荒野の黒騎士

うゆちゃん

黒い狼と呼ばれる男

第1話 黒い騎士

太陽が照りつける中、男達は剣を構え向かい合っている。


そこは、戦を司る神ルセイルに産み出された好戦的で屈強なリサール人達が治めるリサール帝国。

その首都に本拠を構える、帝国の矛にして盾たるリサール帝国騎士団。

騎士団が管理する敷地の隅にある比較的小ぢんまりとした訓練場で二人は稽古をしていた。


長身の大男は、金の装飾の拵えられた帝国騎士団制式採用の甲冑、それを黒く塗り潰した鎧を着用している。


肩、胸、手甲、膝と足甲の他は革で出来た下地を着込み、動きやすさを重視した武装。

頭部には、悪魔を模したような角兜を被っている。


兜の目の開口部の周りは血を思わせる紅で塗り込まれており、とてもではないが、絵物語に出てくる騎士とは程遠く、禍々しい雰囲気を纏っている。


彼の名はカゼル・ライファン・ブランフォード


彼等は帝国騎士の中でも、生え抜きの使い手を選抜し、組織されたリサール帝国特務騎士団。その中でも前線に立つ者達を束ねる男だ。


カゼルはやや前傾姿勢で、力むことなく弛緩させた右手のみに握った剣をゆるりと構えており、膝はバネを持たせるため弛めている。


その射竦めるような目付きは、相手の打ち込みに至る一切の予備動作を見逃すまいと、相対する男の全体を余すところなく視界に納めていた。


幾度となく実戦という修羅場に身を投じてきた彼にしてみれば、それはとどのつまり訓練でしか無く、およそ殺気など放つ必要性も無い。


又、その手に握られた剣も訓練のため刃を落としたそれ用で、生身なら兎も角、甲冑を着込んだ人間を斬殺するには程遠い代物である。


それでもカゼルの隙の無い佇まいからは、只ならぬ殺気が滲み出ていた。


彼と相対する男は左目に眼帯を付け、カゼル同様、黒い帝国騎士の鎧を着込んでいる。

男の名はジェラルド・グランツヴィール


カゼルの同僚にして10年来の戦友であり、カゼルに次いで実行部隊のナンバー2である。


ジェラルドは全身を帝国騎士の甲冑に身を包み、どっしりと構えている。

その甲冑の装甲もカゼル同様漆黒に塗り潰されており、豪然たる帝国騎士といった佇まいだ。


ジェラルドもまた、カゼル同様のリラックスした構えを取っていたが、剣については両手で持ち、剣先を己の目線の高さへ来るよう構えていた。


ジェラルドの重厚な体つきのせいか、いくら訓練用と言えど、通常サイズの剣はあまりに頼りなく見えてしまう。


ではカゼルは痩身なのかと言えば、そうではない。一切の無駄を削ぎ落とされて筋張り、血管の浮き出たその二の腕の筋肉は、獰猛極まる肉食獣の前肢を彷彿とさせる。


ジェラルド程の重厚さは無いにせよ、その骨格に搭載できる筋肉を限界まで鍛え抜いた、そんな体つきだ。


そして、両腕にそれぞれ刻み込まれた厳めしいタトゥー。

右には髑髏、左には蛇だ。


そしてそれ等の周りには筋繊維に沿うよう、リサール人伝統の戦化粧を模した、トライバル柄が刻み込まれていた。


今にも飛び出して噛み付かんばかりの髑髏と蛇は意思を持ち、主人の意図を汲み取っているのかはさておき。


彫り師によって、カゼルの体へと刻み込まれた髑髏と蛇は、主の放つ殺気を増幅させしめる程の存在感を放っていた。


その時、向かい合う二人を風が撫でた。


ほんのつむじ風であったが、ジェラルドを威圧し続けていたカゼルの殺気は風に流されたか、ほんの僅かに和らいだ。


「はァっ!!」


ジェラルドはその時を捉えた。

短切に気勢を上げ、カゼルの方へ踏み込みながら剣を振り上げ距離を殺し、剣を打ち込む。

それはジェラルドの鈍重そうな体つきからは想像し難い速度で、剣は真っ直ぐにカゼルへと襲い掛かる。


これがたとえ実戦だとしても、申し分の無い一撃であった。


しかしカゼルは、まるでジェラルドの意識を覗き見ていたかのように、余裕をもたせてその打ち込みに応じる。


剣を打ち返すように、左手を添え右手の剣でジェラルドの剣を左薙ぎに迎え撃ち、勢いに任せた右手首にスナップを効かせ、ジェラルドの剣を弾き返す。


ジェラルドは腕ごと剣を弾かれ、やや体勢を崩す。それ故再び剣を構え直すまでに手間取った。


その隙を見逃さず、カゼルは返す刀で袈裟懸けにジェラルドへ斬りかかる。

カゼルの打ち込みはジェラルドのそれよりも尚熾烈で殺人的だった。


剣で甲冑を叩き付ける音にしてはあまりにも鈍い金属音が響く。


「畜生ォ!痛ってえ!てめぇカゼル!ちったぁ手加減しろ!」


「手加減してたら、訓練にならねえだろうが」


彼らリサール帝国特務騎士団は、従来の帝国騎士では達成し得ない任務を遂行するため新設された騎士団で、いずれも劣らぬ猛者揃いだ。


しかし彼等の任務の苛酷さはリサール帝国騎士団の比ではなく、入団の基準を満たせる者も、地獄の様な特務騎士課程を無事卒業出来る者もそう多くないため、常に人材不足に悩まされている。


