライアの監視のため彼女達の病室の前で本を読んでおり、カゼルが来たことを察して病院の二階から降りてきたのだ。


彼は真面目な性格だが、やはりと言うか人の寝食に張り付くような仕事には熱意を抱けなかったようだ。


早く俺をこの退屈な監視から解放して欲しい、その顔は語っていた。


「昔は俺も大ケガしたら入院してたからなァ、病院食がスラーナ料理ばかりなのと、医者が患者に対して高圧的なのを除けば実に素晴らしい病院だ」


「俺はなんら不満はありません、むしろスラーナ料理が食えるのが嬉しいぐらいですよ」


「そりゃそうだろう、お前もスラーナ人だもんな」


「言っとくけど私が怒るのはアンタぐらいよ、怪我を治す気がないのに病院に来る人間が一番腹が立つわ」


「怪我を治すつもりはあるとも、だが治ったかどうかを決めるのは俺だ」


「それはわたしが決めるのよ!」


「あァーもういい、わかった」


カゼルは目を瞑って眉を揉む。

腕で物を言う彼は、口がそこまで立つ訳ではない。


「アンタ達特務騎士団の診療委託を受けたのだけど間違いだったわ、確かに委託費は随分弾んでもらったけれど…」


イェレーナはうんざりした顔でカゼルを見やる。


「何の問題があるんだ?お前は学費の返済も出来たし、お前の生活費も故郷への仕送りを賄うのに十分な額は出してる筈だ、俺らは持ちつ持たれつだからな」


おらよ、とカゼルは見舞い品の中から適当に選んだ果物をイェレーナに投げ渡した。


「ふん、礼は言っておくわ」



*


「あれが俗に言うツンデレって奴なのか?ツヴィーテくんよ」


「ツンドラの間違いでは?」


「スラーナの凍った平原の事か?だが永久に凍結してるのは地下だけなんだろう?」


「詳しいですね隊長」


「俺はスラーナに行った事があるからな」


世間話の流れでつい触れてしまったが、この話はカゼルにとってリサールから遥か北に位置する、スラーナの気候よりも寒い話だった。何しろカゼルはツヴィーテの兄、ムステラの仇なのだ。


ツヴィーテは兄の報復の為に遥々スラーナからリサールまでカゼルの首を取りに来たのだが、カゼルによって返り討ちにされた挙げ句、命を助けるのと引き換えに特務騎士団に入団させられた。


