6
ゴウマの左肘から先がなくなっている。そして右腕には、狼の禍獣が咬み付いていた。
――あれは……
「ぐ、うぅぅうう」
苦悶の表情を浮かべるゴウマ。腕を振って狼禍獣を離そうとしているが、離れる様子はない。がっちりと咬み付いている。
――イチゴウだ!
ゴウマは壁に向かって突進し、咬まれている腕ごとイチゴウを叩きつける。
衝撃で部屋が揺れる。蛍光灯がちらちらと明滅した。
これにはイチゴウもまいったのか、ゴウマの腕を離した。
そこでゴウマは反転し、その流れでバックブローを胴体に叩きこむ。
吹き飛ぶイチゴウ。
この隙にヒヤマは、素早くヤナセの死体を部屋の隅に移動させた。
次にカガミを刺した場所へと視線をやる。
――死体が……ない。ということはあのイチゴウはカガミなのか?
イチゴウに追い打ちをかけようと間をつめたゴウマは、床すれすれの低い軌道からアッパーを繰り出す。
だがそのアッパーは空を切った。
――早い。
イチゴウの動きは、ヒヤマの目ではとらえきれないほどのスピードだった。
一瞬のうちに背後にまわりこんだイチゴウは、ゴウマの首に咬みついた。
ゴウマは
イチゴウもそれに合わせるように
二人の獣の咆哮は空気を震わせた。
そしてゴウマは暴れ、イチゴウを振りほどこうとする。
「ヒヤマァ! 見てないでこいつを倒すのに協力しろお!」
ヒヤマは迷った。イチゴウかゴウマ。どちらに協力するか。
だがすぐに決断し、ヒヤマはイチゴウの背中を斬りつけた。
「ぎぃい!!」
声をあげ、イチゴウは離れていく。
「……助かった。礼を言おう」
ゴウマは首を回しながら言った。
「ゴウマ、ユリの場所を教えろ。でないとこれ以上協力はしない」
イチゴウはヒヤマではなくゴウマのほうを険しい表情で睨んでいる。それを確認したゴウマは小さく舌打ちし、
「……世田谷のリディル軍病院、その地下で監禁されているそうだ」
もちろん嘘の情報かもしれないが、信憑性はあった。ユリが向かった先は間違いなくタイシのいる世田谷リディル軍病院なのである。無理にユリを移動させていない可能性はある。
「わかった。協力しよう。あいつをぶっ殺す」
心の中で付け加える『その後はおまえだ』。
ヒヤマは右腕刃を、今度は狼の口に変形させる。
イチゴウはそれを見ると、ヒヤマに向かって牙を剥いた。
「あぁぁああああ!」
イチゴウは
それを合図にヒヤマとゴウマはイチゴウに向かって駆ける。
まず、ヒヤマが狼の口をイチゴウに伸ばした。
イチゴウも大きく口を開ける。
二つはぶつかり、お互いが咬み合う形となる。
すぐにヒヤマは戦慄した。
――これは……!
イチゴウの
圧倒的な力でメキメキとこちらの
――この……野郎ぉぉ!
ヒヤマも負けじと狼口に力を込める。が、咬み合いはイチゴウに分があった。ヒヤマの狼口は徐々に押しつぶされていく。
と、そこへゴウマがイチゴウの背中へハンマーを打ち下ろした。
イチゴウの背中は反り返る。
「あぎゃああ!」
悲痛な叫び。
ヒヤマは即座にイチゴウの首を、自由になった狼口で咬みついた。
イチゴウの首もやはり硬い、喰いちぎることは出来ない。しかしイチゴウの動きを制限することには一役を買った。
一方ゴウマは、イチゴウの背中にハンマーを打ち続けた。
何発かゴウマが打つと、次第にイチゴウの体から力が抜け始めるのがわかる。
そこでヒヤマの眼に、ふと奥の鏡が映った。
――まただ……
なにかに似ている。そうヒヤマは感じた。
――表情?
はからずも疑問に思う。
――俺の戦う理由って……なんだ? 俺とイチゴウ……カガミ……
そしてイチゴウの身体から、完全に力が抜ける。
ヒヤマは狼口を離すと、イチゴウはそのまま床に倒れていく。
その様子を見て、ヒヤマはひどく悲しい気持ちになった。
――ああ……俺はこいつのことを理解……したのか……
ゴウマが止めの一撃とばかりに腕を大きく振り上げた。
もうやめろ、ヒヤマがそう言いかけたそのときだった。
ふっと風が頬を撫でた。
その不思議な風はなんだったのか、次の刹那、飛び込んできた凄惨な光景が教えてくれた。
突如、目の前にいるゴウマの首から上が消えたのだ。
ごとん。
その音は、ゴウマの頭が床に落ちた音。
そして首なしゴウマの胴体は、腕を振り上げたままの形で、後方へ倒れていく。
その先には、イチゴウが立っている。ゴウマの首の残骸らしきものを、がりがりと音を立て、咬み砕きながら立っている。
――あ、あの一瞬で……?
信じられないスピード。そして力である。無意識に震えがこみあげてくるのをヒヤマは感じた。
だがイチゴウは
――……?