前衛達を束ねるのはカゼル、カゼルの補佐としてジェラルド。

本来はもう一人、マルヴォロフ・タッシェア―ノと言う常に鉄仮面を被った陰気な男もいるのだが、彼は潜入調査に出張っており、現在は留守だ。


「オジキが昼から急ぎの案件だとよ、ちゃっちゃと片付けて行くぞ」


「イテテ…それが分かってんなら、ここまでやらなくてもいいだろ…」


「出撃前の肩慣らしだよ」


カゼルが言うところのオジキ…

特務騎士団の団長を務めるのはジェイムズ・ドレッドボーン。

彼は齢50を過ぎて漸く現場を退き、特務騎士団の団長職に就いている。

団長とは言っても、監督者としての側面が大きく、彼が前線に立つことはまずない。

それは、予てより負傷していた膝が加齢と共にいよいよ悪化し、現場を離れざるを得なかった為である。


「皆集まったな?」


「ハイ」


カゼルとジェラルドは特務騎士団の事務室その隣にある作戦室にて席に付いた。

隊のメンバーも同様に席に付く。

早速カゼルは煙草の木を咥え、火を付ける。

事務室は禁煙だが、作戦室についてはその限りではない。


特務騎士団が直接関わる事はなかったが、帝都に住まう者なら一度は護衛という名の監視を引き連れて、近郊に緑をもたらす少女の姿を何度か目にした事はあるだろう。


「今回の資料です」


改めて外見的特徴、プロフィール、経過時間や目撃情報から推定される現在の位置を記した書類が事務係の女フェイ・イーリアスによって彼等に配られる。


事務係といっても、このように作戦に関わる情報をまとめ、騎士達に分かりやすく伝えるのも彼女の仕事だった。


カゼルはフェイ軽く礼を言って書類を受け取り、目を通す。


「今回の件だが、緊急を要する事を理解しろ」


ふんぞり返って煙草を味わいながら書類から情報を得て、今回の任務の内容を概ね掴んでいたカゼルだが、流石に顔はジェイムズの方を向いた。


彼は、別段ジェイムズを軽んじている訳ではない。


ならば、この不遜な態度はなんなのか?

それは彼の性根の歪み具合をそのまま表している。


「エーリカ姫とお付きのアーシュライアが例のお勤め…帝国領の緑化作業の最中に、監視を倒して脱走したそうだ」


エーリカ姫とは、リサール帝国の西隣国、エルマロット魔法王国の王女である。

15年前のリサールによるエルマロット侵攻戦の際、姫の面倒見役だったアーシュライア共々、当時近衛騎士であったジェイムズが捕虜にした。


その後、現在に至るまで二人はリサール帝国によって軟禁されており、荒れ地と砂漠ばかりが広がるリサールの国土を蘇らせるため、姫は大地の精霊の始祖(グラウンドスピリット・ロード)

アーシュライアは上級の水の精霊(ハイ・ウォータースピリット)を使役させられている。


要するに、二人はリサール帝国に囚われ、荒れ果てたリサールの砂漠と荒野を魔法によって修繕する事を強いられているのだ。


「騎士団の連中は?」


二人の身柄は帝国騎士団が管理していた。

責を果たせない者達を糾弾するように、カゼルは紫煙を吐き出しながら、短く問う。


「追跡に出た騎士団の分隊がコテンパンにやられ命辛々帰って来たのがついさっきの事だ、聞けばアーシュライアにやられたそうだ」


「あのいっつも姫様にくっついてる女ですか」


とジェラルド。


アーシュライアとは、エーリカ姫の側近を務めるエルマ王国の姫の魔法の師匠でもあり、当然本人も魔法に精通する魔女であると同時に、自身の身の丈程もあるハルバードを軽々と振り回すエルマ王国の女騎士だ。