彼は特務騎士団で腕を磨きながら、虎視眈々とカゼルの首を掻き切る瞬間を待っているのだ。


ならば、この上司への慇懃な態度は完全に作り物ということになる。


カゼルは都合の悪い話を早々に切り上げて本題に入る。


「で、姫様とアーシュライアの様子はどうだ?」


「…特に変わったことはありません」


ほんのわずかにツヴィーテの返答は遅れた。


その言葉は恐らくだが、二つの意味を持つだろうことをカゼルは察する。

二人に特段異常がないこと、そしてツヴィーテが未だカゼルを葬るのを諦めていないことだ。


「ならいい、ちょっと二人に用があるんでな、お前は休憩してこい」


「わかりました」


*


「失礼するぜ」


カゼルは軽くノックをしてから、エーリカとアーシュライアの病室に入る。


二人は並んだベッドで上体を起こして何やら話をしていた。

別段縛り付けている訳ではない。


「…失せろ、貴様の顔など見たくもない」


カゼルが入るな否やアーシュライアはカゼルに対して嫌悪を隠そうともせずに悪態をついた。


エーリカは無言で、しかし怯えは隠せず布団を僅かに引き上げる。


「元気そうで何よりだ」


「私達に何の用だ」


カゼルは手に持つかごをぷらぷらと揺らしながら、彼女を宥める。


「そう噛みつくな、誰かさんがウォータースピリットを自爆させてくれたもんでこうして俺が部下の見舞いに回る羽目になった、そのついでだ」


「誰かさんが私の腕をへし折ってくれたものだからこうして私は病院送りになったんだ、ふざけた事を言うな!」


「ハッ、俺は女二人でリサール横断など自殺行為だと言わなかったか?」


カゼルは果物や干し肉の入ったかごを一先ずアーシュライアに差し出す。


「まあ食えよ、二人分だ」


「お前からの施しなど受けん」


「アーシュライア、この方を怒らせてはまた…」


「病院でまでやり合うつもりはない、それにこの国で果物なんかが採れるようになったのは姫様とお前の功績だ、遠慮する必要はないだろ?」


カゼルは、市場に並ぶものの中で最も美味そうな品物だけを選んできた。

元々は敵の間隙や弱点を突くため磨き抜かれた観察眼なのだが、そうした観察力は何も戦いだけではなくそうした審美の眼としても遺憾無く発揮される。


だが、女性の…どころか他人の感情の機微を推し量る際にはその観察力はまるで発揮されないのが悲しい所。


カゼルは見舞い品を強引に右腕の動かないアーシュライアに押し付ける。


「それともこの俺が、そのザマでどうこう出来る相手だと思うか?」


カゼルに恨めしげな視線を送ってから、添え木と包帯で固定された自らの右腕を見やるアーシュライア。

左手でかごを受け取ると、感情を押し殺してカゼルに問うた。


「…私達は今後どうなるんだ?」


「ん?ああ、お前らは……明日、処刑する」


カゼルは声のトーンを数段落とし、神妙な顔付きで言った。


「…なんだと?」


「…ッ!」


突然の死刑宣告に驚愕するエーリカとアーシュライア。

しかし


「ハハハ!悪い悪い、冗談だ。殺すつもりならハナから連れて帰っていない」


「…貴様」


アーシュライアはムスッと…どころではなく再び怒りを露にする。

カゼルはそうして彼女の意識をしっかり自分に向けさせる。

そして組んでいた足を直し、アーシュライアに身体ごと向き直ると、今度は冗談めかさず真摯に話始めた。


「俺はお前の事を買ってるんだ。うちの連中はカカシじゃねえ、アイツらを相手にあれだけ粘ったお前の実力は本物だ」


アーシュライアを称える時、珍しくカゼルの目は輝きを見せた。