なんというか、生命力が薄いように見えるのである。
「……ゴウマめ、なかなか手強かったぞ」
そのイチゴウの身体から初めて言葉が発せられた。カガミの声のようだが、ざらざらとした雑音が耳につく。
「お前は、カガミか?」
イチゴウは、顔をゆうくりとヒヤマに向け、
「他に誰がいるって言うんだい」
ヒヤマの脳裏に十一年前の事件が蘇る。
「あのときのイチゴウもお前なのか?」
「違う」
「違うだと?」
「イチゴウをモデルにしているが、僕が禍獣の手術を受けたのはずっとあとさ。イチゴウは僕らが飼っていた犬だ。父によく懐いていたな。驚くほど聡明でね、禍獣の手術のあとは、こちらの言葉を理解しているようだったよ。父が死んだ理由もね……イチゴウが憎いかい?」
「……憎くないわけがない」
「それは良かった。ではヒヤマ君、妹を殺してくれるかな」
即、「やるわけないだろう」と言うところだが、ヒヤマは思わず笑ってしまった。これは自分でも意外だった。
「……? ……なぜ笑う?」
「……シュリが言っていたよ」
「なにをだ?」
「似ているって」
カガミはなにも言わない。
「俺もお前もこだわりすぎている。俺は禍獣に。お前はコロナオペルタに」
「だからなんだ」
「ユリが俺に殺されることがお前の中でどれだけ大事か知らないが、俺がユリを殺すわけない。お前はそんなこともわからなくなっている」
「……教えてくれてありがとう。よくわかったよ。君は脳を手術してコントロールするしかないようだね」
「やっぱりこだわりすぎだよ、お前は」
カガミの
鞭腕に咬みつかれる――寸前にヒヤマは腕を元に戻し、逃れる。
この変形により、ヒヤマの四本腕のうち、三本がノーマルな形状となる。変化しているのは、狼の口になっている右の新腕だけだ。
ヒヤマにすかされたカガミは、その場で地面を蹴る動作を何回か繰り返した。それは体の調子を確かめているように見えた。
「スピードが落ちてるな。カガミ」
「……それがどうした。君を戦闘不能には出来る」
「……もうやめないか」
「なに?」
「お前が親父やヤナセさんを殺したのは許せない。だけどもう俺はお前と戦いたくない」
「急に殊勝じゃないか」
「お前は理解したいだけだ。納得したいだけだ。コロナオペルタが、カガミダンが死んだ意味を」
「……僕は理解しているよ。神の意思を」
「そう思い込んでいるのは、彼らの理不尽な死を否定したいからだ。俺もお前も戦う理由なんてもうないんだよ」
「……僕のことをわかったつもりでいるのか。気に入らないね」
カガミは床を蹴った。ヒヤマの狼口腕に向かってくる。
ヒヤマはこれを迎え撃ち、またしてもお互いが咬み合う形となる。
――やはり……
カガミにさきほどのような力はない。この時点で力勝負はヒヤマと五分である。
「……俺にはコロナオペルタの尊さはわからない。信じられないくらい大きな存在なんだろう。その喪失を理解するのは難しい。かわいそうだよお前は」
カガミは口を離し、「黙れ! 知ったふうな口を利くな!」次はヒヤマの左腕に咬みついた。
力が落ちているとはいえ、油断は出来ない。現に咬まれている部分は強烈な圧を感じる。
「カガミ、俺は別に優しい人間じゃない。お前があくまで戦いを止めないなら、俺も抵抗させてもらう」
ヒヤマは即座に回転を始め、カガミを振り回す。
そして数回転した後、床に叩きつける。
「ぐが!」
ヒヤマの腕は解放される。
小さく呻いたカガミは、少しの間、地面に横になっていたが、やがてゆっくりと立ち上がる。その表情は、さっきよりも険しく見えた。
「……もういい。お前はここで殺す。お前の妹も僕が殺す」
向かってくるカガミ。
――仕方ねえ!
その首元に、ヒヤマは狼口で咬みつく。
しかしカガミは止まらず、こちらも大口を開けた。
ヒヤマはカガミの首を、カガミはヒヤマの左新腕を、それぞれ咬みあう状態となる。
――この形は俺に有利だ! まだ空いてる腕が二本ある!
そこでヒヤマはカガミの身体をでたらめに殴る。
――これで、終わりにしてやる!
「――!!!!」
カガミは、声にならない低い呻きを漏らしていた。
ヒヤマの連打に為す術がないように見えた――が、その刹那。
カガミは後方へ体を一回転させる。
すぐに焼けるような激しい痛みがヒヤマを襲った!
「あああ!!!!」
――な、なんだこの痛みは!!
確認すると、喰いつかれていた左の新腕が、根本からなくなっている。
ヒヤマは体の一部が欠損した経験はこれが初めてである。その欠損部位は元来人間にはない部分だからか、喰いちぎられた部分だけでなく、全身に激しい痛みが散らばっていく。
視界が揺れる。
――まずい、意識をしっかり持て……
対するカガミもふらふらとしていた。がくっと体勢を崩しては、立て直すのを繰り返す。さらに呼吸音がはっきりと聞こえる程荒く、苦しそうだというのがわかる。
程なくして、ヒヤマとカガミは同時に倒れた。
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