彼女の身上については、エルマロット王国北部の魔女達が暮らす小さな集落だが、故あってエーリカの母エルザに仕えることになった。

エルザの死後も引き続き王家に忠誠を尽くし、娘のエーリカにも仕えており、現在に至る。

外見的にはその艶やかな黒髪、碧眼とエメラルドグリーンのオッドアイが特徴である。


だが、それ以外の年齢などのプロフィールはまるで塗り潰されたように抜け落ちている。


一つだけ確かなのは、その麗しくも妖しげなルックスは、リサールに連行された15年前から全く変わりがないと言われており、彼女が魔女だという話に信憑性を持たせている。


「少々おいたが過ぎるようで」


カゼルは獰猛な表情を浮かべ くく と含み笑いを漏らす。

いくら魔法が使えるとは言えども、女騎士一人に叩きのめされてしまった帝国騎士達の軟弱な有様に失笑を禁じ得なかったのではない。


今回の"獲物"は屈強なリサール人の騎士達を蹴散らす程の相手だ、退屈を何より嫌う彼は嬉しさを隠せなかった。

彼は強者との戦いに人生の歓びを感じる男だ。


ジェラルドはというと、黙って上官の話を聞きながら、書類に目を落としている。

彼は彼で、如何にして彼女等を確実に拘束するか考えているようだ。


「騎士団で手に負えないとなりゃ、ウチの出番だ。カゼルが指揮をしてジェラルドも随伴、隊総出でエーリカ姫とアーシュライアを拘束しろ」


「了解。アーシュライアの方は腕の一本くらい切り落としても構わんのでしょう?」


何の気なしにカゼルは言う。

強者との戦いはさておき、今後アーシュライアが暴れて脱走など出来ぬようにと彼は気を利かせたつもりなのだ。


「あのな、駄目に決まってるだろ?二人はリサール帝国が"保護"してるってのが一応の建前なんだぞ」


「ハハハ、特務(おれら)をけしかけて 保護します って無理があるだろ、オジキィ」


「ふん、人の揚げ足ばっか取ってねえでとっとと捕まえてこい、推測だが脱走を手引きした連中も近くに居る筈だし、アーシュライアは手練れだぞ、用心して掛かれ」


ジェイムズは自分の膝の辺りを手で叩いて見せる。

15年前、彼女達二人を捕虜にしたのは当時近衛騎士を務めていたジェイムズの分隊だった。


まだ幼いエーリカを連れて逃走を図るアーシュライアはジェイムズ達に捕らえられ、二人はリサール帝国に囚われの身となっている。


その時に、不意を突いたとはいえ交戦したジェイムズの脚に後遺症を残すほどの重傷を負わせたのはアーシュライアその人なのだ。


*


「恐らくそこまで遠くには行けない筈だ」


「何故だ?」


「元素精霊の召喚魔法ってのは、相当マナを喰うらしい、今朝はお勤めで一回、騎士団を撃退するのに最低二回、既にアーシュライアはそれなりのインターバルを要する状態の筈だ」