それは、強者への尊敬だ。


「個人的にはすっトロいジェラルドの代わりにお前に副長をやってもらいたいくらいだ、どうだ?給金は弾むぜ」


「アーシュライアは私の」


言いさした主人の言葉を遮ってまで、アーシュライアははっきりと言い放った。


「私はエーリカ様に仕えている!貴様等の仲間になどなるものか」


「ハッ、そう言うと思ったがな」


カゼルは肩を落として見せた。

動作こそわざとらしかったが、声音は至極真面目に話していた、あながち本気で勧誘しているようだった。


「とりあえず今後は俺ら、つまりリサール帝国特務騎士団が姫様とお前の身柄を預かる事になる。確か顧問って形で一応所属させるとかうちのボスが言ってたが…」


「どういうことですか?」


「帝国騎士はお払い箱ということか?」


口々に訝るエーリカとアーシュライア。

カゼルは淡々とした中にも緩急を付け、話を続ける。


「主にお前が原因だがな、アースラ…失礼。アー、シュ、ライア。帝国騎士の手に負えなきゃ俺ら特務が出てくる、リサールの軍隊はそういう仕組みだ」


カゼルは流暢に話を続けていたが、アーシュライアの名を呼ぶ時はきごちなかった。


アーシュライアとはエルマ語の名だ。

そして大抵のリサール人は魔法の詠唱に使われるエルマ語を苦手としている事が多く、カゼルもそうだった。


言語として読み書き、聞き取りまでは習得できても、発音で躓くことがほとんどなのだ。


カゼルに悪気があった訳ではなく、単純に彼女の名を発音しきれなかった。


「俺らはっきり言って魔法だなんだのは専門外だ、よってお前らのやり方にどうこう指図するつもりはない」


カゼルはアーシュライアに手渡した見舞いの品から、適当な果実を手に取り、囓りながら話を続ける。

口元に付いた果汁を粗暴な振る舞いに似つかわしくない、刺繍入りのハンカチで拭き取っていた。


「あと例のお勤めも今後はペースを落としてもらって構わん、ボスが上に取り計らってくれるそうだ。うちはメンバーに必要以上の負担を掛けるような運用はしねえのが基本だ」


「勝手に話を進めるな!私も姫様も了承などしていない」


アーシュライアがそういうと、カゼルは


「その方が話は速い、俺達に従わないエルマ人など生かしておく理由は無いからな」


カゼルは話しているときの比較的柔らかだった表情を止めて、エルマ騎士の男の脚を突き刺した時と同じ、嗜虐で彩られた笑みを作る。


「ッ…」


その顔を見たアーシュライアは右腕が疼くのか、顔をひきつらせる。


今回はアーシュライアのその顔を見るだけで満足したのか、カゼルはすぐに嗜虐心を隠して無表情になった。


「身分の高さだけで身を守れると思うなよ?ここはリサール、あんたらの国じゃねぇ」


カゼルはエーリカとアーシュライアに向けてはっきりと言った。


「ここじゃたとえ神サマだろうが、弱者は地に伏すのみだ」


そこまで言ってから、カゼルはその筋肉質の腕を組んで二人の返答を待った。

右腕のタトゥーの髑髏の眼窩は、待つ態度の本人とは裏腹に、急かすようにアーシュライアの方を見つめている。


「他人の弱味に漬け込んで、力ずくで利用して、お前らリサール人はクズばかりだな!」


カゼルは怒れるアーシュライアを嘲笑うような態度を見せて促す。


「ハッ、温いことを言う。魔女ってのは頭がキレるんだろ?逆に俺達を利用しようとは考えないのか?」


「何?」


「まずエルマロット王国の上層部は、何もお前らを取り返そうとする連中ばかりではあるまい、俺達にお前らを利用され続けるくらいならいっそ消した方がマシと考える奴もいるだろう、違うか?」