下馬しながら、ジェラルドがカゼルに確認する。


首都近郊を離れれば、リサール帝国の領土はひたすらに砂漠と荒野が広がっている。

首都の繁栄と真逆に人の気配は皆無に等しく、荒れ果てた土地だ。


この西部をうろつく者は、戸籍さえ持たないリサール人の無法者か、戸籍はあれど脛に傷のある者、或いは余程人目を避けて暮らしたい者といったところ。

つまりほとんど胡乱な人間だ。


この西部は、ここで暮らす人間に出くわしたならば、間違っても身なりのいい女の二人組が何事もなく通れるような治安状況ではない。


カゼルら特務騎士団の小隊10名は、帝国騎士達が撃退された地点から最も近くの集落を目指した。


時刻は既に日暮れ、このまま日が沈めば二人の捜索は困難になるだろう、放たれた猟犬達の狩りは急を要された。


「ふん、追手が迫れば死に物狂いで抵抗するもんだろう」


「姫様のグラウンドスピリット・ロードとアーシュライアのハイ・ウォータースピリットを同時に相手取れば俺達も無事じゃ済まんだろうな」


「スピリットを召喚させるのがそもそもの悪手だ、とっととぶちのめすに限る」


「アーシュライアはともかく、姫様を痛め付けるのはナシだぞ」


ジェラルドは共に傭兵だった頃から、カゼルの残忍さを目の当たりにしてきた。

彼は自分達に刃向う者はたとえ女子供であれど無惨に殺し尽くす。


彼はその恐ろしげなタトゥーで彩られた腕っぷしの強さだけで、帝国騎士をのしあがってきた男だ。

拘束しろと言われた相手さえ口が聞ける他は何も出来なくなるまで痛め付けたり、リンチする等はほんの茶飯事である。


その類い稀な暴力性、敵に一切の容赦を持たない残虐性が彼の強さの源泉だ。


一体ジェラルドは何度カゼルを諌めただろう。

彼が暴力行為をやめるとは思えないが、こんな男でも帝国特務騎士、西部の無法者どもより幾分話は通じる。


「フン、生け捕りが一番難しいんだぞ」


「……程ほどにってことだ それより見つけたぞ 輝く銀髪に血の様な赤い瞳、影武者の立てようもないな」


ジェラルドが遠くを指差す方向には、二人組の女がいた。

重い足取りからはその疲労の程が見てとれる。


「慣れないリサール横断の旅でお疲れのようだな。あの様子なら、説得すれば応じるか?」


「お前が人様を威圧する以外出来るとは思えんが…まあ、試してみればいい」


「まあ見てろ」


カゼルは物陰に隠れ、足音を殺して二人に接近し始める。


ジェラルドはカゼルの説得が成功するとは夢にも思っておらず、小隊のメンバーを呼び集め何やら指示を下していた。


*


「アーシュライア、水を頂戴」


「どうぞ、一気に飲むとかえって喉が乾きます どうか少しずつお飲み下さい」


「ありがとう」


アーシュライアは自分の水袋を主へと手渡す。

この焼け付くような気候の中、追っ手を振り払い荒野を逃亡してきたが、エーリカの体力が一番の懸念だった。

自分の水分補給を後回しにするほどに。


「姫様、エルマ騎士達との落ち合い場所までもう少しです」


「…もうリサールでの生活にはうんざり、急いで合流しましょう」


二人は、なるべく日陰を歩くようにしていた。

日中にリサールの荒野を行くのなら当然の心得だ。

しかしそれ故に、カゼルの接近を許すことになってしまった。


「それは残念だな、姫様のリサール生活はまだまだ続くというのに」


カゼルは潜んでいた物陰から立ち上がると、その大柄な身体から想像も付かないほど素早くエーリカに詰め寄った。

まるで影が形を取ったかのような滑らかで意表を突く動きに、エーリカもアーシュライアも約一秒間反応が出来なかった。


「白金のような銀髪、血の様な赤い瞳。お散歩中のエーリカ姫で間違いないな?」


「追手!?」


「姫様から離れろ!」


アーシュライアは反応の遅れを取り戻すべく、手に握るハルバードで一切の容赦なくカゼルに斬りかかる。


カゼルは半歩だけ足を後方に下げて半身になり、必要最小限の動きで難なくそれをかわす。


「お前がアーシュライアか、いきなり物騒な事だ…俺はあんた等をお迎えに馳せ参じた帝国特務騎士のカゼルってんだ、よろしくな」


全く気に留めず、カゼルは軽く挨拶をして見せた。

確固たる殺気の籠った一撃だったが、彼の首を落とすにはとてもではないが鈍過ぎた。

その鈍りから魔女アーシュライアの消耗は明らかである。


実際彼女達は、ここまでの道中リサール西部の荒野を跋扈する賊やならず者、そして追跡に出た帝国騎士の分隊に何度も襲撃され、その度にアーシュライアが斬り伏せてきた。


多勢に無勢であってもハイ・ウォータースピリットを召喚して共に戦えば問題にはならない。

いざとなればエーリカのグラウンドスピリット・ロードに捩じ伏せさせれば良い。


しかし側近としては姫の消耗を避けるため、また自らもマナを温存するべく、アーシュライアは単身姫を庇いながら応戦してきた。


飲料水はウォータースピリットから用立てれば尽きる事はない。

食料は襲撃者達から奪い取った。

しかしスピリットを召喚するのにも、使役するのにもマナを消耗する、そして消耗したマナを補充するには休息が必要だ。


それも、出来ればこんな地の果てのような荒野ではなく、生まれ故郷のエルマ北部の山々なら大気中のマナ濃度が高く快復も捗るのだが。


追っ手から逃げるため女の脚でぶっ通し荒野を進み続けてきたのだ、疲労があって当然である。


結局の所、いくら手練れと言えども元素精霊(スピリット)さえ呼ばせなければ、温室育ちの小娘と弱りきった魔女一人を捕らえるなど、特務騎士の精鋭達にしてみれば鶏の首をハネるより簡単な仕事。

カゼルはたかをくくっていた。


「特務騎士?」


「帝国議会直属の殺し屋集団です姫様、彼等の通った後は灰と屍しか残らないと言われている連中です」


「極めて心外だな、俺達は腑抜けた帝国騎士のバカどもの尻拭いをしにきただけだ。大人しくすれば危害は加えん」


「…」


「…」


二人は不信感を露に苦い顔をして見せる。


大柄で厳つい黒鎧。

腰に差した長剣と背負う大剣。

タトゥーの刻み込まれた腕を組んで、悪魔のような角兜越しに語りかけてくるカゼルの姿を見て、信用しろと言われても難しい話だった。


「そもそも、お二方はリサール西部を越えて国境まで女二人旅か?自殺行為に等しいぜ」


しかしカゼルは説得を試みるべく両手を広げ、掌を見せながら敵意はないことをボディランゲージしつつ話始める。

特務騎士側には頭数がある、たとえ死に物狂いで抵抗されようとも、強引に捩じ伏せる事は出来よう。

しかし疲労困憊の彼女らが無理にスピリットを召喚し力尽きてしまっては意味がないし、交戦してうっかり斬り殺してしまうなど論外である。

あくまで目的は生け捕りなのだ。


「荒野の汚ならしい賊どもに取っ捕まったらどんなに目に遭うことやら、監禁生活といえど如何に恵まれてたか理解させられると思うぜ」


「そうさせない為に私がいる、貴様ら帝国騎士だって大層な甲冑を付けている以外賊どもと大差ないだろう」


アーシュライアはあくまで拒絶的だった。

その陰に隠れるエーリカもまた同様である。


「ハハハ、エルマロット王家の飼い犬に成り下がった魔女風情が…吠えるじゃねえか」


カゼルは愚劣な賊党と同列に扱われたことで早くも頭に血が昇ったのか、渇いた笑いをこぼしながら剣に手を掛ける。


「ならば精々姫を護ってみろ、番犬」


早々に説得を諦めたカゼルは片手で大剣を抜き放ち、獰猛な殺気を放つ。

否、殺気を抑えるのを止めた。


190cmを越える長身にその筋骨隆々の体つき。

悪魔のような角兜に漆黒の甲冑、腕の甲冑の隙間から覗く髑髏と戦化粧のタトゥー。

そして照り付ける太陽の光を受けているのにも関わらず、限り無く凍てついた殺意の輝きを放つ彼の大剣マスティフ。


ここまで来ると、その姿は騎士などではなく地獄から這い出してきた悪鬼羅刹の類いである。

そしてこの禍々しい見てくれは全く以て伊達ではない。

戦闘能力だけで語るならば、彼は屈強なリサール人の騎士達の中でも一、二を争う使い手だ。


たとえアーシュライアが姫を見捨て、尻尾を巻いて逃げ出したとしても誰も咎める事は出来ないだろう。

彼が大剣を構える姿には、それほどの迫力、それほどの圧力があった。


しかしアーシュライアは子を守る母猫のように、毅然としてカゼルの前に立ちはだかり、エーリカを庇う。


アーシュライアの背後に隠れていたエーリカは、カゼルの放つあまりに濃密な殺気を感じ取って怖じ気づいた。


タトゥーも手伝い膨れ上がっていくカゼルの殺気が、その凶悪な牙を剥こうとしたその時。


カゼルのそれと同じ様な黒鎧を身に付けた騎士達がゾロゾロと現れてきた。

ジェラルドは焦った様子でカゼルに報告する。


「カゼル!脱走を手引きしてた連中だ、エルマの騎士どもだ!すぐ近くまで来てる」


ジェラルドが引き連れてきた特務騎士達は自分達の戦う相手が出来て嬉しそうな顔を隠そうともしなかった。

逆を言えば、ジェラルドのような冷静な頭脳派はリサール人には珍しい。


「お前らで対応しろ、俺はこの女をミンチにする」


カゼルは見向きもせず答える。


「バカか!説得はどうした?殺すなって言われてんだろ!」


「コイツは特務騎士団(おれたち)を虚仮にした、思い知らせる必要がある」


「殺るなら騎士どもを殺れッ!俺が拘束する!」


「チッ…ツヴィーテ、エルヴィノ来い!エルマ騎士の軟弱どもを血祭りに上げるぞ」


ジェラルドに叱責されたカゼルは瞬時に自身の役割をアーシュライアの拘束から、彼女達の手引きをした者達の排除に切り替えた。


カゼルが呼んだのは比較的経験の浅い二名である。

ジェラルドの下には手垂れの特務騎士が六名残る形となる。


「はっ」


「ジェラルドォ!でかい口を叩いたんだ、とっととその番犬女を痛め付けて拘束しろ!俺が戻ってくる前にな!!」


カゼルは殺意の残滓を吐き散らすと、二人を引き連れジェラルドの言ったエルマの騎士達が来たという方向へズカズカと歩いていった。


「喧しいのが行ったところで…エーリカ姫と側近のアーシュライアだな?ご同行願おうか」


配下の特務騎士達も剣を槍を構え、エーリカとアーシュライアを取り囲む。


「……来い!」


アーシュライアは彼等の内輪揉めの最中、覚悟を決しウォータースピリットの召喚のための詠唱を行っていた。

そして今、丁度詠唱を終えたところだった。


アーシュライアの前方からは、荒野の地面から想像も付かないほど水が溢れだした。