「…それは、その通りです」


エーリカは苦々しげに認める。

帝国騎士に護衛されている時も、誰の差し金とも知れぬ刺客に襲われた事が何度もあった。


自分が未だ傷ひとつない身体なのも、飢えた帝国騎士の男達に指一つ触れられる事が無かったのも、ずっと側にアーシュライアが居て護ってくれたからだ。


エーリカは自然とカゼルの見舞い品を見やる。少なくとも毒を入れるような、回りくどい真似をするとは思わなかった。


たった一人の家臣であるアーシュライアの負担が少しでも減るのなら、カゼルの言うとおり彼等を"利用"するのも吝かでは無い。


腕の立つ者達なのは確かなのだ。


カゼルは左手を開き、右手で拳を作って自分の掌に打ち込む。

芯に響くような音を立てて、頼もしさを演出させようとした。

だがエーリカが感じたのは、暴力への忌避だ。


「そういう手合いは今後、俺達が始末してやる。生まれた事を後悔させてから、殺してやろう」


「…そこまでは求めません」


エーリカの偽らざる答えだった。


「そして俺は、身内に手を出した奴は必ず殺す。だがお前らが身内になるなら話は別だ、アース…アーシュライアがガーラスとブライを殺った事は水に流してやる」


カゼルは低い声でそう言ってから


「まあ、お前らに手をそもそも出させないのが俺達の仕事になるだろうが」


と付け加えた。逆に言えばエーリカとアーシュライアに危害を加える、又それを企てる者は必ず排除するという事だ。


「お前らだってエルマ騎士の者達を皆殺しにしただろう、恩着せがましい事を言うな!」


エーリカは助けると言った男を処刑したカゼルをじっと見つめる。

やはり、不信感は拭えない。


「剣を手にして俺達に立ちはだかる以上、剣にて応えたまでだ」


何を今更と、まるで出来の悪い部下を叱るようにカゼルは憮然として言い放つ。


「それは私とて同じことだ!」


「そう、つまりそういうことだ、部下どもには俺から強く言っておこう、何かあれば俺に言え。お前らが協力するなら後腐れは無しだ」


「強引な奴め…」


「そして、お前らの"保護"は帝国議会の決定だが、それ自体を快く思わない奴等が帝国にいるのも事実。だが大抵の議員は俺達に好意的だ、それだけの実績があるからな」


カゼルは自分達の有用性を誇るように、堂々と言った。


「つまりお前らは特務騎士団に身柄を預けている限り、権力的にも武力的にも強力な後ろ楯を得られる」


「たかが軍隊ごときに何故そんな権限があるんだ?」


フー、と話終えて溜め息を付くとカゼルは膝に拳を当てて、アーシュライアに少しだけ顔を近づけた。


「改めて名乗っておこうか?俺達はリサール帝国騎士団の上位組織に当たる、帝国議会直属のリサール帝国特務騎士団、俺はそこの隊長カゼル・ライファン・ブランフォード。こう見えて結構偉いんだぜ」