アーシュライアを取り囲んでいた特務騎士達は、突如沸き立った水に驚き、包囲を解いて後退してしまう。

水はある程度沸き立つと、意思を持ったかのように人間の女の形を型どる。

そのサイズは概ね身長170cm程度のアーシュライアと同程度の大きさ、つまり元素精霊にしてはかなり大きいものだ。


ハイ・ウォータースピリットを召喚したということは、当然投降の意思はない。

ジェラルドは嘆息しながら号令をかける。


「うだうだやってる間に召喚されたじゃねーか…お前ら、やるぞ!」


アーシュライアは機先を制して、先程から一向に後手後手のジェラルドに対しハルバードで斬り掛かる。

同時にウォータースピリットも特務騎士達に向けて高圧の水弾を放つ。


*


「リサールのクズども!姫様を解放しろ!」


「まだ捕まえてねえよ」


真っ先に気勢を上げ、カゼルに大根切りの要領で飛び掛かったエルマ騎士の青年の末路は無惨なものだった。


カゼルは、彼の飛び掛かりに対して一歩踏み込んで体軸を外し、彼の懐に入って一撃をかわすと同時に両手にしていた二刀の剣で突きを放つ。


空中で身動きがとれなかった青年は、一撃をかわしたカゼルに甲冑に覆われていなかった側腹を突き刺され、激痛のあまり悲鳴を上げながら剣を取り落とす。


「フンッ!」


カゼルはすぐさま、青年の体を貫通していた二刀の剣の持ち手を入れ替え、左右に切り払った。


哀れにも姫を助けるため馳せ参じたエルマ騎士の青年は腰から下、

"まだ"生きたまま真っ二つに切断される。


「ぎゃあああァ!!」


血飛沫と内臓を撒き散らしながら青年は地面に激突する。

同僚の凄惨な末路にエルマ騎士達はたじろいだ。

カゼルら三名は、その恐怖の匂いを嗅ぎ付け、そのまま機先を制する。

そして、彼等は血に飢えた狼のように一挙に襲い掛かった。


浮き足だったエルマ騎士は、カゼルが右手に持つ大剣マスティフに兜を叩き割られ、胸の半ばまで、まるで薪のように真っ二つに斬り殺される。


同僚の仇を討つべくカゼルに斬り掛かった男は、背後を取ったツヴィーテの一撃を受けて、思わず前方に仰け反る。


カゼルは左手のマスティマでその隙を、的確に喉元を突く。


間欠泉のような血飛沫を上げ喉を抑える男。

カゼルはマスティマを引き抜き、代わりに右手のマスティフを振り下ろす。

鋼鉄の兜を容易くカチ割り、胸甲を砕き胸の半ばまで叩き斬った。


戦いなどではなくただ一方的な殺戮だった。

そして、それは生きている者がいなくなるまで続いた。

恐慌状態で逃げ出した者はその背をカゼルの隠し持ったボウガンで狙撃され、トドメを刺される。


「何人殺った?俺は7人」


カゼルは死体のマントを引き千切り、自分の甲冑や剣についた血糊を拭き取りながら部下に話しかける。


「俺は2人です」


とエルヴィノ。


「俺は1人…」


ツヴィーテは申し訳なさそうに言った。


「なに上等だ、さてさっさと戻……こいつ、まだ息があるじゃねえか、どっちが仕留め損なった?」


死んだふりをしていたように静かだった男をカゼルは剣先で小突く。


「頼む…助けて…殺さないでくれ…」


「すみません隊長、とどめを刺し損ねてました…」


申し訳無さそうに失態を詫びるエルヴィノ。

だがカゼルは瀕死の男に突き付けた剣を鞘に納めると、むしろ機嫌を良くする。


「……いいや、謝ることはねえ」


カゼルは腰のポーチから包帯を取り出すと、負傷した男の武器を取り上げ、応急処置を行った。

そして、およそ救命を行った後とは思えぬ残忍な笑みを浮かべる。


「良い事を思い付いた、コイツは連れていくぞ」


エルヴィノとツヴィーテの二人は新人ながら、既に自分達の上司がどういう人間かは理解していた。

この上司が敵にトドメを刺さない時というのは、大抵の場合なぶり殺しにする時だ。


*


一方ジェラルド達は7人がかりでアーシュライアとハイ・ウォータースピリットと交戦していた。

しかし彼らは数の有利を得ながら、どうにも攻めあぐねている。

何しろ、ハイ・ウォータースピリットに対して剣戟は全く意味を成さない。

水で構成された元素精霊にいくら刃を振りかざしたところでただその体を通り抜けるだけだ。


それでも水を散らし形状を崩すことで、いくらか動きを鈍らせる事はできる。

だがそれも一時の物で、散らした水はしばらくするとまたスピリットの体を構成するように戻っていく。


水スピの使用する水属性魔法がこの渇いた荒野で大規模な威力を発揮することはない。

だが少量でも超高水圧の水弾を撃ち込まれれば、容易く甲冑ごと風穴を空けられるだろう。


ジェラルド達はそれを警戒し、攻撃と妨害の手を緩めることこそ無いが、必要以上に慎重になってしまっていた。


アーシュライアはというと、水スピを前面に押し出し、水スピの動きを止めようと攻撃した者にリーチを生かしたハルバードの突きをお見舞いするという巧妙なカウンター狙いの戦術を取っていた。


ハルバードの突きを受けるか弾くかさせて動きを止めた所に、水スピが水弾を頭か胴体へ撃ち込めば即致命傷という寸法だ。


「巧い女だ、戦い慣れてやがる…お前ら!無理はするな!」


ジェラルドはあたら部下を捨て石にするつもりはなく、あくまで被弾を避ける様指示を下す。

特務騎士達の妨害の手が止むと、フリーになった水スピが牽制がてら水弾を撃ち放つ。

特務騎士達も心得たもので、遮蔽物に飛び込んだり、地面に伏せて回避を試みる。


超高水圧の死の雨から避難した者の中で、最もアーシュライアの近くにいた者に、水スピの背後から飛び出したアーシュライアは斬り掛かった。


彼はすんでの所でハルバードの刃を剣で受け止める、そして他の者達はこぞって援護に入り横槍を刺す。

そうするとアーシュライアは危険は冒さず、元いた水スピの背後へと飛び戻る。

その間に特務騎士達は体勢を立て直した。


ジェラルド達はあくまで待ちの一手だった。


「副長、このままじゃジリ貧です、あんな水かけいつまでも避けられません!」


「いいや、ジリ貧なのは向こうの方だ」


アーシュライアは既に肩で息をしている有り様だった。

連戦に次ぐ連戦、本日三回目の水スピ召喚で体力的には限界に近かった。


それでもエーリカを庇い、特務騎士達7名を相手に果敢に立ち回っていたが、マナ切れで水スピの自然消滅を狙って防御に徹する彼等に対してまるで有効打を与えられずにいた。


「アーシュライア…私もスピリットを召喚します!」


「…ハァ…申し訳…ありません…」


「もうやめとけ、俺達の目的はあくまでもあんたらの身柄だ」


ジェラルドとて余裕はない。

戦況は特務騎士達に有利だったが、それはほんの紙一重の物だ。


弱りきった女一人とハイ・ウォータースピリット一体に対し7名がかりで未だ確保出来ずにいるのがその証拠だ。

この上、エーリカ姫のグラウンドスピリット・ロードまで相手にすることになれば、捕縛どころか、撤退まで考えなくてはならないかも知れない。


だが、ジェラルドは内心の焦りをひた隠し、あくまで絶対的な有利を装って投降を呼び掛ける。


「俺はあの猪野郎と違う、あんた等を捕まえるのが任務だ、大人しくすれば危害を加えるつもりはねえ」


「貴様等リサール人の言うことなど信用できるものか!」


アーシュライアは、ハルバードの柄で杖をつき立っているのがやっとという有り様だったが、怒りが闘志を燃やしたのか、再び体を起こすと斧槍を構え直した。

貴様等に従うくらいなら死を選ぶ、そのオッドアイの瞳が語っていた。


「これ以上戦ってお前が倒れれば、それこそ姫様が無防備じゃないのか?」


「アーシュライア、時間を稼いで下さい!私も召喚します」


「これ以上抵抗するなと言っている!」


「断る!」


「強情だな、クソ!」


「姫様!私が時間を稼ぎます…!」


側近の決死の覚悟を聞き届けたエーリカは、グラウンドスピリット・ロード召喚の詠唱を始める。


それに合わせてアーシュライアもウォータースピリットになにやら指示を下した。


「水スピは俺が止める、お前らは姫の詠唱を止めろ!」


しかし、水スピの様子がおかしかった。

マナの消耗を抑えるためか、小型化していたアーシュライアの水スピは再び元のサイズに…どころかその身体が大きく膨れ上がる。


「まずい、伏せろ!」


ジェラルドが叫ぶが早いか、膨れ上がった水スピの身体の前面は、凄まじい爆裂音を立て弾け飛ぶ。

高圧の水弾を前方約180°アーシュライアとエーリカを取り囲もうとした騎士達に向けて撒き散らす。


地面に飛散すれば激しい土煙を上げる程、その飛び散った水の勢いは凄まじかった。


「うわッ!?」


ジェラルドは地面に飛び伏せて難を逃れようとしたが、水弾の何発かは甲冑を撃ち抜きその身を貫いた。

鋭い痛みが走り、苦痛に顔を歪ませながらもすぐさま立ち上がる。


「全員無事か!?」


直ぐ様部下の安否を確かめるジェラルド。

4名はすぐに返事をしたが、皆の絞り出したような声音からは相当なダメージを受けていることが察せられた。


回避が遅れた特務騎士達の中には、飛び散った水弾をまともに浴び、首から上が弾け飛ぶ者。

爆裂の衝撃で水弾を身体中に浴びながら壁へ叩き付けられる者がいた。


「ガーラス!ブライ!殺られたのか!?」


ジェラルド含めた7名の中に無事な者は一人もおらず、内二名は絶命しているのかピクリとも動かなかった。


水スピはそれを最後に人型を保つことを止め、ただの水になって、地面に染みを作り姿を消す。


「ゲホッ…むしろ、チャンスだ、姫の詠唱を止めろ…!」


先程の優位を完全に失って最早何の余裕もないジェラルドだったが、あくまでその指示は彼の脳の冷静な部分をフル稼働して下したものだ。


「させん!」


アーシュライアも水スピの召喚を解除して幾分か体力に余裕が生まれたのか、先程よりも強烈な一撃をジェラルドに見舞う。


ジェラルドは、被弾した左肩から下をだらりと垂れ下げ、右腕のみで剣を振りかざしてアーシュライアの攻撃を弾こうとしたが、重い一撃を捌き切れずにたたらを踏んだ。


しかしアーシュライアは深追いはせず、エーリカの方へバックステップを取り、ハルバードを最低限の力で振り回して、反撃を仕掛ける負傷した騎士達を牽制した。


いよいよ騎士達が攻めあぐねている内に、エーリカの詠唱は終わり、グラウンドスピリット・ロードは姿を現す。


「大地の精霊の王よ、アーシュライアを助けて!」


突如、渇いた地面から苔むした樹木が生え立ち3m程あるだろうか、巨大な男の姿を形どる。


「なんだコイツは…冗談だろ?」


それは、アーシュライアのハイ・ウォータースピリットよりも巨大で力強く、マナを感じ取れないリサール人のジェラルドにさえ、姿形だけでその力の強大さを理解させた。


グラウンドスピリット・ロードがただそこに立っているだけで、足元からは新芽が生え、草が茂り始める。

そして、主人たるエーリカを守るようにジェラルド達の前に敢然と立ちはだかる。


限界に近かったアーシュライアはエーリカの前にしゃがみ込み、ぜえぜえと息を荒げていた。


(成る程、リサールの死んだ大地さえ蘇らせる訳だ…)


ジェラルドは、そんなことをぼんやりと考えていた。


世に魔法と自然の恵みをもたらした女神エルマが、最初に作り出した元素精霊達の王。


スピリットには火や水などの種類があるが、その中でもこの化け物は大地を司る。

いずれもロードともなれば、人間がまともに戦って勝てるような存在ではない。


ジェラルドはロードを召喚された時点で撤退するしかないと思ったが、ロードの纏うマナが伝播し足下に生え立った若木や蔦がガッチリと絡み付いて、既に逃げることさえ敵わなかった。