カゼルは遅れ馳せながらの自己紹介をした。


「ただの中間管理職だろうが、胃が痛くなりそうで大変だな?」


アーシュライアはニヤニヤして、これまでの反撃に出る。


「チッ、可愛いげのねえ女だ」


「私は魔女だぞ?そんなものがあると思うか

?」


今度はアーシュライアが憮然として言い放った。


「フン、話が逸れたな…要するに、悪いようにはしねェから大人しく協力しろってことだ」


アーシュライアの目に映った少し顎髭を伸ばしたカゼルの顔は、顔立ちだけならそれは端正なものだった。

粗暴な振る舞いと暴虐の極みのような殺戮を演じておきながら、黙っている分には僅かながら気品さえ感じさせる。


だが、近くで見ればなおのこと、カゼルの顔を頬から鼻までを真横に裂く傷跡がその欠片ほどの気品を台無しにする。


剣ではこうはいくまい、何か物凄い力で顔を打ち付けられたような、そんな向かい傷だ。


「あ、あぁ」


話の内容とは全く違うことに意識を向けていたアーシュライアは生返事をしてしまった。

カゼルはその様子を訝る。


「なんだ?人の顔をじっと見やがって、お前や姫様のツラ程整っちゃいねェよ」


「失礼した」


「急にしおらしくなりやがったな…協力する気になったのか?」


「それは私が決める事じゃない」


「あなた方の言葉に偽りがないのなら、私達は協力します」


エーリカは言った。


「あァ、それが聞きたかった」


カゼルにも喜色が浮かんだ。

彼が戦場以外でそれを浮かべるというのも、中々珍しい光景だ。


「ですが、一つだけ…敵とは言え他者を徒に傷つけるのは、どうかお止めください」


エーリカはカゼルに対して上目遣いになって懇願した。

男であればうっかり是と言ってしまってもおかしくはない、理屈ではない断れなさ。

それを計算してのものだ。


「…俺はアンタの家臣になる訳じゃねェ、従って俺達はアンタの騎士じゃねェ。あくまで対等の協力関係だ、そこは勘違いするんじゃねェよ、お姫様」


だがカゼルはきっぱりと断った。

エーリカの輝くような銀髪、ルビーのような瞳、白磁のような白い肌。

完璧なバランスで整ったあどけなさを残す顔立ち。


それらが織り成す現実離れしたような美貌は男ばかりか、女性であっても庇護欲を誘う程だ。


だがカゼルには「その辺の女より美人」

その程度の感想を抱かせるに過ぎなかった。


「この俺に花を愛でるような神経が通ってると思うなよ、小娘」


「姫様に無礼な口を叩くな」


アーシュライアはドスの効いた声でカゼルを非難する。


「誤りを正しただけだ、そうだろ?姫様」


「……」


エーリカは無言でカゼルを見つめる。

どうやら自分の"魅了"がほとんど効果を果たさないようだ。

よもやこの男は男色家なのではないだろうか…

そんな根拠も無いことに思いを巡らせていた。


「私からも一つ言わせてもらうぞ」


「聞くだけ聞いてやろう」


「…もしお前達が姫様に危害を加えたり協定を破ることがあれば、その時私は必ずお前を達を殺すぞ」


「安心しろ、特務騎士に裏切り者は只の一人も居ねぇ」


「全て俺がこの手で始末したからな、これからもそうだ」


「お前らこそ、無惨な最期を迎えたくなければ俺達を裏切らん事だな」


「お前達が姫様に手を出さん限り、私は裏切らん」


睨み合う二人だったが、最初の頃ほど険悪には見えなかった。


「…と、ところで、そのお顔の怪我はどうされたのですか?」


しかし剣呑な雰囲気を嫌ってか、エーリカは全く違う話をする。


アーシュライアも先程その傷については少し気にかかっていた。


前回、鈍っていたとは言えアーシュライアの攻撃はカゼルに掠りもしなかった。

10人あまりのエルマ騎士達を相手にしても、この男は太刀傷一つ受けておらず、神経質そうに土埃を払う余裕さえ見せていた。


人格は破綻していても、この男の実力は自分をかなり上回る。

そんな彼にこれ程の傷を負わせるような者がそう大勢いるとは思いたくなかった。


「…こいつか?俺は生涯二度敗北した、その一度目の時のもんだ」


カゼルは右手の親指で顔の傷をなぞりながら、面白く無さそうに語り始める。


彼とて好き好んで自身の黒星を語りたい訳ではない。

しかし、ある程度身の上を話しておく事も今後の協力関係の構築に必要と考えたからだ。


「姫様にはちと刺激の強い話だと思うが、それでも聞きたいのか?」


「…はい、お聞かせ下さい」


「一度目は力に屈した、16の時だ。俺とジェラルド、あと一人マルヴォロフってのがいるが、俺達は元々傭兵でな」


滔々と語るカゼル。

アーシュライアも興味があるのか、黙って話を聞いていた。


「ルセリアンって知ってるか?」


「あなた方リサール人の祖先…ですよね」


エーリカは答える。


「まあそんなところだ、謂わば同じルセイル神から生み出された同胞…あんた等エルマ人からすればそうだろうが、実際は違う」


カゼルの声は段々と掠れたような声になっていく。

それは二人を懐柔していた時とは全く異なっていた、誰にも理解を求めない独り言のように投げ放つ喋り方になっていく。


「俺達の傭兵団はリサールの南部に拠点を構えていた、自慢じゃねえが傭兵だけじゃなく色々仕事を取ってきて上手くいってたんだぜ。だが、ある時国境守備隊を突破したルセリアンどもの襲撃を受けた」


カゼルは、暗い目になっていく。

しかしそれでも話し続けた。


「俺達は町の者を護るために、守備隊の敗走兵や援軍と合流して戦ったが、結果は痛み分け、最終的に俺達三人以外誰も生き残らなかった」


「死に損なった俺達は奴等に捕らえられた。奴等はわざわざ俺達の目の前で仲間の兵士達を拷問し、虐殺した」


「町の女達は陵辱され、老人から子供まで皆生きながら焼き殺された」


「俺はあまりの光景に怒り狂って鎖を引き千切り、棟梁の男に襲い掛かった。奴の顎を砕いてやったが、俺はその時に奴の戦鎚を顔面に受けたのさ」


顔を真横に裂く傷を、目を血走らせてカゼルは親指で強くなぞる。


「その後、俺は頭蓋を砕かれる所だったが、近隣の守備隊の応援が間に合ってな。奴等も損耗があってか引き上げていった」


「それ以来、兜は特別頑丈なものを着けるようにしてる、どうだ面白い話だったか?」


「……いいえ」


エーリカは何も言えなかった。


「二度目はある男の"剣"に屈した。それから、騎士になった」


「ある男?」


「お前に脚をやられる前のジェイムズだよ」


それだけ言い終えるとカゼルはがたりと席を立つ。


「退院したらうちの敷地を案内してやる、またな姫様とアーシュ、ライア」


カゼルは途中からアーシュライアを発音する事を諦めた。

カゼルはスタスタと病室から出ていった。

嵐が過ぎ去ったように、二人のベッドの並んだ病室は静けさに包まれる。


「……自分が酷い目に遭った…だからって、他人にそれを押し付けて良い訳がないわ」


「仰る通りです、姫様…」


二人の心には、ほの暗いものが影を落とした。

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