ズシりと重量感たっぷりにジェラルドへと歩み寄ってくるグラウンドスピリット・ロード。

近くで見れば尚更、その圧倒的なマナで肌がピリピリと熱を感じる。


「この木偶の棒がァ!」


死を覚悟したジェラルドは、せめて一太刀。

渾身の力で右手の剣をロードに打ち込んだが、その元素精霊の王はびくともしなかった。

ジェラルドの剣には、ロードが身に纏う蔦が絡み付き始める。


「あー、やっぱ勘弁してくれねえか?」


グラウンドスピリット・ロードはその樹木で出来た腕でジェラルドに殴りかかった。

ジェラルドは下半身を植物に絡め取られており、その一撃を避けることも身をよじって衝撃を逃がすことも出来ず、猛烈な勢いで襲い来る樹木の拳の直撃を受けてしまう。


「ぐッ…は…」


「ジェラルドさん!!」


ジェラルドは下半身に絡み付いた植物のせいで倒れる事さえ出来なかった、しかし彼は頭を強く打ち付けられ、目には星が映り、耳は鳴り響き、脳は震盪した。


グラウンドスピリット・ロードの一撃は常人なら即死で当然の破壊力だった。

だが、彼の甲冑も兜も人一倍装甲が厚い頑丈な造りで、それは彼の肉体も又同様だ。

お陰で彼は何とか命を繋いだが、ロードは既に次の攻撃の態勢に入っている。


このリサールの荒野で命を落とした者の末路は骨まで乾いて砕け散り、荒野を舞う砂塵と成り果てるのみ。

ジェラルドも荒野の砂塵の仲間入りをするまで秒読みと言うところだった。


「ジェラルドォ!!何やってる!!!」


ジェラルドが命を断たれかけた瞬間、雷鳴のような怒号が響き渡る。

ビクりと身を縮みこませるエーリカ。

その凄まじい迫力には、圧倒的な力を持つロードさえ一瞥をくれる。


カゼルは長剣マスティマの刃を先程救命したエルマ騎士の首に当て、エーリカを脅迫する。


「姫様よォ!今すぐそのデカブツの召喚を解除しろ、さもなければこいつの首をハネる!」


「姫様…俺に構わず…!!」


掠れた声を張り、エーリカに呼び掛けるエルマ騎士の男。

しかし、自分達のリサール脱出の為に戦って傷ついたその姿を見て、エーリカは彼を見捨てる事ができなくなってしまった。


「…その人を放して!」


「あァ?俺は召喚を、解除しろっつってんだ!」


カゼルはエルマ騎士の首に突き付けていた長剣マスティマでエルマ騎士の脚部を突き刺し、まるでレバーでも引くように柄を左右に振り回す。


「ぐわあああァ!」


マスティフよりも操作性と切れ味で優るマスティマの鋭い刃がゾブリと肉を裂き、腱や筋がブチブチと音を立て断ち切られる。


「ハハハハ!次は左脚か、右腕がいいか?心配するな、動脈は外してる!」


「やめて!!」


そう、カゼルは戦闘不能になったエルマ騎士を交渉の道具にするために生かしておいた。


今、カゼルの良心は全く痛みを感じていない。

一人を痛め付けるだけで、五名の味方の窮地を救う事が出来るならば、むしろこの捕虜への虐待は善行だとさえ捉えていた。


「隊長、副長達はこっぴどくやられたみたいです」


「ああ、お前ら二人で負傷した連中に応急処置をしてやれ」


「はっ」


部下に指示を下すと、カゼルはエルマ騎士の脚部に刺しっ放しにしていたマスティマを呵責なく引き抜く。

呻き声を上げるエルマ騎士の下半身はみるみる真っ赤に染まり、渇いた大地に赤茶けた染みを作っていく。


カゼルは剣の血を払って人質のマントで拭いながら、エーリカへの脅迫を続ける。


「さて、どうする姫様?自慢じゃないが俺は人を殺すのも、殺さないように切り刻むのも得意だ」


「もうやめて…!召喚をとめます…その人を助けて下さい…」


「ああ、そのデカブツが消えたらコイツを"助けて"やるよ」


エーリカは言った通りにロードへのマナ供給を止めた。

心配そうにエーリカを見つめるロードだったが、供給を止められれば立ちどころにただの人の形をした木へと変わっていった。

しかし、ロードがもたらした植物達は未だ生い茂ったままである。


身動きの取れなかったジェラルド達は一つ安堵した顔で脚に絡み付いたロードの置き土産を取り外しにかかる。


「よし、約束通り助けてやるよ」


カゼルはロードの召喚解除を見届けると、マスティマを鞘に納め、大剣マスティフを抜き放った。

そして、処刑人のように剣の重量を存分に乗せた一振りで、瀕死のエルマ騎士の首を切り飛ばし彼の苦痛をそれっきり終わらせた。


「何で!!助けると言ったのに!!!」


「あァ?ちゃんと苦しませず逝かせてやったじゃねェか」


エーリカはカゼルが何をいっているのか、その理屈が全く理解できなかった。

血の通わぬ悪意を目の当たりにして目眩さえ感じた。

この残虐性はいったいなんなのか?

昏い恐怖が込み上げてくる。

エーリカは嘔吐感を覚え咄嗟に手で口を塞ぎ、しゃがみこんでしまう。


「おいジェラルド、無事か?」


「…死にかけだ」


「ケッ、情けねえ野郎だ…さっき 俺が拘束する! とか言ってなかったか?」


カゼルは彼を罵りながら、ジェラルドに水と傷薬、包帯を投げ渡す。

一方エルマ騎士達を皆殺しにし、主人(あるじ)に惨劇を見せ付けたカゼルの暴虐に対しアーシュライアの堪忍袋は限界を迎えていた。


「アーシュライア、駄目!」


「貴様あァ!!」


激昂したアーシュライアはエーリカの制止を振り切り、消耗しきった身体を怒りだけで突き動かし、猛然とカゼルへ斬り掛かった。


それに対してカゼルは"処刑"に使った大剣マスティフを両手で横薙ぎに振り払い、その重みを十全にぶつける。

その一撃は火花を散らしハルバードどころかアーシュライアを、その怒りごと弾き飛ばした。


「…何でこの女がまだ五体満足なんだ?ジェラルド」


カゼルは壁に激突しヒュウヒュウと浅い息を繰り返していたアーシュライアに詰め寄ると、彼女の右腕を甲冑で覆われた足で思い切り踏みつける。


枯れ木を踏み砕くような乾いた音が鳴り響き、アーシュライアは悲鳴を上げた。


「い…ぎッ…!」


「ぬりぃ事やってるからやられちまうんだろうが!」


100kgを超えるカゼルの踏みつけである。

骨折は免れないだろう、激痛がアーシュライアを襲う。


「ガーラスとブライは殺られたのか…やはり、貴様の腕は一本ぐらい落としておくべきだな」


カゼルの右手に握られたマスティフが鈍く冷たい輝きを放ち、それを見たものに彼の殺意の程を余すことなく伝える。

彼は腕と言いつつ、アーシュライアの首を切り落としても全くおかしくない雰囲気だ。


「…止せカゼル!ゲホッ…そいつを殺すんじゃねえ!」


「もうやめて下さい!アーシュライアを殺さないで!」


ジェラルドは先程のダメージから回復していない、それでも叫んだ。

エーリカは涙ながらにカゼルに懇願する。

二人は敵同士だったが、今このカゼルの殺戮を止めたいという点で目的は一致する。


「フン、ハナから殺すつもりはない。その為に腕をへし折った」


カゼルはそう吐き捨てると、大剣を血振りしてから鞘に納め、アーシュライアの右腕から足を退けた。


「ぐあ…ぅ…」


呻き声を上げて右腕を抑えるアーシュライアをよそに、カゼルは下知を下す。


「負傷者の手当を急げ、撤収するぞ!」

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